ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

『気がつくと、いない』 ヨハネの黙示録19:6〜9、ルカによる福音書24:13〜35

2019年4月28日 【墓から消える】 私が信じるイエス様は、目の前に「いる」ことよりも「いない」ことの方がはるかに多い。私が辛いとき、助けてくれと祈るとき、イエス様の姿は見えません。 天から降りてくるようにも見えません。一瞬、不思議な導きを感じて…

『ここにもあそこにもいない』 マタイによる福音書28:1〜10

聖書研究祈祷会 2019年4月24日 【信じられない証言】 キリストの復活って本当にあったんだろうか……そう思ったことがある人は、私だけではないでしょう。初めてこの話を聞く人はもちろん、長年信仰生活を送っている人も、一度か二度は疑いを持ったことがある…

『たわ言を信じてる?』 ルカによる福音書24:1〜12

礼拝メッセージ 2019年4月21日 【たわ言にしか思えない】 たわ言を信じてる……イースターの朝早く、日曜日の礼拝で、このメッセージのタイトルを聞いたとき、「たわ言」って何のことだと思いました? 神の存在がたわ言? 天国の所在がたわ言? 奇跡の話がたわ…

『私から離れられると思うなよ』 ヨハネによる福音書15:1〜17

聖書研究祈祷会 2019年4月17日 【つながりが切れる】 自分だけ、誰かとつながりを切られてしまう。仲間外れにされてしまう。もういらないと捨てられてしまう。私たちはしばしば、つながりが切られることを恐れます。誰かとつながっていることを求めます。 ク…

『落差が激しすぎる』 ルカによる福音書19:28〜40、22:39〜53

礼拝メッセージ 2019年4月14日 【歓迎から逮捕へ】 落差が激しすぎる……何のことを言っているのか、2つの聖書箇所を読んだ後なら、すぐに分かると思います。 最初はエルサレムで好意的に迎えられたイエス様が、後に剣や棒を持った人たちに捕えられてしまう。…

『信仰によって酷い目に?』 ヘブライ人への手紙11:32〜40

聖書研究祈祷会 2019年4月10日 【信仰があれば何でもできる?】 ワード・オブ・フェイスって聞いたことありますか? 簡単に言えば、「信仰があれば何でもできる!」という信仰です。信仰があれば病気は治る、信仰があれば夢は叶う、信仰があれば経済的に豊か…

『イエス様のあてつけ?』 哀歌1:1〜14、ルカによる福音書20:9〜19

礼拝メッセージ 2019年4月7日 【教会の不祥事】 先に断っておきます。今から話すのはけっこうきつい話です。なかなか希望が見えないかもしれません。でも、どうか最後まで聞いてください。受難節第5週目を迎えた今日、私たちが見つめるべき自分の姿、共同体…

カルトに気づくきっかけ【事例1】

2019年4月5日 【目次】 【Aさんによる質問箱への投稿】 【質問に対する私からの返事】 【TwitterのDMによるやりとり①】 【TwitterのDMによるやりとり②】 【カルトに気づくためのポイント】 「破壊的カルト」または「カルト化している団体」に気づくことは、…

『この儀式に何の意味が?』 ヘブライ人への手紙9:15〜28

聖書研究祈祷会 2019年4月3日 【ありえない契約】 「血を流すことなしには罪の赦しはありえない」……なかなかおどろおどろしい表現です。赦されたいなら血を流す努力をしなさい。それ相応の代償を差し出しなさい。 この部分だけを切り取って聞けば、そう言わ…

『顔が光るって怖い』 出エジプト記34:29〜35、ルカによる福音書9:28〜36

礼拝メッセージ 2019年3月31日 【なぜ光らせた?】 「顔が光るって怖い」このタイトルを聞いて、礼拝メッセージにつけられた題だとは普通思わないでしょう。 だって、見るからにふざけてる。真面目な話には聞こえない。どちらかと言えば、バラエティーやお笑…