ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『どれくらいささげます?(・・;)』 申命記12:1〜12

聖書研究祈祷会 2018年7月4日

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【新来者の体験】

 日曜日、教会を初めて訪れた人が入り口の前で立ち止まりました。その日の聖書箇所、メッセージのタイトル、メッセンジャーの名前が書かれた看板の横に、こんなプレートがかかっていました。「どなたでもご自由にお入りください」……誰でも入っていい、その言葉を信じて、彼は教会の門をくぐりました。

 

 キリスト教の礼拝に来るのは初めてでした。事前に予約がいるのか分かりませんでしたが、ホームページを見る限り、アポなどは必要なさそうでした。服装も、スーツで来た方がいいのか心配でしたが、幸いにも、受付に並ぶ人たちは普段着と思われる格好の人が大勢いました。

 

 「手ぶらで大丈夫」と聞いていたとおり、聖書も讃美歌も貸してもらえました。「週報」という紙を渡されたときは、何に使うのか分からず少し焦りましたが、どうやら礼拝のプログラムが書いてあるようでした。これを見ながら参加すれば、礼拝についていけると言われました。

 

 彼は礼拝堂に入ると、初めてなので後ろの方に座ろうとしました。ところが、後ろの席は既に先に来た人たちで一杯でした。前の方しか空いていません。熱心なクリスチャンでもないのに、いきなり牧師の目の前へ行くのは気が引けます。彼は辺りを見回し、後ろの方で一つだけ席が空いているのを見つけました。

 

 他の人が座る前に急いでそこへ座った彼は、トントンっと肩を叩かれました。振り向くと、ここの教会員と思しき人が申し訳なさそうに言いました。「すみません。その席はいつも○○さんが座っている席なのです。よかったら移ってもらえませんか?」……すぐに、彼は立ち上がって他の席を探しました。

 

 どこでも自由に座っていいと思っていたら、自分には見えない指定席があったようです。もう後ろの方に席はありません。やっぱり今日は帰るか……と思いかけたとき、今しがた声をかけた人がこう申し出てくれました。「後ろの方が良ければ、私と替わりますか? 教会に初めて来た方ですよね?」

 

 少し申し訳ない気もしましたが、ありがたく、その人が座っていた後ろの席と替わってもらうことにしました。ようやく、礼拝が始まりました。讃美歌は新米の自分が歌ってもいいのか分かりませんでしたが、周りの歌声に合わせて、少しだけ声を出しました。誰も変な顔で見てこなかったので、たぶん大丈夫だったのでしょう。

 

 聖書は司会者が何ページを開くのかアナウンスしてくれました。しかし、自分が開いた箇所とは、全く違う箇所が読まれます。隣の人に聞こうにも、初対面の人に声をかける勇気は出てきません。すると、さっきの人が「新約聖書なので、後半の○ページです」と声をかけてくれました。

 

 牧師のメッセージが始まりました。初めて聞く言葉、意味の分からない単語がたくさん出てきました。しかし、ここへ来る前に恐れていた、自分を洗脳するような話ではなくホッとしました。初めての礼拝は色々と分からないこともありましたが、何とか無事に終わりそうでした。

 

【献金の時間】

 ところが、思ってもみなかった時間がやって来ます。「それでは、感謝の献げ物として献金をします。ご準備ください」……司会者のアナウンスと共に、黒い籠を持った人たちが順番に前からお金を集め始めました。周りの人たちは、当たり前のようにポケットからお金を出し始めますが、自分は何も用意していません。

 

 「どなたでもご自由にお入りください」あのプレートがかかっていたところでは、「入場料」があるなんて聞いていませんでした。いったいいくら出せばいいのか、誰も教えてくれません。注意深く見ていると、お札を入れている人もいれば、小銭を入れている人もいます。どんな基準で金額が決まっているのかさっぱり分かりません。

 

 神社へお参りに行く時は、10円とか50円でも平気でしたが、ここではそれが失礼なのか妥当なのか分かりません。さらに、礼拝の中でお金を出すとは思っていなかったので、彼はお札を一万円札しか持っていませんでした。さすがに、初めて来た礼拝で、手持ちのほとんどを入れるのは抵抗があります。

 

 しかし、目の前に籠が回って来ました。自分がお金を出すのを待っています。彼は顔を赤面させながら、財布の隅にあった10円玉を何枚か入れました。ついさっき聞いたメッセージも、讃美歌を歌ったときの雰囲気も、もう彼の頭からは吹っ飛んでいました。一刻も早く、この空間から抜け出したい……そう願っていました。

 

 お祈りが唱えられ、讃美歌が歌われ、最後にオルガンの音が流れました。報告の時間が終わったら、すぐに教会を出ようと思っていた彼は、「今日始めて来た方を紹介します」と言う司会者に名前を呼ばれ、その場に立たされ、パチパチと気の抜けた拍手を送られました。もうどうしたらいいか分かりませんでした。礼拝の後、お昼に誘われましたが、彼は逃げるようにそこを出て行きました……

 

【礼拝を整える】

 教会で長年過ごしている私や信徒の方が聞いたら、何とも気まずい話ですよね。これは私が、今まで人から聞いてきた話、TwitterやFacebookなどでシェアされた、友人や知り合いの体験談を組み合わせた話です。多くの教会で起こりうる新来者の体験、あるいは、新来者でなくても経験する話かもしれません。

 

 私たちも、しばらく教会に来ることができず、久しぶりに礼拝へ出てみたら、いつも座っていた席が、いつの間にか「そこは今○○さんの席」と言われることがあります。実際には、「私の席」でも「○○さんの席」でもないのですが、何となく礼拝堂の一部を「自分のもの」「誰かのもの」として扱っていることがよくあります。

 

 ここ、華陽教会では、車椅子や足の不自由な方を別として、比較的、皆さんが毎週違う席に座ってくれていることを私は知っています。受付では新来者に献金があることを伝え、水色か桃色の献金袋を渡しています。礼拝中、いきなり献金があることを知るよりマシかもしれません。しかし、私たちの礼拝は、果たして全ての人が神様に感謝を表す場として整っているでしょうか……? 

 

 私たちは礼拝を大事にします。土曜日に会堂へ来て掃除をし、綺麗な花を講壇に飾り、誰が来てもいいように受付の準備を行います。律法だって、最初は礼拝に関する規定から始まっています。実際、先ほど読んだ聖書箇所では、礼拝の場所を整えるよう繰り返し命じられていました。そう、私たちはいつも、礼拝の場所を、秩序を、きちんと整えているつもりです。それぞれ自分が正しいと見なすことを行って。

 

 しかし、ここは本当に礼拝の場所となっているでしょうか? 祈りの家となっているでしょうか? 単に、私たちが慣れ親しんだ習慣を、儀式を、繰り返すだけの場所になっていないでしょうか? 「あなたたちは、我々が今日、ここでそうしているように、それぞれ自分が正しいと見なすことを行なってはならない」……

 

 モーセはこのように言って、自分勝手に基準を設けて儀礼をささげてはならないと呼びかけました。「我々が」と語っているところを見ると、モーセ自身も恣意的に礼拝を行なっていたのでしょうか? この部分は、文体による影響を理解しない後代の挿入だと言われていますが、私はむしろ、モーセも礼拝の場所を整えられなかった、その自覚があった一人だと思っています。

 

 自分勝手な基準、それぞれが正しいと見なしていること……それらに従うことなく、神様の求める礼拝を行えるよう、イスラエルでは各地に散らばっていた聖所が中央に限定されました。後の時代には、それがエルサレム神殿となります。私たちも「神様を礼拝する」と言うとき、自分の部屋や道端など、好きな所で好きなように儀礼をささげるわけではありません。

 

 教会という場所に来て、神様を信じる仲間たちと共に、共通のリタジーに則って礼拝を行います。個人ではなく、共同体として神様を礼拝します。しかし、案外私たちは、共同体を、その場で一緒にいる一人一人を、意識せず礼拝に出ていることが多いです。私も学生だった頃(伝道師だった時でさえ!)、隣の人が聖書を開けず、交読文が分からず、右往左往していることに何度気づかなかったことか!

 

 私たちは、神様の前で一つとなって礼拝しようとしているのに、バラバラな時が多いのです。共に感謝をささげましょう……なんて場合じゃありません。目の前の人が、後ろの人が、左右の人が、キョロキョロ不安な様子で過ごしています。神様の恵みを喜び祝える状況なんて整っていないのです……しかし、私たちはそれに気づかず礼拝を進めてしまいます。

 

 なるほど、異教の祭壇や石柱やアシェラ像を徹底的に破壊しても、イスラエルが一つになれなかったわけです。彼らは一つとなって神様を礼拝するために、一つの聖所に集まる必要がありました。病気になった、家族が亡くなった、共に神様の恵みを祝うことが困難になった……そんな人には、一定の期間を置いて、特定のプロセスを経て、再び、神様に感謝を表す共同体へ戻る手順が整えられました。

 

 私たちも、共に礼拝をささげる人が、神様の恵みを受け取り、感謝の応答をする場所として、互いに礼拝を整える必要があります。しかし、礼拝の間、共に集められた仲間を知ろうとする人は、いったいどれだけいるでしょう? 私自身の反省もあります……新来者は礼拝が終わってからようやく紹介され、隣の人が讃美歌を開けているのかいないのかさえ気づかない私たち……教会は、ちゃんと礼拝共同体になっているでしょうか?

 

【十分の一献金】

 礼拝とは、神様から与えられる恵みを受け取り、その恵みに対して応答する、神と人との交わりの場です。私たちは、牧師の語るメッセージや、聖餐で受けるパンとぶどう液を通して神様の恵みを受け取ります。一方で、恵みに対する応答は、祈りや賛美を通して行います。礼拝献金もその一つです。今日読んだ箇所では、ちょうど献げ物についての規定が複数にわたって書かれていました。

 

 「焼き尽くす献げ物、いけにえ、十分の一の献げ物、収穫物の献納物、満願の献げ物、随意の献げ物、牛や羊の初子などを携えて行き、あなたたちの神、主の御前で家族と共に食べ、あなたたちの手の働きをすべて喜び祝いなさい」……こんなに献げ物の種類があったら、すぐに財産が尽きてしまいそうです。

 

 「どれくらいささげます?(・・;)」……先日の週報に出していた、今日の聖書研究祈祷会のタイトル、きっと気になった方が多いと思います。あまりにストレートな表現なので、初めて週報に顔文字のタイトルを入れました。かえって冷や汗をかきました……

 

 いったい自分はどれくらい献金をささげたら妥当なのだろう? 良しとされるのだろう? そんな思いに誰もが一度は悩まされたはずです。なんなら今でも悩んでいるでしょう。正直言えば、牧師である私も、毎週毎週超悩んでいるのですから……! 初めて礼拝に来た人であれば、なおさらですよね。

 

 以前、赴任していた教会で、青年たちからよく質問を受けました。「自分はそんなに献金ができていないのだけれど、どれくらいすればいいのだろうか?」……私はこの問いになかなか答えられませんでした。一昔前なら、教団でもどこでも、だいたい収入の10分の1を献げるのが妥当だとされていました。それは、6節と11節に書いてあった規定からきています。

 

 しかし今、私と同世代の人たち、特に女性の社会人が、収入の10分の1を献げたらどうなるか……私の知っている限り、友人の手取りはだいたい13万〜14万くらいです。一人暮らしなら家賃で5万から6万が飛んで行きます。食費で2万くらいでしょうか。国民保険、国民年金を支払うと、もう残り3万くらいです。ここからさらに、奨学金を返還します。携帯とパソコンの通信費が出て行きます。電気代・水道代が出て行きます。

 

 収入の10分の1を献げると、もうほぼ何も残りません。アパレルの雇われ店長をしている人でも、ボーナスはあって1万円だったりします。身近な人たちの現状を聞いていると、「献金は10分の1くらい献げればいいよ」……なんてよう言えません。私が毎週悩むのは、献げる力のある自分が、もう少しがんばって献げないと、後は余裕のない若者か、年金生活の人たちに無理をさせることになるからです。

 

 献金って何なのでしょう? 悩んで迷って苦しんで、収めなければならない義務なのでしょうか? いいえ、違います。確かに教会を支えるために、私たちは一生懸命献金を献げますが、決して義務ではありません。ここにも2回繰り返されていました。「献げ物を携え、あなたたちの神、主の御前で、息子、娘、男女の奴隷、町の中に住むレビ人(聖職者)と共に、喜び祝いなさい」

 

 献げ物は、神様の恵みに対する感謝の応答です。かつては、罪の赦しや和解を求めて、神様に焼き尽くす献げ物が献げられました。現在では、神の子であるイエス様が、私たちを執り成して自らを献げ、神様と和解をさせてくださいました。私たちは、罪を赦されるために献げ物をするのではなく、罪を赦されたことに感謝して献げ物をするのです。義務や条件として献金をするのではありません。イエス様がもたらした回復への自発的な感謝として行うのです。

 

【祈りの家】

 新約聖書に、イエス様が起こした驚くべき事件が残っています。ある時、イエス様はエルサレム神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人たちを追い出し始めました。両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返され、暴れ回ります。「こう書いてあるではないか。『わたしの家はすべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった!」

 

 イエス様は神殿の境内で商売を行っていることが気に入らなかったのでしょうか? しかし、両替人も鳩を売る者も、礼拝に不可欠な存在でした。鳩は、最も貧しい者が献げることのできる犠牲です。家から持って来たのでは傷ついたり死んでしまったりする可能性があります。ここで売っていなければ、貧しい人たちは礼拝ができません。

 

 当時、ローマ帝国に支配されていたイスラエルでは、皇帝の顔が彫られた通貨が流通していました。神殿で献金するときには、そうでないイスラエルの貨幣がふさわしいとされました。両替人がいなければ、国内の人も外国から来た人も、献金を献げることができません。

 

 しかし、イエス様が彼らを追い払った場所……そこは「異邦人の庭」と呼ばれる、ユダヤ人以外の外国人や女性たちが、敷地内で礼拝できる唯一の場所でした。家父長制の強かったイスラエルにおいて、いつも周縁に追いやられていた人たちが礼拝できる唯一の場所……しかしそこは、礼拝の場所として整えられてはいませんでした。売り買いの場になっていました。

 

 ユダヤ人男性の多くは、自分が真っ当な礼拝をすることだけを考え、異邦人の庭で売り買いすることに違和感を抱きませんでした。私たちが新来者に気を留めず、我先に礼拝堂の後ろを占拠し、隣が聖書を開けなくても気に留めない……そんな礼拝をするかのように、一人一人、バラバラの礼拝が行われていました。イエス様はたいへん憤りつつも、祈りの場を、礼拝共同体のつながりを、回復させようと行動します。

 

 「あなたたちの神、主の御前で、息子、娘、男女の奴隷、町の中に住むレビ人と共に、喜び祝いなさい」……喜び祝う礼拝、感謝が湧き出る礼拝、そんな空間を、神様はここに求めています。私たちに共に食べ、共に祝福に与ることを促しています。明々後日には、再び日曜日がやって来ます。行って、礼拝の場を整えましょう。