ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『綺麗な話には裏がある』 ルツ記2:1〜13

聖書研究祈祷会 2018年8月22日

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【単純に美しくはない話】

 旧約聖書の中で、ルツ記ほど人々に愛された話はないかもしれません。夫を失った嫁と息子を失ったしゅうとめ……その2人が互いを思いやり、互いの幸せのために行動する、非常に美しい話です。ところが、この話を丁寧に読み進めていくと、単に綺麗な物語が描かれているわけではないと分かってきます。

 

 なぜなら、神様の教えに忠実なようで忠実でない人たち、律法を守っているようで守っていない人たち……そんな人々の姿が少しずつ露わになってくるからです。最終的には、文字通り「必ずしも律法に忠実なわけではない」人たちが、祝福を受ける展開となっています。それがいったいどのような意味を私たちにもたらすのか、共に考えていきたいと思います。

 

【神様に呪われた?】

 さて、ルツ記の冒頭を見てみると、ある家族の悲劇から始まっています。1章ではイスラエルに飢饉が襲ったので、エリメレクが妻のナオミと一緒に2人の息子を連れてモアブの野に移り住んだことが書かれていました。ところが、モアブに移り住んで間もなく、ナオミの夫エリメレクは死んでしまいます。

 

 その後2人の息子は、それぞれモアブ人の女性であるオルパとルツと結婚しました。ところが、10年ほど経って、この2人の息子も死んでしまいます。ナオミは夫にも息子にも先立たれ、嫁たちと一緒に女性だけが取り残されてしまいました。この時代、女性が男性の保護なしに普通の生活をするのは、ほとんど不可能なことでした。このままでは、ナオミも嫁たちも、みんな野垂れ死んでしまいます。

 

 ちょうどその頃、タイミング良く、イスラエルが飢饉を脱し、食べ物を得られるようになったという噂が入ってきました。ナオミは、親戚も頼る人もいないモアブの国を後にして、故郷に戻ることを決心します。彼女が出発すると、2人の嫁オルパとルツも途中まで一緒についてきました。ところが、故郷に帰る道すがら、ナオミは急に2人に向かって自分の里に帰るよう言うのです。

 

 「自分の里に帰りなさい。あなたたちは死んだ息子にもわたしにもよく尽くしてくれた。どうか主がそれに報い、あなたたちに慈しみを垂れてくださいますように。どうか主がそれぞれに新しい嫁ぎ先を与え、あなたたちが安らぎを得られますように」……ナオミがそう言って別れようとすると、2人は泣きながら首を横に振ります。「いいえ、ご一緒にあなたの民のもとへ参ります」

 

 どうやら、ナオミと嫁たちは相当仲が良かったようです。嫁としゅうとめが一緒に暮らす上で、困難を聞くことの多い私たちには、ちょっと微笑ましいシーンでもあります。自分から離れようとしない嫁たちに対し、ナオミは説得を続けます。「わたしの娘たちよ、帰りなさい。どうしてついて来るのですか。あなたたちの夫になるような子供がわたしの胎内にまだいるとでも思っているのですか」

 

 ナオミがこう言ったのは、レヴィラート婚という制度が関係しています。イスラエルでは、兄弟が妻を残して死んでしまった場合、その血を絶やさないために、弟が兄の妻を娶るという制度がありました。しかし、ナオミはもう歳をとっていて、誰かと再婚することも、亡くなった息子たちの代わりに、新しい弟を産めるとも思えませんでした。

 

 たとえ産めたとしても、その子が大きくなる頃には、オルパとルツが歳をとっていて、もう子どもを残せないかもしれません。女性が自分の子どもを残せないというのは、当時、老後の生活を支えてくれるものが何一つないという厳しい現実を意味しました。既にナオミはその状態なわけですが、嫁たちも自分と同じ状況に陥らないよう、2人の将来のためにモアブへ帰るよう促したように聞こえます。

 

 しかし、よくよく考えると不思議です。ナオミはモアブを出発した当初、2人がついてくるのを止めようとはしませんでした。いよいよ故郷のイスラエルが近づいてきたとき、まるで我に帰ったかのように「自分の里に帰りなさい」と言い始めたのです。彼女はなぜ、ここになって急に2人を帰そうとしたのでしょうか?

 

 イスラエルにモアブ人の娘たちを連れて帰ってくる……それがどういうことかを考えれば、確かに躊躇するのは自然かもしれません。ナオミの夫はモアブの国、すなわち異教の神を拝める土地に移り住んでから亡くなりました。さらに、息子たちはモアブ人の娘を娶ってから亡くなりました。イスラエルから見て、異邦人の地、異邦人の娘と交わったことによって、神様から呪いを受けたようにも見えるのです。

 

 このままイスラエルの地にモアブ人の娘を連れ帰ったら、また神様にひどいことをされるかもしれない……呪いをもたらす異邦人の娘を連れてきたと、故郷の人々が良い顔をしないかもしれない……そんな恐れがありました。ナオミは2人にはっきり言います。「あなたたちよりもわたしの方がはるかにつらいのです。主の御手がわたしに下されたのですから」

 

 主の御手がわたしに下された……その言葉を聞いて、オルパの方は泣く泣く別れの口づけをして去っていきます。彼女は、モアブ人の自分が夫と結婚したから、イスラエルの神に不幸をもたらされたのかもしれない……という響きを感じたのかもしれません。これ以上、しゅうとめに呪いをもたらさないよう、素直に身を引いたのかもしれません。いずれにせよ、オルパはここでナオミと別れ、自分の国モアブに帰っていきました。

 

【呪いをもたらした改宗者】

 ところが、ルツの方は未だにすがりついたまま離れません。ナオミはもう一度繰り返します。「あのとおり、あなたの相嫁は自分の民、自分の神のもとへ帰って行こうとしている。あなたも後を追って行きなさい」……これから入るイスラエルの地は、あなたたちモアブ人の国ではない。あなたを撃つかもしれない私の主がおられる場所だ。大人しく帰らなければ、どうなるか保証はできません……そう警告しているようにも聞こえます。

 

 ところが、ルツは衝撃的な返事をします。「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神」……自分の国モアブを捨て、モアブの神を捨て、イスラエルの神ヤハウェを信じます。だから、あなたと共に行かせてください! そう告白するのです。感極まって思わず飛び出てしまった言葉なのかといえば、そうではないことが次の言葉からわかります。

 

 「あなたの亡くなる所でわたしも死に、そこに葬られたいのです。死んでお別れするのならともかく、そのほかのことであなたを離れるようなことをしたなら、主よ、どうかわたしを幾重にも罰してください」……ルツの本気が伝わってきます。この言い回しは、まさに神に選ばれた民イスラエルの人々が誓約をするときのやり方です。

 

 パッとこの言い回しが出てくるほどには、ナオミからイスラエルの神のことをよく聞いていたのでしょう。改宗の決意をし、自分と同じ墓に入りたいと言い、イスラエルの神に誓約までしてしまったルツを止めるのは、さすがのナオミもできませんでした。

 

 ルツは、イスラエルから見て、かなり異質な立ち位置となります。イスラエル人がモアブ人の娘と交わることは、異邦人と結婚してはならないという戒めに反することで、神の怒りを買いかねないことでした。事実、ルツと結婚したナオミの息子は、子孫を残すことなく死んでいました。

 

 ところが、ナオミの家族に神の怒りをもたらしたかに見える彼女は、故郷とモアブの神を捨て、イスラエルの神ヤハウェを信じると告白します。そして、あなたの父母を敬えという十戒の掟を守るがごとく、誰の目から見ても献身的にナオミに仕えていくのです。イスラエルの家族に呪いをもたらした異邦人なのか、劇的な改宗をした信心深い異邦人なのか、どういう立ち位置で見たらいいのか、よく分からない人物です。

 

 だから、彼女はベツレヘムに来てからも注目の的でした。間もなく、その地の有力者ボアズの目に留まることになります。

 

【モアブ人に好意を持つ】

 私たちが今日輪読した聖書箇所には、ナオミのためにルツが落ち穂拾いに行く様子が描かれていました。落ち穂拾いというのは、2人のような夫を亡くした未亡人、両親を失くした子どもたちが生きていくための数少ない方法でした。イスラエルでは、彼らのような人々のために、畑で収穫する際に落としてしまった麦の穂は、拾わずに残しておくよう定められていたのです。

 

 さて、彼女が一生懸命落ち穂を拾い集める中、その畑の所有者ボアズがやって来ます。彼は、農夫を監督している召し使いに、「あの若い女は誰の娘か?」と尋ねます。召し使いがルツのことを説明すると、ボアズは直接彼女に声をかけ、こう申し出るのです。

 

 「わたしの娘よ、よく聞きなさい。よその畑に落ち穂拾いに行くことはない。ここから離れることなく、わたしのところの女たちと一緒にここにいなさい……若い者たちには邪魔をしないよう命じておこう」……自分の故郷を捨ててしゅうとめに仕える若い女性に、憐れみと思いやりを示した言葉……そう捉えられますが、まずそれだけではないでしょう。

 

 働いている他の男に声をかけられないよう、女たちと一緒に過ごすよう勧め、さらに若い男たちには邪魔をしないよう命じておく。周りから見たら「俺が目をつけた女だから分かっているな?」というふうに見えても不思議ではありません。というか、ほぼそういう意味でしょう。

 

 ボアズは、彼女がいつでも好きなときに水を飲めるよう若者たちに準備させ、自分と一緒に食事を取るよう声をかけ、お腹いっぱいになるまで奢ります。さらには、ルツのために刈り取った穂をわざと抜いて落としておくよう召し使いたちに命じるのです。単なる同情とは思えない、明らかな贔屓……誰が見ても、ボアズがルツに好意を寄せているのは明らかでした。

 

 そのくせ、ボアズはなかなかはっきりと好意を口にすることはありません。これはあくまで、しゅうとめに尽くす異邦人の女性を思いやっての行動だ……とでも言うかのように、彼はある一定の距離を保ちます。

 

 ボアズが恋をした、一目惚れをした女性(と、もう言っていいでしょう)ルツは、律法で結婚してはならないと定められた異邦人のモアブの娘です。同時に、イスラエルの神ヤハウェを信じると告白し、改宗し、誰が見ても誠実にしゅうとめを大事にしている女性です。結婚していいか、かなり微妙なところです。

 

 彼は、周囲にルツへの好意をアピールしながら、このジレンマをどうにかして乗り越えるチャンスを待っています。どうやら、その時はやって来ました。ルツが持って帰ってきたあり得ない落ち穂の収穫を見て、ナオミも一瞬にして気づきます。誰かがこの子に目をかけている。この子と私に気に入られようと、親切な振る舞いを見せている……と。

 

【ナオミとボアズの駆け引き】

 さあ、物語は流れるように展開していきます。ルツから自分に厚意を示してくれたのがボアズであると聞き、ナオミは都合よくこんな事実を思い出します。「その人はわたしたちと縁続きの人です。わたしたちの家を絶やさないようにする責任のある人の一人です」

 

 家を絶やさないようにする責任……新共同訳ではこう訳されていますが、もともとは「贖い手(ゴーエール)」という言葉です。これは、本来、土地の所有権に関する言葉でした。レビ記25章25節に、「もし同胞の一人が貧しくなったため、自分の所有地の一部を売ったならば、それを買い戻す義務を負う親戚が来て、売った土地を買い戻さねばならない」とあります。

 

 つまり、先ほど出てきたレヴィラート婚、「兄弟が妻を残して死んでしまった場合、弟がその妻を娶る」という話とは関係ない制度です。ちなみに、ボアズはエリメレクの親戚ですが、亡くなったルツの夫と兄弟ではないので、彼女を娶る義務はありません。にもかかわらず、ナオミはこれらの制度を無理やり結びつけるかのように話を進め、何とかルツとボアズが結婚できる展開に持っていこうとします。

 

 ある日、ナオミはルツに向かって、ボアズが麦打ち場で眠っているとき、彼の衣の裾で身を覆って横になるよう命じます。「その後すべきことは、あの人が教えてくれるでしょう」……この言葉がどんな意味を持つか、皆さんもだいたい想像できると思います。ようするに、ボアズと一緒に寝て親密な仲になりなさい、というとんでもない勧めです。

 

 結婚する前の男女が、一緒に寝て肉体的な関係を持つことは、もちろん律法で禁じられていました。女性からそれを行えば、下手すると死刑になりかねない話……ある意味でこれは大変な賭けでした。ルツへの好意が本物なら、ボアズは何としてでも彼女を受け入れて、結婚する話を勧めるに違いない。もし違ったら、その時はルツも、ルツに指示したナオミ自身も、イスラエル法によって裁かれる……

 

 ありがたいことに、ボアズはルツの行為を咎めることなく、自分が彼女の「家を絶やさぬ責任」があることを認めます。しかし、自分以上にその責任のある人がいるため、すぐには結婚できないことを明かします。そして、ルツとは関係を持たないまま朝まで休ませ、誰にも見られないようにナオミのもとへ帰すのです。

 

 不思議なのは、ナオミが「レヴィラート婚」と「土地を買い戻す責任」の規定を無理やり結びつけて話を進めようとするのに対し、ボアズも異論を唱えることなく、その話に乗っかっていくことです。彼は4章で町の長老たち10人を証人として選び、自分がルツと結婚し、エリメレクの土地を買い戻す責任を負ってもいいと認めてもらおうとします。

 

 そこで、自分以上に「家を絶やさぬ責任」のある人が、「それではわたしがその責任を果たしましょう」と言うと、ボアズはこう語ります。「あなたがナオミの手から畑地を買い取るときには、亡くなった息子の妻であるモアブの婦人ルツも引き取らなければなりません。故人の名をその嗣業の土地に再興するためです」……もちろん、そんな規定はありません。先ほど言ったように、土地を買い戻す責任とレヴィラート婚は違う話だからです。

 

 ところが、町の長老たちが10人も集まっているにもかかわらず、誰一人「いやいや、土地を買い戻す責任とレヴィラート婚は別の話だろう?」とは言い出しません。むしろ「ああ、そういうことですか……」とでも言うように、親戚の人は「それならどうぞあなたがその人をお引き取りください」と促し、周りも口を挟みません。

 

 まるでみんな、ボアズの意図を汲んで、律法に則った手続きを踏んでいるように見せながら、実際には、モアブ人の娘とイスラエル人が誰からも非難されることなく結婚できる準備を整えていくかのように……ボアズはこの交渉を無事終えて、全ての民と長老たちから祝福を得ます。そして、ついに2人は結婚し、ルツは神様によって男の子を身籠もるのです。

 

【異邦人の血を引く王家】

 最後まで読み進めてみれば、この話はナオミとルツ、ボアズと長老たちが、互いの幸せのため、あたかも律法を守っているように見せかけつつ、実際には守れていない行動をとっていく展開でした。にもかかわらず、神様はルツを祝福し、彼女に男の子を与えます。しかも、ルツ記の結末には、この男の子が、後のイスラエルの王ダビデの先祖となったことが伝えられています。

 

 つまり、イスラエルの王は、モアブ人の血を引く異邦人の子孫であり、そのダビデ王の子孫として、神の子イエス・キリストが誕生したと記されているわけです。もしも、ただ単に律法に忠実であることだけが求められ、字義通りに行動しなければ、皆裁かれるという話であれば、ダビデ王もイエス・キリストも今私たちが知っている形では誕生しませんでした。

 

 ルツ記に出てくる登場人物は、イスラエル人も異邦人も、互いが神様に祝福されるよう祈り、行動しています。その行動の中には、律法を無視する行為、律法に反する行為として裁かれかねないものもありました。このギリギリのやりとりを支えたのは、ナオミを思いやるルツ、ルツを思いやるナオミとボアズ、彼らを思いやる長老たちの誠実さがありました。神様は彼らに祝福をもたらします。

 

 それは律法の要求が、裁きを避けるための行動ではなく、神への愛、人への愛であることを思い出させます。聖書の中には、時にある者を排除し、ある者を抑圧する言葉が出てきます。しかし、そのような規定を超えて、愛と思いやりから行動した者たちに、神様は怒りではなく恵みを与えられました。この事実を、忘れずに歩みたいと思います。