ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

岐阜市の華陽教会にいる牧師個人のブログ

レインボーウィークを前に。

先日、名古屋学院大学しろとりチャペルへ招かれて、礼拝メッセージをしてきました。

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名古屋学院大学では、来週9月24日(月)〜28日(金)に、レインボーウィークが開催されます。

 

この期間、キリスト教センターは、お互いの違いを認め合いつつ他者と共に生きることの大切さ、自分の人生を“自分らしく”生きることの尊さを、「キリスト教」という観点から考える「礼拝」(チャペル行事)を主催するそうです。

 

せっかく、翌週からその期間が始まるということで、私からも少しセクシュアルマイノリティに絡めたメッセージをさせてもらいました。

 

せっかくので、こちらにもUPさせてもらいます。

 

チャペルメッセージ 2018年9月18日(於:名古屋学院大学しらとりチャペル)

タイトル:『しかし、回り込まれてしまった! (・・;)』

聖書箇所:出エジプト記3:7〜12

 

【切実な願い】

 「この世の中に変わってほしい」そう願ったことがある人は、ここにも大勢いるでしょう。もっと優しい世の中に、もっと公平な世の中に、もっと生きやすい世の中に、世界が変わってくれればいいのに……私自身、何度そう思ったか分かりません。奨学金という名の膨らんだ借金、将来もらえるか分からない国民年金、子持ちの友人を悩ませる待機児童、親友をボロボロにしたセクシャルハラスメント……変わってほしいと願うことばかりです。

 

 来週、名古屋学院大学ではレインボーウィークに入ります。レズビアンにゲイ、バイセクシュアルにトランスジェンダー、あるいはそれらに当てはまらない性的少数者の人たち……今まで差別を受けてきたみんなが、抑圧されることなく、生きやすい世の中を実現する……そんな願いを込めたキャンペーンです。このチャペルで歌う讃美歌21の480番も、その趣旨に合わせて選ばれました。

 

 残念ながら、キリスト教会の中には、今も性的少数者を圧迫し続け、差別的暴力的な言動を繰り返しているところもあります。同じキリスト教を信じている者として、ぜひ神様には、この状況を変えてほしいと切実に祈っています。しかし、私の願いを聞いた神様が、こう返してきたら話は変わります。「あなたの願いはよく分かった。さあ、世の中を変えに行きなさい!」

 

 ちょっと待ってください、あなたがやってくれるわけじゃないんですか? それなら話は別です、今のままで構いません。世の中に変わってほしいとは言いましたが、そのために私が苦労を背負い込むのはごめんです。牧師が政治的発言なんてしたら、教会の内部からも外部からも、批判や非難が飛んでくるでしょう。仲良くしているクリスチャンとも、あるいは論争し喧嘩になるかもしれません。

 

 仲良くしていたある方が、同性愛であると自分だけが知っていたとき、周りにいる同期の人たちは、男同士の恋愛をネタに笑っていました。私も一緒にギコちなく笑いました。そこで「笑っていい話じゃない」と怒る度胸はありませんでした。世の中を変えるどころか、内輪の小さなグループさえ変える力を持ちません。変えようとすれば孤独になるでしょう。自分も嫌な目に遭うでしょう。きっと私よりも経験豊富で心の強い人間が、この世の中を変えていくべきなのです……ところが、そうは問屋が卸しません。

 

 多くの人が神様に「この苦しい状況を変えてください」と願ってきました。そして多くの人に神様は「分かった、私があなたと共にいる。今、行きなさい」そう命じてきました。ほとんどの人が言いました。「いえいえ、私ではなく別の人を遣わしてください。世の中を変えるのは私ではありません。私は弱者です。助けを必要としている側です。周りを動かすような力はありません」

 

【モーセの抵抗】

 先ほど読んだ出エジプト記にも、そのシーンが出てきました。エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民が、「こんな世の中嫌だ!」と神様に助けを求めたとき、彼らの一人であるモーセに向かって、神様が語ります。「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」……慌ててモーセは言います。「なぜ私が? 私なんかが民を率いようとしても、『お前なんかに神が現れるはずがない』とみんな言うでしょう」

 

 ところが神様はどこ吹く風です。「大丈夫、できるできる」とモーセに無茶振りを続けます。「いえいえ神様、みんなが私を信用するはずありません」すると神様は返します。「それなら、あなたに奇跡を起こさせよう。民の前でそれを見せたら、みんなあなたを信じるだろう」だんだん追い詰められてきました。モーセは泣きついて抵抗します。「ああ、主よ。私は口下手で、話すのが得意じゃありません。みんなの前であなたのことを話せません」

 

 そう、話せるわけがありません。「みんなでエジプトを出ていこう」なんて言ったら、こう返されるに決まっています。「失敗したらどうするんだ! もっとひどい状況になったらどうするんだ! お前が責任取れるのか?」……この世を変えるために行動すれば、だいたい仲間から抵抗を受けるのです。俺を巻き込むなと言われるのです。

 

 理不尽な校則を変えようとして署名を集めようとすれば、同じ生徒から「私の名前を使わないで」と言われます。友だちのセクハラ被害を訴えに行けば、相談を聞いてくれた先生から「将来のことを考えておおごとにはするな」と言われます。モーセの返答はとても自然です。仲間がどう反応するか、容易に想像できるのですから。

 

 しかし、神様は話を聞いてくれません。「人間の口を造ったのも、耳を造ったのも私じゃないか。行きなさい。私があなたと共にいて、語るべきことを教えよう」……神様、そういうことじゃないんです! 私は怖いのです。仲間が離れていくこと、敵になること、常識を振りかざされること、どれも耐えられません。私は孤独になりたくありません!

 

 モーセは言いました。「ああ主よ。どうぞ誰か他の人を見つけてお遣わしください」……神様から、自分の心に与えられた良心に呼びかけられたとき、同じように答えた人がいるはずです。頼むから私じゃない人に!……と。ここにいる皆さんはどうでしょう? 教員の皆さん、どうでしょう? 職員会議で言うべきことを、自分以外の人が言ってくれと願ったことはないでしょうか? レインボーウィークと言いながら、本当にこの手の相談が来たら、自分じゃなくて別の人に対応させようと思っていないでしょうか?

 

 学生の皆さん、どうでしょう? 私じゃない、誰か別の人があの人を正してくれないかと期待したことがないでしょうか? モーセが抵抗したように私たちも抵抗します。この世が変わることを願いながら、自分がこの世を変える人にはならないように……モーセは4回、あるいは5回にわたって神様に逆らいました。これだけ逆らえば、さすがに諦めてくれるだろう。別の人を遣わすだろう。いい加減逃れられるだろう。そう思っていたかもしれません。

 

【回り込む神様】

 しかし……逃げ切ったと思って前を見ると、何度も何度も回り込まれていました。神様は「他の人に」と粘るモーセに、これ以上口実を与えません。「あなたにはアロンという兄弟がいるじゃないか。私は彼が雄弁なことを知っている。彼と一緒に行きなさい。私はあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、なすべきことを教えよう」

 

 完全に逃げ道が塞がれてしまいました。もう断れません。孤独になりたくないモーセに、神様は「私があなたと共にいる」と言い続け、本当に一緒に行く人を与えるのです。彼は世の中を、イスラエルの現状を変えるため、出発していきます。

 

 性的少数者の人々が、男と女で括れない自分たちのような多様性を拒む世の中を変えるため、昔から使ってきた象徴がありました。それが虹の色、レインボーカラーです。最近では、これを身につけることにためらいを覚える人は、だいぶ減ってきたと思います。しかし、少し前まで全く違う状況でした。虹色のリングが、LGBTの連帯を表す象徴だと知っている人は、そんなに多くありませんでした。だからと言って、これを身につけるのが簡単なわけではありません。

 

 もし、知っている人が見たら「お前はゲイなのか」と弄られるかもしれない。「私にそんな趣味はないの」と離れていくかもしれない。「気持ち悪い」と避けられて、オープンにしていなかった自分の性自認を、周りに知られてしまうかもしれない……それでも、この世に訴えたい。私たちが生きやすい世の中を実現したい!

 

 虹色のアクセを身につけたとき、心の中はドキドキでいっぱいです。すれ違う人からどんな目で見られるのか、恐ろしくてたまりません。広い広い世界の中で、たった一人、孤独な戦いをしている気分です。

 

 しかし、ふと目の前に立ち止まった人を見ると、そこには、同じレインボーカラーのリストバンドをつけた人が、黙って自分の手首を見せています。電車の中で、街角で、自分と一緒に遣わされた、新しい世の中を作る人が、少しずつ、少しずつ見えていきました。

 

 神様は、モーセにアロンを、バラクにデボラを、パウロにテモテを送りました。孤独を恐れ、自信をなくしている私たちに、一緒に行く人を与えました。変わってほしい世の中を実現しようとすれば、私たちは一人きりに、孤独に戦っていくしかないように感じます。でも、違うのです。神様は言われます。「私があなたと共にいる」……その言葉は、あなたと一緒に行く人を伴って、思ってもみなかった変化をもたらしていくのです。

 

 口下手で自信のなかったモーセは、人前でアロンだけに語らせることはありませんでした。むしろ、雄弁なアロンが人々に語ることより、モーセが直接語ったことの方が、ずっとずっと多かったのです。彼自身が心配したように、確かに、イスラエルの民は次々と不満を言ってきました。失敗を恐れ、何か困難が訪れるとすぐ「お前が我々を連れ出したから」と責めました。しかし、モーセは倒れません。神様に愚痴りながら、すがりつきながら、イスラエルの人々を約束の地、新しい土地へとたどり着かせたのです。

 

【さあ行きなさい】

 「新しい時を目指し、この世を変えるために、招きにこたえ、歩き出そう」……聖書の言葉と共に、讃美歌480番の歌詞が、私たちにこう促してきます。皆さんの周りには、変わってほしい現実、変えなければならない問題が、きっとそれぞれにあるでしょう。既に一人で、もがいている人がいるでしょう。目の前の問題に踏み込めない人、「なぜ私が……」と困り果てている人がいるでしょう。

 

 神様はあなたに言われます。「行きなさい、私があなたと共にいる」……そして皆さんを、今日このチャペルへと招きました。共に行く人を与えるために、私と、私を招いてくださった先生と、キリスト教センターのみんながいるこの所へ、あなたがた一人一人を招きました。

 

 この後、私はしばらくチャペルにいます。私が帰った後も、キリスト教センターには、皆さんの話を聞いてくれる先生方がいます。教員の皆さんも、私やここにいる仲間が、相談する助け手として与えられています。正直、みんなドキドキしているでしょう。問題を解決できる自信は、私を含め、誰一人としてないでしょう。しかし、共におられる神様は、口下手なモーセに変化をもたらしたように、力のない人間を新しくし、皆さん一人一人が変えたい世の中を実現します。

 

 さあ、新しい時を目指しましょう。この世の中を変えに行きましょう。私にも、皆さんにも、このチャペルを出る今語られる言葉が一つあります。さあ、行きなさい……

 

【お知らせ】

9月24日(月)~28日(金)「レインボーウィーク」開催のお知らせ | What's New | 名古屋学院大学

なお、こちらのチャペルは入場無料で、学外からも入れるそうです。様々な気づきや出会いが与えられる良い機会になると思います。