ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『とんでもない知らせ』 ルカによる福音書1:26〜38、2:1〜7、2:8〜17

クリスマス・イブ礼拝 2018年12月24日

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【喜びの知らせ?】

 クリスマスがやって来た……あなたにとって、それはどんな知らせでしょうか? 友達とわいわい楽しむ夜、家族と久しぶりに過ごせる日、恋人と過ごす大切な時間がやって来た。あるいは、誰かにプレゼントをもらえる日! そんな喜ばしい知らせに感じる人もいるでしょう。

 

 でもちょっと言葉を変えると、たちまち逆の話になってしまいます。一緒に過ごせる友達が「いない」夜、どうしても家族と「会わなければならない」日、一人でいるのが「可哀想」と言われる時間がやって来た。あるいは、誰かにプレゼントしなきゃいけない日! なかなかの痛みを感じる人もいるでしょう。

 

 世間から、聖なる人、心の清い人たちの集まりでしょ? と思われがちな教会でも同じです。必ずしも全ての信徒が、礼拝へ行くことを、周りに理解してもらえるわけではありません。クリスマスまで家族をほったらかして教会に行くのか? 友達の誘いを断るのか? そう白い目で見られながら、礼拝へやって来る人もいます。クリスマスがやってくるとは、誰かと誰かの間に挟まれて、居心地が悪くなるという知らせです。

 

 うちの教会にも受験生がいます。希望する学校へ入るために、一年で一番がんばっている時期です。1分だって無駄にはしたくはないでしょう。ところが、クリスマスにはこうして、1時間から1時間半は拘束される礼拝が、ちょくちょく入ってくるわけです。クリスマスがやってくるとは、自分の時間が削られるという知らせです。

 

 時々、家のない人がここへ訪ねて来ます。住所がないので、生活保護を申請しても断られる人たちです*1。彼らはクリスマスの夜、寒さに耐えながら、もしかしたら今日、凍死するかもと思いながら過ごしています。寒さを凌げる場所のほとんどに、クリスマスのイルミネーションが施され、邪魔な彼らは追い出されるからです。クリスマスがやってくるとは、路上で生活する者が、追い出されるという知らせです。

 

 さて、クリスマスの訪れは、皆さんにとって、喜ばしい知らせとなっているでしょうか? むしろ、邪魔をされ、追い出され、孤独にされる……そんな、とんでもない知らせとなっていないでしょうか? 安心してください。もしも今、あなたが頷いているのなら、あなたはクリスマスにふさわしい人間です。世界で最初のクリスマスも、とんでもない知らせが次々と訪れた、とんでもない日だったからです。

 

【マリアに訪れた知らせ】

 最初に読んだ、マリアへの受胎告知の知らせ……救い主の母に訪れた、不思議な奇跡と言えばそうですが、我に帰ってみれば、相当暴力的な話でした。なにせ婚約者と結婚する前の少女が、身に覚えのない妊娠をするというのです。「おめでとう」と言われても、普通喜べません。

 

 婚約者から浮気をしたと思われて、結婚を破棄されるかもしれないのです。それどころか、イスラエルの掟では、婚約中に浮気をした女性は、人前に晒されて、石で打ち殺される決まりになっていました。このままでは命の危機です。運良く、どこかへ隠れることができたとしても、生まれてくる子を一人で育てなければなりません。

 

 それなのに、天使はマリアに向かって「恐れることはない」なんて言うのです。さらに生まれてくる子は救い主、神の子だと言われます。どうやって育てろと言うのでしょう? 彼女が住んでいたナザレという町はけっこうな田舎です。教養も、そんなにあるとは思えません。まだ14歳くらいの、田舎に住む普通の少女には、あまりに荷が重い話です。

 

 けれども、マリアに告げられた知らせは、これだけではありませんでした。到底受け入れることのできない話、不安しかないはずの未来を、受け入れさてしまう、とんでもない知らせが、続けて彼女に語られたのです。「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう6ヶ月になっている。」

 

 マリアの親戚エリサベトは、祭司アロンの家系、いわゆる聖職者の家でした。神の子、救い主が生まれると言われた自分にとって、願ってもない相談相手です。そのエリサベトが、男の子を身ごもって、もう6ヶ月になっている。自分と同じ、妊娠するはずのない人間が、神様によって子を宿している。マリアの身に起きたことを理解し、弁明してくれる身分と経験を持つ者が、既に与えられていたのです。

 

 神様は、マリア一人に重荷を負わせることはしませんでした。むしろ、彼女に相談できる者、理解してくれる者を与え、救い主が生まれる喜びを味合わせようとしていました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」……それは紛れもなく、神様は私を一人にしないのだという知らせでした。

 

【ヨセフに訪れた知らせ】

 一方、彼女と婚約していたヨセフ。彼に与えられた知らせは、やはり、当初は受け入れがたいものでした。今日は読みませんでしたが、マタイによる福音書には、ヨセフがマリアの妊娠を知って、まずは別れようとしたことが書かれています。彼が最初に受け取ったのは、生まれてくる子が、自分の子どもじゃないという知らせでした。

 

 ところが、天使は彼の夢に現れてこう言います。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」……婚約相手が浮気をしたわけではないと知って一安心、と言いたいところですが、天使は2人にこうも言いました。「その子をイエスと名付けなさい。」

 

 イエスという名前は「救う者」という意味で、当時は珍しくもない名前でした。しかし、イスラエルでは本来、子どもに名前をつけるのは父親の権利でした。彼は、初めての子が自分の子どもではない上に、その子の名付け親となることも、許されなかったのです。父親の権利が失われる、衝撃的な事件でした。

 

 その上、今にも子どもが生まれそうという時になって、皇帝アウグストゥスから厄介な命令が下されます。ローマの支配下にある全領土の住民に、人口調査のため登録をせよとの勅令が出されたのです。初めての子が、いつ生まれてきてもおかしくない、妻を安静にしていなければならないとき、ヨセフは家から急き立てられ、故郷へ出発しなければなりませんでした。

 

 激しい振動を与えてお腹の子どもが死なないように、彼は焦る気持ちを抑えつつ、ゆっくり、ベツレムへと向かわなければなりません。しかし、そのせいで、2人が町に着く頃には、どこの宿屋もいっぱいになっていました。「お願いだ、妻に子どもが生まれそうなのだ。何とか部屋を譲ってくれ」……そんな訴えも虚しく、彼は宿屋から締め出されます。

 

 唯一空いていたのは、清潔で暖かいとはとても言えない家畜小屋です。牛やロバ、鶏といった動物たちが、自分たちを囲む中、出産の時が訪れます。「なんて日だ!」彼の口からそんな言葉が出てきてもおかしくありません。しかし、ヨセフの台詞は、一切聖書に記されません。彼が口にしただろうと分かる言葉は一つだけ。生まれて来た子に、「イエス」という名前をつけた、その場面だけです。

 

 ヨセフは妻と共に家から追い出され、宿屋に締め出され、この世で最も惨めな時間を過ごしていました。しかし、そのただ中で天使から言われたことを思い出していました。「この子は自分の民を罪から救う」「その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる」……それは、いと高き方である神様が、追い出され、締め出された者を救うために、ここへやって来たという知らせでした。

 

【羊飼いに訪れた知らせ】

 さて、イエス様が生まれた後、その地方で野宿をしていた羊飼いたちに、救い主誕生の知らせが告げられました。彼らは主の天使から、「あなたがたのために救い主がお生まれになった」と教えられます。ようするに、民全体を代表して「あなたたちが、救い主の誕生を祝いに行きなさい」と言われたのです。

 

 これもまた、とんでもない知らせでした。彼らは羊飼いです。狼や盗賊から群れを守るため、夜も家に帰らず、羊の番をしています。当然、体を洗う時間なんて十分取れません。動物の世話と野宿のせいで、汗と汚れにまみれていた体は、たいへん匂ったことでしょう。赤ちゃんのいる家へ訪れるなんて、あまりに申し訳ないことです。

 

 普段から、「汚い」「臭い」と嫌われていた羊飼いたちは、定期的に礼拝へ行くこともままなりませんでした。神様から与えられた掟をきちんと守れず、祭儀的にも不十分で、卑しいことこの上ない身分です。たとえ招待状を渡されたって、この世の新しい王となる、救い主の誕生を見に行くなんてできません。

 

 ところが、次の瞬間、天使がもたらした、もう一つの知らせを聞いて、彼らはハッとします。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう」……飼い葉桶、それは自分たちが普段から使っている、動物用のエサ箱です。王宮や神殿のベッドではなく、その中で救い主が生まれたと言われます。一瞬、耳を疑います。

 

 もしも、救い主が王宮や神殿の中で生まれたのなら、彼らが見に行くことは、きっとなかったでしょう。そこには、自分たち卑しい者を排除する守衛や門番がいるからです。しかし、臭くて汚い家畜小屋、飼い葉桶の中に寝ている赤ん坊の周りには、自分たちを拒絶し、排除する者なんてありません。

 

 神様は間違いなく、ここにいる自分たちを、家に帰れず、仕事をしている自分たちを、救い主のもとへと招いているのです。とんでもない知らせでした。新しい王が、泥臭い自分たちと同じ立場になって来られたのですから。羊飼いたちは、その知らせを受けてこう言わずにはいられませんでした。「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか!」

 

【私たちに訪れた知らせ】

 私たちは今日、わりと綺麗で暖かい、静かな部屋の一室に集まっています。けれども、きっとこの中には、誰かに拒絶され、締め出され、追いやられた経験を持つ人がいるでしょう。立て続けに、困った知らせを聞いた人、どうにもできない問題を抱えた人がいるでしょう。

 

 とんでもない知らせが、私たちの周りにはあふれています。しかし、このとんでもない知らせを受けているあなたに、イエス様は訪れるのです。暗くて寒くて汚い場所で、どうにもできず、佇んでいるあなたへ、イエス様は産声をあげて知らせます。私はあなたと共にいる。あなたが招かれ、受け入れられ、喜びを声に出す日は訪れる。

 

 特別な知らせ、とんでもない知らせを受けて、羊飼いたちは出発しました。生まれたばかりのイエス様を訪ね、見聞きしたことを、たくさんの人に伝えました。私たちも、出発しましょう。クリスマスの知らせ、ノエルを歌って、今宵あなたのもとへ訪れた、イエス様の誕生を伝えましょう。

*1:本来は、生活保護法第19条第1項〜第2項で、その人が急迫状態の場合、現在地保護を定めているので、「現住所」がないことを理由に、「現在地」が市内にあるホームレスの生活保護を断ることはできません(→社援保発第0731001号も参照)。が、担当者がそれを知らないと追い返されます。