ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『それって私の仕事ですか?』 イザヤ書41:8〜16、ルカによる福音書9:10〜17

礼拝メッセージ 2019年3月2日

 

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【分けてられない】

 5つのパンと2匹の魚を5000人に分ける。単純計算で、1つのパンを1000切れに分けるということです。私たちが普段、聖餐式で食べているパンは、だいたい2切れの食パンを36個に割いたもの……あのたった一口を、さらに薄く55枚に切って、ようやく5000人に行き渡ります。もはや、パンというより紙みたいなサイズです。

 

 魚に至ってはもっとシビアです。1匹あたり2500切れに分ける。頭とか骨とか尻尾とか、食べられないところに当たった人は悲惨です。そもそも魚を2500に分けるって、職人でもかなりきつい。綺麗に割こうと思ったら、もう、鰹節にするしかありません。分けてられるか! っていう話ですよ。

 

 ところが、イエス様から5つのパンと2匹の魚を分け与えられた人々は、全員が食べて満腹になる……それが、今日の聖書の話です。集団催眠にかかったのでは? と一瞬疑いたくなりますが、余ったパン屑を集めると12籠もあったと言います。パンが増えたことは間違いありません。

 

 しかし、いつ、どうやって増えたんでしょう? イエス様がパンを分けるとき、割いても割いても減らなかったということでしょうか? 細かく分けた一切れが、それぞれ大きくなっていったんでしょうか? あるいは、配っている間に、パンが細胞みたいに分裂していったんでしょうか? このシーンを映画やドラマで再現しようと思ったら、どうやって映像にするか非常に迷います。

 

 イメージしにくい、理解しにくい奇跡……どうせ食べ物を増やすなら、石をパンに変えるとか、天からパンを降らせるとか、他にいくらでもやりようがあったんじゃないかと思います。けれども、イエス様は回りくどく、まずは弟子たちに命じます。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」

 

【どうしてここで?】

 弟子たちは無茶振りに焦ります。彼らは最初、イエス様にこう言ったんです。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです」……人里離れた所、文字通りには「荒れ野」です。

 

 荒れ野で大勢の人が空腹を覚えている状況……どこかで聞いたことがあります。そう、モーセの時代に、エジプトを脱出したイスラエルの民が陥った状況とそっくりです。まもなく、人々は空腹に耐えられなくなり、不満を言い始めるでしょう。モーセは度々、不満を募らせた民に殺されかけました。この状況をほっておけば、イエス様の身も危うくなってきます。

 

 弟子たちは先に手を打とうとします。群衆たちを解散させ、周りの村や里で宿をとり、食べ物を見つけるよう促すんです。良心的な判断でした。既に日は傾いています。今解散させなければ、群衆の帰りはもっと遅くなります。荒れ野では食べ物が手に入らないだけでなく、人気のない場所で行商人を襲う強盗や盗賊も潜んでいます。お腹が減って弱っているところを、獣が襲ってくる可能性もあります。

 

 そもそも、群衆の大半は、自分の、あるいは身内の病気を癒してもらいに来た人たち。体や心に弱さを抱える人たちです。彼らを危険から守る上でも、弟子たちの判断は極めて正しいものでした。ここで、あることに気がつきます。

 

 イエス様はなぜ、人里離れた危険な場所で、人々の病を癒し、神の国について話していたんでしょうか? 宿やお店に困らない、町中に人々を集めれば、病人や貧しい人も、泊まるところや食べ物を心配しなくてよかったのに。

 

【休めない弟子たち】

 実は、この出来事が起こった場所をはっきり書いているのは、ルカによる福音書だけなんです。そこに出てくるのは、ベトサイダという地名です。ヨハネによる福音書では、ペトロやアンデレ、フィリボの故郷として紹介されています。つまり、弟子たちにとっては、ホッとする懐かしい場所でした。

 

 イエス様がここへ向かったのは、12人の弟子たちが一仕事終えた後でした。弟子たちは少し前に、イエス様から悪霊に打ち勝ち、病気を癒す力と権能を授けられ、神の国の教えを宣べ伝えるよう、各地に派遣されていました。

 

 彼らは、ある村では受け入れられて、一生懸命病人を癒し、イエス様の教えを宣べ伝えます。一方で、ある村では受け入れられず、こっぴどく拒絶されて追い出されます。弟子たちは、たくさんの人に頼られ、傷つけられ、振り回されながら、何とか使命を果たして、イエス様のもとへ帰って来ました。

 

 イエス様はその報告を聞いてすぐ、彼らを連れて人里離れたところへ向かい、ベトサイダへ出発します。弟子たちが、人々から離れてホッとできるように、安心して休めるように、一人になれる故郷へ連れて行ったんです。ところが、彼らの働きの甲斐あってか、イエス様の噂は多くの人に広まっており、さらにたくさんの人が、病の癒しを求め、教えを聞くために追いかけてきました。

 

 弟子たちは休めません。連勤明けの休日に、いきなり電話がかかってきて、お客が大勢で手が足りないからもう一日出勤してくれ! と頼まれるような仕打ちです。イエス様は、タイミング悪くやって来た群衆を、避けることも、帰されることもなく迎え入れます。休日返上で、再び人々の病を癒し、教えを語り始めます。日が傾くまで、一日中……。

 

 弟子たちは、それでも誠実に付き合いました。ですが、日が傾いてきた今、それも限界に来ています。ベトサイダはもはや、自分たちが休める故郷ではなく、危機迫る荒れ野になりつつありました。彼らはイエス様に願います。「群衆を解散させてください」「私たちを解放してください」と。

 

【管轄外の要求】

 疲れ果てた弟子たちができる、精一杯の誠実な要求。それに対し、イエス様は信じられない言葉を返します。「あなたたちが、この人たちに食べ物を用意しなさい」……無理です。ここは荒れ野です。神様がマナを降らせたように、天からパンでも降ってこない限り、人々の飢えを満たすことはできません。

 

 弟子たちは答えます。「わたしたちにはパン5つと魚2匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり」……イエス様、私たちは神の国の教えを宣べ伝えよと言われて、ここまでついて来ましたが、空腹の人に食べ物を与えよとは言われませんでした。

 

 私たちはあなたから、病気を癒す力と権能を授けられましたが、食べ物を出す力は与えられませんでした。ここに集まった人たちも、病気を癒されに来たか、教えを聞きに来た人たちです。彼らにパンを与え、食べ物を用意する……それって私の仕事ですか? ちょっと違うんじゃないですか?

 

 似たようなつぶやきを、日本のキリスト教会の多くで聞くことができます。教会は、痛みや苦しみを抱えてやって来る人たちに、神の言葉を語る場所です。でも、空腹の人にパンを与える場所だと主張する人は、そんなに多くありません。私たちは、日常でたくさん傷つき、疲れています。誰かに頼り、助けてほしいのはこっちです。

 

 ホームレスに、おにぎりを配る余裕はありません。他人の子どもに、スープを作る時間はありません。教会は、聖書の教えを語り、慰めと希望を語っていればいいんです。イエス様も「福祉をしろ」とか「社会を変えろ」とか、初めから言われなかったじゃないですか? でも、弟子たちは聞いてしまいます。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」

 

 困ります。どうしたらいいか分かりません。ここにあるのは、わずかなパンと魚だけ、私たちの手に負えません。イエス様、あなたも分かっているでしょう? 疲れ果てた私たちが、5000人分のパンを町へ買いに行くことが、どれだけ無茶苦茶なことか! 彼らが勝手にやるようにしてください。

 

 けれども、イエス様は新たな指示を与えます。「人々を50人ぐらいずつ組にして座らせなさい」……そして、みんなを座らせると、5つのパンと2匹の魚を手に取って、賛美の祈りを唱えてそれを割き、弟子たちに渡して、群衆に配らせていったんです。恐ろしく地味な作業です。イエス様が5000人分、全てを分けていたのでは、夜明けになってしまうでしょう。

 

 きっと、イエス様が12に割いた塊を、弟子たちがさらに細かく割いて、50人ごとのグループに渡し、各グループで、さらに細かく分けながら手渡していったのでしょう。これは一瞬でパンと魚が増えたという話ではありません。一つのパンが二つに割かれ、人から人へ手渡されていく中で、地味ぃ~にパンと魚が増えていったという出来事なんです。

 

 石をパンに変えられたのでも、天からパンが降ってきたのでもない。「分ける」という当たり前の、日常的な営みを通して起こった奇跡……にもかかわらず、この奇跡は、他のどんな奇跡よりも、私たちの心に強く残ります。聖書の中で、4つの福音書全部に記された、唯一のエピソードであるように。

 

【分けるという奇跡】

 「食べ物を分ける」という出来事が、どれだけ劇的な瞬間なのか、私はよく考えさせられます。この話において、5000人という数の中には、男だけしか入っていません。男性中心主義的な当時の社会で、女、子どもは数に含めないで数えるのが普通でした。当然、イエス様から渡されたパン切れを、弟子たちが最初に配っていったのも、女や子どもではなく、男たちだったでしょう。

 

 数えられもしなかった女、子どもは後回しです。非常に差別的な雰囲気がします。しかし、各福音書で、わざわざ「男だけで5000人」という断り書きがされていることに、もう一度、目を留めたいんです。

 

 一昨日の夕方、私は母から、ある写真集を紹介されました。桃井和馬さんという人が撮った、難民の写真集です。そこには、パキスタンで地震の被害にあった、ある家族のことが書かれていました。その家族は、雪崩と崖崩れの危険が迫った村を捨て、数日間、山道を歩いた末に、街の救援施設にたどり着きました。

 

 大人の男は父親だけ。汗が染み付いたその背中に、子どもを一人、もう一人を腕に抱きかかえ、他にも数人の子どもたちを母親と一緒に引っ張って、数日間、山道を下って来ました。僅かな食糧は、避難の間中、ずっと子どもたちに与えていました。ようやく救援施設に到着すると、施設の担当者は、父親の目の前に汁をかけただけのぶっかけ飯をタライに入れて持って来ました。

 

 ボランティアが最初に食事を与えたのは、子どもでも母親でもなく、父親でした。「いつも男たちが何も食べずに避難してくるからだ」……施設の人たちはそう話します。父親は無言のままテントの前に座り込み、タライになかば顔を突っ込むようにして飯を掻き込み始めます。数分でタライの底が見え、すぐに米粒が散らばるほどになりました。その瞬間、男の口から小さなため息が漏れ、スウッと肩から力が抜けました。

 

 聖書に記される5000人の男たちは、おそらく女や子どもよりも先に、弟子たちからパンを受け取ったことでしょう。彼らの多くは、病に侵された身内を連れて、人里離れた荒れ野まで、イエス様を追いかけてきた人たちです。子どもを背負い、病人を抱きかかえ、必死に、イエス様と弟子たちを見逃さないよう追いかけてきました。女に、子どもに、病人に、食べ物を分け続け、誰よりもお腹が減っていました。

 

 イエス様が割いたパンを受け取った男たちは、もうこれ以上我慢する余裕なんてありません。自分の分をガシッと大きくちぎり取って、次の人に渡します。女や子どもに行き渡るはずがありません。でも、彼らを責められる者は誰もいません。男たちだって分かっています。これでは、みんなに行き渡らない……分かっていても、もうその手は止められません。

 

 ところが、ふと気づくんです。自分が大きくちぎり取ったパンを、同じように大きくちぎり取って、女や子どもが食べていると。行き渡らないはずのパンと魚が、全員に行き渡っていると……本来、自分のことで手一杯の、誰かの空腹を満たす余裕のなかった者たちが、全員この奇跡の一端を担ったんです。パンを割き、分けるという行為を通して……

 

 残ったパン屑で、12の籠がいっぱいになりました。ここに集まった人々は、ただ施しを受ける者ではなくなりました。分けられるはずのなかったパンを、さらに誰かへ分け与える者となりました。この後、私たちは聖餐式を行います。人々のために、パンを割かれたイエス様を思い起こし、この食事にあずかるとき、あなたもまた、分け与える者となるんです。