ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『上には従え?』 ローマの信徒への手紙13:1〜14

聖書研究祈祷会 2019年6月19日

 

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【無条件の服従】

 「人は皆、上に立つ権威に従うべきです」……Twitterに投稿したら、あっという間に炎上しそうな言葉です。「上には従え」「お上に逆らうな」「権威に服従せよ」……何人かの方はこれを読んだとき、胸が苦しくなったんじゃないでしょうか?

 

 職場のパワハラ上司を思い浮かべた人、学校のアカハラ教師を思い出した人、亭主関白な自分の親を思い描いた人……色々いるでしょうが、たぶん多くの人はこんなニュアンスを感じたでしょう。反抗するな、抵抗するな、口を閉じて我慢しろ!

 

 ここしばらく、#Me too という運動が展開されています。性的暴力やセクハラを受けた女性たちが、自分の上司、先輩、教師に対して、「私も暴力に抵抗する」という意思表示をした運動です。

 

 自分よりも立場が強い、権威を持った相手に対し、勇気を出して告発する……その人たちに対しても、こう言われてしまうんでしょうか?

 

 「人は皆、上に立つ権威に従うべきです」……あるいは、もっと大きなところ、国家的権力を思い浮かべた人もいるでしょう。

 

 警察、公安、官僚、政治家……彼らに逆らっていいことなんてありません。戦うなんて馬鹿げています。警棒で打たれ、手錠をかけられ、拘置所へ連行されていく。

 

 私も渋谷にいた頃、安保法制の採決をめぐって、10回以上デモへと足を運びました。そのことを知った一人の方から、「やめときな、公安に捕まるよ」と言われたことを思い出します。

 

 「逆らわない方がいい」「反抗しない方がいい」国家に対して抗議をしても、あなたが酷い目に遭うだけだ。周りも迷惑するだけだ。そんな言葉もたくさん目に入りましたし耳にしました。手紙の著者は、同じように警告しているんでしょうか?

 

 ちょうど今、香港でも中国という国家権力に対する大規模なデモが話題になっています。財産の安全と言論の自由が脅かされる……そんな理不尽で不公平な「容疑者引き渡し条例」の可決を防ぐため、市民の4人に1人がデモに参加し、催涙ガスを浴びながら抗議行動を展開した。

 

 滅多に政治的声明を出さない教会も、今回ばかりは一丸となって政府へ抗議を送りました。でも、ローマの信徒への手紙にはこうあります。

 

 「神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたもの」「従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう」

 

 有名な宗教改革者マルティン・ルターは、この箇所を根拠に、農奴制の解放を求める市民の運動を批判して、権威側の諸侯たちへ「やれるものは誰でも彼ら(農民)をたたきつぶし、絞め殺し、刺し殺せ」とまで勧めました*1

 

 また、ユダヤ人や障害者の虐殺を図ったナチス政権への服従をめぐっても、この箇所は引用されています。当時、ドイツにおける教会の多くはルターの立場を継承し、ヒトラーの政権を、神の権威をもとに成立したものとして受け入れました*2

 

 反対に、カール・バルトを中心とする改革派の教会は、キリスト者の良心をもって抵抗することを宣言し、ナチスへの服従を拒みます。

 

 自らの良心に従って反抗した彼らにも、こう言われてしまうんでしょうか? 「人は皆、上に立つ権威に従うべきです」と。

 

【国家論じゃない】

 このように、ローマの信徒への手紙13章は、この世の権威を無条件に神の権威の代表と考えるものから、カリスマ、あるいは愛の特殊例、この世の終わりが差し迫った状況での暫定的な倫理……と考えるものまで、たいへん幅があります*3

 

 確かなことは、この発言が、決してパウロの神学的国家論じゃないことです。むしろ、一般的勧告として受けとめられるもので、国家権力を擁護するものじゃありません。

 

 これは、地方都市でローマの官憲や役人に対し、どのような態度をとるべきかの勧告、いわゆる市民的道徳のレベルで語られているものです*4

 

 「権威」というのは、ローマ帝国の官憲、あるいは民間の有力者たち*5……「あらゆる国家権力に対してこう振る舞え」というキリスト教的理解を示しているのではありません。

 

 ここで主張されているのは、もっと常識的な範囲、「警察の交通規制を無視するな」「市役所に火炎瓶を投げ込むな」「納税の義務を放棄するな」といった類の話です。

 

 どうやら、初代教会の一部は、国家あるいは地方当局との間に、いくつか衝突を起こしていたようです。

 

 それは、宗教的熱狂主義に陥った、多くの信徒の間で起こりました。その中には、納税さえ拒否する者がいたのかもしれません*6

 

 7節には、「すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい」と勧められています。

 

 ここで言う「貢」は人頭税などの直接税、「税」は関税や財産税などの間接税を指していると考えられます*7。ようするに、一般的な納税のことで、ヤクザが強引に集めるみかじめ料とは違います。

 

 宗教的熱狂主義の人々が「この世の終わりはすぐそこだ」と考え、この世界をどうでもよいものと無視する一方で、手紙を書いたパウロは、この世界も神の支配と秩序のもとにあり、決して無視するものではないと考えました*8

 

 しかし、この手紙が書かれる数年前には、クレストゥスという人物に扇動されたユダヤ人が、ローマ帝国で騒動を引き起こし、こういった問題があちこちで生じています*9

 

 パウロは、そのような宗教的熱狂に流されて、信仰者が日常生活の枠を踏み越え、破滅の道へと突っ走らないよう、この手紙を書いたんでしょう。

 

 彼が言っている支配者は、無条件に服従される存在を指すのではありません。法に則って秩序を守り、悪事を裁く存在であることが3節から分かります。

 

 「実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威者からほめられるでしょう。権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです」

 

 逆に言えば、善を行う者が恐れ、悪を行う者が歓迎する支配者は、もはや神に仕える権威者ではありません。無条件に従うことが求められる相手じゃないんです。

 

 ナチス政権下で、ヒトラーに従うことを拒絶した人々は、まさにこの点に立って、本当の権威者である神に仕える行動をしました。

 

 実際、聖書の中には正真正銘「神によって立てられた権威を持つ者」……イスラエルの王が何度も出てきますが、一度彼らが神様に逆らえば、それを告発する預言者が送られました。不正と暴力、搾取に手を染めた王たちは、権威の座から引き下ろされたんです。

 

【隣人を自分のように】

 さらに、パウロは続けてこう書いています。「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです」

 

 「『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉にようやくされます」

 

 つまり、殺しや盗み、搾取を命じる権威者には、律法を全うする愛によって抵抗することが望まれるでしょう。

 

 13章は、時の権威者が非常に都合よく解釈し、多くの市民を服従させてきたところです。また、教会の中で独裁的なリーダーが誕生するときも、便利な言葉としてよく使われます。

 

 しかし、パウロが求めているのは、上に立つ者ならどんな命令でも従うロボットのような姿勢ではなく、日常生活やこの世の秩序を蔑ろにしないことです。

 

 どんな大義名分があっても、自分や周囲の日常を蔑ろにすることは、神様が求めることじゃありません。神様が私たちに与えた掟の根幹にあるのは、「互いに愛し合う」という姿勢です。

 

 さらに、パウロはもう一つ大事なことを伝えています。それは、どんなにこの世の生活が苦しくても、救いは確実に近づいているということです。

 

 手紙が書かれた当時も、イエス様が活動していたときも、世の人々の多くは、自分たちを支配するローマ帝国が打ち倒されることを期待していました。いわゆる革命です。

 

 しかし、イエス様が教えたのは、急進的な変革を試みることでも、大きな権威に従ってただその日を生きることでもなく、互いに愛し合うことでした*10。何も変化しない、苦しいだけの日常に、私たちは苛立ち、強いリーダーシップを求めます。人間的な力で、状況が変化することを願いします。

 

 しかし、この変わらないように見える日常の中で、救いは確かに近づいているんだと教えられるんです。だから、今こそ目を覚まして、互いに愛し合いなさい……この言葉を忘れないように、私たちも歩みたいと思います。

*1:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC#%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E8%BE%B2%E6%B0%91%E6%88%A6%E4%BA%89参照

*2:篠崎キリスト教会 - 説教書庫 : 2014年7月20日説教(ローマ13:1-10、愛は隣人に悪を行わない) by admin参照

*3:高橋敬基「ローマの信徒への手紙」『新共同訳 新約聖書注解II』日本基督教団出版局、1991年、58頁参照

*4:高橋敬基「ローマの信徒への手紙」『新共同訳 新約聖書略解』日本基督教団出版局、2008年、419頁参照

*5:マシュー・ブラック著、太田修司訳『ニューセンチュリー聖書注解 ローマの信徒への手紙』日本基督教団出版局、2004年、273頁参照

*6:マシュー・ブラック著、太田修司訳『ニューセンチュリー聖書注解 ローマの信徒への手紙』日本基督教団出版局、2004年、274頁参照

*7:マシュー・ブラック著、太田修司訳『ニューセンチュリー聖書注解 ローマの信徒への手紙』日本基督教団出版局、2004年、280頁参照

*8:高橋敬基「ローマの信徒への手紙」『新共同訳 新約聖書注解II』日本基督教団出版局、1991年、58頁参照

*9:マシュー・ブラック著、太田修司訳『ニューセンチュリー聖書注解 ローマの信徒への手紙』日本基督教団出版局、2004年、274頁参照

*10:金附正夫「日毎の糧」『信徒の友 2019年6月号』日本基督教団出版局、6月19日分参照