ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『どこで会えるか分からない』 マタイによる福音書28:1〜10

イースター在宅礼拝 2020年4月12日

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Gábor BejóによるPixabayからの画像

本日のイースター礼拝は「在宅礼拝」としてYouTubeの動画を配信し、ぞれぞれのご自宅で礼拝のときを持ちました。

招 詞

「このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。(ローマ6:11)」

 

讃美歌

『讃美歌21』332番「恐れを捨て去り」を歌いましょう。

 

お祈り

復活と希望の主である私たちの神様。感染症の拡大に、恐れと不安が募る中イースターの朝を迎えました。どうか今、家庭で、職場で、施設で、庭先で、あなたの言葉を受けようとしている人を安心させてください。

 

主なる神よ、あなたは私たちの痛みを受けとめ、いつも支えてくださいます。私たちが怒りをぶつけ、傷つけた相手のことも、あなたがとりなしてくださいます。どうか今、あなたの御名が褒め称えられますように。

 

主なる神よ、あなたは後悔する者に癒しを、責める者に希望を与えてくださいます。本来なら、恵みを受け取れない者が喜べるように、変化と回復をもたらします。どうか今、あなたの栄光が現されますように。

 

主なる神よ、あなたは心に平安をもたらし、大切な言葉を与えてくださいます。どうか今、騒がしい思いから解き放たれて、あなたの声に聞き、あなたが与える新しい命に生きることができますように。

 

主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書:マタイによる福音書28:1〜10

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

メッセージ 『どこで会えるか分からない』

まさか、イースターの朝に教会へ集まれないなんて思ってもいませんでした。まさか、イエス様が復活した日に家から出られないなんて考えてもいませんでした。まさか、教会で一番大切な日に画面越しで礼拝するなんて想像もしていませんでした。

 

皆さん、意外な朝を迎えられたと思います。本来は教会という場所で、いつも礼拝する時間、復活したイエス様の喜ばしいメッセージを聞けるはずでした。長い、長い受難節、イエス様の苦しみを思い起こしてきた6週間……それがようやく終わり、ついに復活の主を賛美するときが来たんです。

 

喜ばしい姿のイエス様を思い出すなら、教会こそがふさわしい! けれども実際は、自宅で、病院で、施設で、庭先で、この日の朝を迎えた皆さん……本当に今日はイースターか? 本当に今日イエス様が復活したのか? 実感の湧かない人が多いでしょう。こんな日に特別な出来事を祝えるか?

 

だって、映画や小説なら一番ドラマティックな出来事ですよ。死んだはずのあの人が生き返る。二度と会えないはずの味方と再会する……きっと殺された場所か、葬られた場所か、思い出の場所に現れる。「私はここだ!」と言ってくる。まさか、思い出の場所でも何でもない場所で、家の廊下やその辺の道端で、その日を迎えるなんて思わないでしょう。

 

ところが、死から甦ったイエス様が、最初にみんなと再会したのは、自分が殺された十字架の前でも、さっきまで葬られていた墓の中でも、弟子たちと過ごした思い出の場所でもありません。墓から家までの道の途中、本当に何もない場所です。会堂でも、神殿でも、屋敷でもない。特別な出来事を迎えるとは思ってもいない道端です。

 

よく考えると奇妙です。イエス様が復活した瞬間は、なんとどこにも描かれない。クライマックスのシーンなのに、いつの間にか終わっています。自分の遺体を清めにやってきた女性たちを待つこともなく、イエス様は墓を後にします。ここへ訪れる彼女たちを、待ってあげてもいいはずなのに。直接「生き返ったよ」と言えばいいのに。

 

でも、女性たちがイエス様の復活を知るのは、なぜか唐突に現れた天使からです。「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」……いやいや復活したなら待っていてよ、再会してから墓を出ようよ、と言いたくなります。どうせ道端で会うならここでいいのに。目の前で起き上がって姿を見せてあげたらいいのに!

 

いっそ、もっとみんなのいるところで、たくさんの人が集まっている会堂で、あちこちの人が訪れる神殿で、エルサレムの街の真ん中で、「帰ってきたよ」「生き返ったよ」と姿を見せて、勝利を宣言したらいいのに……でも、どの福音書でも、イエス様が最初に姿を見せたのは数人だけ。何ならマグダラのマリア一人だけという記述の方が多いんです。

 

イースターの出来事があったのは、賑やかで大勢の人が集まる場所ではありません。むしろ、墓から家までの道の途中、ほんの数人か、たった一人のときに起きました。しかも、最初は喜びよりも、恐れと不安に満ちていました。墓に行ってもイエス様がいない。会えるはずの場所にいない。遺体は清められないし、私はどこへ行ったらいいの?

 

どうしたらいいか、どこへ行けばいいか分からない女性たちの姿は、まさに今、新型コロナの影響で、どうやって礼拝をしたらいいか、どこで日曜日を迎えたらいいか分からない私たちのようです。ここ何日か、「うちの教会で礼拝ができなくなったので、あなたの所へ出られますか?」と問い合わせが何件かありました。

 

みんな、日曜日にどこでイエス様と再会できるか探しています。ここもダメ、あそこもダメ、もう諦めて家へ帰るしかない。今日はイエス様が復活した日と告げられたけど、正直、戸惑いと恐怖しか湧いてこない……そんな中、あなたが帰ろうとしている行く手に、イエス様は立っていました。

 

「会えなくなった」と思っていたイエス様が、こんな道端で待っていました。とても静かに、まるで日常の風景かのように、イエス様はひと言「おはよう」と言われます。右往左往して、不安に満ちて、家へ帰るしかなくなった私たちに、新しい朝を迎えさせます。「おはよう。今日あなたは、私と出会って一日が始まる」

 

イエス様に出会おうとして、空っぽになった教会に来て、呆然と帰っていくあなたの前に、この方は静かに現れました。どこで会えるか分からないイエス様が、実は、あなたの行く手で待っている……だから、恐れずに顔を上げましょう。あの方は復活なさったのです。確かに、あなたがたに伝えました。

 

主の祈り

主イエス・キリストが教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。

 

愛 餐

今日は、キリストの復活を祝うイースターなので、イエス様の十字架と復活を思い起こす聖餐式がある予定でした。しかし、画面越しにパンと杯を聖別することは困難なので、動画をご覧の皆さんと一緒に聖餐にはあずかれません。

 

その代わり、山上で5千人を超える人々に、わずかなパンと魚を分けられたイエス様の食事に根拠をおく、神の祝福を分かち合う食事、愛餐式を行いましょう。用意するパンと水は、特別なものではなく、普段、食卓に出てくるパンと飲み物で大丈夫です。共に、神から受けた恵みを分かち合い、イエス様の復活を覚えましょう。

 

賛美歌

ただいまより、神の祝福を分かち合う食事、愛餐式を始めます。

最初に、讃美歌432番「重荷を負う者」1節、2節を歌いましょう。

 

招 き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆にこう言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ4:14)」

 

主は、山上で少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5 千人以上の人々に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した者があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合うため、集まっておられる人々は、共に食事にあずかりましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑いや迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。

 

どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

分かち合い

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、このパンと水は信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。どうぞ、用意されたパンと水を受け取って、神の祝福にあずかりましょう。

 

主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

 

主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

 

献げ物

感謝の応答として、共に祈りをささげましょう。

 

愛と平和の主である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者がもたらされます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

讃美歌419番「さあ、共に生きよう」4節、5節を歌いましょう。

 

とりなし

神の祝福にあずかった者として、とりなしの務めを果たしましょう。

 

司式者:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。

    どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

 

司式者:世界の国民と政府のために祈ります。

会 衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、

               全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

沈 黙(*心に思い浮かべた国や地域のために祈りましょう)

 

司式者:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会 衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、

    私たちの一致と結びつきを強めてください。

沈 黙(*心に思い浮かべた教会のために祈りましょう)

 

司式者:教会員のために祈ります。

会 衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、

    あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

沈 黙(*左右前後に座っている人を覚えて祈りましょう)

 

司式者:一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。

会 衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、

    一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

沈 黙(*心に思い浮かべた人のために祈りましょう)

 

司式者:身近な人のために祈ります。

会 衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、

    あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

沈 黙(*心に思い浮かべた人のために祈りましょう)

 

司式者:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会 衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、

    安らぎと成長をもたらしてください。

沈 黙(*心に思い浮かべた子どものために祈りましょう)

 

司式者:苦しんでいる人のために祈ります。

会 衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、

          あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

沈 黙(*心に思い浮かべた人のために祈りましょう)

 

司式者:今も生きておられ、とりなしてくださる方、

    主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一 同:アーメン。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

願わくは主があなたがたを祝福し、

あなたがたを守られるように。

願わくは主が御顔をもってあなたがたを照らし、

あなたがたを恵まれるように。

願わくは主が御顔をあなたに向け、

あなたに平安を賜るように。アーメン。(民数記6:24〜26より)

 


『どこで会えるか分からない』マタイによる福音書28:1〜10