ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

岐阜市の華陽教会にいる牧師個人のブログ

『裁かずにはいられません』 ローマの信徒への手紙2:1〜16

在宅聖研祈祷会 2020年5月13日


『裁かずにはいられません』ローマの信徒への手紙2:1〜16

 

 

讃美歌

ただいまより、在宅聖研祈祷会を始めます。最初に、讃美歌(562)番「諸民族、諸国、世界の主よ」を歌いましょう。著作権に配慮して動画内では歌いませんが、『讃美歌21』をお持ちの方はぜひ、この賛美を味わいつつ、御言葉を受け取る準備をしましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆復活と希望の主である私たちの神様。今週も週の半ばまで、あなたが支え導いてくださったことを感謝致します。どうか今、祈りを合わせようとしている一人一人に、あなたの恵みと祝福をお与えください。

◆主なる神よ、私たちの教会で日曜日の朝、愛する姉妹が天へ召されました。同じように愛する人を亡くし、感染症の影響で思っていた見送りができなかった人たちに、あなたの慰めと平和が豊かにありますように。

◆主なる神よ、今できないこと、困難なことを前にして、あなたは新しい知恵や新しい発見をもたらします。無力を気づきに、痛みを力に、孤独を優しさに変える聖霊が、一人一人に注がれますように。

◆主なる神よ、私たちの弱さを祝福してください。無理をしている人が休めるように、我慢している人が頼れるように、溜め込んでいる人が吐き出せるように、連帯を生み出す弱さを用いてください。

◆全てのものを赦し、正し、回復してくださる、私たちの主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ローマの信徒への手紙2:1〜16

 

だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知っています。このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。神はおのおのの行いに従ってお報いになります。すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります。すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。神は人を分け隔てなさいません。律法を知らないで罪を犯した者は皆、この律法と関係なく滅び、また、律法の下にあって罪を犯した者は皆、律法によって裁かれます。律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています。そのことは、神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。

 

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Olya AdamovichによるPixabayからの画像

メッセージ

裁いちゃいけない?

「だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている」……この言葉にグサッと来ない人間は、今かなり少なくなったと思います。この数ヶ月、私たちは政府に対し、職場に対し、学校に対し、家族に対し、人を裁かずにはいられない時間を過ごしてきました。

 

動きが遅い、配慮がない、間違いだらけで説明もない。どさくさに紛れて行われる不正、誠実さを感じられない行動に、「こんなの間違っている」「そんなの認められない」と何度も心が騒ぎ立ち、批判や不満が沸いてきました。上手くいったこと、対応できたことの評価はほとんどしなくなり、ひたすら間違いや失敗を指摘する。

 

「人を裁くな」という聖書の言葉を思い出す度、私はいつもざわつくんです。自分を棚に上げて人を裁くことは、自分自身を「罪に定める」ことで、神を知らないことと同様、「弁解の余地」がないことだ……パウロはそう記していますが、そのまま受け入れるのは、正直ちょっと抵抗がある。

 

確かに私だって、誤った情報を選択したり、配慮にかけた動きをしたり、たまにはズルをしてしまう。偉そうに人のことを言える立場じゃない。でも、間違ったことを間違っていると叫ばなければ、それは罪だと訴えなければ、状況は改善されないじゃないか?

 

裁いているじゃん?

イエス様だって、「人を裁くな」と言いながら、祭司長やファリサイ派に向かって、思いっきり裁きを語っていました。自分自身に従ってきた人にさえ、「蝮の子らよ」「黙れ、サタン」「信仰の薄い者よ」……なんて断罪する言葉を吐いていました。パウロに至っては、こんな手紙を書きながら、相当多くの人を批判しています。

 

今日の聖書箇所自体、「自分たちこそ正しい」と思っているユダヤ人キリスト者を「裁いている」ところですよね? 異邦人キリスト者の無知なやり方にイライラし、「神様に従って生きるなら、旧約聖書に従ってきちんと教えを守らなければ!」と声高に訴えてきた人たち。彼らの声は、そこまで間違っているとも思えないんです。

 

もっと聖書の掟を知ろうよ、もっと生活を改めようよ、もっと正しい礼拝をしていこうよ……彼らが抱いていた思いは、割と正しい感覚です。TwitterやInstagramで、ふとしたことを炎上させる人たちも、たいてい正義感からやっています。「あなたは間違っている」「それは認められません」「今すぐ正してください」

 

中には、必要な言葉もあるでしょう。改善につながる訴えも、考え直すきっかけになる声もある。自分についてきた人たちへ厳しい言葉を投げかけながら、その生き方を変革してきたイエス様のように……しかし、今日のパウロの言葉は、裁くことそのものを、もう一度見つめ直させます。

 

あなたが人を裁くのは、単に罰を与えるためか? それとも悔い改めに導かれ、栄光と誉れと平和がもたらされるためか?

 

神の正しい裁きって?

ローマの信徒への手紙2章には、何度も「こういう人は必ず裁かれる」というメッセージが繰り返されています。実はこれって「だから、こういう人たちを責めなさい」という意味ではありません。むしろ、「この人たちは必ず神様が裁かれる」「罰を与えるのは、あなたではなく神様じゃないか」と諭してくるような言葉です。

 

大切なのは、間違った者、罪を犯した者を罰することではなく、その心が改められ、神の義が実行されるようになる、変化がもたらされることだ……私たちは人を裁くとき、どこかで、その人のことを諦めて、「こいつは変わらない」「彼らは行動を改めない」と判断し、その存在を消し去って、引き摺り下ろすことを目指します。

 

罪人に変わる善人を見つけて、そっちを持ち上げようとします。しかし、聖書の語る裁きは、罪人が善人に取り替えられることではなく、罪人が善人に変えられることです。私自身も、過ちを犯し、失敗を重ねながら、憐れみ深い神様によって、悔い改めに導かれ、少しずつ変化がもたらされてきた一人。

 

あなたもそうです。今まさに、神様の豊かな慈愛と寛容と忍耐によって、自分を少しずつ変えられている最中です。その業が、あなたの批判する人、私が訴えている人にも、もたらされようとしているのに、それを信じることができないでいる。

 

「もう終わりだ」「ここには期待できない」「悔い改めなんてしないはず」……私たちが見放そうとしている最中にも、神様は全ての罪人、全ての悪人を正しい生き方へ、義を実行する生き方へと変えようとしています。神の正しい裁きがなされるなら、私たちの叫びや訴えも、ただの非難や攻撃で終わるわけにはいきません。

 

この人が誠実な対応をできるように、公正な判断ができるように、配慮に満ちた行動ができるように、諦めずに語りかけ、訴えかけ、とりなしていく……神様が私自身にそうなさったように……今、あなたの心に記された神の御言葉、神の要求する声に、従う歩みを始めましょう。

 

とりなし

共に主イエス・キリストが与えられた、とりなしの務めを果たしましょう。本日は、『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(大分県大分市の佐賀関教会)のために、親しい人を天へ見送った人のために、礼拝に集まれる日を切望している人のために、正義と公正を訴えている人のために、祈りを合わせます。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆大分県大分市の佐賀関教会のために祈ります。どうか、この教会に出席することが困難な人たちに、あなたの癒しと回復がもたらされ、再びつながることができますように。新しく来られる人たちとのつながりも豊かにされますように。

◆親しい人を天へ見送った人のために祈ります。愛する人を失い、喪失感を徐々に感じていく人たちに、十分に悲しむ時間と振り返る時間が与えられますように。あなたによって天へ招かれ、再会する希望がより確かなものとなりますように。

◆礼拝に集まれる日を切望している人のために祈ります。緊急事態宣言の延長によって、地域の状況によって、個々人の状態によって、今も教会へ集まることが困難な人たちに、あなたの豊かな語りかけと、大きな励ましがありますように。

◆正義と公正を訴えている人のために祈ります。正当な補償を求め、公正な司法を求め、誠実な判断を求める声があります。どうか、その一人一人の叫びが聞かれ、あなたの愛と平和を実現する社会、政治、文化が築かれますように。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

讃美歌(308)番「栄光と賛美と誉れ」を歌いましょう。こちらも著作権に配慮して動画内では歌いませんが、『讃美歌21』をお持ちの方はぜひ、この賛美の応答の思いに心を合わせましょう。

 

主の祈り

共に、主イエス・キリストが弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。

 

以上で聖書研究祈祷会を終わります。また日曜日まで、あなたの一日一日が導かれますように。