ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

岐阜市の華陽教会にいる牧師個人のブログ

『痛みをバネにできません』 ローマの信徒への手紙5:1〜11

在宅聖研祈祷会 2020年5月20日


『痛みをバネに変えられません』ローマの信徒への手紙5:1〜11

 

 

讃美歌

ただいまより、在宅聖研祈祷会を始めます。最初に、讃美歌(342)番「神の霊よ、今くだり」を歌いましょう。著作権に配慮して動画内では歌いませんが、『讃美歌21』をお持ちの方はぜひ、この賛美を味わいつつ、御言葉を受け取る準備をしましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆復活と希望の主である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、この時間が与えられたことを感謝致します。どうか今、あなたの言葉を聞こうとする一人一人を導き、必要な恵みを与えてください。

◆主なる神よ、世の中の状況が目まぐるしく変わっていく中、あなたは変わらず私たちを導いてくださいます。今、受け入れるべきもの、抵抗するべきものを見極め、誠実な生き方ができるように、必要な気づきを与えてください。

◆主なる神よ、私たちが間違え、挫け、虚しくなるとき、あなたはその叫びと沈黙、痛みと愚かさを受けとめてくださいます。私たちを受け入れ、諭し、休ませてくださいます。そしてまた、再び歩き出すことができるよう、必要な力を与えてください。

◆主なる神よ、精神的にも身体的にも、経済的にも社会的にも、傷ついている人たちがいます。今日も不安と恐怖にさらされている人がいます。どうか今、立ち上がる気力を失っている人たちに必要な癒しを与えてください。

◆私たちの必要を満たしてくださる主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ローマの信徒への手紙5:1〜11

 

このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。

 

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PezibearによるPixabayからの画像

メッセージ

今、この動画を見ている人の中には、イエス様の教えを聞き、神様を信じるようになった人がそれなりにいらっしゃるでしょう。その方々に聞きたいのですが、あなたにこういう自覚はあるでしょうか?

 

「私は信仰によって義とされた」「私は神との間に平和を得ている」「私は神の栄光にあずかることができる」……キリスト教を信じるということは、まさにこれを確信することなんですが、胸を張って言える人がどれだけいるでしょう?

 

「義」というのは文字どおり「正しさ」です。世間一般で言う正しさと違って、信仰的な正しさは「法律や法令を犯していない」という意味だけでなく「良心に従った誠実な生き方ができている」という意味まで含まれます。

 

しかも、それが独りよがりなものではなく、自分の当然を押し付けるものでもなく、きちんと神と人、人と人との関係を誠実に築くものである……かなりハードルの高い正しさです。

 

「私は信仰によって義とされた」と言うのは「私は神様を信じて、こういう正しい人と認められた」と告白するに等しいことです。ローマの信徒への手紙を書いたパウロはだいぶ大胆ですよね。

 

試しに、皆さんの周りにいる牧師や神父に聞いてみてください。「あなたは正しい人ですか?」と……十中八九、自分が正しいなんて大それた答えは返ってこないと思います。むしろ謙虚に賢く答えるなら、「私は正しくない」と言うのが正解でしょう。

 

ところが、キリスト教の神様を信じるって、自分についてもめちゃくちゃ大胆な告白をすることなんです。「神様を信じる私は、神様によって正しいと認められた人間です。神の国に入ることがふさわしい、栄光を受けられる人間なんです」

 

正面からこんなこと言われたら、「なんだこいつ?」ってなりますよね。でも、この動画を見ている人で、既に洗礼を受けられた方は、大胆にもこういう告白をした人たちでもあるんです。「私は義とされた、正しいとされた人間です。神の栄光を受けられます!」

 

一見、高慢にも思える言葉を、信仰告白の基礎としたパウロは、続けてさらに大胆な言葉を残します。「そればかりでなく、(私は)苦難をも誇りとします」「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」

 

そりゃ知っています。実際に苦難を耐え忍び、痛みをバネにして努力を続け、その努力によって希望が勝ち取られることを……でもそれは、そこまでできている人の話です。同時に私たちは、苦しみに耐え、努力し続け、希望を勝ち取るところまで行けないことが、どれだけ多いかを知っています。

 

新型コロナウイルス感染症によって、多くの新しい取り組みが始まりました。リモートワークや遠隔授業、礼拝のライブ配信……しかし、それらについていけない人や、挑戦することのできない人だってたくさんいました。途中で挫折した人も。

 

信仰は私たちを変化させる。苦しみをバネに新しい力へ変えてくれる。そんな綺麗事いくら言っても、希望はあっさり打ち砕かれます。自分自身の力不足、周囲の無理解、外部からの批判、疲れと弱さ、そして忍耐力のなさ……

 

正しくなれない、正しさから遠のいていく自分の姿を、この期間見つめてきた人もいるでしょう。今の自分を神様が正しいと認めてくれるなんて、私だって言えません。失敗しても批判されても絶え続け、努力し続けられたなら違ったでしょう。

 

でも実際はそうじゃない。私は信仰に生きてない。だって今、立ち止まり、座り込み、どれだけ自分が間違っているか、周りに指摘されるのを必死に回避しようとしているから。けれど、そんな私に手紙の著者は言うんです。

 

「実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった」……イエス様は、今のあなたのために命をささげられたんだ。苦難を忍耐に変えられない、忍耐を練達につなげられないあなたのために。

 

そう、イエス様に従った人たちは、忍耐や練達が苦手だった人、途中で放棄してしまった人がほとんどでした。12人の弟子たちを見ていても分かります。最後まで従いますと言って、あっさり逃げ出した人。ギリギリまでついてきたけど、結局裏切った人。

 

そこに、信仰的な姿は見えません。正しい姿なんてありません。しかし、イエス様は彼らを選び、彼らを訪ね、彼らに平和を宣言します。忍耐のなかったところにその力を、練達に結びつかなかったところにその導きを、希望に至らなかったところにその発見をもたらします。

 

もうじき、教会の誕生日であるペンテコステ、世界宣教の始まりを記念する日がやってきます。イエス様と出会ってからも、家に閉じこもり、じっとしていた弟子たちに、聖霊がもたらされたあの日です。

 

共に、力を失い、気力が湧いてこないところへ、信仰をもたらす聖霊が、正しさに至る力と気づきが与えられるよう、祈りを合わせていきましょう。

 

とりなし

共に主イエス・キリストが与えられた、とりなしの務めを果たしましょう。本日は、『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(宮崎県都城市の都城妻ヶ丘教会)のために、心を病んでいる人のために、体を患っている人のために、大切な人と対立している人のために祈ります。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆宮崎県都城市の都城妻ヶ丘教会のために祈ります。神様、来年創立70周年を迎える妻ヶ丘幼稚園と教会の交わりがますます豊かにされ共に恵みを受けることができますように。

◆心を病んでいる人のために祈ります。神様、自分の愚かさ、情けなさに打ちひしがれ、あらゆる気力を失っている人たちに、あなたの希望と支えが与えられますように。

◆体を患っている人のために祈ります。神様、十分な治療や休息を得られない人たちに、必要な助けがもたらされるよう、あなたの憐れみがありますように。

◆大切な人と対立している人のために祈ります。神様、関係にヒビが入り、本音が言えず、対話が困難になった人たちの間に、あなたの仲介がありますように。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

讃美歌(381)番「力に満ちたる」を歌いましょう。こちらも著作権に配慮して動画内では歌いませんが、『讃美歌21』をお持ちの方はぜひ、この賛美の応答の思いに心を合わせましょう。

 

主の祈り

共に、主イエス・キリストが弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。

 

以上で聖書研究祈祷会を終わります。また日曜日まで、あなたの一日一日が導かれますように。