ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『何が救いのしるしですか?』 ルカによる福音書11:29〜36

在宅聖研祈祷会 2020年9月2日


『何が救いのしるしですか?』在宅聖研祈祷会 2020年9月2日

 

 

讃美歌

それではただいまより、在宅聖研祈祷会を始めます。最初に、オンライン賛美歌「心騒ぎ不安になる夜に」(©️柳本和良)を歌いましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、配信を通して、離れた人たちと一緒に祈りを合わせる時間が与えられました。どうか今、自宅で、職場で、施設で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様、夏休みが終わって子どもたちも新しい学期が始まりました。どうか今、子どもたちや先生を日射病や熱中症から守り、健やかな日々を送らせてください。そして、学校へ行けない子どもたちに、安心できる場所を与えてください。

◆私たちの神様、自分自身や自分の家族、親戚や友人に、病気の治療や手術をしなければならない人たちがいます。どうか今、一人一人に安らぎと回復が得られるように、あなたの癒しの手を差し伸べてください。

◆私たちの神様、様々な施設や会社、教会の運営が、今年は特に厳しくなっていますが、そこにいる一人一人の生活が守られるように助けてください。どうか今、あなたの知恵と勇気と良心が、私たちに必要な行動をもたらしますように。

◆私たちと共におられるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書11:29〜36(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

f:id:bokushiblog:20200902131346j:plain

Christine SchmidtによるPixabayからの画像

メッセージ

しるしがもらえない?

もし、自分を救うことができると言われたら、助けてくれる力があると言われたら、その証拠を求めたくなるのは自然なことですよね? あなたのどこに、私を助ける力があるんですか? 私に期待だけさせて、結局救えないんでしょう? 本当に、この状況から助けられるなら、そのしるしを見せてくださいよ。

 

病気に苦しんでいるとき、障がいに悩まされているとき、人間関係が深刻なとき、貧困に追い詰められたとき……私たちは、助けようと手を差し伸べてきた相手に対し、後から失望させられるのを恐れ、最初から信じることを避けようとします。下手に期待して、裏切られ、さらに深く傷つけられるのを恐れます。

 

色々な支援に携わる人たちの話を聞くと、困窮している多くの人は、自分の求めに対して、どこまで答えてくれるのか、いつも「しるし」を探しています。お金を要求したらすぐ渡すか、住居や仕事の手配をしてくれるか、いつでも話を聞いてくれるか……それらが提示されないと分かれば、やはり期待してはいけないんだと離れていく。

 

イエス様に近づいてきた人たちも、多くは似たような状況でした。本当に私たちを救えるのなら、その証拠を見せてほしい。目の前で奇跡を起こしてほしい。病気を癒し、パンを増やし、敵をやっつけてほしい。私たちの望むとき、望んだとおりにできないのなら、やっぱり期待させないでほしい。

 

そして、イエス様が思ったように行動しないと、離れていく人が続出します。あの人は病人を癒しても、すぐ別のところへ行ってしまう。あの人は自分たちを苦しめる支配国と全く戦おうとしない。あの人は悪い人たちを倒すどころか、一緒に食事をして仲間にしている。

 

こちらの求める「しるし」は与えられず、やっぱり救い主なんかじゃないと、ため息をついて離れていく。当然の話だと思います。目に見える「しるし」を与えてくれたのなら、もっと安心して頼ることができるのに、もっと話を聞く気になれるのに、イエス様はなかなかはっきりした証拠、納得できる「しるし」をくれません。

 

しるしって何ですか?

そして、こんなことを言ってくる。「今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」……どうやら、人々にはもう「ヨナのしるし」というものが与えられているようです。しかし、その「しるし」って何でしょう? どんな奇跡のことでしょう? ほとんどの人は、気づいてもいない様子です。

 

ここに出てくる旧約聖書のヨナの話は、教会で繰り返し語られてきた有名な出来事です。ヨナは神様に背く外国の都市、ニネベに対して警告するよう、イスラエルから遣わされた預言者でした。彼は嫌々ながらニネベを訪れ、「あと40日すれば、ニネベの都は滅びる」と人々に伝えて回ります。

 

すると、彼らはその言葉を信じ、全国民が神様に悔い改めて断食し、破滅を免れたという出来事でした。ちなみに、預言者が神様に遣わされた先で、全国民を悔い改めさせることに成功し、滅びを免れさせた例は、なんとこの一件だけでした。唯一、この都市だけが、預言者の言うことを聞いて、悔い改めた町でした。

 

神様に選ばれ、何度も窮地から救われてきたイスラエルでさえ、預言者の呼びかけにみんなで従ったことはありません。非常に珍しい出来事です。けれども、ヨナの言葉に従った人々は、いったい何を見て彼の言葉を信じたんでしょう? イスラエルに遣わされた他の預言者は、病気を癒したり、死者を生き返らせたり、様々な奇跡を見せてきました。

 

それでも、王や市民はなかなか耳を傾けなかったのに、いったいニネベの人たちはどんなしるしを見せられて、ヨナの言葉を信じたんでしょう?……実は、彼らは何の奇跡も見ていません。パンを増やしたり、水の色を変えたり、悪霊を追い出すところも見ていません。彼らは特別な奇跡を見てではなく、ただ、ヨナの語る言葉を聞いて行動します。

 

ちょっと信じがたいですよね? この人の言うことを聞いて行動すれば、救われるかもしれない……なんてどうやったら思うんでしょう? この後に出てくる南の国の女王も変わっています。彼女はソロモンの知恵を聞きにきて、特別な奇跡を見ることなく、ただ彼の言葉を聞いただけで、神様を褒め称えて帰るんです。

 

一切、特別な出来事は起きていない。彼らはただ、自分たちに語られた言葉そのものを「信じるしるし」として受け取ります。自分たちの弱さを認めさせる言葉、自分たちの価値を確認させる言葉、自分たちの心を回復させる言葉……最も届きにくい言葉の中に、私を救う力がある。

 

どこにしるしがある?

最初に触れた、色んな支援に携わる人たちの話で印象に残っていることがあります。それは、「望んだものがすぐ与えられるかは、救いのしるしにならない」ということです。そう、私たちの身の回りには、自分を助けてくれそうな「しるし」が、実はけっこう溢れています。

 

「これを試せば治ります」「これをやったら儲かります」「これを実行すれば変われます」……色んな体験やエピソード、華やかな証拠を提示され、こっちの方が、自分を救う力があると思わされる。そうして、本当に助けようと手を差し伸べている人たちより、色んな商材やコミュニティーに取り込まれ、ハマり込み、結局救われない日々を送ってしまう。

 

イエス様は、私たちが華やかな「しるし」に飛びつくとき、かえって救いから遠ざかる危険を知っていました。むしろ、地味で、ショックで、望みどおりの反応が見えないところから、本当に必要な力がもたらされるのを知っていました。だから、イエス様は私たちに本当のしるしが見えるように、聖書を通して一人一人に灯火を与えてくださいます。

 

自分を助けてくれるとは思えない地味な存在、期待するだけ無駄に思える小さな存在、特別なことができると思えない存在が、あなたの目を覚まし、あなたの手を支え、あなたを新しくするために、今日も派遣されてきます。私もあなたも、そのしるしを見つけることができるように、共に祈りを合わせましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(高知県安芸郡の芸西教会)のために、新型コロナに感染した人のために、怪我や病気の治療をしている人のために、政治に携わる人のために、祈りを合わせます。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆高知県安芸郡の芸西教会のために祈ります。昨年、新会堂が与えられたこの教会に、ますます豊かな恵みがありますように。そして、新しい建物と教会員一人一人が用いられ、村の隅々まで、あなたの恵みがもたらされますように。

◆新型コロナに感染した人のために祈ります。対策をしていた人や団体の中にも、感染してしまったところがあります。誰が感染してもおかしくない今、一人一人にあなたの憐れみがありますように。

◆怪我や病気の治療をしている人のために祈ります。通院やリハビリが難しくなったり、治療が後回しになっている人にも、あなたの憐れみがありますように。もどかしい思いをしている人たちに、あなたの癒しと回復がもたらされますように。

◆政治に携わる人のために祈ります。公衆衛生、社会福祉、経済問題、安全保障など、様々な問題を解決するため尽力している人たちに、あなたの知恵と良心がもたらされますように。そして、汚職や不正の問題にも誠実な働きかけができますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌「恐れ惑うこの身に」(©️柳本和良)を歌いましょう。

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。

 

以上で聖書研究祈祷会を終わります。また日曜日まで、あなたに平和がありますように。