ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『明るみにさらされるとしたら』 出エジプト記13:17〜22、エフェソの信徒への手紙5:11〜20

日曜礼拝 2020年9月6日


『明るみにさらされるとしたら』日曜礼拝 2020年9月6日

 

 

招 詞

イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネによる福音書8:12)

 

讃美歌

マスクをしたままで讃美歌21の503番を歌いましょう。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

お祈り

共に祈りを合わせましょう。

 

◆全てを照らす光である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まれたことを感謝致します。どうか今、この場に集まった人たちと、自宅で、職場で、施設で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様、昨晩から巨大な台風が九州、本州へと進んでいます。どうか今、豪雨と暴風から一人一人が守られ、被害が大きくならないように助けてください。特に、子どもたちや高齢者、障がいのある人たちを守ってください。

◆私たちの神様、県内の感染動向もだんだんと落ち着いてきましたが、今後も感染リスクの高い人たちや医療従事者の健康が守られますように。どうか今、治療中の人、療養中の人を差別や重症化から守ってください。

◆私たちの神様、心の痛み、体の痛み、魂の痛みを覚える人たちに、あなたの慈しみがありますように。どうか今、自分にも周りにも癒すことができない部分に、あなたが触れて癒してください。

◆私たちの傍におられるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。出エジプト記13:17〜22、エフェソの信徒への手紙5:11〜20(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

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My pictures are CC0. When doing composings:によるPixabayからの画像

メッセージ

さらされた闇

「キリストはあなたを照らされる」この言葉、皆さんにはどう聞こえますか? 暗闇のどん底にいる自分をイエス様が照らしてくれるなら安心だ……と思うでしょうか? それとも、隠していたい過ちや過去の悪事も照らされて、あちこち汚れた自分の姿が見られてしまう……と思うでしょうか?

 

私はどちらかと言うと後者の気がします。イエス様についていくって、清く正しく美しく、聖人のようになるイメージかもしれませんが、実際のところ、かえって自分の汚いところ、愚かなところが見えてきます。聖書の中でイエス様についていった弟子たちも、その教えと導きを受けたにもかかわらず、みっともない姿をどんどんさらしていくからです。

 

地位や名誉を欲する姿、誰が一番偉いか争う姿、子どもを叱りつける姿、女性を蔑んでる姿、そして、イエス様を見捨てる姿……信じてついていったにもかかわらず、導きを受けていたにもかかわらず、聖人とは、とても言えない態度です。むしろ、イエス様と出会ってからは、どんどん彼らの闇が暴かれます。

 

この人は偏見が強いんだな、この人はずいぶん頑固なんだな、この人は自分を過信してるんだな……ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、トマス、有名な彼らのエピソードは、いずれもイエス様に質問したり、要求したりする中で、無知や高慢が明るみに出てくる話です。復活したイエス様の幻と出会ったパウロなんて、その典型ですよね?

 

神様の光に照らされた瞬間、「自分こそ正しい」と盲目になっていた姿をさらされる。実は、大きな間違いを犯していたことが明るみに出る。本当は無力で、誰かに手を引いてもらわなければ、目的地へたどり着くこともできない姿……聖書に出てくる弟子たちの大半は、イエス様と出会って、自分の闇や黒歴史と向き合わされた人たちです。

 

神様が導く光

なかなかしんどい話ですよね。暗闇にいる自分を照らしてくれる存在は、同時に貧相な姿も明るみに出します。今までは暗闇にいたから過ちも悪事も隠せていたけど、これからはイエス様に照らされているから、気を配って歩まなきゃならない。弱いところも愚かなところも、全部明らかにされてしまうから、それらを見つめていかなきゃならない。

 

そう、残念ながらイエス様を信じ、イエス様に照らされた人間は、即座に、自動的に、品行方正な正しい人間になれるわけではありません。暗闇から引っ張りだされて、すぐキラキラした立派な姿に変われるわけではありません。明るみに出された自分の弱さ、愚かさ、高慢さを見つめながら、新しい自分の旅が始まります。

 

最初に読んだ出エジプト記13章後半の記事は、奴隷の民であったイスラエル人がエジプトの国から脱出し、約束の地へ向かう際、昼は雲の柱、夜は火の柱によって神様に導かれたことを伝えています。この雲の柱と火の柱は、「わたしは世の光である」と言われたイエス様の教え、イエス様の導きを先取りした道標だと言われています。

 

昼は雲の柱によって行き先を教えられ、夜は火の柱によって足元を照らされていたイスラエル人は、その導きによって、すんなり約束の地へ入れたかと言うと、残念ながら答えはNOです。彼らは昼も夜も歩むべき道を照らされていたにもかかわらず、追い迫るエジプト人に恐怖したり、行く手の敵に怖気付いたりして、何度も道を外れようとします。

 

そう、雲の柱、火の柱によって照らされていた彼らの目には、今まで立ち向かうことのなかった恐ろしい敵や、貧相な自分の姿が映っていました。奴隷だった自分たちが自由になれるわけがない、闇に染まっていた私が光になれるわけがない、そんなふうに小さくなって、元の奴隷へ、暗闇の中へと戻ろうとします。

 

光の子として

いざ、神様を信じ、イエス様を信じて歩み始めたら、「光の子として歩む」どころか、どんどん自分の闇が見えてくる、どんどん自信が失われる……そんな状況が、いつかあなたに訪れるでしょう。あるいは、もう来ているかもしれません。思わず、その闇を、影を、隠したくなるかもしれません。

 

そのとき思い出してほしいのは、自分の過ちに気づくときこそ、あなたはイエス様に結ばれて、光となっていることです。自分の影を見つめているのは、あなたが照らされている証拠です。イエス様は、無知や愚かさが明るみに出てきた弟子たちを、決して追い出したりしませんでした。むしろ「あなたがたは世の光である」と大胆に宣言されました。

 

大丈夫、自分の影を見つめるあなたは、以前のような暗闇ではない。わたしに結ばれ、わたしに照らされ、わたしの光になっている。「自分は汚れている」「闇に隠れなければ」と思わないでほしい。光の子として歩みなさい……そんなふうに、イエス様は閉じこもる私たちを外へと押し出されます。

 

かつて、キリスト者を迫害する中、イエス様と出会い、イエス様の光に照らされたパウロは、多くの手紙を書き残しました。その中には、何度も彼の黒歴史、闇の部分が出てきます。キリスト者を捕らえ、訴え、殺したことがある。律法主義に陥って、たくさん人を裁いてきた。そして未だ、肉の思いに囚われている、過ちを犯すことがある。

 

そんな告白をされるたび、なぜ正直に、自分の欠けや愚かさを明るみに出すのか不思議になります。「お前は所詮暗闇にいる」「胸を張れない存在だ」と言われそうです。しかし彼は、イエス様が自分を光の子として歩ませることを確信しています。神様が何度も道を外れるイスラエル人を神の民として歩ませたように。

 

皆さんもイエス様の言葉に照らされ、世の光となった存在です。私と同じく、暗闇に隠れていた自分の弱さ、愚かさを気づかされていく存在です。あなたが自分の影を見つめるとき、あなたも誰かを照らす光です。闇の者ではありません。だから……光の子として歩みなさい。

 

紹 介

本日、初めて来られた方、久しぶりに来られた方で、紹介をご了承いただいた方のみ、受付の方と一緒にお立ちください。配信に乗らないようにお名前は後ほど紹介させていただきます。神様の平和が皆さんと共にありますように。

 

とりなし

共に、祈りを合わせる者として、とりなしの務めを果たしましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス・キリストが私たちに教えられた、最も基本的な祈りを祈りましょう。

主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

食卓を囲めない日の祈り

 

本日は、月の第一日曜日なので通常は聖餐式がありますが、感染症の流行に伴い、パンとぶどう液の配餐はしばらくの間休止しています。その代わり、「命のパン」「命の水」である神の言葉を受け取って、互いに神の祝福を宣言する「見えない食卓」にあずかりましょう。

 

招 き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ6:35)」「わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ6:57)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ4:14)」

 

主は、荒れ野で悪魔の誘惑を受け、空腹の中「石がパンになるよう命じたらどうだ」と言われたとき、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる(マタイ4:4)」と答えました。そうして悪魔は離れ去り、主はガリラヤに帰られて、人々に神の言葉を与えました。

 

今、様々な事情で食卓を囲めない私たちに、主は「命のパン」「命の水」である神の言葉を与えます。食事が喉を通らず水も飲めない人々に、みんなと一緒に食事を味わえない人々に、神様は新しい糧をもたらします。

 

共に、聖書を通して与えられた神の恵み、神の祝福を分かち合う、見えない食卓を囲みましょう。

 

感謝の祈り

恵みと祝福の源である私たちの神様、あなたは私たちの欠乏を満たす「命のパン」「命の水」をお与えになります。孤独に共感を、対立に連帯を、恐怖に信頼をもたらします。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、共に渇き、共に飢え、共に痛みを負われました。

 

ご自分が渇いているときに、孤立した女性に水を求め、新しいつながりを与えました。ご自分が飢えているときに、神の言葉に信頼し、人々に希望を示しました。パンがなく、水がなく、共に食卓を囲めないとき、あなたの言葉一つ一つは、私たちに見えない糧をもたらします。

 

どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和がこの世界を満たしますように。アーメン。

 

とりなし

共に、神の祝福を宣言しましょう。

皆さんの隣に、前に、後ろにいる人、あるいは離れている人へ、イエス様から与えられた良い知らせを伝えましょう。

 

司式者:主は言われます。

一 同:「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる(ルカ23:43)」

司式者:私たちも知らせましょう。

一 同:「主があなたと共におられます」

 

司式者:主は言われます。

一 同:「あなたがたに平和があるように(ヨハネ20:19)」

司式者:私たちも答えましょう。

一 同:「主のお言葉どおりになりますように」

 

応答の祈り

感謝の応答として、共に祈りをささげましょう。

 

信仰と希望と愛をもたらす私たちの神様、今ここで、食卓を囲めない日に、「命のパン」「命の水」であるあなたの言葉を分かち合えたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者がもたらされます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。

 

主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

 

(*新来者が来られたとき)献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の維持や運営、地区や教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、受付で配られた袋をそのままお入れください。

 

讃美歌

オンライン讃美歌『わたしたちは旅人』(©柳本和良)を歌いましょう。マスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

今、行きなさい。わたしはあなたを遣わす。(出エジプト記3:10より)

 

どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。

(テサロニケの信徒への手紙一5:23)