ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『主人が僕の給仕をする?』 ルカによる福音書12:35〜48

聖書研究祈祷会 2020年9月9日


『主人が僕の世話をする?』聖書研究祈祷会 2020年9月9日

 

 

案 内

先週まで、新型コロナの感染動向に伴い、聖書研究祈祷会の会場を教会ではなく配信という形にしていましたが、今週から再び教会に集まって、30分に短縮した聖書研究祈祷会を再開します。引き続き、基礎疾患や発熱・倦怠感・呼吸困難などの症状がある方は、配信を通して、ご自宅から参加していただけるよう、よろしくお願いします。

 

讃美歌

それではただいまより、聖書研究祈祷会を始めます。最初に、讃美歌21の513番「主は命を」を歌いましょう。飛沫感染を避けるため、マスクをしたままで歌います。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様、今日は久しぶりに教会へ集まって、聖書を開き、共に祈り、賛美を合わせることができ、感謝致します。どうか今、礼拝や諸集会を教会でできない人たちにも、あなたの恵みと導きがありますように。

◆私たちの神様、昨日は今年度に入って初めて、岐阜地区の教師会に少人数で集まることができました。どうか今、規模や会場の関係で、引き続き、顔を合わせることのできない牧師や信徒に、あなたの励ましとお支えがありますように。

◆私たちの神様、コロナ禍や台風や様々な問題が飛び交う中、次の首相や内閣のメンバーが決められようとしています。どうか今、誰が選ばれるにしても、責任感と良心に基づく誠実な選択ができるように、政治家にも周りにも働きかけてください。

◆私たちと共におられるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書12:35〜48(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

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Henrique Vefago HenriqueによるPixabayからの画像

メッセージ

そんな主人いないでしょ?

「主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ」……これに続くイエス様の言葉は、なかなか手厳しく感じます。居眠りしていた、サボっていた、気が緩んでいた僕たちは、突然帰って来た主人に怒られ、鞭打たれ、不忠実な者と同じ目に遭わされる……まあ、たぶん追放でしょう。ほとんど脅迫に等しい語りかけです。

 

でも、当然と言えば当然です。店長がいない間に居眠りしていた従業員が怒られる。店をクビになって追い出される。ちょっと厳しいかもしれませんが、主人からすれば、留守を任せた僕が言うことをきかず、自分のいない間好き勝手していたら困ります。そのまま店を管理させるわけにはいきません。至極当然の反応です。

 

面白いことに、イエス様はこういった話を、終末における救い主の再来をたとえたものとして、よく弟子たちに語りました。この世の終わりに、再び私がやってくる日、いつでも迎えることができるように準備していなさい。その日は、家の主人が婚宴から帰ってくるようなものだから。みんなで待ち構え、クラッカーを鳴らし、共に喜ぶ瞬間を味わおう。

 

そうすれば、主人である私自身が、迎えてくれたあなたたちを席につかせ、御馳走を出し、そばに来て給仕するだろう……ここまで聞いて、まともな人は思ったはずです。いやいやおかしいでしょう? 婚礼から帰って来た主人は、みんなからお祝いされ、給仕される立場であって、僕たちの世話をするなんて、普通ありえない話です。

 

いくら、僕たちが心を込めた準備をして、主人を迎えてくれたとしても、花嫁を連れた花婿が、彼らのために上着を取り、食事の席へ案内し、御馳走を出してくれるなんて、酒に酔いすぎてご機嫌になったか、はしゃぎ過ぎかのどっちかです。そこまで熱烈に主人から愛され、家族のように僕が扱われるなんて、ちょっと理解できません。

 

でもイエス様は、そんなあり得ない出来事が、神の国の到来なんだと言われます。だから、いつ私が帰って来てもいいように、腰に帯を絞め、ともし火をともして、目を覚まして待っていなさい……問題は、「目を覚まして」いられなかったら、この家から追い出され、罰を受け、滅ぼされてしまうってところです。

 

目を覚ましていられる?

人々が終末に恐ろしいイメージを抱くのは、まさにこういうところからでしょう。正しい者は救われ、間違った者は滅ぼされる。忠実な者はより高くされ、不忠実な者は捨てられる。だから、その日までに「忠実で賢い管理人」になれるよう、清く正しく生きなければ! イエス様の教えに従わなければ!

 

当然、気になるのは、自分はこの「忠実で賢い管理人」になれるのか?……というところです。真面目に主人を待っていようとしていたけれど、夜遅くまで帰りがなく、思いがけない時間にチャイムが鳴って、ハッと目が覚めてびっくりする! なんて、よくよくありえる話ですよね。

 

イエス様の話を聞いていたペトロは不安になります。「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか?」……そう、弟子たちは普段から、イエス様のやることなすことを受け入れる、準備することが全くできていませんでした。

 

明け方まで魚が獲れなかったとき、イエス様の言うとおりにすれば、本当に魚が獲れるなんて、思ってもいませんでした。山の上でお腹を空かせた群衆に、何か食べ物をあげるよう言われたときは、まさか本当に5つのパンと2匹の魚で全員に行き渡るなんて、考えてもいませんでした。

 

そして、嵐の中、船にいる自分たちのもとへイエス様がやって来たときは、水の上を歩いてくるなんて想像もしておらず、「幽霊だ」と叫んでしまいました。そう、弟子たちは多くの場面で、イエス様の訪れを準備できていなかったんです。もしかして、私たちが「目を覚ましていられない」僕だと言ってます? それとも、みんなに注意してるんですか?

 

忠実で賢い管理人って?

彼らの不安は私たちの不安とも重なります。世の終わりまで、果たして私は神様に、イエス様に、忠実な僕でいられるだろうか? 誘惑に負けてふしだらな生活をしたり、隣人に罪を犯したり、祈ることや礼拝に出ることができなくなっていないだろうか?

 

準備のできていないとき、目を覚ましてないときに、イエス様が突然現れて、自分に裁きを宣告する……そんな恐ろしい情景を何度も思い浮かべた人もいるでしょう。もし、忠実で賢い管理人だけに資格があるなら、いったい誰が、イエス様の給仕を受けられるんでしょう? 胸を張って「私が!」なんて言える人いるでしょうか?

 

実は、本当にイエス様から食事の席に着かせてもらい、給仕を受けた人たちの話が、聖書の中に出てきます。そう、このたとえについて不安そうに尋ねているイエス様の弟子たちです。彼らは、イエス様が十字架につけられる前の日に、用意の整った2階の部屋へ案内されていました。また、食事の席で、イエス様に足を洗ってもらったことも書かれていました。

 

ということは、ペトロをはじめとする弟子たちは、「忠実で賢い管理人」だったんでしょうか? いえいえ、彼らはやっぱり最後まで、目を覚ましていられない弟子たちでした。イエス様が祭司長たちに捕まる直前、オリーブ山で祈っていたときも、「誘惑に陥らないように祈りなさい」という言葉に従えず、弟子たちは眠りこけてしまいました。

 

それも2回言われて、2回とも目を覚ましていられなかったんです。さらに、イエス様は自分が十字架につけられた後、3日目に復活することを弟子たちに教えていましたが、誰一人、その日、家の戸の前で待っている人はいませんでした。イエス様の訪れを待って準備している者はいませんでした。

 

にもかかわらず、彼らは突然現れたイエス様から「平和があるように」と宣言され、別の日には朝食を用意され、暖かいパンと魚を御馳走になります。イエス様って、意地でも僕たちと祝宴にあずかろうとするんです。目を覚ましていられない弟子たち、迎えの準備ができてない人たちを叩き起こしてでも、神の国で共に食卓へつく喜びを味わせようとする方なです。

 

だから、目を覚ましていましょう。眠りこけるあなたの目を、開いてくださる方がおられます。どれだけ自分が、愚かで弱くて情けない人間でも、忠実で賢い管理人になり得ない僕でも、イエス様は本気で多くを求められ、多くを任せ、それを実現させてしまうからです。この方にできないことはありません。あなたの目が、今日も開かれますように。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(広島県尾道市の尾道久保教会)のために、台風の被害に遭った人のために、九州の教会のために、学校・病院・施設で働く人のために、祈りを合わせます。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆広島県尾道市の尾道久保教会のために祈ります。この教会が地域に立ち続ける教会として、誠実に務めを果たせますように。聖書を読んで、深く考え、神様の恵みに自分を委ねる生き方ができるように、一人一人を導いてください。

◆台風の被害に遭った人のために祈ります。心配されていた巨大な台風が過ぎ去りましたが、その足跡を残された地域、被害がもたらされた地域に、あなたの励ましがありますように。どうぞ復興と回復を助けてください。

◆九州の教会のために祈ります。様々な災害や感染症の流行に加えて、再び台風の被害を受けた町や村に、あなたの憐れみがありますように。傷つき、疲れ果てている人に、あなたの慰めと癒しを与えてください。

◆学校・病院・施設で働く人のために祈ります。様々な対応を迫られ、人手も不足する中、多くの働きを担っている教師、看護師、医師、介護士に、あなたの恵みがありますように。必要な休息と配慮をもたらしてください。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌「わたしたちは旅人」(©️柳本和良)を歌いましょう。こちらも、飛沫感染を避けるため、マスクをしたままで歌います。

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。

 

以上で聖書研究祈祷会を終わります。また日曜日まで、あなたに平和がありますように。