ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『神の知恵ってワケわからん』 箴言3:13〜20、ローマの信徒への手紙11:33〜36

日曜礼拝 2020年10月4日


『神の知恵ってワケわからん』日曜礼拝 2020年10月4日

 

招 詞

神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。(ヨハネの手紙一5:4)

 

讃美歌

マスクをしたままで讃美歌21の357番を歌いましょう。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

お祈り

共に祈りを合わせましょう。

 

◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まれたことを感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの母なる神様、この一週間も、どうしたらいいか分からない出来事があまりに多くありました。私たちは無力ですが、あなたはどうすればいいかご存知です。どうか今、私たちに必要な知恵と知識をお与えください。

◆私たちの父なる神様、この一週間も、どうにもならない出来事があまりに多くありました。私たちは弱いですが、あなたは力をくださいます。どうか今、私たちに必要な休息と糧をお与えください。

◆私たちの友なる神様、この一週間も、怖く悲しい出来事があまりに多くありました。私たちは臆病ですが、あなたは勇気を分けられます。どうか今、私たちに必要な盾と癒しをお与えください。

◆私たちの傍におられるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。箴言3:13〜20(新共同訳より抜粋)

 

いかに幸いなことか、知恵に到達した人、英知を獲得した人は。知恵によって得るものは、銀によって得るものにまさり、彼女によって収穫するものは金にまさる。真珠よりも貴く、どのような財宝も比べることはできない。右の手には長寿を、左の手には富と名誉を持っている。彼女の道は喜ばしく、平和のうちにたどって行くことができる。彼女をとらえる人には、命の木となり、保つ人は幸いを得る。主の知恵によって地の基は据えられ、主の英知によって天は設けられた。主の知識によって深淵は分かたれ、雲は滴って露を置く。

 

もう一箇所、ローマの信徒への手紙11:33〜36(新共同訳より抜粋)

 

ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。「いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。だれがまず主に与えて、その報いを受けるであろうか。」すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。

 

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Dariusz SankowskiによるPixabayからの画像

メッセージ

手に入らない知恵

私が今、キリスト教概論を教えている中部学院大学には、建学の精神として次の言葉が掲げられています。「神を畏れることは知識のはじめである」……皆さんよくご存知の箴言1章7節の言葉です。新共同訳ではこうなっています。「主を畏れることは知恵の初め」

 

知恵って誰もが必要とする能力です。何かを判断し、適切に処理するための心の働き。新型コロナが流行してから、多くの人が思ったはずです。このコロナ禍を乗り越えるための知恵がほしい。適切な感染症対策の知識がほしい。幼稚園、学校、病院、職場……様々な現場で色んなことに心を砕いて、否応なしに思わされる。

 

自分には知恵がない。圧倒的に知識がない。誰か、私に適切な判断ができるように、必要な対応が取れるように、ちゃんとした知恵をくれないか? そう思って、疲れた心で礼拝に来る人も、この半年多かったでしょう。私もその一人でした。通常の礼拝が続けられなくなったとき、文句なしの正しい判断はできませんでした。そんな知恵がないからです。

 

「主を畏れることは知恵の初め」「神を畏れることは知識のはじめ」……信仰を養う教会なら、もしかしたら私にも知恵を与えてくれるかもしれない。当然の期待でしょう。ここへ来れば、礼拝に出れば、聖書を読めば、今まで思いつかなかったことが、解決策が与えられて、問題を処理できるかもしれない。

 

自分の病気を治したくて教会に来た人、成長のきっかけを掴みたくて聖書を読みに来た人、死の恐れを解消したくて礼拝に来た人……一人一人目的は違いますが、みんな自分にはどうにもできないことを、対処する力のないことを、どうにか解決するために、神様に知恵を求めます。必要な知識が与えられるよう、神を畏れて信じます。

 

ワケわからん知恵

でも実際、知恵は与えられたでしょうか? 何かが解決することを求めて教会に来て、思い描いていた道を与えられた人はいるでしょうか? 突然、聖霊が降りてくるように、どうしたらいいか対処法を与えられ、病気が治ったり、障がいが消えたり、問題が解決された人はいるでしょうか? みんながみんな、そういうワケじゃないですよね。

 

むしろ、ここへ来てから問題が増えた人もいるでしょう。信じているのに礼拝へ出られない、奉仕の担い手が減っている、家族が教会につながらない……神様、どうしたらいいですか? 今こそ完璧な知恵が必要です。どうぞ、私に解決策を示してください! ところが、そう願ってからだいぶ長いこと、私たちは頭を抱えています。

 

「いかに幸いなことか、知恵に到達した人、英知を獲得した人は」……最初に読んだ箴言3章13節は、まさに私たちの憧れをそのまま言葉にしたようです。だってまだ、私たちは知恵に到達してないし、英知も獲得していない。未だ、適切な処理も判断もできず、失敗と葛藤を繰り返している。

 

おかしいですよね? 確かに神様を信じているのに、神様を畏れて生きているのに、なかなか知恵はやってこない。それどころか、教会で教えられることは、ますます私たちを混乱させます。何せ、イエス様のたとえ話や教えたことは、最も付き合いの長い弟子たちでさえ、よく分かりませんでしたから。

 

マタイによる福音書20章には、早朝から働いた人たちと、夕方から働き始めた人たちに、同じ1日分の賃金を支払った主人の話が出てきます。「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」「このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」……正直、適切な判断、適切な処理とは思えない話ですよね。

 

マルコによる福音書10章には、子どもたちを抱き上げて次のように語るイエス様が出てきます。「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」……まだ知恵も知識も不十分な、我儘で忍耐もない存在を指して、そんなことを言ってくる。向上心が強い人には受け入れにくいかもしれません。

 

ヨハネによる福音書6章には、こんな言葉も出てきます。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」「わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる」……もう意味が分かりません。物理的な食事でなくて、どうして腹を満たせるでしょう?

 

納得できない知恵

どうも、神様が私たちにもたらす知恵は、私たちの思う適切な処理、適切な判断とは、だいぶかけ離れているようです。金に汚い人を弟子にしたり、罪を犯した人と食事をしたり、神殿で暴れたイエス様の語ることなら、まあ、そんなに驚くことではありません。聖書を読んでいると、イエス様が万人に納得されたことって、実はけっこう少なかった。

 

そう、この方は普通解決策とは思えない方法で、自らが罪人として十字架にかけられるという方法で、全ての人が神の国へ受け入れられるよう、命をささげた方でしたから。しかもその後、自分を見捨てた人たちに再会し、平和を告げ、再び弟子として送り出す、前代未聞の「道」を作った方でしたから。

 

イエス様についていった人たちは相当振り回されたでしょう。今その街に入ったら命を狙われるというタイミングでユダヤ人の街へ行き、既に嫌われていることが分かっていたサマリア人の村へ行き、もはや手遅れと思われる死人のもとへ向かい始める。イエス様の判断が適切に見えたことは、そばにいた人たちもほとんどなかったでしょう。

 

しかし、振り返るといつも、イエス様の進む先にはありえない展開が待っていました。長年、同胞から金を搾取していた人間が悔い改め、財産の4分の1を彼らに返すと約束した。生前、イエス様と会ったこともない人が生き返り、母親の元へ帰っていった。イエス様を見捨てた弟子たちが、各地でイエス様のことを宣べ伝え、次々と教会を建てていった。

 

神様は恐ろしい方です。私たちを振り回し、あちこちへ行かせ、こっちの思い描く解決策とは全然違う道を歩ませ、思い描いていた以上の未来を与えられる。正直、「御心のままに」「神様の思うとおりになるように」なんて祈り、未だに怖くてためらわれます。たくさんの人が、困難な道を歩んできたのを知っているから。

 

でも、その恐れをどうぞ大事にしてください。「主を畏れることは知恵の初め」「神を畏れることは知識のはじめ」ワケわからない神様に、よく分からないイエス様に、自分がついていくことの恐れと葛藤を、どうぞ正面から受けとめてください。平気でなくていいんです。その恐れこそ、あなたが必要とする知恵の初め、知識の初めに他ならないんです。

 

紹 介

本日、初めて来られた方、久しぶりに来られた方で、紹介をご了承いただいた方のみ、受付の方と一緒にお立ちください。配信に乗らないようにお名前は後ほど紹介させていただきます。神様の平和が皆さんと共にありますように。

 

とりなし

共に、祈りを合わせる者として、とりなしの務めを果たしましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス・キリストが私たちに教えられた、最も基本的な祈りを祈りましょう。

主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

食卓を囲めない日の祈り

 

本日は、月の第一日曜日なので通常は聖餐式がありますが、感染症の流行に伴い、パンとぶどう液の配餐はしばらく休止しています。その代わり、「命のパン」「命の水」である神の言葉を受け取って、互いに神の祝福を宣言する「見えない食卓」にあずかりましょう。

 

招 き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ6:35)」「わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ6:57)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ4:14)」

 

主は、荒れ野で悪魔の誘惑を受け、空腹の中「石がパンになるよう命じたらどうだ」と言われたとき、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる(マタイ4:4)」と答えました。そうして悪魔は離れ去り、主はガリラヤに帰られて、人々に神の言葉を与えました。

 

今、様々な事情で食卓を囲めない私たちに、主は「命のパン」「命の水」である神の言葉を与えます。食事が喉を通らず水も飲めない人々に、みんなと一緒に食事を味わえない人々に、神様は新しい糧をもたらします。

 

共に、聖書を通して与えられた神の恵み、神の祝福を分かち合う、見えない食卓を囲みましょう。

 

感謝の祈り

恵みと祝福の源である私たちの神様、あなたは私たちの欠乏を満たす「命のパン」「命の水」をお与えになります。孤独に共感を、対立に連帯を、恐怖に信頼をもたらします。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、共に渇き、共に飢え、共に痛みを負われました。

 

ご自分が渇いているときに、孤立した女性に水を求め、新しいつながりを与えました。ご自分が飢えているときに、神の言葉に信頼し、人々に希望を示しました。パンがなく、水がなく、共に食卓を囲めないとき、あなたの言葉一つ一つは、私たちに見えない糧をもたらします。

 

どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和がこの世界を満たしますように。アーメン。

 

とりなし

共に、神の祝福を宣言しましょう。

皆さんの隣に、前に、後ろにいる人、あるいは離れている人へ、イエス様から与えられた良い知らせを伝えましょう。

 

司式者:主は言われます。

一 同:「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる(ルカ23:43)」

司式者:私たちも知らせましょう。

一 同:「主があなたと共におられます」

 

司式者:主は言われます。

一 同:「あなたがたに平和があるように(ヨハネ20:19)」

司式者:私たちも答えましょう。

一 同:「主のお言葉どおりになりますように」

 

応答の祈り

感謝の応答として、共に祈りをささげましょう。

 

信仰と希望と愛をもたらす私たちの神様、今ここで、食卓を囲めない日に、「命のパン」「命の水」であるあなたの言葉を分かち合えたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者がもたらされます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。

 

主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

 

(*新来者が来られたとき)献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の維持や運営、地区や教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、受付で配られた袋をそのままお入れください。

 

讃美歌

オンライン讃美歌『閉じこもる私たちに』(©柳本和良)を歌いましょう。マスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

父がわたしを世にお遣わしになったように、わたしもあなたがたを世に遣わします。

(ヨハネによる福音書17:18より)

 

永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。(ヘブライ人への手紙13:20、21)