ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『あなたの住処は天にある?』 ダニエル書12:1〜4、コリントの信徒への手紙二5:1〜10

日曜礼拝 2020年10月11日


『あなたの住処は天にある?』日曜礼拝 2020年10月11日

 

 

招 詞

神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。(ヨハネの手紙一4:21)

 

讃美歌

マスクをしたままで讃美歌21の460番1〜4節を歌いましょう。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

お祈り

共に祈りを合わせましょう。

 

◆全ての者の傍におられる私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まれたことを感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの母なる神様、ここしばらくの間、健康を崩していた人の回復や再会の喜びが与えられていることに感謝致します。どうか今、あなたの癒しと回復の輪がさらに広がっていきますように。

◆私たちの父なる神様、ここしばらくの間、泣き寝入りするしかなかった人たちに、少しずつ話を聞く人、サポートする人が与えられていることに感謝致します。どうか今、あなたの支えと導きの輪がさらに広がっていきますように。

◆私たちの友なる神様、ここしばらくの間、対立し、嫌悪していたグループの間で、徐々に対話を求める人たちが出てきたことを感謝致します。どうか今、あなたの愛と平和の輪がさらに広がっていきますように。

◆私たちに変化をもたらすイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ダニエル書12:1〜4、コリントの信徒への手紙二5:1〜10(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

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Pete LinforthによるPixabayからの画像

メッセージ

地上の住処は地獄?

「この世は地獄」という言い回しがあるように、私たちが生きている現実には、何らかの困難が付きまといます。新型コロナウイルスが流行した今年は、今まで以上に多くの人が、自分の住んでいるところ、自分の生活しているところを牢獄のように感じてしまったことでしょう。

 

自由に外へ出られない、自由にみんなと集まれない、自由に誰かと話せない。最初のうちは小まめに届いていた電話や手紙も来なくなり、だんだん取り残されていく、どんどん置いていかれてしまう……何とかもう一度、以前のように集まろうとしても、衛兵に一挙一同を見張られている囚人のように、周囲の承認、周りの許可が求められる。

 

「集まる」ということが伝道の根幹を成すキリスト教会も、非常にやりにくくなりました。かつてのように迫害されたり、弾圧されたりする社会ではありませんが、伝道のため外へ出ていくこと、大勢で集まること、声を合わせて賛美することが、周囲に危険を及ぼす行為として、非難されうるものとなりました。

 

当局に見つからないよう、近所に目をつけられないよう、誰かに密告されないよう、気を遣って集まっていた初代教会の人の気持ちが、今なら少しだけ分かる気がします。コリントの信徒への手紙を書いたパウロもまた、自分が経験した苦難、苦痛、苦悩について、1章8節で記していました。

 

「耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました」……この世は地獄、もう生きていたって希望はない。やがて教会は滅びるだろう。自分も、自分のコミュニティも疲弊して、消耗して、崩壊して、果てていく。ここでやっていくことに、いったい何の意味があるだろう?

 

コロナ禍に限らず、もっと前から、この社会の生きにくさに苦しみもだえてきた人もいるでしょう。自分の使命が果たせない、思うように動けない、様々な状況に圧迫され、拘束され、誰の役にも立てないでいる。こんな地上の住処でがんばっても、何の意味もないんじゃないか?

 

ちゃんとした住処がない】

そう、役に立てない、使命が果たせない状況こそ、私たちにとって最もキツいことかもしれません。学校に行けない、部活に行けない、会社に行けない、家族に会えない……こんな自分に何の意義があるんだろう? 施設から出られなくなって、病院で缶詰になって、私は教会にも社会にも家族にも必要なくなったんじゃないか?

 

実を言うと、私たちの大先輩であるパウロこそ、まさにそんな状況でした。彼は度々捕えられ、投獄され、裁判にかけられて、「教会を訪問する」「みんなを力付けにいく」という重要な使命が果たせない日々を送っていました。また、この手紙を書いた頃は、自分への秘部中傷が激しいために、コリント教会への再訪を断念せざる得なくなったときでした。

 

そうかと思えば、晩年は病気のため、どこにも行くことができなくなり、宣教師としては致命的な状況となりました。自分で教会を開拓できない、直接みんなに語れない、長老や執事を育てられない……もはや、この世で宣教者としてがんばるのは、意味がないような気がします。意味がないような気がするのに、彼は必死に宣教者として奮い立ちます。

 

そうして、足掻き続けて残ったのが、新約聖書の4分の1を占めるほどの書簡でした。彼はその中の一つにこう記しています。「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです」

 

幕屋と言えば、かつて奴隷にされていたイスラエル人がエジプトの国から脱出し、荒れ野で40年間過ごす中で、仮住まいとしていたテントです。彼らは約束の地に入る直前で、神様を信頼し切れなかったため、一度カナンに到達したにもかかわらず、自分たちの世代が死に絶えるまで、再び荒れ野をさまよいます。

 

この荒れ野をさまよった40年間、幕屋で仮住まいを続けた40年間、次の世代まで約束の地へ入れないことが分かっていた40年間、彼らは何度も生きる望みを失ったことと思います。だって意味がないじゃないですか? 死ぬまで荒れ野をさまよい続け、荒れ野のテントで暮らし続け、どんなにがんばっても自分たちはゴールできないと分かっている。

 

彼らはちゃんとした住処を与えられません。自分たちの子どもが、孫が、次の世代が、約束の住処を与えられるように、荒れ野で生活を続けます。神様がエジプトから自分たちを脱出させ、何度も窮地を救ってくださったこと。それなのに、神様を信頼し切れず、自分たちが過ちを犯してしまったこと。それらを子孫に、民全体に語り継ぎます。

 

彼らも、彼らのコミュニティも、荒れ野で疲弊して、消耗して、崩壊して、果てていくように見えました。実際、その世代は約束の地へ入る前に、求めていた住処を与えられる前に消えていくんです。でも、イスラエル人にとって荒れ野の40年間は意味のない40年だったのか? ただの不毛な日々だったのか?

 

天にある永遠の住処

そうではありませんよね? 彼らは40年という月日をろくに食べ物もない、水もない場所で過ごしました。神様がマナを降らせ、水を湧かせ、うずらを落とさなければ生きていけないその場所で、常に奇跡を目の当たりにして暮らしました。約束の地、カナンの地で過ごす以上に、「わたしは必ずあなたと共にいる」という神様の存在を感じていました。

 

その彼らだからこそ、次の世代、その次の世代へと神様に信頼することを教えられたんだと思います。彼らの40年間は、地上の住処である幕屋の生活は、意味のないものではありませんでした。彼らは不自由な仮住まいをしながらも、神によって建物が備えられていることを、人の手で造られたものではない、立派な住処が用意されていることを実感させられていました。

 

その出来事を語り継がれたパウロもまた、意味のない、生きる望みが持てない社会にあって、この世で過ごす自分の「生」が、ただ疲弊し、ただ消耗し、ただ果てていくものではないことを思い出します。今こそ、荒れ野で共におられた神様が私たちと共におられ、今こそ、カナンに代わる新しい住処が、天にある永遠の住処が用意されている。

 

しかも、「全ての世代」「全ての民族」「全ての人」にです。約束の地に入れなかったはずの者、死ぬはずだった者たちも、天の住処から締め出されるどころか、天から与えられる住処を上から着させられるように、命に飲み込まれてしまうように、神様が聖霊を送られます。

 

天の住処にふさわしい者となるように、「わたしは必ずあなたと共にいる」と呼びかけ続ける神の「霊」が注がれる。だから、私たちは地上の住処で過ごしながらも、天に住処がある者として、この世界で生き続けます。荒れ野で40年間幕屋に住み続けた民のように、私たちのこの生も無駄なものではないんです。

 

だから、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者として、生きなさい。あなたにも、神様は天の住処を着させられます。

 

紹 介

本日、初めて来られた方、久しぶりに来られた方で、紹介をご了承いただいた方のみ、受付の方と一緒にお立ちください。配信に乗らないようにお名前は後ほど紹介させていただきます。神様の平和が皆さんと共にありますように。

 

とりなし

共に、祈りを合わせる者として、とりなしの務めを果たしましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス・キリストが私たちに教えられた、最も基本的な祈りを祈りましょう。

主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

 

(*新来者が来られたとき)献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の維持や運営、地区や教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、受付で配られた袋をそのままお入れください。

 

讃美歌

オンライン讃美歌『わたしたちは旅人』(©柳本和良)を歌いましょう。マスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(マタイによる福音書28:19〜20)

 

平和と信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟(姉妹)たちにあるように。恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。(エフェソの信徒への手紙6:23、24)