ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『忘れさせる』 創世記41:46〜57

聖書研究祈祷会 2020年11月4日


『忘れさせる』聖書研究祈祷会 2020年11月4日

 

案 内

本日から、30分に短縮していた聖書研究祈祷会を60分まで緩和し、配信に載せる第一部と、配信後、時間のある人と質問や感想を分かち合う第二部に分けて行います。牧師に相談やお話がある方は、ぜひ、配信後も2階集会室へおいでください。

 

讃美歌

それでは、第一部「聖書研究会」を始めます。最初に、讃美歌21の363番「み神の力は」を歌いましょう。飛沫感染を避けるため、マスクをしたままで歌います。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆人と人との間におられる私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、水曜日の聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を必要としている人を祝福してください。

◆私たちの神様、日曜日には先に召された方々を覚えて、召天者記念礼拝を持つことができました。午後には今年召された方の納骨式も行われました。どうか今、これら一人一人の遺族や友人に、あなたの慰めと希望が豊かに注がれますように。

◆私たちの神様、土曜日には503年目の宗教改革記念日を迎えました。今年は特に、教会のあり方、礼拝の持ち方、信仰生活の守り方が問われる一年となっています。どうか今、かたくなな自分自身を改革し続ける教会として、私たちを新しく立たせてください。

◆私たちの神様、来週の日曜日には、信徒立証礼拝が持たれます。私たちの仲間である兄弟が、あなたによって生かされ、支えられ、揺るがされてきた人生を証しします。どうか今、その喜びと慰めを共に受けとめ、豊かに分かち合わせてください。

◆私たちと共ににおられるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。創世記41:46〜57(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

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Free Creative StuffによるPixabayからの画像

メッセージ

豪華な衣を着たけれど

父親の愛情を一身に受け、嫉妬した兄たちにエジプトへ売り飛ばされた末っ子ヨセフが、奴隷からファラオの側近にまで上り詰める……ライトノベルで言えば、不遇の身であった主人公が、努力の末に認められ、次々とその力を見せつけていくシーンです。

 

創世記41章は、まさにヨセフの絶頂期……ファラオから信頼を受け、家来たちにも一目置かれ、印章のついた指輪と金の首飾り、それに亜麻布の衣服を着せられる。かつて、両親や兄弟が自分に跪く夢を見て、得意げに語ったヨセフなら、今回の快挙も大っぴらに語ることでしょう。

 

ところが、王の右腕として指輪や着物を与えられたヨセフは、以外にも、あまり大きな反応を見せません。ようやく自分が認められ、奴隷として、囚人として過ごしてきた13年が終わったところなのに、歓喜の叫びや賛美の声も挙げません。彼は大臣になってから、やがて訪れる飢饉のために、黙々と準備を始めます。

 

不思議ですよね? ここで喜ばなくて、ここで叫ばなくて、どこで声を挙げるというんでしょう? しかも、大臣になった彼の発言は、子どもができてからようやく記されます。それも歓喜の声、浮かれた声というほど明るい調子ではありません。生まれてきた子どもに、マナセ(忘れさせる)と名前をつけて、「神が、わたしの苦労と父の家のことをすべて忘れさせてくださった」と呟いた。

 

どうも、そんなに喜んでいるように見えません。どちらかと言うと、苦労が絶えない中、ようやく慰めが与えられたという感じ……自分の見た夢、人の見た夢について、饒舌に語ってきた彼にしては、あまりらしくありません。なぜ、大臣になって、子どもができて、もっと喜びを表現しないんでしょう?

 

そう、確かにヨセフは、王に認められて新しい衣を着させられました。今まで着たどんなものより豪華な服を身につけました。しかし、彼にとって、「新しい綺麗な着物を着させられる」というのは、常に破滅がやってくる前触れでした。自分の父親に裾の長い晴れ着を着させられた後、彼はその服を兄たちに剥ぎ取られ、奴隷に売られてしまいました。

 

その後、雇われた役人の家で出世して、再び綺麗な服を着られるようになった後も、雇い人の妻に言い寄られ、着物の端を掴み取られ、上司の妻を寝取ろうとした冤罪で、投獄されてしまいました。豪華な着物を身につけた後、二度も衣を剥ぎ取られ、奴隷の身、囚人の身に落とされてしまった……確かに、素直に喜べません。

 

ファラオに着せられた亜麻布の服、印章つきの指輪、それに金の首飾り……これらもまた、再び剥ぎ取られ、地に落とされるのでないか? 何度も特別扱いされては、奈落に落とされてきた者の不安、恐怖は計り知れません。しかも彼の不遇は、自分にされた仕打ちは、周りに忘れられているんです。

 

忘れられていた少年

そう、兄たちに売られ、ポティファルの妻にはめられたことは、どちらも不問のままでした。ヨセフに不当な仕打ちをした彼らは、両者とも糾弾されず、どこかでのうのうと生きています。彼らがヨセフにしたことは忘れられている。

 

さらに、侍従長の牢獄に囚われていたときも、夢を解いてあげた給仕役の長に、「あなたが幸せになられたときには、ファラオにわたしの身の上を話し、この家から出られるように取り計らってください」と頼んでいたにもかかわらず、なんと2年間、忘れられていました。

 

散々、色んな人間から「忘れられてきた」ヨセフ……今度は自分が忘れる番です。7年間の大豊作が終わり、いよいよ飢饉が始まりました。飢饉は全ての国々を襲い、当然、自分の故郷、兄たちの家、父の家も苦しみます。しかし、ヨセフは自分から故郷を助けようとはしません。

 

エジプトには、十分な蓄えがありましたが、彼は世界各地の人々が自ら助けを求めてやって来るまで、自分から手を出すことはありません。もう「父の家」のことは忘れよう、関わるまい、関係すまいとするヨセフ……自らの子どもに名付けたとおり、彼は過去の関係を全て断ち切るつもりでしました。

 

しかし、神様はヨセフに父の家、兄たちの家を「忘れさせる」ことはありませんでした。父の家に関わるまいと決めたヨセフに、父の家から上ってくる影がありました。そう、ヨセフのことを「忘れていない兄たち」が、エジプトへ登ってきたんです。

 

何を忘れさせたのか?

この後の展開で、食べ物を求めて現れた一行が、自分の兄たちだとすぐにヨセフは気づきます。しかし、兄たちはヨセフが既に死んでいると思い、目の前の大臣が彼だと気づくことはありません。けれども、てっきり自分のことを忘れてのうのうと生きていると思っていた兄弟が、実は全然忘れていなかったことをヨセフは知ることになります。

 

かつての仕返しか、ヨセフは彼らに「お前たちは回し者だ。この国の手薄な所を探りに来たに違いない」……と言って、彼らの様子を見てみました。すると、思ってもみない反応が返って来ます。

 

「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ。弟が我々に助けを求めたとき、あれほどの苦しみを見ながら、耳を貸そうともしなかった。それで、この苦しみが我々にふりかかった」……さらに、一旦は自分を殺そうとした彼らが、実は後から思い直していたことも分かります。

 

それでも、彼らの言葉をどう受け取ったらいいか分からないヨセフは、今いる末の弟を、自分の弟を奴隷として置いていくよう、兄たちを追い詰めていきます。しかし、兄の一人がこう言いました。「何とぞ、この子の代わりに、この僕を御主人の奴隷としてここに残し、この子はほかの兄弟たちと一緒に帰らせてください」

 

かつて自分を奴隷に売ったユダが、今度は自ら奴隷となって弟を守ろうとする。自分に対する仕打ちを、取り返しのつかない過ちを、今度こそ償おうとする姿をそこに見ます。ヨセフはついに身を明かして言いました。「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今はわたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません」

 

そう、神がヨセフに「忘れさせた」のは「父の家」ではありません。嫌な目に遭った故郷そのものを忘れさせたのではありません。むしろ、そこでの不和や憎しみを忘れるように、彼と兄弟を再会させます。

 

私にも以前、忘れたい故郷、もう関わりたくない「家」がありました。それは、自分が洗礼を受けた母教会です。牧師をしていた私の家族は、そこで色々なことがあって鬱になり、別の教会へ赴任することになりました。自分にとって、家族を苦しめた教会、二度と帰ることのない教会、もう関わるまいと思った「家」でした。

 

しかし、大学院のとき、夏期派遣教会実習で、一週間だけその教会へ行くことになったんです。誰も、私の家族の事情を知らない中、話が進んで行きました。行きたくない、帰りたくない、おそらく、あの教会でみんなに会っても、家族の身に起きたことは忘れられ、子どもだった自分を懐かしむだけだろうと思っていました。それがとても嫌だったんです。

 

けれども、帰ってきた母教会で、祈祷会を担当したとき、何人かの懐かしい面々が涙を流しながら、かつてのことを忘れていない姿を見せたんです。ポツリと、あの時のことを漏らす人たち。ああ、忘れていなかったんだ……あのときのことがずっと心にあったんだ。

 

正直、母教会であった苦々しい思い出を忘れることはできないけれど、「ここには絶対来たくない」という思いを、神様は忘れさせてくれました。むしろ、困ったときに、いつも助けてくれた、私たち家族にとってお母さん的存在だった人とも、亡くなる前にそこで会うことができました。ヨセフが父親のヤコブと亡くなる前に再会できたときのように。

 

かつて、父の家を忘れようとしたヨセフに、父の家に対する憎しみを忘れさせた神様は、現在の私たちにも働きかけます。もう忘れよう、もう関わるまいと思っているところへ、再び新しい関係を築かせます。

 

帰る家を失くした者、力なくさすらう者……あなたはこれから人と出会い、助けられて、祝福をあらわす者となります。あなたにそのつもりがなくても、その期待さえできなくても、神様は不可能を可能に、夢を現実にする方だからです。また日曜日、ここへ戻って来る日まで、それぞれの「悩みの地」へ出ていきましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(島根県安来市の安来教会)のために、日本に滞在する外国人のために、国外に滞在する日本人のために、生活が苦しい人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆島根県安来市の安来教会のために祈ります。教会員の親族、友人、知人の心に、あなたとのつながりがもたらされ、共に恵みを分かち合うことができますように。教会学校が再開し、牧師の後継者が与えられますように。

◆日本に滞在する外国人のために祈ります。留学生や研修生、また仕事のため日本に来ている人たちや、在日二世、三世の人たちに、必要なつながりと適切なサポートがありますように。教会もその輪につながれますように。

◆国外に滞在する日本人のために祈ります。海外で過ごしている日本人、日系二世、三世の人たちに、必要な情報と受け皿が与えられますように。一人一人の安全が守られ、健全な生活を送ることができますように。

◆生活が苦しい人のために祈ります。年金、生活保護、様々な補助や保障が打ち切られ、切迫している人たちに、あなたの助けがありますように。全ての人が、今もこれからも生きやすくなるように、私たちにできることを示してください。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌「わたしたちは旅人」(©️柳本和良)を歌いましょう。こちらも、飛沫感染を避けるため、マスクをしたままで歌います。

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。

 

以上で第一部「聖書研究会」を終わります。配信後、時間のある方は飛沫防止用のパーテーションをつけた2階集会室で、質問や感想などを分かち合う第二部「分かち合い」のときを持とうと思います。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。