ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『誰が預言者か分からない』 申命記18:15〜22

日曜礼拝 2020年11月15日


『誰が預言者か分からない』日曜礼拝 2020年11月15日

 

案 内

おはようございます。礼拝前に、感染症対策についてアナウンスがあります。寒くなってきたので、礼拝の中で3度、最初の讃美歌と、交読文と、メッセージ後の讃美歌の間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。後ろにいる方は窓の開閉にご協力ください。また、ご希望の方はロビーに置いてある膝掛けをご利用ください。使用後の膝掛けは必ず「使用済み」の箱へご返却ください。また、室内の人数が16名を超えた場合は、体に無理のない方、目や耳が悪くない方に、ロビーや3階集会室、2階配信部屋への移動をお願いしています。ご協力どうぞよろしくお願いします。それでは前奏を聞いて、神様を礼拝する準備をしましょう。

 

招 詞

だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。(使徒言行録3:19)

 

讃美歌

会堂の窓を開放しましょう。マスクをしたままで(旧讃美歌)521番「イェスよ 心に宿りて」の1、2節を歌います。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。(*起立のジェスチャー)

 

お祈り

(*着席のジェスチャー)共に祈りを合わせましょう。

 

◆癒しと回復の主である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの友なる神様。先日は、久しぶりの方々と信徒立証礼拝に集まることができました。様々な再会を導いてくださり、感謝致します。どうか今、なお、顔を合わせられない方々とも、再会に必要なつながりや回復をもたらしてください。

◆私たちの母なる神様。寒気の訪れと共に、岐阜県でも新型コロナウイルスの感染者が再び増加しています。どうか今、幼稚園、学校、施設、および教会で、感染が広がらないように、特に重症化するリスクのある人たちを守ってください。

◆私たちの父なる神様。日本に滞在しているフィリピン、ベトナム、ミャンマーの人たちも、病院に行く際、通訳がいなくて困っています。どうか今、フィリピン合同教会、在日大韓基督教会のつながりを通して、助けが必要なところへ一緒に手を伸ばさせてください。

◆私たちの間におられるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。申命記18:15〜22(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

交読文

会堂の窓を開放して、詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編77:17〜21

(*起立のジェスチャー)

(*新来者が来られたとき)讃美歌21の後ろの方をお開きください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、会衆の方は、一段下がったところと太字のところをお読みください。(新共同訳交読詩編より)

 

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Peter HによるPixabayからの画像

メッセージ

誰に聞き従うか?

この人の言うことなら信頼できる……という人間を、私たちは日頃から探しています。感染症対策ならこの人に、時事問題ならこの人に、勉強の仕方ならこの人に、聞き従えば間違いない! 安心して委ねられる……そんな人物がいるとホッとします。世の中、間違った情報や偏ったアドバイスで溢れています。どれが正解か分かりません。

 

みんな正しいことよりも勝手なことを言いやすい。だから、誰の言うことが正しいか、誰に従えば間違いないか、信頼できる語り手を見つけたいと考えます。医者であったり、弁護士であったり、その道の研究者であったり、一部の専門家に話を聞き、その指示に従うようにする。

 

信仰者の場合は、神を第一に信頼し、その声に従うよう求められます。しかし、残念ながら、神様は直接語ってくれません。大昔は、人々に直接語っていましたが、だんだん一部の人を介するようになっていく……そしてモーセ以降は、神の言葉を直接預かる「預言者」を通して、人々にメッセージが語られました。

 

現在では、神の言葉を直接預かる「預言者」も、神の子であるイエス様から直接話を聞いた「使徒」もいません。専門的に聖書を勉強し、神学を修め、牧会に出る訓練を受けた人たちが、教会でメッセージを語っています。けれど、本当にその人のメッセージを「神の言葉」として受け取っていいのか、不安になるときがありません?

 

個人的な考えを言っているのか、神の言葉を語っているのか、どっちか分からないときがある。こっちの牧師とあっちの牧師で、言うことが違っていたりする。いったい誰を信頼するのが正解なのか? 誰に聞き従うのが的確なのか? 迷っている人も多いでしょう。

 

また、現代でも、直接神から啓示を受けた「使徒」や「預言者」を自称する人たちもいます。聖書に書いていないことも「神からこう言われた」と話し、信じるように迫ってくる。進路、職業、結婚相手、住む場所や所有していいものまで指示してくる。外から聞いていると、そんなの変だと思いますが、中にいると、本気でその人が預言者に思えてくる。

 

最初は単なるアドバイス、悩みを聞いてくれる良い人です。相談に来る人を真摯に励まし、個人預言もしてくれます。「もうすぐ仕事が見つかります」「近々、こういう人と出会います」……そして注意もしてくれる。「明日以降、問題が起きやすくなります」「家族に危険が迫っています」

 

本当かな?……と思っていたら、言われたとおりに事が進み、その人に従わないと、神の意思に背くことになる! と感じてしまう。そんな場面に遭遇したとき、果たして、これは本当に神の言葉か、勝手に言われているだけか、皆さんは判断できるでしょうか?

 

見分けられない?

先ほど読んだ聖書箇所には、預言が本物かどうかは、その預言が実現したか、しなかったかで判断できると書いていました。「その預言者が主の御名によって語っても、そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない。預言者が勝手に語ったのであるから、恐れることはない」

 

でも、預言者でなくても、ある人の未来を言い当ててしまうことがあります。試しに、私が言うことを心に留めてみてください。「来週、何か嫌な目に遭うでしょう」「来年度、あなたは大切なものを失います」「近々、離れていた人と再会するでしょう」「もうすぐ不可能だったことができるようになります」

 

これらは全て、当たる予言です。全部適当に言ったことですが、8割は的中するでしょう。なんなら、未来を過去に置き換えてみてください。ほとんどが現実に当てはまるはずです。「先週、何か嫌な目に遭った」「去年、大切なものを失った」「最近、離れていた人と再会した」「これまで不可能だったことができるようになった」

 

多少、時期がずれていても、的中したと感じるでしょう。良いことを予言されれば、その実現を願う人も、自ずとそうなるように行動します。身の回りの変化に注意し、自分自身も変わろうとする。反対に、悪いことを予言されれば、その実現を恐れる人も、自ずと敏感になってきます。普段は偶然で片付けることも、予言と結びつけてしまう。

 

そして、当たったことだけ頭に残る……私も、いくつかの正夢を覚えています。現実になってほしいこと、現実になったら嫌なことが、その通りになった夢……現実にならなかった夢もいっぱいあるはずですが、そっちの方はほとんど忘れています。他人からの予言も同じで、的中した言葉は記憶に残り、外れたものは残りません。

 

地震や火事を言い当てた誰かの言葉も、外れたものは覚えられず、当たったことだけが頭に残る……そう、誰かの言ったとおりになったからと言って、すぐ「預言者」と言えるわけじゃないんです。そうかと思えば、預言が外れたからと言って、その人は預言者じゃなかったと言い切ることも、聖書的には難しい。

 

なぜなら、「あと40日すれば、ニネベの都は滅びる」と言って実現しなかったヨナの事例があるからです。彼もれっきとした預言者で、神に選ばれた人物でした。しかし、ヨナの言葉を聞いて悔い改めた人々を見て、神様は町を滅ぼす計画を変更し、40日経っても彼の言ったことは実現しませんでした。

 

この例を出されると、もうどんな預言も、本物かどうか区別することができません。預言が的中しても、しなくても「預言者」の可能性がある。そして、この点を偽預言者や破壊的カルトはよく利用します。「何年何月何日に世界は滅びる」と予言して、外れてしまったカルト団体。そのほとんどが、教祖のおかげで終末が延期されたと説明します。

 

個人的な予言、「病気が治る」「子どもができる」といった内容も、外れたときには「あなたの祈りが、信仰心が足りないせいだ」と言われてしまう。これでは、預言が実現したか、しなかったかで、預言者を見分けることができません。そもそも、ヨナのように神が預言者として立てた人でさえ、神の言葉に反抗したり、従わなかったりすることがある。

 

実際、ヨナの他にも、神の言葉を直接聞いていたのに従わなかった人たちが、大勢聖書に記されています。今日読んだ神の言葉を取り次いだモーセ自身もそうでした。彼も、最初は自分が預言者として立てられるのを嫌がり、避けようとしました。民と一緒になって、神様に文句を言うときもありました。本物の預言者でさえ、神の言うことを聞かないのなら、いったい誰に従えばいいんでしょう?

 

聞き従うとは?

「わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける」……確かに、神様はモーセに約束したとおり、様々な預言者を立てて、人々を導いてきました。しかし、神に選ばれた預言者もまた、挫けたり、背いたりしてきました。

 

神様はその度に、彼らへ助ける者を送ります。誰々へ会いに行きなさい、誰々の所で休みなさい、誰々に仕事を引継ぎなさい……そして、預言者へ祈るように促す者や、正義を行うよう訴える者、世話する者、支える者と出会わせます。ときに叱咤し、ときに励まし、ときに諭して、新しく聞き従う者たちを。

 

神と預言者、預言者と民の関係における誠実さ……それが守られるように、教え、励まし、休ませながら「とりなす者」を立て続ける。神が立てられた人間に「聞き従う」というのは、まさに、その誠実さを守り続ける生き方です。

 

新型コロナウイルスが流行した当初、この教会で牧師として立てられていた私自身も、いくつも大きな判断を迫られました。礼拝を在宅でするか、会堂でするか? 聖餐式を休止するか、続けるか? 配信をやるか、やらないか? 寒くなってからの対応はどうするか?

 

十分な議論をする時間がない中で、思い切った方向へ進む際、共に役員として立てられていた人の中から、こう言ってくれる人たちがいました。「先生、間違っていると思ったら絶対止めますから、どんどん引っ張ってください」「これは違うと思ったら私が言います。思い切って進んでください」

 

信徒が牧師にこれを言うことが、どれほど勇気のいることか、どれほど信頼のいることか、私以上に、皆さんの方がよく分かっていると思います。そして本当に、彼らは違うと思ったことは意見して、より良い方法を一緒に考えてくれました。一緒に「神の言葉」「神の示す方向」を尋ね求め、聞こうとしてくれました。

 

あなたが主に背いたら、誤った方向に進んだら、私が一緒に止めますから、どうか思い切って引っ張ってください……これこそ、本当の信頼と誠実さだと思います。神が立てられた人間に「聞き従う」姿勢とは、まさにこの人たちが、私に示してくれた姿勢です。

 

「神と人、人と人との関係における誠実さ」……それを壊すような服従は、神様が命じた姿勢ではありません。自分に従うよう、思考を放棄させる言葉、人と人との間に極端な支配関係を生み出す言葉は、その人が勝手に語ったもので、主の語られたものではないんです。

 

現在では、神から直接啓示を受ける使徒も預言者も立てられていません。必要なメッセージは、彼らによって残された聖書を通して、受け取ることができるようになりました。そして、きちんとした文脈で、かつての歴史を踏まえた上で、神の言葉を誠実に伝えられるように、私のような牧師や司祭が立てられています……皆さんのとりなしを受けて。

 

どうぞ、私が神の名によって、勝手に語らないように、自分の都合で、あなたを支配しないように、一緒に神の言葉を聞いてください。一緒に尋ね求めてください。私も、あなたが勝手に神の言葉を曲げないように、神の道から外れないように、イエス様と一緒に、道を示していこうと思います。

 

讃美歌

会堂の窓を開放しましょう。マスクをしたままで、(讃美歌21)463番「わが行く道」の1、3節を歌います。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。(*起立のジェスチャー)

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。使徒信条(讃美歌21の93-4Aです)。

 

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

紹 介

本日、初めて来られた方で、ご了承いただいた方のみ、案内した方と一緒にお立ちください。ようこそいらっしゃいました、神様の平和が皆さんと共にありますように(拍手)。配信に乗らないように、お名前は後ほど紹介させていただきます。

 

とりなし

本日、ここに招かれた人たちで、とりなしの務めを果たしましょう。お手元にあるとりなしの祈りの用紙をご覧ください(持っていない方がおられたら、近くの方と一緒にご覧ください)。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた最も基本的な祈り、『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです(*起立のジェスチャー)……主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

(*新来者が来られたとき)献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の維持や運営、地区や教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、受付で配られた袋をそのままお入れください。

 

讃美歌

オンライン讃美歌『わたしたちは旅人』(©柳本和良)を歌います。マスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

(*起立のジェスチャー)

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

父がわたしを世にお遣わしになったように、わたしもあなたがたを世に遣わします。(ヨハネによる福音書17:18より)

 

主がすべての災いを遠ざけてあなたを見守り、あなたの魂を見守ってくださるように。

あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。(詩編121:7〜8)