聖書研究祈祷会 2020年12月2日
案 内
現在、華陽教会の聖書研究祈祷会は、配信に載せる第一部と、配信後、時間のある人と質問や感想を分かち合う第二部に分けて行っています。牧師に相談やお話がある方は、ぜひ、配信後も2階集会室へおいでください。
讃美歌
それでは、第一部「聖書研究会」を始めます。最初に、讃美歌21の35番「主よ、あわれみたまえ」を歌いましょう。飛沫感染を避けるため、マスクをしたままで歌います。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆人と人との間におられる私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、水曜日の聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を必要としている人を祝福してください。
◆私たちの神様、長年、教会と地域のために仕えてきた私たちの友であり、兄弟である方の葬儀が、月曜日に行われました。どうか今、彼の家族をはじめとして、親しい方を見送った方、特に遺族・近親の方々に、あなたの慰めを与えてください。
◆私たちの神様、今週からキリストが再びこの世にやってくる日を求めつつ、イエス様の誕生を祝う準備をするアドヴェントに入りました。どうか今、クリスマスの礼拝や祝会、幼稚園の行事などを準備している一人一人に、必要な用意をさせてください。
◆私たちの神様、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、この教会も、芽含幼稚園も、済美高校、中部学院大学も、必死に工夫を凝らしています。どうか今、それでも感染する人たちが心身共に守られて、ケアする人も支えられるよう導いてください。
◆私たちと共におられるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。イザヤ書15:1〜16:5(新共同訳より抜粋)
*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。 |
メッセージ
今週からアドヴェントに入り、幼稚園の子どもたちもページェントの練習が始まりました。毎年、この時期になると、礼拝で読まれる聖書箇所にも、子どもたちに聞かせるお話にも、多くの外国人が登場するようになってきます。イスラエルから見た外国人、いわゆる異教徒の人間は、通常、神を恐れず、信仰を持たない存在です。
聖書の中では、しばしば「滅び」や「裁き」が宣告される、神に従わない罰がもたらされる存在として、私たちの目に入ります。けれども、そんな外国人がクリスマスになると救い主、神の子であるイエス様を最初に礼拝した者として出てきます。また、イエス様が殺されそうになった際、避難する場所、受け入れてもらう国としても出てきます。
色んな人が認められる。国や信仰が違う人たちも受け入れられる。そんな社会を目指している、望んでいる現代の多くの人にとって、これらは少し安心できるエピソードです。一方で、今まさに教会で読むよう指示されている聖書箇所には、旧約の時代、多くの国々に語られた裁きの言葉が出てきます。
先ほど読んだイザヤ書15章では、13章から始まったバビロン、アッシリア、ペリシテに対する裁きに続いて、モアブの破滅が語られます。この辺りに出てくる預言者の言葉は、たいへん荒々しく、異教徒や敵に対する容赦ない態度が見て取れます。非常に攻撃的で、排他的に感じますよね?
実際、多くの預言者が語る言葉は、だいたいにおいて「救い」と「滅び」がセットになって出てきます。ある者は生き残り、ある者は殺される。「助かる者」と「滅びる者」が、明確に分かれるイメージです。ちょうど、「本当のクリスマス」を知っている、祝っている教会が「そうでない未信者」に、自分たちは他と違うと主張しているかのようです。
確かに、ほとんどの異教徒は、本当の神を信じない、神に敵対する者として、ひたすら断罪されています。今回、破滅の預言が語られているモアブについても、同様に無慈悲な裁きが宣告されます。けれども、モアブ人のたどる道筋は、イスラエル人がたどった道筋と非常によく重なっています。今日は少し、「私たちとは違う」と思われやすい異邦人について、本当に違うと言えるのか、一緒に見ていきたいと思います。
モアブという名前は、ヨルダン川と死海の東に広がる地域、そこに住んでいた民族を指します。最初に登場するのは創世記19:36で、イスラエルの祖先であるアブラハムの甥ロトと、ロトの長女の間にできた息子につけられた名前です。その後、彼の子孫もモアブ人と呼ばれるようになりました。ようするに、近親相姦で生まれた民族です。
もともとは、イスラエル人の親戚のような関係であるため、申命記2:9では「モアブを敵とし、彼らに戦いを挑んではならない」と命じられています。彼らの土地は、神様がロトの子孫に与えた領地として、イスラエル人も奪ってはならないと言われていました。つまり、モアブ人も神様に守られている民だったんです。
また、サムエル記上22章では、後にイスラエルの王となる青年ダビデが、サウルに命を狙われた際、モアブの王に匿ってもらったことが書かれています。ある意味、イスラエルの恩人です。他の民族に比べても、モアブ人とイスラエル人の関係は、比較的良好なものでした。
一方で、イスラエルの歴史上、モアブ人は徹底して、国の中から排除されていく存在でした。申命記23章では、モアブ人とアンモン人は、主の会衆(神を礼拝する共同体)に加わることができないとされ、ネヘミヤ記13章でも、しつこくそのことが繰り返されます。
彼らはイスラエル人にとって、否定的な印象を持たれることが多く、その理由は近親相姦で生まれたルーツと、偶像礼拝などに関連して言及されます。浮気によって生まれた子ども、娼婦の腹から生まれた子どもが、あまり良い印象を抱かれないのと似ているでしょう。
彼らはそのルーツゆえに、イスラエルに良くないもの、異教や淫行をもたらしてしまう不吉な存在と見られていました。バビロンやアッシリア、ペリシテなどのように、特別イスラエルを困らせた敵ではありませんでしたが、汚れを持ち込む忌むべき存在として、長年毛嫌いされてきました。
そんなモアブの民に対して、神のお告げが下ります。一夜のうちに、モアブの二大都市であるアルとキルが略奪され、滅ぼされてしまうという預言です。モアブの使者は、かつてダビデを匿ったように、自分たちをエルサレムに匿ってほしいとイスラエルに訴えます。けれども、彼らに返された6節以下の返答は、何とも冷たい反応です。
「我々はモアブが傲慢に語るのを聞いた。甚だしく高ぶり、誇り/傲慢で奢っていた。その自慢話はでたらめであった。それゆえ、モアブは泣き叫べ。モアブのすべての者は泣き叫べ。キル・ハレセトで供えたぶどう菓子のゆえに、お前たちは打ちのめされて呻け」……ようするに「偶像礼拝をしたお前らが悪い!」と返すんです。
ここまで言われたら、ちょっと庇いたくなりますよね? 「神様、我々イスラエル人だって、高ぶり、奢り、傲慢だったときがありました。でたらめな自慢話を語り、聖なる高台で異教の神々の象を拝んだこともありました。どうか、我らの親戚であるモアブの民もお赦しください。彼らの姿は、かつての私たちと同じです」
実際、イザヤに下った託宣の中には、モアブに同情し、憐れんでいる神の様子も見え隠れしています。「わが心は、モアブのために叫ぶ」「わがはらわたはモアブのために/わが胸はキル・ヘレスのために/竪琴のように嘆く」……けれども、これを聞いたイザヤをはじめ、イスラエルの人々にモアブをとりなす様子はありません。
託宣の中には、何度もかつての自分たちを彷彿とさせる描写が出てきます。「ニムリムの水は干上がり、草は枯れ、青草は尽き、緑はなくなった。それゆえ、彼らは蓄えた富と家財を携え/アラビムの川床を渡る」……イスラエル人も、度々酷い飢饉に襲われては、家の財産を携えて、周囲の国々へ移り住みました。
7年にわたる飢饉に襲われ、エジプトへ移ったヤコブの家族。そして、士師の時代に飢饉に襲われ、モアブに移り住んだナオミの家族……難民としてさまよう姿は、バビロンやアッシリアに攻め込まれ、エルサレムから逃げざるを得なかった自分たちを思い出させます。
使者を立て、貢ぎ物を送ることで、周囲の国から守ってもらおうとしたことも似ています。結局、モアブ人は完全には滅ぼされず、わずかな者が残されるという14節の最後の預言も、イスラエルにわずかな「残りの者」が帰還する、と語られた10章20節の預言と重なります。
異教徒であり、汚れた民族として悪名高いモアブ人ですが、そのたどった道筋は、神の民として選ばれたイスラエル人と変わりません。イザヤ書には、この前にも後にも、異教徒や敵に対する破滅の預言が語られますが、その間にはイスラエルへの裁きと警告も語られます。
結局のところ、異教徒や敵に対する容赦ない結末を語る言葉は、信仰者という自覚を持った共同体も、彼らと変わらない道を歩んできた、彼らと変わらない結果に至った……という残念な事実を暴き出します。神から特別に選ばれてなお、神に従えない人たち。けれども、そんな全ての人間に、神様は慈しみをもって新しい王を立てられると宣言します。
「まことに、地上から虐げる者はうせ/破壊する者は滅び、踏みにじる者は絶える。そのとき、ダビデの幕屋に/王座が慈しみをもって立てられ/その上に、治める者が、まことをもって座す。彼は公平を求め、正義を速やかにもたらす」……新約聖書を記した人々は、この新しい王こそ、救い主として生まれてきたイエス様だと理解しました。
そして、イエス様が生まれてくるのは、まさに、モアブの娘であるルツの子孫という異教徒の血が入った人からです。「神を礼拝する共同体に加わえてはならない」と排斥されていたあの民族から、イスラエルどころか全ての国、全ての人を救い出す神の独り子が生まれてくる……クリスマスの出来事って、ものすごくショッキングな出来事です。
だからこそ、このショッキングな事実から、私たちは自分が、周りが排斥されるとき、外へと追いやられてしまうとき、このような者こそ、神様が救い出そうと独り子を送ってくださった存在なんだと思い出せます。裁きを宣告され、滅びを預言され、容赦なく断罪されるような者であっても、神様はそこから救いの業を広げるんです。
共に、クリスマスまで、この方の行なった様々な奇跡と業を味わいつつ、静かに準備していきたいと思います。
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(岡山県倉敷市の天城教会)のために、難病や重病にかかっている人のために、ケアや介護をしている人のために、宗教二世の人のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆岡山県倉敷市の天城教会のために祈ります。創立136周年を迎えたこの教会に、あなたの祝福が豊かにありますように。地域の文化財として建つ会堂が、これからますます用いられ、様々な人が集える場所となりますように。
◆難病や重病にかかっている人のために祈ります。治療が困難な人たちや、病気そのものがよく知られていない人たちに、あなたの励ましがありますように。それぞれに必要な助けと癒しがもたらされますように。
◆ケアや介護をしている人のために祈ります。新型コロナ感染症の第3派の到来によって、ますます困難な状況に立たされている現場の人に、あなたのお支えがありますように。心も体も守られるように、十分な人手と休息が与えられますように。
◆宗教二世の人のために祈ります。「信じる自由」「信じない自由」を与えられず、社会との関わりを限定され、隠された抑圧の中で生きてきた人たちに、あなたの憐れみがありますように。周りの理解と支援、つながりがそれぞれにもたらされますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌「心騒ぎ不安になる夜に」を歌いましょう。こちらも、飛沫感染を避けるため、マスクをしたままで歌います。
主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。
以上で第一部「聖書研究会」を終わります。配信後、時間のある方は飛沫防止用のパーテーションをつけた2階集会室で、質問や感想などを分かち合う第二部「分かち合い」のときを持とうと思います。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。