ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『重くて面倒くさい自分』 ゼファニヤ書3:11〜20

聖書研究祈祷会 2020年12月9日


『重くて面倒くさい自分』聖書研究祈祷会 2020年12月9日

 

案 内

現在、華陽教会の聖書研究祈祷会は、配信に載せる第一部と、配信後、時間のある人と質問や感想を分かち合う第二部に分けて行っています。本日は牧師が不調なので、申し訳ありませんが、第二部の分かち合いを休止し、第一部のみ行わせていただきます。

 

讃美歌

それでは、第一部「聖書研究会」を始めます。最初に、讃美歌21の241番「来たりたまえわれらの主よ」を歌いましょう。飛沫感染を避けるため、マスクをしたままで歌います。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆人と人との間におられる私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、水曜日の聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を必要としている人を祝福してください。

◆私たちの神様、アドヴェント第2週目の水曜日を迎えました。クリスマスまで残り2週間となり、それぞれがイエス様の誕生を祝う準備をしています。どうか今、私たちに必要なものを示し、整える力を与えてください。

◆私たちの神様、今度の日曜日には、隠退教師の先生がメッセージをしてくださいます。どうか今、全国の隠退教師と、そのご家族の生活を守ってください。そして、教団年金局で奉仕されている一人一人を支えてください。

◆私たちの神様、新型コロナ感染症の第3派の到来によって、再び教会に集まること、賛美歌を歌うこと、聖餐式を行うことが難しくなっています。どうか今、何を選択し、何を変えるべきか、誠実に見極めさせてください。

◆私たちと共におられるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ゼファニヤ書3:11〜20(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

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mohamed HassanによるPixabayからの画像

メッセージ

旧約聖書には、神様が悪を一掃する際、罪人と一緒に滅ぼされないよう、その裁きから守られる「残りの者」を選ぶ話が、所々に出てきます。それは、王の圧政に苦しめられ抵抗してきた人であったり、正義を行おうとして迫害された人であったり、最後まで神に従おうとして踏ん張ってきた人であったり、いわゆる「善人」とされる人たちです。

 

神様が不法に満ちた世界を見て、「滅ぼし尽くす」と言う場合、それは完全な、徹底的な絶滅ではなく、たいていは滅びを免れる者が存在し、回復の預言が与えられます。ゼファニヤ書の終わりにも、神に背いたイスラエルに、破壊と滅亡がもたらされる際、神に選ばれた「残りの者」は、敵にも災いにも襲われないと書かれていました。

 

しかし、13節に記された残りの者たちの姿は、ちょっと私たちからかけ離れています。「イスラエルの残りの者は/不正を行わず、偽りを語らない。その口に、欺く舌は見いだされない。彼らは養われて憩い/彼らを脅かす者はない」……間違いを犯さず、嘘を言わず、誰かを欺くことがない。ほとんど聖人のレベルに見えるのは私だけでしょうか?

 

実際、ダニエル書では「残りの者」を「目覚めた人」というふうに呼んで、詩編では「聖者」「聖徒」と記されています。彼らは、死後の復活を約束されていて、救い主がこの世に来られる終わりの日、再び神様のもとへ集められることが預言されていました。そして、新約聖書では、神の子であるイエス様を信じる者こそ、「残りの者」だと語られます。

 

でも実際に、イエス様を信じて教会に集まっている私たちが、自分自身を振り返って、「私は残りの者とされている」と感じられるかは微妙です。正直、かつて預言されていたような、素直で忍耐強い人間だとは思えない。むしろ、私は神様から見て、重くて面倒くさい人間じゃないか?

 

何しろ、信仰を告白してからも、やっぱり神様を信じられなくなったり、聖書の話につまずいたり、人を見捨てたり裏切ったり、神様が期待する姿とは裏腹の生き方をしてしまいます。「不正を行わず、偽りを語らない。その口に、欺く舌は見いだされない」と胸を貼って言えないことは、自分自身がよく知っています。

 

実は私も、終わりの日に神様から滅ぼされてしまう、罪人の一人なんじゃないか? 裁きを免れる条件を満たしていない者じゃないか? そう思って、不安にさせられるかもしれません。こういった、裁きと救いについての記述は、だいたい厳しい語りかけが多いですから。

 

でも、思い返すと、今まで神様が「残りの者」として選んできた人間って、聖人、聖者とはとても言えない人たちでした。たとえば、有名なノアの箱舟では、無垢で正しい人間として、ノアとその家族が神に選ばれ、洪水による絶滅を免れたことが書かれていました。しかし、ノアは人類初の酔っ払いで、裸を見られた腹いせに、孫を呪った男です。

 

ソドムとゴモラの話では、イスラエルの先祖アブラハムの甥であったロトが、娘たちと一緒に、悪名高いソドムで滅亡から免れたことが書かれています。たった3人だけが、神の裁きを免れて、残りの者として助かった。けれども、ロトは人類初の引きこもりとなり、娘たちとの近親相姦で子孫を残した人物です。

 

出エジプトの話では、金の子牛の象を造って、神の代わりに拝んでしまったイスラエル人が、一気に滅ぼされてしまう話が出てきます。けれども、悔い改めて神に従った一部の者だけが、何とか滅びを免れて、生き残ることができました。それなのに、生き残ったイスラエル人も、しばらくすると、また神様に背くようになります。

 

そう、様々な神の裁きにおいて「残りの者」として守られてきた人々も、実は、素直で忍耐強い者ではなく、重くて面倒くさい人たちでした。すぐ神様のことを忘れ、不平不満を呟き、自分勝手に生きてしまう。期待した神様を振り回してしまう。普通だったら切り捨てられる、残され得ない人たちです。

 

でも、神様はそんな私たちを切り捨てられないお方なんです。自分自身の過ちが元で、各地に散らされ、追いやられ、苦しんできた者たちを、再び集めて語られる。だから、イエス様は、後に自分を見捨てる者たちへ、裏切ってしまう者たちへ、繰り返し呼びかけられました。「目を覚ましていなさい」……目覚めた者、残りの者となりなさい。

 

神様は、今もあなたを捨てる気はないと。意地でも連れ戻すつもりだと。あなたが変化し、新しくなることを、あなた以上に確信し、期待して待っているんだと……クリスマスまで、残り2週間を切りました。共に、聖書の言葉に耳を傾け、目を覚まして、その日に備えましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(岡山県笠岡市の笠岡教会)のために、芽含幼稚園のために、済美高校のために、中部学院大学のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆岡山県笠岡市の笠岡教会のために祈ります。この教会で牧師をしている先生と、集まっている教会員の健康と安全をお守りください。そして、次世代へ信仰をつないでいくことができるように、一人一人の思いと言葉と行いを用いてください。

◆芽含幼稚園のために祈ります。クリスマスに向けてページェントの練習をしている子どもたち、感染症対策に奔走する先生がたに、あなたの恵みがありますように。そして、保護者の心と体も支えられますように。

◆済美高校のために祈ります。受験が近づいている人、就職を目指している人、それぞれにあなたの祝福がありますように。進路や勉強、人間関係に悩み疲れ、挫けている生徒や先生、保護者のことも助けてください。

◆中部学院大学のために祈ります。資格試験や就職活動、サークルや部活の内容、寮や学内での感染症対策、様々なことに心を割いて、学ぶ力も働く力も失われてきた人たちに、あなたの助けと労いがありますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌「歌い、踊り、跳ね、笑い、叫べ」を歌いましょう。こちらも、飛沫感染を避けるため、マスクをしたままで歌います。

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。

 

以上で第一部「聖書研究会」を終わります。配信後、時間のある方は飛沫防止用のパーテーションをつけた2階集会室で、質問や感想などを分かち合う第二部「分かち合い」のときを持とうと思います。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。