ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『求められない神』 イザヤ書7:10〜14

クリスマス礼拝 2020年12月20日


『求められない神』クリスマス礼拝 2020年12月20日

 

案 内

礼拝前に感染症対策についてアナウンスがあります。寒くなってきたので、礼拝の中で3度、最初の讃美歌と、交読文と、メッセージ後の讃美歌の間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。後ろにいる方は窓の開閉にご協力ください。

 

また、室内の人数が16名を超えた場合は、体に無理のない方、目や耳が悪くない方に、ロビーや3階集会室、2階配信部屋への移動をお願いしています。ご協力どうぞよろしくお願いします。それでは前奏を聞いて、神様を礼拝する準備をしましょう。

 

招 詞

良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな/ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神/見よ、主なる神。(イザヤ書40:9b〜10a)

 

讃美歌

会堂の窓を開放しましょう。マスクをしたままで、旧讃美歌521番「イェスよ 心に宿りて」の1、4節を歌います。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。(*起立のジェスチャー)

 

お祈り

(*着席のジェスチャー)共に祈りを合わせましょう。

 

◆全ての者の救い主である私たちの神様。アドヴェント第4週目の朝をみんなで迎えられたことを感謝いたします。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆全ての者の助け主である私たちの神様。クリスマスを前に、喜ぶ気持ちになれない人を憐れんでください。どうか今、怒り、悲しみ、悔しさに覆われた人を解放し、あなたの恵みを受け取らせてください。

◆全ての者の癒し主である私たちの神様。クリスマスを前に、傷つき痛んでいる人を回復してください。どうか今、心と体と魂が震えている一人一人を、見えるところも見えないところも癒してください。

◆全ての者の裁き主である私たちの神様。クリスマスを前に、過ちを犯してしまった人に寄り添ってください。どうか今、新しい生き方をもたらすあなたの手で、必要な気づきと勇気を与え、和解と平和を導いてください。

◆貧しい者、弱い者、悔いる者の友なる主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。イザヤ書7:10〜14、ルカによる福音書2:1〜7(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

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Bruno /GermanyによるPixabayからの画像

メッセージ

人から期待されなくなる、家族に頼ってもらえない、友達が助けを求めない……チクリと胸を刺す状況が、度々あなたを訪れます。既に経験がある人もいるでしょう。とんでもない事態になっても相談してくれない「あの子」。むしろ、何でそんな人に?……というところへ頼り始め、状況がどんどん悪化していく。

 

親しい人が、大切な人が、自分から離れて悲惨な目に遭っていくのを、悔しい思いで見つめてる。お願いだから、まともなところに、どうか私に頼ってくれ……何度もそう訴えるけど、向こうの心に届かない。親であれ、子であれ、友であれ、苦しんでいる人から助けを求められないのは、本当に切ない気持ちです。

 

2000年前、いえ、それよりもさらにずっと前から、誰よりもその気持ちを味わってきた方がいました。なんとそれは、全知全能である、私たちの神様です。何でもできる、無敵の力を持つ方が、愛する人から頼ってもらえず、求めてもらえず、繰り返し嘆いていたんです。

 

かつて、アラムとエフライム、2つの国から包囲されたユダの王、アハズに対して、神様は自ら呼びかけました。「主なるあなたの神に(つまり私に)、しるしを求めよ(助けを求めよ)」……親友の私を頼ってくれ、母親の私に相談して……そんな呼びかけに対し、アハズはこう返します。

 

「わたしは求めない。主を(あなたを)試すようなことはしない」……あなたに迷惑はかけたくない。大丈夫、自分でできるから……そう言いつつ、彼は近くの大国、アッシリアの王に助けを求めて、属国になることを選択します。いじめに困った人が、ヤクザに頼るようなもの……本当に助けたい者にとっては、非常にもどかしいですよね。

 

でも、アハブにとっては、神様に頼ることより、アッシリアに頼ることの方が、現実的な解決でした。即効性があって、すぐさま結果が得られる。敵対する者を怯えさせ、攻め込まれる不安を無くしてくれる。親や友人に相談するより、自分のタイミングで手っ取り早く「解決」することができました。

 

ただし、根本的な問題は解決しません。今度は自分の頼ったアッシリアが、アハズを、ユダを苦しめます。支配的な関係を作り、自分たちを隷属させ、抜け出すことができなくなる。求めていなかった現実がやってきます。

 

それを知っている神様は、いくら言っても聞かないアハズに対し、もどかしい思いを告げながら、預言者にこう言わせます。「わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。」

 

私に助けを求めない、私から離れていくあなたへ、あなたが頼れる人を送ろう。あなたの側で話を聞き、あなたの痛みに寄り添って、あなたを救う者を送ろう……そうして、2000年前の今日、貧しい大工の家庭に一人の赤ん坊が生まれました。そう、聖霊によって身ごもった救い主、イエス様です。

 

けれども、この赤ちゃんは当初、人々に望まれていませんでした。母マリアは婚約者のヨセフと、まだ結婚もしていませんでした。関係を持っていませんでした。どう考えても、妊娠したら困る状況でした。ヨセフもまた、マリアに子どもができたのを知って、最初は別れようとしました。夫婦が祝福できる状況とは、ちょっと言えないムードでした。

 

生まれてくるタイミングも最悪でした。ローマの皇帝から住民登録を命じられ、出産が近いのに、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムまで長距離を移動しなきゃならない。しかも宿屋はどこもいっぱいで、家畜小屋しか空いていない。一番生まれてほしくない、求めていないタイミングです。

 

さらに、この子が生まれた知らせを聞いて、イスラエルの首都エルサレムの人々も、喜ぶどころか不安になりました。当時、彼らを治めていたヘロデ王は、自分の地位に固執して、残虐な行為もする人でした。「神様の約束していた救い主、新しい王が誕生した」と耳にすれば、何をしでかすか分かりません。最も巻き込まれやすいのは自分たちです。

 

案の定、ヘロデ王は赤ん坊の居場所を見つけ出して殺そうとします。町の人々も、祭司や学者たちも、恐れてそれに協力します。本来、みんなが求めるはずの救い主は、実は非常にアウェイな存在でした。苦しんでいる人のために来たけれど、人々に求められるどころか、喜ばれず、つまずかれ、否定されました。

 

神の子の誕生を祝うクリスマス……その最初の年は、はっきり言って、ほとんど歓迎されなかったときでした。同胞のイスラエル人で、赤ちゃんの誕生をお祝いしたのは、野宿をしていた羊飼いだけでした。他はそれこそ、イスラエルを攻め滅ぼしたアッシリアやバビロニアのあった東の国の外国人……かつての天敵と言える存在でした。

 

神様がずっと前から守ってきたイスラエルの家の中で、この子を拝み、一緒に喜んだ人は少なかったんです。ちょうど、子どもの誕生を、親戚や友人から、自分が一番大切にしている人たちから、喜んでもらえない人たち、誕生日を、一緒に祝ってもらえない人と似ています。

 

けれども、イエス様は、自分を求めていなかった人たちに、大きな喜びをもたらしました。天使を通して「恐れることはない」と言われ、赤ん坊に出会ったマリアは歌い、ヨセフは踊り、羊飼いたちは笑います。神様を頼ろうとせず、イエス様につまずいていた人たちも、やがて、イエス様に「助けて」と言える存在になっていきます。

 

求められなかった者は求められる者となり、頼れなかった人は頼れる者となっていく……神様と人との関係が回復し、人と人との間にも、和解と平和がもたらされる。別れるはずだったマリアとヨセフ、共に礼拝するはずのなかった羊飼いと外国人、彼らの関係が変わっていくように、イエス様と出会う現代の私たちも変わっていきます。

 

神様は、人から求められない者の痛みと、助けを求められない者の痛みを、誰よりもよくご存知です。その硬直した関係と、誰よりも向き合ってきた方です。この方の粘り強さは、全ての者を救います。あなたが「救えない」「救われない」と思う者さえ、インマヌエル(神、我らと共にいます)と呼ばれる主が、どこまでも付き合ってくださいます。

 

アドヴェントクランツに4本の火が灯りました。今こそ、この方の誕生を祝い、この方との出会いを喜び、この方との再会を求めて、共に賛美をささげましょう。

 

讃美歌

会堂の窓を開放しましょう。マスクをしたままで、(讃美歌21)356番「インマヌエルの主イェスこそ」の1、2節を歌います。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。(*起立のジェスチャー)

 

紹 介

本日、初めて来られた方で、ご了承いただいた方のみ、案内した方と一緒にお立ちください。ようこそいらっしゃいました、配信に乗らないように、お名前は後ほど紹介させていただきます。神様の平和が皆さんと共にありますように(拍手)。

 

とりなし

本日、ここに招かれた人たちで、とりなしの務めを果たしましょう。お手元にあるとりなしの祈りの用紙をご覧ください(持っていない方がおられたら、近くの方と一緒にご覧ください)。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた最も基本的な祈り、『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです(*起立のジェスチャー)……主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

愛 餐

本日は、信仰を告白した人があずかる聖餐式に代わって、共に礼拝をささげる全ての人と神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。

 

なお、本日は接触感染と飛沫感染を防ぐため、先にカップを配らせていただき、感謝の祈りをささげた後、一人一人に水を注がせていただきます。係の方は、アルコール消毒をして、カップの配布をお願いします。(*司式者、配餐者は手指の消毒をする)

 

食卓への招き

(*この間に配餐者はカップを配る)

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」

 

主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を受け取って、共に食事を味わいましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげます。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

分かち合い

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、このパンと水は、信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。どうぞ、用意されたパンと水を受け取って、神の祝福にあずかりましょう。

 

(*配餐者はパンを配る)

主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

 

(*配餐者はカップに水を注ぐ)

主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

会堂の窓を開放しましょう。マスクをしたままで、オンライン賛美歌「歌い、踊り、跳ね、笑い、叫べ」(詞:柳本和良、曲:滝田真治)1、2節を歌います。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

(*新来者が来られたとき)献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の維持や運営、地区や教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、受付で配られた袋をそのままお入れください。

 

讃美歌

オンライン讃美歌「歌い、踊り、跳ね、笑い、叫べ」(詞:柳本和良、曲:滝田真治)3、4、5節を歌います。(*起立のジェスチャー)

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げよ。(イザヤ書52:7より)

 

祝 福

神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)