ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『困ったことになった』 マタイによる福音書3:13〜17

日曜礼拝 2021年1月10日


『困ったことになった』日曜礼拝 2021年1月10日

 

案 内

昨日、岐阜県で非常事態宣言が出たことを受け、今週から当分の間、会衆が集まる礼拝を休止し、配信等による在宅礼拝へ切り替えることになりました。共に今日、見えない教会に集められていることを覚え、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

招 詞

また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。(ローマの信徒への手紙6:13)

 

讃美歌

旧讃美歌300番「みそらのかなたに」を歌います。54年版讃美歌をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

共に祈りを合わせましょう。

 

◆聖霊を豊かに注いでくださる私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始められました。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆愛と憐れみに富む私たちの神様。首都圏の緊急事態宣言に続き、岐阜県でも非常事態宣言が出されました。この日を予想しながら必死に対策してきましたが、各々自宅での礼拝となりました。どうか今、見えない教会に集まった一人一人を守ってください。

◆癒しと回復を導く私たちの神様。各家庭でも、病気のため、怪我のため、体調のため、起き上がって礼拝を守ることができない人たちがいます。どうか今、それぞれにあなたの御手を伸ばし、希望と喜びを与えてください。

◆力と正義をもたらす私たちの神様。医療においても、福祉においても、経済においても為すべきときに、為すべきことをできない日々が続きます。どうか今、悩み、苦しみ、葛藤している一人一人に、あなたの知恵と、勇気と、励ましをもたらしてください。

◆今、私たちを新たにされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書3:13〜17(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp 

交読文

共に、詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編2:1〜12

(*起立のジェスチャー)

(*新来者が来られたとき)讃美歌21をお持ちの方は、後ろの方をお開きください。配信では私が全て読みますが、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(新共同訳交読詩編より)

 

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rony michaudによるPixabayからの画像

メッセージ

困ったことになりました。メッセージにこのタイトルをつけたときは、まさか日曜日の前日に、会衆が集まる礼拝を休止し、配信等による在宅礼拝へ切り替えるとは、思ってもいませんでした。5月以来、この日を予想して、次こそは何とか教会で礼拝を続けられるように、できる限りの模索と対策をしてきたからです。

 

しかし、私の中にあった「こうすべき」「こうやるべき」という正しさは、集まる人の安全と地域に対する責任を一緒に考えてくれた人によって、違う方向へ変えられました。様々な知見と思いを共有してくださる隣人が与えられたことに、本当に感謝しています。誰からも、何も言われなければ、私は今日、自分のやり方に固執していたと思います。

 

「正しい」と思っていることが、「こうすべき」と思っていることが、思ってもみないタイミングで、思ってもみない人によって打ち砕かれ、戒められ、新しい行動を促されるときがあります。時にそれは、周りの者から見ても、ショックを感じる出来事です。まさに今日、私たちに与えられた聖書のエピソードも、その一つと言えるでしょう。

 

神の子であるイエス様が、洗礼者ヨハネのもとへ、バプテスマを受けにやってきた……洗礼者ヨハネというのは、イエス様がこの世へ受け入れられるために、少し前に、神様から遣わされていた人物です。

 

自分たちの犯した罪によって、神に怒られ、排除されるはずの人たちを憐れみ、神の国へ迎えてくれる救い主がやって来る。だから、悔い改めて洗礼を受けなさい。罪を告白して赦してもらい、神の国にふさわしい者となりなさい。

 

そう言って、一人一人の過ちを追及し、間違いを正して、悔い改めにふさわしい生き方を見せるよう、促してきた人でした。今、私たちがキリスト教会で行っている洗礼「バプテスマ」よりも、この時の洗礼は、自分が罪人であること、それを赦してもらうために、「私は罪を自覚しました」と公表する要素が、いっそう強いものでした。

 

その洗礼を受けるため、イエス様が自分のところへやって来た。ヨハネは驚愕したでしょう。自分がみんなに勧めている洗礼は、「私は罪を自覚しました」「悔い改めて新しい生き方を始めます」というしるしです。それを、何の罪も犯してない方が、神の子である救い主が、「自分も受ける」と言い始めたんです。

 

いやいや、私がみんなに洗礼を授けて、悔い改めるよう迫っているのは、救い主であるあなたを、みんなが迎えられるようにするためです。罪人である私たちを救いに来てくれたあなたが悔い改める必要は、どこにもないじゃないですか? むしろ私こそ、あなたから「悔い改めなさい」と言われるはずの人間です。

 

彼はめちゃくちゃ慌てました。たとえとしてはふさわしくないかもしれませんが、自分がイエス様に洗礼を授けることは、「釈迦に説法」と言われてもおかしくない状況です。困ったことになりました。自分たちを助ける救い主に、罪人が受けるべきしるしを授ける……どう考えても正しくありません。

 

けれども、イエス様は静かにヨハネを諭します。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」……自分がイエス様に洗礼を授けるのは正しくない! と思っているヨハネに、これは正しいことなんだ。あなたと私にとって、ふさわしいことなんだと、はっきりイエス様は言うんです。

 

そう、イエス様が洗礼を受けること、罪を自覚したしるしを受けることは、本来、ありえないことでした。しかし、イエス様は洗礼を受けて、罪を告白して、新しい生き方へ変わろうとしている人たちに、自分も罪人と同じところにやってきた、あなたと同じところにやってきた、と見える形で示したんです。

 

さらに、「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに」と言うヨハネに対し、イエス様は、彼の授ける洗礼に、罪の自覚と悔い改め以上の役割があると示します。それは、預言者が王に油を注いで、神に立てられた者であると示してきたように、ヨハネも洗礼によって、イエス様が救い主メシアであることを示すようにされた、ということです。

 

実際、イエス様がヨハネの洗礼を受けて、水の中から上がられたとき、神の霊が鳩のように降ってくるのが見えました。そして、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえ、イエス様が神に遣わされた独り子であることが示される場となりました。

 

ヨハネは「釈迦に説法」をする者ではなく、「王に油を注ぐ」者として、神の子に仕える者として、正しく用いられたんです。それは、自分自身の抱える罪、悩み、愚かさに囚われた人間には、すぐ理解できないことでした。しかし、イエス様は理解の追いつかない、自信のない人たちに、それでも「我々にふさわしいこと」を行わせようとしてくれます。

 

今日、私たちの多くは、この礼拝がふさわしくないと思っているかもしれません。自分なんかの家でするのは、正しくないと思っているかもしれません。しかし今、皆さんのいる場所こそ、イエス様が洗礼を受けに来た、ヨハネが戸惑いを覚えた、あの場所に他ならないんです。罰当たりなことをしている……と感じる人たちを、イエス様は自分の祭司として、預言者として、正しく用いられるんです。

 

さあ、顔を上げて、正しいことをすべて行いましょう。我々にふさわしいことを行いましょう。困ったことになった今こそ、神の霊が目の前に降るのを、共に目にするときだからです。

 

讃美歌

讃美歌21の513番「主は命を」を歌います。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。使徒信条(讃美歌21の93-4Aです)。

 

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた最も基本的な祈り、『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

 

讃美歌

オンライン讃美歌「あなたの内なる人を」(©️柳本和良)を3回繰り返して歌います。オンライン讃美歌は、日本基督教団鈴蘭台教会のホームページから、楽譜を見ることができます。今回は覚えやすい曲なので、1回目は聞いて、2回目から歌い出してみましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

父がわたしを世にお遣わしになったように、わたしもあなたがたを世に遣わします。

(ヨハネによる福音書17:18より)

 

願わくは主があなたがたを祝福し、あなたがたを守られるように。

願わくは主がみ顔をもって/あなたがたを照らし、あなたがたを恵まれるように。

願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように。

(民数記6:24〜26より)

 

報 告

本日は急遽、在宅礼拝という形になりましたが、皆さんと一緒に「見えない教会」に集まれたことを感謝致します。会衆が集まる礼拝の再開は、非常事態宣言の解除を目安として、2週間毎に役員会で検討し、順次、教会員への連絡網とホームページのお知らせでお伝えしたいと思います。

 

この機会に、教会では忙しそうな牧師へ、なかなか声をかけられなかった方も、話したかったことや相談したかったことを電話してくださると嬉しいです。牧師が電話を取りやすい時間帯は、以下の通りです。

 

火曜日・金曜日・土曜日の午前9時〜12時、午後1時〜5時の間と、日曜日の午後3時〜5時の間です。教会員の方は、牧師の携帯へ直接かけてくださるとありがたいです。今週も、皆さん一人一人の健康と体調が守られ、神様の平和がありますように。