聖書研究祈祷会 2021年1月20日
案 内
華陽教会では、感染拡大による岐阜県の医療提供体制の逼迫を受け、聖書研究祈祷会も、配信等による在宅聖研として行っています。場所も時間もバラバラですが、神様によって見えない教会に集められたことを覚え、共に聖書の言葉を味わいましょう。
讃美歌
最初に、讃美歌21の58番「みことばをください」を歌いましょう。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を味わいましょう。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆愛と平和の源である私たちの神様。今週も、あなたによって守られて、水曜日の聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。先日の日曜日で、阪神淡路大震災から26年目となりました。かつての災害によって、生活が大きく変わった人、今も後遺症に苦しむ人を助けてください。どうか今、他人の痛みと自分の痛みを共有し、支える力を養ってください。
◆私たちの神様。首都3県の緊急事態宣言に続いて、関西、東海、九州でも、各地で緊急事態宣言が出されるほどに、感染症が増加しています。どうか今、重症化しやすい高齢者や基礎疾患のある人を守り、若い人も後遺症から守ってください。
◆私たちの神様。新型コロナの第3波に伴って、再び多くの誤情報や検証不十分なニュース、極端な恐怖や極端な楽観をもたらす情報が広がっています。どうか今、脅威に対して冷静に、正しく恐れる力を私たちに与えてください。
◆愛と癒しと正義の主であるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。アモス書7:1〜9(新共同訳より抜粋)
*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。 |
メッセージ
全知全能の神様が人の言うことを聞いて思い直す……聞きようによっては奇妙な話です。全てを知った上で、全てを分かった上で、色々なことを決められる神が、自分の造った被造物の意見を取り入れる。既に決定したことを撤回し、言われたとおり、自分の計画を変更する。しかも多くの場合、誰かが言ったとおりにしてみても、上手くはいきません。
結局は、当初予定していた神の裁きが実行される。旧約聖書に出てくる神と族長、神と王、神と預言者のやりとりには、こんなシーンがよくあります。人々の悪や不正に怒った神様が、罰を下そうとする際に「神様、どうかおやめください!」と誰かが民をとりなし始める。
とりなしと言えば、私がよくとりあげるのは、ソドムの町を6回にわたってとりなしたアブラハムの話です。かつて、ソドムの悪行を聞いた神様が、この町を滅ぼそうとした際に、アブラハムは「もし正しい人が50人いたら、40人いたら、30人いたら……町を滅ぼすのをおやめください」と命懸けで訴えました。
神様は言われたとおり、最後には「正しい者が10人いたらソドムの町を滅ぼさない」と約束します。ところが、この町には正しい者が10人も満たなかったのか、最終的に滅ぼされてしまいます。神に背いて言うことを聞かなくなった民のため、その国の指導者が一生懸命とりなしても、結局最後は上手くいかない……そんな話が溢れています。
人々に対する裁きを語る神様と、それを何とか止めようとする預言者アモス、両者の間でなされたとやりとりも、同じ結果に終わります。アモスと言えば、預言者の中でも特に強く「正義と公正」を訴えた者として有名です。つまり、彼のいた時代、イスラエルは不義と不正にまみれていた。正しい者がほとんどいない状態だった。
イスラエル人が忌み嫌う異教の民の代表格、ソドムの町に下されたのと同じように、神様は彼らに裁きを下そうとします。「見よ、主は二番草の生え始めるころ、いなごを造られた」……二番草は、家畜が夏を越すために利用される飼料です。これらをいなごに食べ尽くされると、家畜も農民も飢えに苦しむことになります。
これを何とか防ぎたいアモスは、端的にこう訴えます。「主なる神よ、どうぞ赦してください。ヤコブはどうして立つことができるでしょう/彼は小さいものです」……ここでのヤコブは、イスラエルの国民を意味しています。でも普通、誰かを懲らしめようとする人に、これだけ言って、考え直してもらえることはありません。
考え直すとしたら、「彼らも反省していますから」とか「これからは言うことをきかせます」とか「ちゃんとしている奴も巻き込まれます」とか、そういう言葉です。最初にとりなしを行ったアブラハムに比べると、アモスのとりなしは効果が期待できないほど、言葉に力がありません。それだけ彼も自信がなかったんでしょう。
人々が反省し、正義を行い、公正な世の中になるなんて、今すぐ期待できなかった。人々を庇う正当な理由が見出せなかった。私たちの祈りもそうかもしれません。傷つけられた人、痛めつけられた人の回復を願う祈りはできても、傷つけた人、痛めつけた人の変化や更生は祈れない。そんな期待を持てずに祈る。とりなしって、そう簡単にはできません。
にもかかわらず、神様はこの不完全なとりなしを聞いて、「彼は小さいものです」というただそれだけの理由を聞いて、計画の実行を思い直し、いなごを放つのをやめられます。ちょっとあり得ない反応です。「いつも勝手ばかりするのに、こういうときだけ大目に見ろと訴えるのか?」そう言われても仕方ない。なのに、神様は無条件でアモスの言うことを聞きました。
二度目に神様が裁きを下そうとしたときも、アモスはやはり、言葉に力がありません。「主なる神よ、どうぞやめてください。ヤコブはどうして立つことができるでしょう/彼は小さいものです」……今度は以前よりはっきりと「やめてください」と訴えますが、その正当性は主張できません。「彼は小さいものです」と被告の弱さを繰り返します。
前回に続き、この訴えもたいして効果は見込めません。相変わらず、アモス自身も自分が庇っている民の反省を期待できずにいるからです。弁護人が被告の無罪を、反省を主張できずに減刑を求めても、聞き入れられない方が普通です。ところが、今回も神様は無条件で彼の言うことを聞かれます。主は思い直され、「このことも怒らない」と言われた。
三度目に、神が裁きを下そうとしたとき、ついに、アモスの口からイスラエルをとりなす言葉は出てこなくなりました。「見よ、わたしはわが民イスラエルの真ん中に下げ振りを下ろす。もはや、見過ごしにすることはできない」……下げ振りというのは、城壁の石を正しく積み上げるため、傾いていないかを調べるもので、重りのついた縄のことです。
正義を行わず、傾いた石を積み上げ続けた人々は、もはや崩落するのを免れない。放っておくことはできない。今までにない、厳しい言葉が語られました。アモスは一言も返せません。庇う言葉も出てきません。神様も思い直す気配はありません。とりなしは終わり、失敗したのでしょう。
いえ、ちょっと待ってください。神様はなぜ、これから裁きを下そうと、わざわざアモスに語るんでしょう? なぜ、変えられない結末を人々に向かって語らせるんでしょう? アモスはとりなすのをやめ、神も思い直すことはなくなった……そう感じる私たちに、預言者の行動が新しい可能性をもたらします。
そう、今までアモスは、神様に対して人々の弱さ、小ささを主張するばかりで、イスラエルの民に変化を促す動きはありませんでした。人々の不正を告発し、厳しく戒め、悔い改めを促す動きはありませんでした。しかし、ここからは違います。彼は人々の不正を指摘し、過ちを正し、神に立ち返らせようと語り始めます。
自分も一緒に、人々の生き方を改め、変わっていこうと呼びかけます。それはまさに、誰かの負い目を一緒に背負い、一緒に償おうとする、一緒に精算しようとする、とりなしにふさわしい行為でした。神様は、人々がアモスの呼びかけに応答することを期待し続けます。裁きを決断した後も、彼らの変化を見ようとします。
残念ながら、多くのとりなしは、人間の方からとりなす言葉が出てこなくなって終わります。庇う力が出てこない、信じることに疲れてしまった……そんな私たちに対し、神様は完全なとりなしをもたらす方を遣わしました。それは、全ての人をとりなして、十字架につけられた神の子イエス・キリストです。
普通なら、思い直すはずのない言葉によって思い直し、思い直す気力の持てない相手のために、命をかけて、変化を期待し続ける……それが、あなたに呼びかける神様です。どうか、疲れ切った私たちの間に、立ち上がれないあなたのもとに、この方が今もなお迫っていることを思い出してください。主の平和があなたにありますように。
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(兵庫県西宮市の甲子園二葉教会)のために、阪神淡路大震災の被災者のために、東日本大震災の被災者のために、九州・熊本地震の被災者のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆兵庫県西宮市の甲子園二葉教会のために祈ります。昨年度、80周年を迎えたこの教会に、あなたの大いなる恵みがありますように。賛美が大好きで、教会学校を大切にしている人たちに、コロナ禍でも多くの喜びと発見がありますように。
◆阪神淡路大震災の被災者のために祈ります。あの震災から26年の月日が経ちました。全国のボランティアから支えられ、少しずつ復興していった町々に、あなたの祝福がありますように。どうか今、新たな災害にも立ち向かえる力があることを示してください。
◆東日本大震災の被災者のために祈ります。あの震災から10年の月日が経とうとしています。今もまだ、元の生活を取り戻せない人たちに、あなたの癒しがありますように。どうか今、小さな痛みも大きな痛みも蔑ろにされない誠実な助けがありますように。
◆九州・熊本地震の被災者のために祈ります。あの震災から4年と9ヶ月が経ちました。震災に続き、台風、豪雨、感染症の被害に遭っている方々を覚えます。どうか今、適切な支援とつながりが、復興と回復の輪がより広がっていきますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌「苦難のはざまから」(©️柳本和良)を歌いましょう。オンライン讃美歌は、日本基督教団鈴蘭台教会のホームページか、今日の礼拝原稿を公開しているブログから、楽譜を見ることができます。(*楽譜の掲載は許可をいただいています)
主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。
報 告
本日も、配信を通して在宅聖研にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅聖研は、私と奏楽者の2名、同時に視聴されていた1名、計3名の出席でした。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝します。
来週の水曜日も、配信等による在宅聖研を行います。日曜日も、このチャンネルから在宅礼拝を行っています。他に、ビデオ通話による小礼拝を希望される方、牧師と話がしたい方は、教会の電話番号か、ホームページの問い合わせフォームからご相談ください。
また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。