ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『神様の意志が分からない』 サムエル記上20:24〜42

聖書研究祈祷会 2021年2月24日


『神様の意志が分からない』在宅聖研祈祷会 2021年2月24日

 

案 内

華陽教会では、感染拡大による岐阜県の医療提供体制の逼迫を受け、聖書研究祈祷会も、配信等による在宅聖研として行っています。場所も時間もバラバラですが、神様によって見えない教会に集められたことを覚え、共に聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

最初に、讃美歌21の294番「人よ汝が罪の」を歌いましょう。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を味わいましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆赦しと憐れみの主である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、在宅聖研を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を聞こうとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。この一週間も、語るべきことを語らず、聞くべきことを聞かず、行うべきことを行わなかったことをお赦しください。どうか今、私自身の心と耳と口を開き、あなたが求めていることを行わせてください。

◆私たちの神様。この一週間も、勇気を出して語ろうとし、誠実に話を聞こうとし、必死に行動しようとした人たちを、あなたは知っておられます。どうか今、一人一人を誇りに思い、後押しされるあなたの力を受けさせてください。

◆私たちの神様。来週から半分ずつ、数カ所に分かれて、会衆が集まる礼拝と聖研を再開します。どうか今、あなたに対し、会衆に対し、社会に対し、誠実な態度と行動ができるように、私自身の選択と姿勢を問わせ続けてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。サムエル記上20:24〜42(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

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WikiImagesによるPixabayからの画像

メッセージ

もともと神によって立てられた王が、神によって降ろされる。神から選ばれた人間が、神によって捨てられる。何とも不思議で恐ろしい話が、サムエル記の中盤に出てきます。ちょっとおかしいと思わないでしょうか? 神様には人を見る目がなかったのか? もっとふさわしい者を選べなかったのか?

 

通常の人事や任命であれば、選んだ人間の選択や能力が問われるでしょう。「こうなることが分からなかったのか?」「そもそも彼を選ばなければ……」ちょうど、不適切な発言で連日ニュースを賑わせている政治家のように、ある人間が、そのポストにふさわしくないと判断された場合、そのポストに任命した者も、疑念や不信感を抱かれます。

 

これを神様に当てはめたら、もう散々な結果です。なにせ、イスラエルの王として、民の指導者として、神様が選び、任命する人たちは、今回出てきたサウルに限らず、ことごとく罪を犯して民を巻き込み、悲惨な結果をもたらすからです。さすがに見る目がなさすぎる。

 

「なぜその人を?」「なぜこの人を?」……ダビデを殺そうと錯乱し、自分の息子ヨナタンにまで手にかけようとしたサウルの姿は、まさにそういう問いをもたらします。そもそも、彼がここまで錯乱するようになったのは、「神からの悪霊が激しくサウルに下り、家の中で彼をものに取りつかれた状態に陥れた」からでもあります。

 

かつて、「神様に心をかたくなにされた」エジプトの王を思い出します。単に、その人を懲らしめる、罰するための罠ならともかく、その人に問題を起こさせる、誰かを傷つけさせてしまう……という介入は、私たちをますますつまずかせる。神様、それは流石にダメでしょう? そんなことしちゃいけません!

 

また、神様がここまで怒った理由もなかなかです。「敵を殲滅させよ」という言葉に従わず、一部に情けをかけようとした。神への献げ物を取り分けるため、一部の家畜を残しておいた。約束の日に帰ってこない祭司サムエルに代わりに、仕方なく、自分が献げ物をささげてみた……これらが原因で、悪霊を送られ、錯乱させられ、王位を剥奪されていく。

 

やっぱり、神様の意志が分かりません。いったい何がしたいんでしょう? 王の息子であるヨナタンと、その王に狙われる後継者ダビデ、2人の間で展開される友情の裏で、どんどん神様が分からなくなります。なにせ、父親から友を守ろうとしたヨナタンも、サウルと一緒に間もなく殺されてしまうんです。

 

しかも、この若き王子は、王位を継承するのが自分ではなく、父親に狙われている親友の方だと、どこか気づいているようでした。神様はダビデに味方し、自分の家は敵として、ことごとく絶たれることになる。それを最初から受け入れて、どのような運命でも親友ダビデの味方をしようと行動する。

 

誰が新しい王にふさわしいか、はっきりしていますよね? ヨナタンの勇気、実績、誠実さ……いずれも神が王に求めてきたものです。自分の父親に逆らって、悲惨な将来を受け入れて、神様が選んだ友人の方に味方する。後に、部下の妻を寝とったダビデと比べても、ヨナタンの方が、よっぽど選ばれてほしいと思います。

 

けれども、神様はそうなさいません。多くの人が、この物語を読むとき「神様、どうかヨナタンも助けてください!」「もう少し、サウルにチャンスを作ってください!」と願うでしょう。誰か、そういうとりなしをしてくれる人が現れないか期待するでしょう。期待するからこそ、気づきます。

 

サウルに油注いだ祭司サムエル、ヨナタンに守ってもらった親友ダビデ、この2人から神にとりなしを求める言葉が一切出てこないことを……「神様、私が油注いだサウルを憐れみ、悪霊を取り去ってください」「神様、私を庇ってくれたヨナタンを敵としないでください」……不自然なくらい、そういった祈りが出てきません。よく見ると、サウルもヨナタンも、それぞれに慈悲を求めているのに。

 

この不自然さに気づくとき、私たち自身も、同じ不自然さを持っていることに気がつきます。自分が選んだ指導者に期待を裏切られたとき、とりなしを一切しなくなる。自分のことで精一杯だと、大切な人のためにも祈れない。本当はとりなしを受けない限り、誰一人、ふさわしい働きはできないのに。

 

思い返すと、王を求めた人々に対し、「王を立てたら、こういう悲惨なことが起こるよ」と神様は最初から語っていました。忘れがちですが、「王を立てる」ことを望み、選んできたのは人間の方でした。王はあなたたちを奴隷にし、搾取するようになる。いつでも道を踏み誤る……しつこいほどに注意していました。

 

あの言葉には、「誰が王でも不完全だ」「あなたがたがとりなしなさい」というメッセージが含まれていたように思います。王が立てられて満足するな。指導者は不完全で、とりなしが必要な人間だ。誰かがとりなさないと、道を外したまま滅ぶことを繰り返す。サムエル記から歴代誌に至るまで、そのことを何度も描いています。

 

これらの話は、王の堕落の物語として聴かれがちですが、実際は共同体全体の話です。敵のためにも、身内のためにも、神様に叫べなくなっている。誰かが打たれ、罰されることに疑問を持たなくなっている。そんなとき、神様は私たちをつまずかせ、思わず声をあげさせます。

 

「神様、何がしたいんですか!」「そうじゃありません。この人たちも助けてください!」「憐れみを示し、新しい生き方をさせてください!」……この方は沈黙し、傍観する私たちを、叫ばせ、走らせ、積極的に自分と関わる者へ変えていきます。灰の水曜日から一週間……今、私たちが見つめるべき姿を見つめましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(兵庫県神戸市の北須磨教会)のために、福島と宮城の被災者のために、受験生や就活生のために、自宅待機中の人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆兵庫県神戸市の北須磨教会のために祈ります。今このとき、あなたが求めている祈りと働きを、教会の一人一人に知らされますように。そして、共に祈り、用いられる者として新しく立ち続けることができるよう、この教会を助けてください。

◆福島と宮城の被災者のために祈ります。大きな地震によって、再び打撃を受けた人たちに、あなたの癒しと回復がありますように。そして、隠れたところ、目立たないところで傷ついた人たちにも、隣人の助けがありますように。

◆受験生や就活生のために祈ります。コロナ禍で、様々な困難を覚えながら受験に臨んだ人、就活をしている人に、あなたのお支えがありますように。また、新しい選択をした人や休息が必要な人にも、この先の生活が豊かにされますように。

◆自宅待機中の人のために祈ります。会衆が集まる礼拝や聖研を再開した後も、様々な事情やリスクから、教会へ来ることができない人に、あなたの慈しみがありますように。私の友人、私の姉妹、私の兄弟が励まされるように、つながる力をもたらしてください。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌「悲しみながら立ち去るとき」(©️柳本和良)を歌いましょう。オンライン讃美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来らせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを 我らが赦すごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。

我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは 限りなくなんじのものなればなり。アーメン。

 

報 告

本日も、配信を通して在宅聖研にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅聖研は、私と奏楽者の2名、同時に視聴されていた2名、計4名の出席でした。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の水曜日から、聖書研究祈祷会も2階礼拝堂で集まる形を再開します。複数人で初めて教会に来られる方は、人数調整のため、電話かメールでお問い合わせください。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。