ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

岐阜市の華陽教会にいる牧師個人のブログ

『何で怒るか分からない』 サムエル記下6:1〜19

聖書研究祈祷会 2021年3月3日


『何で怒るか分からない』聖書研究祈祷会 2021年3月3日

 

案 内

華陽教会では、現在の医療提供体制を踏まえて、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の人数調整をした上で、聖書研究祈祷会も再開しています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の422番「主よ、この時代に」を歌いましょう。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を味わいましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と憐れみの主である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会に集まることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆赦しと贖いの主である私たちの神様。この一週間も、あなたから与えられた良心の訴えを、無視してしまったことをお赦しください。どうか今、向き直る勇気のなかった問題に改めて向き合うことができるよう、私たちの心を震わせてください。

◆慰めと希望の主である私たちの神様。この一週間も、私たちの悩みと葛藤を聞き続けてくださったことを感謝致します。どうか今、私にできないことを担い、私に必要な助けを与え、私に期待し続けてくださる、あなたの愛に応えさせてください。

◆正義と公正の主である私たちの神様。香港の民主化運動、ウイグル人への人権侵害、国内の入管施設の実態など、声を挙げている人の叫びに連帯させてください。どうか今、目の前で十字架にかけられている人たちを「知らない」と言わないようにさせてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。サムエル記下6:1〜19(新共同訳より抜粋)

 

ダビデは更にイスラエルの精鋭三万をことごとく集めた。ダビデは彼に従うすべての兵士と共にバアレ・ユダから出発した。それは、ケルビムの上に座す万軍の主の御名によってその名を呼ばれる神の箱をそこから運び上げるためであった。彼らは神の箱を新しい車に載せ、丘の上のアビナダブの家から運び出した。アビナダブの子ウザとアフヨがその新しい車を御していた。彼らは丘の上のアビナダブの家から神の箱を載せた車を運び出し、アフヨは箱の前を進んだ。ダビデとイスラエルの家は皆、主の御前で糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でた。一行がナコンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめいたので、ウザは神の箱の方に手を伸ばし、箱を押さえた。ウザに対して主は怒りを発し、この過失のゆえに神はその場で彼を打たれた。ウザは神の箱の傍らで死んだ。ダビデも怒った。主がウザを打ち砕かれたためである。その場所をペレツ・ウザ(ウザを砕く)と呼んで今日に至っている。その日、ダビデは主を恐れ、「どうして主の箱をわたしのもとに迎えることができようか」と言って、ダビデの町、自分のもとに主の箱を移すことを望まなかった。ダビデは箱をガト人オベド・エドムの家に向かわせた。

 

三か月の間、主の箱はガト人オベド・エドムの家にあった。主はオベド・エドムとその家の者一同を祝福された。神の箱のゆえに、オベド・エドムの一家とその財産のすべてを主は祝福しておられる、とダビデ王に告げる者があった。王は直ちに出かけ、喜び祝って神の箱をオベド・エドムの家からダビデの町に運び上げた。主の箱を担ぐ者が六歩進んだとき、ダビデは肥えた雄牛をいけにえとしてささげた。主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた。主の箱がダビデの町に着いたとき、サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、主の御前で跳ね踊るダビデ王を見て、心の内にさげすんだ。人々が主の箱を運び入れ、ダビデの張った天幕の中に安置すると、ダビデは主の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた。焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ終わると、ダビデは万軍の主の御名によって民を祝福し、兵士全員、イスラエルの群衆のすべてに、男にも女にも、輪形のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を一つずつ分け与えた。民は皆、自分の家に帰って行った。

 

f:id:bokushiblog:20210302223818j:plain

Nuno SantosによるPixabayからの画像

メッセージ

神に背いて、神と共に歩めなくなったサウルに代わって、新しく選ばれたダビデが、イスラエルの王となる。サムエル記上の後半からサムエル記下の前半にかけて、サウルとダビデの対比はいよいよ激しくなっていきますが、ところどころ、ダビデにも幻滅するシーンがあることに、読者はすぐに気がつくでしょう。

 

ダビデって、思っていたより冷静じゃないし、思っていたよりお調子者だし、思っていたより浮気者だ……よく考えたら、サウル王より好色で、貪欲で、不信仰だったんじゃないか? そんなこと言おうものなら、怒られちゃうかもしれません。確かに、ダビデも悪いところはあったけど、サウルよりかはマシだった……そう思いたい人も多いでしょう。

 

じゃなきゃ、「祝福と呪い」のシンプルな図式が崩れてしまいます。サウルは神に従わず、ダビデは神に従った。だから、サウルは呪われて、ダビデは祝福されたのだ。私たちも、呪いを避けて、祝福を受けられるように、彼らの経験から学んでいこう……でも、そんな単純な図式でないことは、意外と早く分かります。

 

なぜなら、神の箱、いわゆる、律法が刻まれた石板を収めている箱が、新しいイスラエルの首都エルサレムへ移されるとき、とんでもない事件がダビデの一行を襲うからです。神の箱とは、それを持っている民に「神が共に居てくださる」という神の臨済を象徴するものでもあったので、本来、その移動は絶対に成功させなくちゃいけません。

 

ダビデはイスラエルの精鋭3万人を集めて、新しい車を用意し、万全の体制で神の箱を運んでいきます。ところが、その途中、牛がよろめいたために、とっさに箱が落ちないよう、手を伸ばした僕のウザが、神の怒りに触れて打たれてしまい、その場で死んでしまいます。突然の出来事に、誰もがショックを受けたでしょう。

 

ウザに悪意がなかったことは明らかです。レビ記には、聖なる祭具に、人が直接触れることを厳格に戒めてありますが、ウザは、神の箱が落ちないように、地面に触れないように、とっさに守ろうとして支えたんです。にもかかわらず、彼の善意は顧みられず、問答無用で打たれてしまう。

 

サウルが神に背き、命令を守らなかったときでさえ、すぐには打たれなかったのに、このときは容赦なく怒りが下され、一瞬で死をもたらされる。哀れなウザが、サウルよりも深刻な罪を犯したとは、どうしても信じられません。ダビデも、神様がウザを殺したことに怒り、同時にひどく恐れます。

 

何で怒るか分からない……一見、DVを受けている被害者のように、ダビデも意味不明な、突発的な神の怒りを恐れているように感じます。ウザの次は、自分が何かの拍子に打たれてしまうかもしれない。けれども、そのわりに「神への怒り」は隠しません。同時に、神様がなぜ、ウザを打たれるほど怒ったのか、自分にも怒りを向けているのか、正面から問いかけません。

 

そう、「ダビデは怒った」と書いてあるものの、神様に直接、部下の命を戻すよう、とりなす気配もありません。もしかしたら、神による理不尽な怒りを受けた王として、ひそかに振る舞いたかったのかもしれません。正面から、神に怒りの理由を聞けば、部下の死に、自分の責任があったことを暴かれてしまうかもしれないから。

 

実は、「神の箱をはじめとする聖なる祭具に、直接人が触れてはいけない」という規定以前に、「神の箱は、人が担ぎ棒で肩に担いで運ばなければならない」という規定がありました。ところが、ダビデは神の箱を運ばせる際、人に担がせるのではなく、新しい車で運ばせていました。この時点で、既に掟を破っていたんです。してはならない重大ミス。

 

もし、牛車ではなく、肩に担がせて運んでいたら、もともとこの事件は起きなかったでしょう。ダビデが正面から神様に問いただせば、ウザの死に、自分も責任があったことを露わにされてしまいます。彼は「どうして主の箱をわたしのもとに迎えることができようか」と悲劇の主人公として振る舞いながら、巧妙に自分の責任を回避するんです。

 

ところが、代わりに箱を預けたガト人オベド・エデムの家は、神様に祝福され、3ヶ月間、多くの財産に恵まれます。すると、それを聞いたダビデは直ちに出かけて行って、オベドの家から神の箱を受け取って、喜んで自分の町エルサレムに迎え入れます……3ヶ月前、命を奪われた部下のことなど、もう頭にないかのようです。

 

かなり現金ですよね? しかも、今度は「車」ではなく「主の箱を担ぐ者」がちゃんと用意され、こっそり自分のミスを修正しています。そして、誰にもそれを言わないで、神様に、ウザの死に、謝罪することもしないまま、ただ祝福を受けようと、神の箱を迎え入れる。

 

さらに、ダビデはこの日、神の箱を天幕の中へ安置すると、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を自分でささげ、神の名によって民を祝福します。これって本来、祭司として選ばれた者の役割です。前王サウルは、祭司の到着を待てず、これを勝手にやってしまったことで、王位を退けられていました。

 

しかし、ダビデはサウル以上に公然と、祭司のように振る舞います。本来、祭司でなければ着用することのないエフォドを身につけ、民の前で見せびらかすように踊ります。もはや目も当てられません。サウルの娘で、ダビデの妻でもあるミカルは、心のうちに蔑みます。父の死から、部下の死から、夫は何も学んでいない。

 

唯一、彼女だけが、ダビデの振る舞いに皮肉をもって抗議します。「今日のイスラエル王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。空っぽの男が恥ずかしげもなく裸になるように」……この後、ダビデは巧妙に言い返し、妻の方を悪者にしますが、言われたこと自体は否定できません。2人の関係は破綻していきます。

 

やがて、ミカルは「子を持つことのないまま、死の日を迎えた」と書き残されます。神に選ばれた王の行為を蔑んだから、祝福を奪われ、呪いを受けてしまったのだ。そう捉える人もいるでしょう。しかし、彼女の批判はおそらく正しい……ダビデは神の箱を運ぶ際、神から与えられた掟を破り、その過失によって部下が死に、それを巧妙に隠した上で、祝福だけを掠め取り、やってはいけないことを積み重ねる。

 

王の前で、わきまえずに批判を語った勇気ある女性は、子を持つことのないまま、死の日を迎えますが、それが神の呪いであるとは書かれません。むしろ私は、自分に対する評価や安全を顧みず、生涯をかけて行った、彼女なりの抗議ではないかと思います。祝福の象徴である男の子を私はあなたのために産みません。人生をかけて、あなたのことを訴えましょう。

 

さて、今日は受難節に入ってから3週目の水曜日です。自らの罪を悔い改め、イエス様の苦しみと十字架の死を思い起こすこの期間、普段は目を背けている自分の罪、自分の過ち、隠してきた態度や行いを、もう一度振り返るときです。ミカルのように、私たちの周りには、自分が見ないようにしている神の怒り、神の悲しみを訴えている人がいます。その声に耳を澄ませ、とりなしを求めつつ、私たち自身も隣人のために祈りましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(兵庫県明石市の明石ベテル教会)のために、学校に通えない子どもたちのために、仕事に行けない大人たちのために、施設に入れない人たちのために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆兵庫県明石市の明石ベテル教会のために祈ります。創立32年目に、宗教法人を取得することになったこの教会に、あなたの祝福がありますように。地域に必要とされる教会として、ますます豊かに用いられますように。

◆学校に通えない子どもたちのために祈ります。様々な事情で登校できない人、教室に行けない人、進学できない人、新しい選択肢を見つけた人に、あなたの祝福と慈しみがありますように。一人一人に良き理解者と良き助けが備えられますように。

◆仕事に行けない大人たちのために祈ります。環境の変化や人間関係、心や体に起きた不調、倒産やリストラによって、仕事へ行けなくなった人に、あなたの支えがありますように。必要な補償とケアを受け、生活が整えられますように。

◆施設に入れない人たちのために祈ります。お金がなくて、空室がなくて、条件を満たせなくて、サポートが必要なのに施設へ入れない人たちに、あなたの憐れみがありますように。どうか、当事者と家族の上に、新しい道が開かれますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

  

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌「信じたくても」(©️柳本和良)を歌いましょう。オンライン讃美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

f:id:bokushiblog:20210302223556p:plain

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来らせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを 我らが赦すごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。

我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは 限りなくなんじのものなればなり。アーメン。

  

報 告

本日も、配信を通して在宅聖研にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅聖研は、私と奏楽者の2名、同時に視聴されていた8名、計10名の出席でした。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

第2部の「分かち合い」は感染拡大を防ぐため、しばらくの間休止しています。聖書研究祈祷会に初めて参加される方は、三密回避の人数調整のため、電話かメールでお問い合わせください。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。