ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『最後の言葉』 サムエル記下23:1〜7

聖書研究祈祷会 2021年3月24日


『最後の言葉』聖書研究祈祷会 2021年3月24日

 

案 内

華陽教会では、現在の医療提供体制を踏まえて、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の人数調整をした上で、聖書研究祈祷会も短く開いています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の33番「キリエ・キリエ」を歌いましょう。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美をささげましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆私たちの道であり、真理であり、命である神様。今日もまた、あなたによって守られて、水曜日の聖書研究祈祷会に集まることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今度の日曜日は、イエス様が十字架にかかる一週間前、エルサレムに入城した日を覚えます。どうか今、「棕櫚(シュロ)の主日」に教会へ来る人たちと、自宅で礼拝を守る人たちに、それぞれ、イエス様を迎える準備ができますように。

◆私たちの神様。来週は、牧師が関西へ行くため、初めて教会員のみで礼拝の配信を行います。どうか今、メッセージを担当される先生と、準備してくれる奉仕者と、周りで祈ってくれる一人一人に、あなたの恵みと導きが豊かにありますように。

◆私たちの神様。今年、集まることができなかったときも、初めての試みをするときも、常に、あなたが支えてくれたことを感謝致します。どうか今、4月から迎える新年度も、あなたの言葉に生かされて、ますます私たちの生き方が豊かにされますように。

◆命のパン、命の水である主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。サムエル記下23:1〜7(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

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ParentingupstreamによるPixabayからの画像

メッセージ

神から選ばれた王として、最も有名なダビデ王が、自分が死ぬ前、最後に歌った賛美の言葉……非常に美しく聞こえますが、冷静になって考えると、ものすごい自画自賛であることに気づくでしょうか? 「主の霊はわたしのうちに語り/主の言葉はわたしの舌の上にある」「神と共にあってわたしの家は確かに立つ。神は永遠の契約をわたしに賜る……」

 

私は神に選ばれた! 私は神に語られた! 私は神に祝福された! もちろん、神様を賛美する歌で間違いないのですが、ちょっと浮かれすぎですよね? 辛口でしょうか? でも、ダビデは晩年になるほど罪を重ね、弱気になり、民全体を巻き込んでいくので、あまり手放しで賞賛することはできません。

 

ちょっと前の22章21節、22節では、こんな歌も歌っていました。「主はわたしの正しさに報いてくださる。わたしの手の清さに応じて返してくださる。わたしは主の道を守り/わたしの神に背かない」……ここまでサムエル記を読み進めてきた方は、「ダウト!」と言いたくなる箇所です。

 

いやいやダビデ王さん、あなたどれだけ神様に背いてきたことか? 人妻を召し出して妊娠させ、その夫を前線に立たせて殺害し、勝手に祭司の振る舞いをし、息子たちの過ちを放っておく……自ら「わたしは神に罪を犯した」「神がわたしを呪われている」と口にしたことも忘れています?

 

これを「全ての敵から救われた日」に、感謝の歌として神にささげた……ちょっと待ってください。何か足りません。そう、愚かな自分を見捨てなかった、守り続けてくれた神様に悔い改める言葉です。あのとき、あなたに逆らった、あなたに背いてきた私を、ここまで助けてくださって、今まで守ってくださって、本当にありがとうございます。

 

どうか私の罪をお赦しください。私の罪ゆえに民を裁かないでください。今までの過ちを反省します。情けない私のことを憐れんでください……ここまで言って初めて、本当に感謝していることが、自分にかけられた愛の大きさが、分かった態度と言えるでしょう。でも、いよいよサムエル記が終わるとき、ダビデの口から反省と謝罪は出てきません。

 

むしろ、自分が犯した罪なんてなかったかのように振る舞っている。自分にもたらされた祝福は、繁栄は、神様に忠実だったしるしである!……と言わんばかり。人生の終わりに笑えない、壮大なボケをかまします……ちょっと言い過ぎでしょうか? しかし、問題はさらに続きます。聖書を編集した人はダビデに対して、ちょっと意地悪かもしれません。

 

なぜなら、この歌が終わったあと、24章からは「主の怒りが再びイスラエルに対して燃え上がった」と続き、ダビデが神様に対して「わたしは重い罪を犯しました。主よ、どうか僕の悪をお見逃しください。大変愚かなことをしました」と答えるからです。ダビデが死ぬ前に歌った、自画自賛する言葉を紹介したあと、彼が自ら「罪を犯した」と告白するシーンを持ってくる。ある意味、見事な編集です。

 

しかも、罪の告白をして悔い改める彼の姿勢は、最後まで徹底していません。神様は謝るダビデに対し、次の3つからどれかを選べと迫ります。「七年間の飢饉があなたの国を襲うことか、あなたが三ヶ月間敵に追われて逃げることか、三日間あなたの国に疫病が起こることか」……究極の選択。

 

7年間の飢饉は長すぎるので、だいたいの人は、2つ目か3つ目かで迷うでしょう。自分が3ヶ月間敵に追われて逃げ回るか、民を巻き込んで3日間疫病に耐えることか……苦しい選択ですが、自分の罪ゆえに守るべき民を巻き込むわけにはいきません。でも、ダビデは言い訳しつつ、結局3つ目を選びます。そして、民のうち7万人が死にました。

 

敵の手から救われた感謝の歌、自画自賛しながら神をほめたたえる歌……これに続いて過ちを犯し、神に裁かれ、愚かな選択を重ねる姿が描かれる。私が神学生の頃、お世話になった指導教授が「聖書は人間礼賛を許さない」という記事を書いていますが、まさにそのとおりだと思います。

 

ダビデの人生は、彼自身が最後に口にするほど美しくはありませんでした。正しくも、清くもありませんでした。もし、自ら口にしたように「悪人は茨のようにすべて刈り取られる」なら、彼自身も刈り取られている存在でした。「槍の鉄と木を満身に受け」ているはずでした。でも、そうなったのは彼ではありません。彼を止められなかった家臣でも、王を望んだ国民でも、彼らの子孫でもありません。

 

茨の冠を被せられ、十字に組まれた木にかけられ、槍の鉄に刺し貫かれた存在は、神様が人々のために世へ遣わした独り子イエス様でした。自分の過ちを棚に上げて、自画自賛してしまう私たちに、十分な悔い改めもできない私たちに、それでも救われるように、新しい生き方ができるように、命をささげた方でした。

 

「神に従って人を治める者/神を畏れて治める者は/太陽の輝き出る朝の光/雲もない朝の光/雨の後、地から若草を萌え出させる陽の光」……ダビデが歌った賛美の言葉は、新しい王であるイエス様にこそ、ふさわしい歌と言えるでしょう。この方が、私たちの祈りに足りないものを、私たちの賛美に欠けているものを満たします。

 

お祈りの最後に「イエス・キリストのお名前によって祈ります」と口にするのは、そのためです。今この時も、私が口にする悔い改め、私が言葉にする感謝には、自分でも見つめることができない様々な事柄が存在します。しかし、それらを全て、私のために十字架にかかってくださったイエス様が、一緒にとりなしてくださいます。

 

晩年に、ダビデが残した「感謝の歌」「最後の言葉」も、共におられる神様のとりなしがなければ、愚かな言葉に過ぎません。でも、ダビデの歌、私たちの祈りを、神様は本物の賛美として整え、受け取ってくださいます。

 

この一年、聖書研究祈祷会で、どのように祈ったらいいか分からない、ちゃんとした祈りが分からない、と思っていた方も、ぜひ、あなたの祈り、あなたの賛美を整えて、神様が受け取ってくださることを覚えていただけたらと思います。あなたの救い、あなたの喜びを、今日も神様は芽生えさせてくださるんです。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(兵庫県姫路市の網干教会)のために、災害に遭った人のために、ミャンマーの人のために、卒園・卒業した人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆兵庫県姫路市の網干教会のために祈ります。4月から新たに着任される牧師と、牧師を迎える教会の上に、あなたの祝福がありますように。受け継がれた伝道の精神が、ますます豊かに用いられますように。

◆災害に遭った人のために祈ります。最近起きた災害や、以前に起きた災害から、今も困難を覚えている人に、あなたの憐れみがありますように。奮い立つ時と、力を抜く時と、悲しむ時と、楽しむ時が、必要なだけ与えられ、回復が進みますように。

◆ミャンマーの人のために祈ります。大きな混乱と暴力に苦しむ人たちが、速やかに解放され、守られますように。デモに参加する人、軍に入っている人、両者の間で揺れている人が怪我から守られ、少しでも平和的な解決が進みますように。

◆卒園・卒業した人のために祈ります。来年度、進級・進学する子どもたちの不安が和らぎ、新しい生活が楽しくスタートできますように。また、卒園・卒業しなかった子どもたちにも、あなたの祝福と新しい恵みがありますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌「苦難のはざまから」(©️柳本和良)を歌いましょう。オンライン讃美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来らせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを 我らが赦すごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。

我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは 限りなくなんじのものなればなり。アーメン。

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の祈祷会は、配信2名、出席3名、計5名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の聖書研究祈祷会は、4月2日(金)19時からの「受難日礼拝」に合流するのでお休みです。教会の集会に初めて参加される方は、三密回避の人数調整のため、電話かメールでお問い合わせください。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。