聖書研究祈祷会 2021年4月14日
案 内
華陽教会では、現在の医療提供体制を踏まえて、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の人数調整をした上で、聖書研究祈祷会も短く開いています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
讃美歌
マスクをしたままで、讃美歌21の54番「聖霊みちびく神のことばは」を歌いましょう。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美をささげましょう。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆復活と希望の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会に集まることができ、感謝いたします。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を必要としている人を導いてください。
◆私たちを結び合わせてくださる神様。新型コロナの影響で、再び教会に集まれないところや集会を休止するところが出てきました。どうか今、直接会うことのできない人と、今まで以上のつながりが生まれるように、一人一人を助けてください。
◆私たちを力付けてくださる神様。心に重荷がある人、体に支障がある人、魂に痛みがある人へ、あなたは聖霊を送ってくださいます。どうか今、挫け、傷つき、困っている人たちに、今必要な力を届けてください。
◆私たちを送り出される神様。あなたは、私自身の思いと言葉と行いを通して、家族に、隣人に、社会に、愛と平和をもたらされます。どうか今、あなたからいただいた勇気と正義と良心を、精一杯発揮できるよう導いてください。
◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。エレミヤ書30:1〜2、ペトロの手紙二1:16〜21(新共同訳より抜粋)
*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。 |
メッセージ
神の言葉をどう信じるか?……これって、何を信仰するにしても非常に厄介な問題です。通常、神は見えません。声が聞こえることもないし、手紙を書いてくることもない。たまに「啓示」とか「預言」という形で、神の言葉を受け取ったという人もいるけど、本当に神から受けた言葉なのか、周りの人が知る術はありません。
夢でお告げを聞いたり、幻を見たり、自分だけに語りかけてくる声を聞いても、それが「正真正銘神の言葉だ」と言い切る保証はありません。実は悪魔の囁きかもしれないし、たまたま見た夢かもしれない。病気や妄想かもしれない。「神に何かを示された」「導かれた」という確信は、確固たる証拠の上にはありません。
聖書に書かれていることも、残念ながら例外ではありません。キリスト教では、これを「信仰の書」「聖なる書」として大切に扱いますが、「神の言葉」として受け取る態度にはけっこう色んな立場があります。「一言一句、間違いのない神の言葉」として受け取る人もいれば、「全部が全部、神の言葉とは言えない」と言う人もいます。
聖書は、神の言葉を受けた人間が書いたものだけど、書いた人の思想や背景に影響を受けている。あるいは、時代的な制約を受けている。編集の過程で、もともとはなかった言葉が追加されたり、削除されたり、変更されてしまっている……こんなふうに、色んな受け取り方を見ていくと、神の言葉って、結局何なのか、よく分からなくなりますよね?
「書いてあることをそのまま信じればいい」という態度なら楽ですが、そのまま信じたら、人種差別や人権侵害にあたる記述、障がい者の排除や女性蔑視にあたる内容も出てきます。これを「神の言葉」としちゃったら、ほとんどカルトと変わらない……そんな神様信じられない!……って私自身も悩みます。
聖書に書いてあることを、どのように信じればいいか? これについて、聖書そのものは何と言っているんでしょう? エレミヤ書30章の冒頭には、こう書いてありました。「イスラエルの神、主はこう言われる。わたしがあなたに語った言葉をひとつ残らず巻物に書き記しなさい」
つまり、この書に書かれていることは、エレミヤが神に語られたことを一つ残らず記したもの。神の言葉を直接聞いて書いているから、正真正銘、神の言葉だ……という話になるでしょうか。でもやっぱり、エレミヤ書の中にも、人権侵害にあたるものや、色んな矛盾が出てきます。神の言葉にしては詰めが甘い……と言ったら失礼でしょうか?
新約聖書のペテロの手紙二の冒頭では、「神の霊感を受けて書いた」と言われている著者が、こんな記述を残しています。「わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。」「預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです」
「聖霊」とか「霊感」って厄介ですよね? 他の人には見えないから、実際に聖霊が降って書いたのか、自分勝手に書いたのか、結局外から分からない。本当に、聖霊を受けて書いたとしても、どこまでが神の言葉で、どこからが自分の言葉になっているのか、書いた本人も分かってないかもしれません。
実は、聖書に出てくる預言者たちも、神から言われたことを人々に伝えるとき、ちょっとずつ違う言葉で語ったりします。もともとは言われていなかったことを付け加えたり、言い換えたり、省略したりしています。それを神様がよしとしたのか、実は歯痒く思っていたかは分かりません。
今、私たちの手元に残されている聖書の記述に、神の言葉として信頼するには怪しいものがあることを、聖書自体が暴露している。神様はなかなか複雑なことをなさいます。最初から人間の口によって、人間の手によってではなく、神が直接言葉を残していたら、こんなに煩わされることもなかったでしょう。
でも、神様はなぜか人から人へ、自分の言葉が語られていくのを好むんです。どういうわけか、リスクの高い、回りくどい方法で、自分の教えが、自分の業が、広められていくのを好むんです。それはきっと、自分の言葉を右から左へ受け入れることじゃなくて、一人一人が悩み、驚き、発見しながら受け取ることを望んだからだと思います。
神様は、時代的な制約や偏った思想に支配されている人間へ、聖霊を送って、自分の言葉を語らせました。様々な弱さや限界を抱える人々を用いて、聖書の言葉を記させました。それは、最高の料理人が、まだ小さくて、包丁も上手く持てないような幼な子に、自分のレシピに挑戦させるような大胆さです。
できあがった料理(聖書の言葉)は、完璧な料理人である主人(神様)の監修のもと作られていますが、形が歪だったり、味付けが微妙だったりするものもあります。主人の手で直接作るか、完全に作り直した方が、味も形も整いますが、この主人は、なるべく手を加えずに、集まった人たちへ差し出します。
それは、弱さと限界を持つ作り手が尊重された証なんです。料理を受け取った人たちも、「料理の出来」以上のものを味わいます。分量や温度が間違っているかもしれないけど、塩や砂糖が多すぎたり、少なかったりするけれど、確かに「完璧な料理人である主人が認めた」「完成した料理(完成した言葉)」であることを知るんです。
だからと言って、その味付けを(語られたものを)、自分たちも模倣しなければならないと言ったら、いわゆる「原理主義」に陥るでしょう。模倣すべきなのは、できあがった料理そのものではなく、料理が下手くそな自分に付き添い、成長させてくださる主人(神)に信頼して、包丁を握った幼な子たちの姿です。
聖書を「完成した神の言葉」として受け取る際も、そのことを踏まえた上で、歪な味付けの中に、預言者の、使徒たちの、弟子たちの指を支える神の姿を受け取ることが、誠実な態度じゃないかと思います。書かれている言葉全てを美味しく味わえなくてもいいんです。むしろ、おいしく味わえないときこそ、聖書の深みを知っていくチャンスです。
神の言葉をどう受け取るかは、信仰者が一生かけて付き合っていくテーマです。どうぞ、これからも、苦かったり、しょっぱかったり、辛かったりする言葉の中から、あなたの魂を養う「命の水」「命のパン」を一緒に見つけていきましょう。
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(大阪府大阪市の島之内教会)のために、学校へ行けない人のために、仕事へ行けない人のために、死にたくなっている人のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆大阪府大阪市の島之内教会のために祈ります。教会員やその家族が新型コロナウイルスの流行から守られますように。信仰の継承で悩んでいる人たちに、新しいヒントと誠実な宣教がもたらされますように。
◆学校へ行けない人のために祈ります。様々な事情で、学校へ行けない子どもたち、生徒、学生の上に、あなたの励ましがありますように。原因となった環境に変化がもたらされますように。また、新たな居場所と結び付きが得られますように。
◆仕事へ行けない人のために祈ります。様々な事情で、仕事を失った人、仕事ができなくなった人に、あなたの慰めがありますように。十分な機会と休息がもたらされ、安心して働く場所が得られますように。
◆死にたくなっている人のために祈ります。様々な事情で、不安や恐怖に苛まれ、生きているのが辛くなっている人たちに、あなたの支えがありますように。余裕と気力と生き甲斐とが、必要なとき、必要なタイミングでもたらされますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
マスクをしたままで、オンライン賛美歌「枯れた谷に鹿が」(©️柳本和良)を歌いましょう。オンライン讃美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。
主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。
天にまします我らの父よ。
ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来らせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを 我らが赦すごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。
国と力と栄えとは 限りなくなんじのものなればなり。アーメン。
報 告
本日も教会に集まって、配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の聖書研究祈祷会は、配信2名、出席4名、計6名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。
教会の集会に初めて参加される方は、三密回避の人数調整のため、電話かメールでお問い合わせください。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。