ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『どう祈ったらいいですか?』 マタイによる福音書6:5〜8、ルカによる福音書18:9〜14

聖書研究祈祷会 2021年5月5日


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案 内

華陽教会では、岐阜県の医療提供体制を踏まえて、会堂に集まる集会を休止し、配信等による在宅聖研を行っています。共に今、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の501番「主よ、私たちは祈ります」を歌いましょう。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美をささげましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて在宅聖研祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、今必要な力と言葉が、みんなに与えられますように。

◆私たちの母なる神様。感染症の影響で、体だけでなく、心にも大きな負担がかかっている人たちを覚えます。どうか今、精神的にしんどい人、気力が湧いてこない人に、あなたの御手を差し伸べてください。

◆私たちの父なる神様。仕事が減ったり無くなった人、進路が絶たれ絶望した人、やりたいことが見つからない人を覚えます。どうか今、失われた様々な機会が、新しい形でもたらされ、欠けていた力が回復されるよう導いてください。

◆私たちの友なる神様。理解されない痛みや人との違いに傷ついている人、事故や怪我によって苦しんでいる人、老いや病気によって悩んでいる人を覚えます。どうか今、一人一人に必要な癒しとつながりをもたらしてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書6:5〜8、ルカによる福音書18:9〜14(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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congerdesignによるPixabayからの画像

メッセージ

実は、去年の10月も「祈り方」をテーマに一ヶ月間、聖書研究を行いました。今年の5月も「祈り」という項目を中心に「癒し」や「悪魔」など、色んな人が気になりやすいテーマからメッセージをしていきます。第一弾は、タイトルにも挙げたとおり、「どう祈ったらいいですか?」という内容です。

 

よく、長年教会に通っている人でも、「ちゃんとしたお祈りができているのか自信がない」「自分のやり方が合っているのか分からない」という人がいます。たいていは、教会へ通っているうちに、色んな人がお祈りするのを見て聞いて、自分も真似して、できるようになっていくと言われています。

 

でも実際は、「そんなお祈りダメ」と言われたり、「短すぎる」と言われたり、何が正解かよく分からないまま、祈れなくなっちゃった人もたくさんいます。ある日突然、礼拝で司会に当たって、献金の奉仕に当たって、「お祈りしてください」と言われたら、私どうしたらいいんだろう!……と不安で夜も眠れない人もいるでしょう。

 

先に言っておくと、華陽教会では、強制的に人前で祈るようお願いすることはありません。お祈りを誰かにお願いするときも、「これが参考にできますよ」という紙を用意しています。他教会の方でも、「祈り方が分からない」というときは相談に乗るので、気軽に質問してください。

 

さて、話を元に戻しますが、初めて神様に祈ってみようと考えたとき、何から始めたらいいか分からない人が多いと思います。お祈りは神様に心を向けて、感謝したり、悔い改めたり、願いを聞いてもらったりすることなので、「これが正解」というようなルールはありません。

 

長く祈らなきゃダメとか、難しい言葉を使わなきゃダメとか、紙に書いて読んだらダメとか、そういうこともありません。時々、短すぎる祈りは祈りじゃないとか、お祈りは読むものじゃないと言う人もいますが、そういう根拠は聖書の中に出てきません。牧師の私も、誰かのためにとりなす祈りをするときは、紙に書いて祈っています。

 

お祈りは短すぎたらダメだ……と思われる原因の一つは、我々牧師が礼拝で長い祈りをしてきたことが原因だと思いますが、本当は長く祈る必要はありません。言葉数が多い方が、祈りとして効果がある、なんてこともありません。最初に読んだマタイによる福音書でイエス様が言っているように、神様は願う前から、私たちに必要なものをご存じです。

 

もちろん、「これについて祈らなきゃ」と思っていた大切なことを忘れてしまうこともありますが、私たちが教会という場所で、みんなと集まってお祈りするのは、お互いに足りない祈りを心の中でとりなして、神様の前に出すためです。私に足りなかった祈りを、私の前に、隣に、後ろにいる人がしてくれる。私も誰かの頭から抜けたこと、誰かが今は祈れないことを今この時間一緒に祈ろう……それが人前で祈りを合わせる意味なんです。

 

だから、長く祈ろうとする必要はありません。一緒にいる一人一人の祈りが、自分に足りない祈りを満たしてくれると信頼して、数行でも、数秒でも、言葉にしてくだされば大丈夫です。かつて、イエス様はたとえ話の中で、目を天に上げようともせず、たった一言しか祈らなかった徴税人の祈りを「正しい」とされました。

 

「神様、罪人のわたしを憐んでください」……ただ、これだけです。私が初めて参加した聖書研究祈祷会で、当時小学生の信徒の子どもがこんな祈りをしていました。「神様、今日もみんなと会えて感謝します。明日も一日、みんなと楽しく遊べますように」……これだけです。これで十分、祈りとして受け取ってもらえます。

 

一方で、誰かを貶める祈りもあります。「神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています」……イエス様が批判した、ファリサイ派の祈りがそうでした。

 

ここまであからさまでなくとも、聞いた人がショックを受けたり、傷ついたりする祈りがあります。それは、公の場で控えなければなりません。「○○さんと××さんが早く仲直りしますように」「○○さんが早く仕事につけますように」「○○さんがあの失敗を反省してくれますように」……こういった祈りは、ときに相手を貶めてしまいます。

 

たとえ、そのつもりがなくても、不特定多数の人に聞かれたくない可能性がある状況は本人の了承を得てない限り、みんなの前では祈らないでください。個人のことに限らず、他教会や外のグループについても、周りに知られたくないかもしれない内容は、その場で口にしていいものか、よく考えてから祈りましょう。

 

もし、どちらかよく分からないときは、それこそ「自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父」神様にだけ、分かるように祈ってください。そして、本人から「礼拝や祈祷会で祈ってほしい」と言われたときは、その旨を牧師に伝えて、安心してみんなで祈りを合わせましょう。

 

お祈りの言葉遣いも、特別なものにする必要はありません。祈る言葉が出てこないときは、華陽教会の『とりなしの祈り』を参考に、「○○のために祈ります。どうか××してください」「△△のために祈ります。どうか◇◇を助けてください」というふうに、シンプルに祈れば大丈夫です。

 

お祈りの最後に、「イエス様のお名前によって祈ります」とつけるのは、イエス様が私の祈りを整えて、神様のもとへ持っていってくれる……という信頼を表し、その後、みんなで「アーメン」と言いやすくするためです。「アーメン」というのは、「本当にそうです」とか「本当にそうなりますように」という意味のヘブライ語、聖書の原典の言葉です。

 

好きな人、嫌いな人にかかわらず、イエス様の御名によってささげられたお祈りは、全て、イエス様が整えて、神様のもとへ持っていってくれるんだ……ということを覚えて、一緒に「アーメン」と言っていただけたら嬉しいです。もちろん、「本当にそうなりますように」と言えないお祈りのときは、無理に言う必要はありません。

 

誰かを貶める内容や、傷つける内容のときは、後から牧師が個人的に「それは聞いた人がショックを受けますよ」と説明するので、皆さんはそっと見守っていてください。お祈りは、誰かの信仰を評価するものでも、また評価してもらうためのものでもありません。互いにとりなして、神様に大切向き合う時間なので、ぜひ大事にしていきましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(大阪市阿倍野区の南大阪教会)のために、医療従事者のために、学校関係者のために、子どもたちのために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆大阪市阿倍野区の南大阪教会のために祈ります。創立以来、教会と共に歩んでいる南大阪幼稚園の耐震リフォームが、安全に進められますように。工事中、子どもたち、スタッフ、保護者のみんなが守られますように。

◆医療従事者のために祈ります。全国の病院・保健所で働く職員、看護師、医師の方々が感染症から守られ、人手と休息が与えられ、一刻も早く余裕がもたらされますように。医療従事者のご家族も守られますように。

◆学校関係者のために祈ります。コロナ禍の中、授業や部活のやり方で苦心している先生がた、様々な対応に追われる職員に、あなたの助けがありますように。子どもたちも、スタッフも、共に心と体が守られますように。

◆子どもたちのために祈ります。勉強の機会、遊ぶ機会、友達と話せる機会が減ってしまった子どもたちに、あなたの励ましがありますように。やりたいこと、学びたいことが思う存分できるように、新たな道を与えてください。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌「離れているけれど」(©️柳本和良)を歌いましょう。オンライン讃美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来らせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを 我らが赦すごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。

我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは 限りなくなんじのものなればなり。アーメン。

 

報 告

本日も、配信を通して聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅聖研祈祷会は、配信を通して3名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の水曜日も配信等による在宅聖研を行います。教会に集まる集会の再開は、非常事態宣言の解除を目安に、2週間毎に検討し、教会員への連絡網とホームページ等でお知らせします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。