ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『祈れば悪魔を追い出せる?』 マルコによる福音書9:17〜29

聖書研究祈祷会 2021年5月19日


www.youtube.com

 

案 内

華陽教会では、岐阜県の医療提供体制を踏まえて、会堂に集まる集会を休止し、配信等による在宅聖研を行っています。共に今、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の500番「神よ、みまえに」を歌いましょう。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美をささげましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて在宅聖研祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、今必要な力と言葉が、みんなに与えられますように。

◆私たちの母なる神様。岐阜県の病床使用率も、ついに70%を超えました。クラスター感染も、至る所で発生しています。どうか今、感染した人の回復と、医療従事者の健康と、家族や周囲の安全を導いてください。

◆私たちの父なる神様。対立が深まる国や民族の間で、解決すべき問題と、尊重すべき事柄を、誠実に判断できる力を与えてください。どうか今、慰安婦問題も、拉致問題も、安全保障も、互いの人権を無視しない心で解決へと向かわせてください。

◆私たちの友なる神様。仕事や、医療や、住居など、様々なところで困難を覚えている在日・滞日外国人の方々を助けてください。特に、フィリピン合同教会のメンバーと、在日大韓基督教会のメンバー、中部学院大学の留学生たちを支えさせてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。マルコによる福音書9:17〜29(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

メッセージ

「悪魔」や「悪霊」という言葉を聞くと、誰もが一度は考えるでしょう。身の回りで起きる悪いことは、悪魔や悪霊のせいなのか? 聖句や祈りを唱えたら、それらを追い出すことができるのか? 追い出したら、物事は良い方向へ進むのか?

 

たとえば自分の病気は、悪魔によってもたらされたのかもしれない。この前の事故は、悪霊によって引き起こされたのかもしれない。誰かに祈ってもらえたら、悪いものが祓われて、心も体も回復し、不幸な出来事だって、避けられるかもしれない。

 

珍しい発想じゃありません。別に、特別何かを信じていなくても、色んな不幸が重なれば、悪いものに取り憑かれているんじゃないか? と不安になります。お祓いに行った方がいいかな? ほっておけば、もっと大きな不幸が重なるかも。もしかしたら、この前の地震も……なんて、恐怖は自然と増していきます。

 

キリスト教会の中にも、悪魔や悪霊を追い出す祈りを、積極的に勧めているところがあります。肩や背中に手を添えて、床に倒しながら祈りを唱え、その人の中から悪魔を追い出そうとする。そして本人にも、自ら悪魔を追い出すように、自分たちを真似して、力強く祈るよう勧めていく。

 

確かに、何となく体が軽くなったような、気持ちが切り替わったような、そんな感覚を覚えるでしょう。お寺でも、神社でも、占いでも、同じようにしてもらったら、たぶんそう感じると思います。

 

今の祈りで、自分についていた悪魔を追い出せたんだろうか? その証拠はあるだろうか? そうやって、日常の中で、いつもと違う変化や良いことを見つけようとすれば、自然と祈りの「効果」が見えてしまうでしょう。たぶん、別のきっかけでも同じことが起きるでしょうが。

 

私は、悪魔や悪霊を追い出す祈りを、自分からしない牧師の一人ですが、宗教だから、そういう祈りって普通じゃないの?……と思われる方もいるでしょう。現に、イエス様だって、聖書の中で、悪魔や悪霊を追い出しています。先ほど読まれた聖書箇所なんて、その代表例ですよね?

 

「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すのです。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます……」

 

典型的なてんかんの症状に見えますが、霊が見えない私などには、それが悪霊によるものか、単なる病気によるものか、はっきり知ることはできません。分かるのは、その子を苦しめているものが、今もその子を蝕んでいることです。悪霊だろうが、病気だろうが、とにかく追い出したいと願うでしょう。

 

私も同じように頼まれたら、「神様、この子から悪いものを取り去ってください」と祈ります。その祈りを、どういうふうに聞いてもらえるかは分かりませんが、悪霊を、病気を、悪いものを、追い払ってください! と願うのは自然なことです。

 

ところが、息子の父親は衝撃的な報告もしています。「この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした」……悪霊を追い出し、病を癒せるよう、イエス様から力を与えられていた弟子たちが、「追い出せなかった」と言うんです。目の前で苦しんでいる子どものために、祈らないはずがありません。でも、できなかった。

 

彼らの祈りが足りなかったんでしょうか? 他の福音書では、「信仰が薄いからだ」とも言われていました。祈っても、悪魔を、病気を、不幸を、追い出せなかったら、それは本人の思いが足りないから、信じる心が薄いから、祈りが不十分だからと言われるんでしょうか?

 

弟子たちも、父親も、イエス様に直接助けを求めるまで、必死にできることをやったでしょう。たくさんの献金をしたかもしれません。徹夜で祈ったかもしれません。できる限りの良いことをして、願いを叶えてもらおうと努力したかもしれません。でも、子どもの病気は治らない。悪いものは出て行かない。

 

みんな責められている気がしたでしょう。神様に、お前は足りない、欠けている、まだまだだ……と言われている気がしたでしょう。あらゆる不幸を、事件を、苦しさを、悪霊と結びつけたでしょう。どうにもできない強大な力が、自分たちを苦しめていると。自分はそれを追い出さなきゃいけないのに、追い出せないでいると。

 

父親の言葉も印象的です。「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください」多くの場合、イエス様が本当に追い出せるか自信がなかった……と取られる言葉ですが、むしろ、イエス様に願いを聞いてもらえるか自信がなかったんだと思います。私なんかが願ってもよければ、本当は聞いてもらえない願いですが、聞いてくださるなら……

 

イエス様はそれを聞いて、「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる」と答えます。私に「できれば」と言うか? あなたの願いを聞かないとでも思うか? どうして私があなたを助けると信じないのか? あなたは私に「助けて」と言っていいし、私にそれを求めていいんだ。

 

「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねる弟子たちにもイエス様は語ります。「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」……弟子たちは、あのとき祈らなかったんでしょうか? きっと祈っていたはずです。でも、「効果がある祈り」をしようとして、躍起になっていたんだと思います。

 

神様、徹夜で祈ったら、この子を助けてくれますか? みんなに良いことをしたら、病気を癒してくれますか? もっと聖書を読んで、もっと反省して、もっと謙虚になったら、願いを叶えてくれますか? 自信を持って、力強く口に出したら聞いてくれますか? できることなら、私の願いを聞いてください! 私の言うことなんて聞いてもらえないでしょうが、がんばりますから!

 

イエス様の求める祈りは、そういう祈りじゃないみたいです。「どうしたら、祈りを聞いてもらえるか?」なんて、コツもマニュアルもありません。「信仰の薄い者よ」「なぜ疑ったのか」「いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか」……そう言いながら、疑い、迷い、頑固な人たちを目の前で助けてきたイエス様が、「祈れ」と言います。

 

求めなさい、願いなさい、私の胸を叩きなさい。自分の願いを聞いてくれるか、不安に思う必要はない。私はいつも聞いている。「こうしますから」「ああしますから」と保険をかける必要はない。私は疑い、迷い、頑固な者たちを助けてきた。何にも囚われず、何にも縛られず叫びなさい。「助けて」と私に願いなさい。

 

そうして、自ら一言も「助けて」と言えなかった少年の口から、「ものを言わせない霊」をイエス様は追い出します。悪魔や悪霊を追い出そうとする人たちに、神様に聞いてもらえる「効果的な祈り」をしようとする人たちに、もっと素朴に、もっと素直に、「助けて」と言うことを求めます。

 

私が聞いていることを信じなさい。悪霊を追い出すのは、あなたじゃなくて私なんだ。見えないものを無理に見て、聞こえないものを無理に感じて、自分で追い出す必要はない。あなたから追い出すべきものは、私が追い出すと信じなさい……悪霊を見ることも聞くこともできない私たちに、今日もイエス様は語りかけています。

 

もし、何か不安を覚えたら、原因が分からないものに怯えたら、安易に悪魔や悪霊を見ようとしないで、イエス様に助けを求めましょう。私たちに必要なものは、いつも神様がご存知です。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(大阪府吹田市の吹田教会)のために、入管施設にいる外国人のために、弾圧を受けている民族のために、自由を奪われている市民のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆大阪府吹田市の吹田教会のために祈ります。代務の牧師が与えられた教会に、これからも祝福がありますように。どうか、後任の牧師が順調に迎えられ、教会の輪が広がるように導いてください。

◆入管施設にいる外国人のために祈ります。命が脅かされないように、家族と切り離されないように、日本での滞在を求めている人に、あなたの憐れみがありますように。入管施設の環境が改善され、働く人たちの負担も改善されますように。

◆弾圧を受けている民族のために祈ります。文化の違い、宗教の違い、ルーツの違いから迫害されている人たちに、あなたの助けがありますように。力を持った人たちが、不寛容から解放され、誠実な相互理解がもたらされますように。

◆自由を奪われている市民のために祈ります。強引な方法で自治を奪われ、対立と分断がもたらされている人たちに、あなたの励ましがありますように。独裁や暴力が解消され、公平な対話へ漕ぎ着けるように、あんたの御手を伸ばしてください。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌「祈れないときに」(©️柳本和良)を歌いましょう。オンライン讃美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

f:id:bokushiblog:20210317094129p:plain

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来らせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを 我らが赦すごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。

我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは 限りなくなんじのものなればなり。アーメン。

 

報 告

本日も、配信を通して聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅聖研祈祷会は、ライブ配信の奉仕者3名、配信参加者の3名、計6名が出席されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の水曜日も配信等による在宅聖研を行います。教会に集まる集会の再開は、非常事態宣言の解除を目安に、2週間毎に検討し、教会員への連絡網とホームページ等でお知らせします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。