ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『異言が理解できません!』 コリントの信徒への手紙一14:1〜19

聖書研究祈祷会 2021年6月9日


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案 内

華陽教会では、岐阜県の医療提供体制を踏まえて、会堂に集まる集会を休止し、配信等による在宅聖研を行っています。共に今、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の512番「主よ、献げます」を歌いましょう。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美をささげましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて在宅聖研祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を必要とする人を導いてください。

◆私たちの神様。新型コロナの新規感染者も少しずつ減少し、3日連続で30人を下回りました。一方で、病床使用率は依然としてステージ4の水準を保っています。どうか今、医療従事者の負担が減らされ、患者と家族が支えられますように。

◆私たちの神様。知らず知らずのうちに、心や体に疲労が溜まっている人へ、あなたの御手を差し伸べてください。どうか今、急に体を壊した人や、心が乱されている人に、あなたの癒しと回復がありますように。

◆私たちの神様。今度の日曜日も引き続き在宅礼拝ですが、花の日・こどもの日を迎えます。どうか今、コロナ禍で多くの制限を受けている子どもたちに、あなたの憐れみがありますように。大人の私たちに知恵と工夫をもたらしてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。コリントの信徒への手紙一14:1〜19(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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Gerd AltmannによるPixabayからの画像

メッセージ

「先生は異言で祈れますか?」……たまに、こんな質問を受けることがあります。異言が何かご存知ない方もいるでしょう。いわゆる霊感現象の一つで、異国の言葉、聞き慣れない言葉で祈ったり、賛美したり、語ったりすることを意味します。聖書の中で、異言について言及される有名な箇所は4つです。その一つがペンテコステの出来事でした。

 

五旬祭の日に、イエス様の弟子たちが一つになって集まっていると、「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」……本来、話せるはずのない言葉、自分たちの知らない言葉を語り出し、外国から帰ってきたあらゆる人々を驚かせる。

 

同じように、聖霊を受けた人が、聞き慣れない言葉で祈ったり、賛美したり、語ったりする現象のことを「異言」というふうに呼んでいます。異言は既に過去のもの、廃れたものという考えもあれば、現代まで続いていると考える人もいます。いずれにせよ、今では「異国の言葉を話す」というよりも「意味不明な言葉を話す」現象として理解されます。

 

その根拠になっているのが、先ほど読んだ聖書箇所、コリントの信徒への手紙一14章です。初代教会の宣教者パウロは、異言が意味不明な音声の羅列で、特殊な賜物を与えられた者だけが通訳できると言っていました。異言は「神に向かって」感謝の祈りや賛美を唱えるものであり、人間には理解されないものであることが書かれています。

 

ここから、異言で祈るときの言葉は「神の言葉、天的な言葉」だと言われるようになりました。「天国語」とでも言えばいいんでしょうか? 私はその考えが正しいか分かりませんが、この時点で、もうペンテコステの出来事における「異言」とは、違う性質になっていることが分かるでしょう。

 

使徒言行録には、ペンテコステの後も、コルネリウスの家で聖霊の賜物を受けた異邦人が異言を語り出したことや、ヨハネの弟子たちがパウロに手を置かれて聖霊を受け、異言を語り出したことが書かれています。

 

この2つは、外国の言葉が語られたのか、誰も知らない意味不明な言葉が語られたのか明確に記してはいません。ただし、前者は異邦人とユダヤ人が、後者はヨハネの弟子たちとイエス様の弟子たちが、一つにされる出来事として書かれています。つまり、もともと異言は、異なる出身、異なる背景の持ち主たちを、神の前で一つにする働きでした。

 

ところが、それからしばらく立って、各地に教会が建てられていく中で「異言を話す」という行為が、教会に集まった人々を一つにするどころか、分裂させてしまう状況が出てきました。人間の理解を超える天的な言葉を話す能力が、自分たちの霊性と成熟を表すしるしだと考える人たちが、競争するように異言を語ろうとしていたからです。

 

集会の中、あちこちで理解できない言葉が語られる。本人にも、周りにも、意味の分からない言葉で、祈りと賛美が行われる。それによって、教会は無秩序な混乱に陥っていました。ある人が特殊な言葉で祈るとき、自分は普通の言葉でしか祈れない。一人、二人と周りで異言を話す人たちが出てくる中、いつまでも異言が出てこない自分。

 

当然、焦りますよね? 「何とか異言を話せるように!」ってみんなが思うでしょう。じゃないと、「自分は聖霊を受けてない」「成熟していない」って思われるかもしれないから。本人だけでなく、親や家族も焦ります。あの子は異言で祈れるのに、この子はまだ祈れない。何とかして、異言で祈らせないと仲間外れにさせてしまう。

 

今でも、一部の教会では、家族や友人のために「この人も異言で祈る日が来るように」と祈ります。そして、実際に異言が出てくるとみんなで喜びます。でもそれは、パウロの言っていた、「神に向かって」その人が感謝の祈りや賛美を唱える言葉ではなく、「人に向かって」自分の霊的な力、成熟の証を見せようとする言葉へ変わっているように感じます。

 

だからこそ、パウロは異言で語ることそのものは否定しませんが、共同体の中で語ることを控えるように教えます。異言は人前で語らせるものでも、人前で語れるように求めるものでもないからです。

 

私は、誰かが異言で祈ることを、人が促すのも、止めるのも、するべきではないと思っています。それは、語らせる聖霊が決めることで、私たちは必要なとき、必要なところで、もう語らされているからです。私は現代にも「異言」が見られるとすれば、それは周りからも自分からも促されず、出てきた神への言葉だと思います。

 

あなたがどう祈ったらいいか分からないとき、神に向かって聖霊が語らせる、意味不明な言葉……呻きや、嗚咽や、感謝の涙……あなた自身にも、周りの人にも、翻訳できない神への言葉を、ただ神に向かって語らされる。みんなの前でやったら、確かに「気が変だ」と思われるでしょう。でも、神様は、あなたから出てきた言葉を、大事に、大事に、受けとめます。

 

聖霊が語らせる祈り、賛美、感謝の言葉は、人を喜ばせるために、自分を安心させるために、表へ吐き出す必要はないんです。あなたは聖霊の賜物だと思ってないかもしれませんが、特別な言葉だと思ってないかもしれませんが、あなたの中から湧き上がる、人間の言葉でまとまらない叫びや呻きや喜びは、確かに、神に向かって語られる、聖霊の言葉でもあるんです。

 

「先生は異言で祈れますか?」という質問に、今私が答えるとしたら、「聖霊が語らせるなら」と答えるでしょう。異言は、自分が祈ろうと思って、誰かに求められて、出てくるものではありませんが、私が神に向かわなければならないとき、自ずと語らされるものだからです。

 

思い返せば、電話で、相談で、通訳できない呻きや笑いを、聖霊が語らせる言葉を、私は色んな人から耳にしました。これからも、聖霊は必要なとき、必要な人に語らせるでしょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(大阪府池田市の池田五月山教会)のために、飲食店で働く人のために、イベント業で働く人のために、出版業界で働く人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆大阪府池田市の池田五月山教会のために祈ります。コロナ禍の中、この教会がしっかりとイエス様につながって、お互いに励まし合って歩むことができますように、ジュニアチャーチと教会幼稚園の働きが支えられますように。

◆飲食店で働く人のために祈ります。感染症が流行する中、様々な制限を受けているお店に、あなたの慈しみがありますように。働いている一人一人の生活が守られ、気持ちよく仕事ができるように助けてください。

◆イベント業で働く人のために祈ります。音楽、演劇、屋台など、人を集める仕事をしている人たちに、あなたの恵みがありますように。多くの機会が失われた分、新たな舞台ときっかけが与えられますように。

◆出版業界で働く人のために祈ります。印刷、構成、編集、作家、それぞれの積み重ねが報われますように。店頭で本を手に取ってもらえる機会が再び作られ、知識と笑顔と発見を多くの人へ届けられますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌「閉じこもる私たちに」(©️柳本和良)を歌いましょう。オンライン讃美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

報 告

本日も、配信を通して聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅聖研祈祷会は、ライブ配信の奉仕者2名、配信参加者の3名、計5名が出席されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の水曜日も配信等による在宅聖研を行います。教会に集まる集会の再開は、非常事態宣言の解除を目安に、2週間毎に検討し、教会員への連絡網とホームページ等でお知らせします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。