ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『お前たちは何者だ?』 使徒言行録19:13〜20

小規模礼拝 2021年7月11日


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案 内

華陽教会では、第一・三日曜日と第二・四日曜日に会衆が半分ずつ、数カ所に分かれて集まる小規模礼拝を行っています。共に今、教会にいる人も自宅にいる人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。(*前奏)

 

招 詞

主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。(エレミヤ書7:4)

 

讃美歌

マスクをしたままで、旧讃美歌87-B「めぐみのひかりは」を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美をささげましょう。(お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まることができ感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、配信や原稿を見て礼拝に参加している人を祝福してください。

◆主なる神よ、私たちはこの一週間、人に怒りをぶつけたり、傷つけたりしてきました。私たち自身も、怒りや悪意をぶつけられ、痛みや苦しみを覚えてきました。どうか今、私たちの受けた傷、私たちがもたらした痛みを癒し、回復させてください。

◆主なる神よ、あなたは心に平安をもたらし、大切な言葉を与えてくださいます。どうか今、心を乱す様々な事柄に惑わされず、あなたの声を聞かせてください。これからのち、新しい人として主に仕え、あなたの栄光を現すことができますように。

◆主なる神よ、この礼拝を最後まで導いてください。どうか今、私たちの隣に、前に、後ろにいる人を祝福し、必要な力を与えてください。ここに見えない人たちも、それぞれ、あなたの言葉を受け取ることができますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録19:13〜20(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編119:105〜112(新共同訳交読詩編より抜粋)

交読詩編付きの『讃美歌21』をお持ちの方は、後ろの方に載っています。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(お立ちください)

 *Aのところは牧師が、Bのところは司会と会衆が読みましょう。

 

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Gerd AltmannによるPixabayからの画像

メッセージ

キリスト教は、魔術や呪術を忌み嫌い、霊媒師や祈祷師と対立している。世間一般的にだいたいそういうイメージがあるでしょう。もちろん、エンターテイメントとして、魔法使いの物語や、占いを楽しむことまで否定するかは幅がありますが、ビジネスとして、伝道手段として、魔術や呪術を用いることは、健全なキリスト者なら、ないでしょう。

 

実際、旧約聖書には繰り返し、「占い」や「呪い」を戒める記述が出てきますし、新約聖書には魔術師や祈祷師との対決が度々描かれています。先ほど読んだエピソードも、信仰がある人とない人の話、信者と偽信者、あるいは教師と偽教師の話に捉えられることが多いでしょう。

 

キリストと出会って回心した宣教者パウロが、病人を癒やし、悪霊を追い出す奇跡を行う中、試しに、それを真似した祈祷師たちが、悪霊に負けて裸にされ、酷い目に遭わされてしまった。端的に言うと、そういう出来事です。どうやら祈祷師たちは、パウロの手を通して行われた奇跡が、自分たちも真似すれば、できるかもしれないと思ったようです。

 

「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」……悪霊に向かって、これでいいかな? と試しに言っているような様子が、そのまま描かれています。それに対し、悪霊の方はイライラした調子で答えます。「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。」

 

そして、悪霊に取り憑かれた男は祈祷師たちへ飛びかかり、彼らを散々な目に遭わせました。一見、偽物が本物を真似しようとして懲らしめられた、自分にもできると侮って、痛い目に遭ってしまった、スカッとするエピソードに聞こえます。でも、悪霊が彼らに放った言葉は、同じように病気や苦しみを追い出そうとする私たちをもドキッとさせます。

 

お前たちは何者だ?……イエスやパウロの名前を使うが、お前はいったい何者だ? イエスの仲間じゃないだろう? パウロの仲間でもないだろう? お前は神の子とも、その弟子たちとも、関係がない人間だろう? なぜ、イエスやパウロの名前を使うのか? お前からは、何の力も感じない。

 

なぜ、イエスやパウロの名前を使うのか?……この問いへ真剣に向き合うと、主イエス・キリストの名によって、神に祈りをささげている全ての人に緊張が走るでしょう。パウロをはじめとする、使徒や聖人の祈りを通して神に願う、様々な教派も同様です。あなたはなぜ、イエスの名によって祈るのか? イエスとどんな関係を持っているのか?

 

今日の礼拝でも、賛美歌の後のお祈りで、私はイエス・キリストの名によって願いました。嫌なことがなくなり、良いことが起きるように願いました。皆さんも、誰かに教えられたように、イエス・キリストの名によって祈るでしょう。痛みが和らぐように、体が治るように、問題が解決するように願うでしょう。

 

それは、「信じて」いるからでしょうか? それとも、「試しに」願っているんでしょうか? 私たちがイエスの名によって、聖人の祈りを通して、病気や苦しみや困難に打ち勝とうとするとき、それは信仰によって祈っているのか、それとも試しに祈っているのか? 自信を持って答えられるでしょうか?

 

イエスの名で命じれば、使徒の祈りを使えば、悪霊を追い出せるかもしれない、病気を癒せるかもしれない、困難に打ち勝てるかもしれないと、試みに祈ってしまったことが、「一度もない」と言い切れるでしょうか? 実は、祈祷師たちと同じように「試しにやってみたらできた!」を期待して祈っているかもしれない。

 

考え出すと怖いですよね。試しに、イエスの名前を出したことで、使徒の名前を使ったことで、祈祷師たちのように酷い目に遭ってしまったら……あのときの祈りが、信仰に基づく心からの願いだったか、ご利益に期待する罰当たりな願いだったか、不安になる人もいるかもしれません。

 

どうやらイエスの名によって祈ることは、信仰がなければ効果がないどころか、かえって悪い結果をもたらすらしい。それなら、おいそれと祈らない方が、何も願わない方がいいかもしれない。あるいは、「正真正銘、自分はイエスを信じている」「パウロと同じ信仰を持っている」と、自らの行動で示そうとする人もいるかもしれません。

 

私は本気で、イエス様が病を癒すと信じているから薬を飲まない! 誰かの助けも借りないし、借金してでも献金する! これだけすれば、これだけ願えば、私の信仰は本物だと、使徒の仲間だと認められ、悪霊からも「お前たちは何者だ?」なんて言われない。私は祈祷師とは違う! 酷い目に遭う魔術師や呪術師とは違う!

 

明らかにエンターテイメントが目的のアニメや漫画や絵本まで、魔術が出てくるものを忌み嫌い、捨てさせようとする一部の人も、そういった脅迫的な感情が、根っこにあるのかもしれません。でも、厄介なことに「お前たちは何者だ?」という問いかけは、そんなことで、簡単に消えてはくれません。

 

イエス様の弟子たちも、かつて、イエスの名によって悪霊を追い出そうとしたにもかかわらず、追い出せなかったことがありました。教えられたとおりに祈っても、願っても、上手くいかないことがありました。皆さんだってそうでしょう。教会で聞いたとおりに、イエスの名によって祈ったけれど、上手くいかなかった人もいるでしょう。

 

前より酷い目に遭ったり、状況が悪化した人もいるでしょう。自分は神様からよく思われていない、イエス様から認められていないと感じた人もいるでしょう。かつて、てんかんに苦しむ少年を助けられなかった弟子たちが、イエス様から「信仰の薄い者たちよ」と言われたように。

 

でも、ちょっと待ってください。自分が何者か、もう一度思い出してください。悪霊を追い出せなかった弟子たちが、その後もイエスの弟子として遣わされたこと。イエスの復活を信じなかった人々が、復活の証人として新たに送り出されたこと。晩年病気を癒されなかったパウロが、最後まで宣教者として用いられたこと。あなたが今日ここに招かれ、ここから送り出されようとしていること。

 

悪霊の「お前たちは何者だ」という問いに、祈祷師たちは答えられませんでした。それは、イエス様のこともパウロのことも、仲間としてではなく、願いが叶う条件として見ていたからです。自分を受け入れてくれる存在、自分を赦してくれる仲間とは、思っていなかった。勝手に名前を使ったことを、怒られるかもしれないと思っていた。

 

一方で、イエス様と一緒に行動してきた弟子たちやパウロは、悪霊を追い出せなかったときも、従えなかったときも、イエス様が自分を弟子として、仲間として、受け入れ続けてくれたことを知っていました。上手くいかなかったとき、苦しみに遭ったときも、イエス様は自分を捨てないこと、自分を赦し、癒やし、助けてくれることを覚えていました。

 

度々「できることなら」と試みに祈ってしまう自分も、イエス様は赦している。信じきれない自分、疑ってしまう自分も、神様は愛し、立たせ続けてくださる。こんなんだけれど、私はイエス・キリストの仲間です。パウロやペトロと同じく、キリストの弟子であり証人です。「お前たちは何者だ?」という問いに、答える力を持っています。

 

そう、必要なのは、悪霊を追い出したり、病を癒したりする、目に見えるしるしではありません。あなたを苦しみから解放するのは、あなたがキリストに赦されていること、受け入れられていること、仲間として呼ばれていることを肯定する勇気です。あなたはイエス様の仲間です。そう答える力が、あなたの内から溢れ出て来ますように。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の153番「幸いな人」を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。使徒信条(讃美歌21の93-4Aです)。

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。

(*着席のジェスチャー)

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

 

司会:一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。持ち合わせのない方は、受付でもらった献金袋をそのままお入れください。配信を見ている教会員の方は、また後日、来られたときにおささげください。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌26番「あなたが共にいること」(©️柳本和良)を歌いましょう。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美をささげましょう。(お立ちください)

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祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

派 遣

起き上がれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである。(使徒言行録26:16)

祝 福

父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。(テモテへの手紙二1:2)

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の小規模礼拝は、教会に集まった18名、同時に視聴された10名、計28名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

6月26日から行っている「ワクチン接種に関するアンケート」ですが、本日までに48件中26名の方が回答してくださいました。約54%の解答率ですが、普段礼拝に出席されている方々が、ほぼ回答してくださった人数と思われます。

 

アンケートの結果、1回目のワクチン接種を完了している方が、私を含め17件で、回答者の65%。2回名のワクチン接種を完了している方が9件で、回答者の34%。残りは、これから接種をする予定の方が8件で、接種を検討中の方が1件でした。

 

現在までに、ワクチン接種を理由とする深刻な被害は、華陽教会の中では報告されていません。また、7月中にワクチン接種を終える方が17件で回答者の65%、8月には84%の方がワクチン接種を完了すると思われます。

 

既に、65%の方が1回目のワクチン接種を終えていることから、1名の転入会式を予定している、来週7月18日から、全会衆が複数の部屋に分かれて集まる「三密を避けた会衆礼拝」に移行しようと思います。Aグループの方もBグループの方も集まれます。

 

また、7月中に65%の方が2回目のワクチン接種を完了し、8月には84%の方がワクチン接種を完了すると思われるので、30〜45分に短縮している現在の礼拝を、8月から通常の45〜60分の礼拝に戻し、聖餐式や愛餐式を慎重に再開したいと思います。

 

なお、礼拝後残ってお話される方は混雑を避けるため、ロビーではなく礼拝堂で、十分な間隔をとってお話しください。牧師も入り口ではなく礼拝堂にいるので、お話のある方はこちらでお願いします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。