日曜礼拝 2021年8月8日
案 内
華陽教会では、感染症対策のため、礼拝堂、ロビー、3階集会室、2階配信部屋に分かれて「三密を避けた会衆礼拝」を行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。(*前奏)
招 詞
主に向かって歌い、主を賛美せよ。主は貧しい人の魂を/悪事を謀る者の手から助け出される。(エレミヤ書20:13)
讃美歌
マスクをしたままで、旧讃美歌87-B「めぐみのひかりは」を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美をささげましょう。(お立ちください)
お祈り
(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。
◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まれたことを感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、配信を通して一緒に参加している人も、祝福してください。
◆私たちの神様。76年前の8月6日、8月9日に、広島と長崎で原爆が投下されました。子どもや、女性や、高齢者が、何もできないまま亡くなりました。どうか今、どのような理由があっても、同じことが二度と繰り返されないように助けてください。
◆私たちの神様。言葉の違い、民族の違い、宗教の違いによって、弾圧を受けている人たちがいます。特に、シリア、イラク、ミャンマーで、爆撃や流血が行われています。どうか今、一刻も早く平和をもたらして、一人一人の命を救ってください。
◆私たちの神様。来週は、華陽教会で新たな仲間を迎え、洗礼式と聖餐式を行おうとしています。どうか今、あなたに招かれ受け入れられた喜びを、みんなで味わいつつ、新しい生き方ができるように、私たちみんなを支え合う共同体にしてください。
◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書10:16〜23、使徒言行録20:25〜32(新共同訳より抜粋)
*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編57:2〜12(新共同訳交読詩編より抜粋)
交読詩編付きの『讃美歌21』をお持ちの方は、後ろの方に載っています。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(お立ちください) |
讃美歌
マスクをしたままで、讃美歌21の526番「苦しみ悩みの」1、2、5、7節を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)
メッセージ
これから、自分の仕事を引き継ぐ相手、多くのことを任せる相手に、皆さんはどんな言葉をかけるでしょう? 卒業する先輩が後輩に、異動する上司が後任に、家を去る者が兄弟に、言い残す言葉は何でしょう? 多くの場合、それは励ましだと思います。自分がいなくても何とかなる、問題ない、やっていけるよ……という言葉。
でも、キリスト教会において、どこかへ誰かを派遣するとき、新たな使命に遣わされるとき、よく耳にされるのは、励ましというより、脅しに近い言葉です。「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ」……まもなく、弟子たちの前から姿を消されるイエス様も、たいへん不吉な言葉を残しました。
「人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである」「わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる」……単に、「苦労するけど、がんばれよ」という叱咤激励ではありません。はっきりと自分が負わせたこの使命は、この働きは、あなたを傷つけ苦しませる……と言うんです。
不思議なことに、誰が聞いても不吉な言葉を、教会は、聖職者を任命するとき、繰り返し、繰り返し、読んできました。今でも、牧師になる人が按手を受けるとき、これから教会へ遣わされるとき、この聖句が読まれます。「あなたは今日、狼の群れへ送り込まれる」と宣言されます。
信徒からすれば、嫌味に聞こえるかもしれません。まるで、送り込まれた先にいる自分たちが、狼だと言われているように感じるからです。しかし実際は、皆さんも、狼の群れの中にいます。家の問題、仕事の問題、社会の問題に噛みつかれ、教会の中へ逃げ込んでも、やはりそこには、紛れ込んだ問題、狼がいる。爪を伸ばして、引っ掻いてくる。牧師が送り込まれるのは、そんな皆さんのど真ん中です。
エフェソの教会を建てたあと、長老たちに後を託して、別れを告げるパウロもまた、狼について語りました。「わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています」「あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます」
この言葉どおり、パウロが去ったあとの教会は、たいてい次々と問題を抱えました。外から侵入してくる偽教師の他に、自分たちの中からも信徒を支配し、振り回す者が出てきました。社会の中で振り回され、傷ついた者たちが、救いを求めてやってきた教会にも、狼が紛れ込んでいます。
そう、私たちは、狼の群れの中に生きている。教会の中にも、狼が入り込んでくる。それは、自分に牙を剥く人間関係かもしれないし、差別や偏見かもしれないし、搾取や貧困かもしれません。パウロが警告したように、私たち自身が、誰かの狼にだってなり得ます。信徒が牧師の狼に、牧師が信徒の狼に、いつの間にか変貌していることもある。
実際、神から遣わされたイエス様に襲いかかった狼は、イエス様が送り込まれた先の、イエス様に従っていた弟子たちでした。イエス様が地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれたのは、裏切った弟子の手引きによるものでした。イエス様を総督の前に引き出して、「十字架につけろ」と叫んだのは、イエス様についてきたイスラエルの市民でした。
パウロも、一緒に伝道してきた仲間の中から、信徒を惑わす者や、分裂させた者がいることを話しています。彼自身、もともとはキリスト者を捕まえて、処刑する「狼」だったので、いかに狼が身近なものか、狼を招いてしまいやすいか、よく分かっていたんです。私たちは、傷つきやすい羊でありながら、人に噛みつき、引っ掻いてしまう狼にもなる。
通常、羊と狼のたとえ話は、「仲間と敵」「善と悪」の二項対立で捉えられます。しかし、これが簡単に分けられるなら、そもそも、羊を狼のもとへ送り出すことはあり得ません。仲間を敵に引き渡すこともあり得ません。イエス様の言葉も、パウロの言葉も、普通はあり得ない呼びかけです。
狼の群れに羊を送り込む、そんなことすれば、羊は狼に食べられてしまいます。誰だって分かるように、羊を狼に送り込んではいけません。また、残忍な狼どもが、入り込んでくると分かっているなら、置いていってはいけません。残された羊では、狼に太刀打ちできないからです。誰だって分かるように、羊を放り出してはいけません。
そう、私たちはこの記事を読むとき、イエス様に対しても、パウロに対しても、「放り出さないで!」という気持ちになります。「そんな危険なところに送り込まないで!」「置いてかないで!」「私たちを襲わせないで!」と言いたくなります。でも実は、イエス様が、危険なところへ私たちを送り出すのは、誰一人、放り出さないためなんです。
なぜなら、そこにいる狼は、イエス様が守る羊でもあるからです。イエス様を十字架につけた市民であり、イエス様を見捨てて嘘をついた弟子であり、イエス様に出会うまでキリスト者を迫害していたパウロだからです。イエス様は、誰もが敵としか見なさない、守る対象と見なさない、歯をむき出しにした私をも、見失った羊として、探しに来られる方なんです。
かつて、「羊飼い」にたとえられたイエス様から、「羊」にたとえられた弟子たちは、こう言われました。「わたしの羊を飼いなさい」「わたしの羊の世話をしなさい」……本来、羊飼いでない羊たちが、同じ羊を世話することはできません。あり得ないことです。しかし、この言葉を聞いて送り出された弟子たちは、他の者を世話する羊飼いになりました。
同じように、かつて「狼」であったパウロも、復活したイエス様の幻に、こう言われました。「起き上がれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである(使徒言行録26:16)」
本来、羊を襲っていた狼が、羊たちを世話する者になるなんて、あり得ないことです。しかし、この言葉を聞いて送り出された宣教者は、異邦人に救いを伝える羊飼いになりました。一見、人々を放り出すように見える言葉は、誰一人放り出さないために、私たちへ変化をもたらす、神様の力強い呼びかけなんです。
皆さんも、自分のことを傷つきやすい、力の弱い、憐れな羊だと思っているかもしれません。狼の群れへ送り込まれ、他の羊を守るなんて、あり得ないと感じているかもしれません。しかし、あなたはもう、ただの羊じゃないんです。イエス様が拾い上げ、群れに加え、新たに送り出した羊飼いなんです。だから今、もう一度、自分の足で立ちなさい。
讃美歌
マスクをしたままで、オンライン賛美歌8番「何も変わらないと(B)」(©️柳本和良)を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)
使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。使徒信条(讃美歌21の93-4Aです)。
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)
紹 介
本日は、( )人の方が初めて来てくださいました。ようこそいらっしゃいました。配信後ご了承いただいた方のみ紹介させていただきます。ぜひ、これからも神様の平和が皆さんと共にありますように。
とりなし
神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。
司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。
司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。
主の祈り
共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。持ち合わせのない方は、受付でもらった献金袋をそのままお入れください。配信を見ている教会員の方は、また後日、来られたときにおささげください。
献金の祈り(例)
主なる神よ、 私たちが持っているものはみな、あなたからいただいたものです。 今、私自身の生き方を、あなたの御用のためにおささげします。 どうか、ここにささげた献金も、 あなたの求めていることに用いてください。 主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
マスクをしたままで、献金の讃美歌65-1番「今そなえる」を歌いましょう。著作権保護のため、配信の方では一時音声をカットします。
讃美歌
マスクをしたままで、頌栄25番「父・子・聖霊に」を歌いましょう。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美をささげましょう。(お立ちください)
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
父がわたしを世にお遣わしになったように、わたしもあなたがたを世に遣わします。(ヨハネによる福音書17:18より)
祝 福
神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り/御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)
報 告
本日も教会に集まって、配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の日曜礼拝は、教会に集まった17名、同時に視聴された11名、計28名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。
華陽教会では、2回のワクチン接種を終えた方が6割を超えたので、8月から短縮していた礼拝を元に戻し、聖餐式も慎重に再開しています。引き続き、感染症対策のご協力をどうぞよろしくお願いします。また日曜日まで、一人一人に神様の平和がありますように。