日曜礼拝 2021年9月12日
案 内
華陽教会では岐阜県の医療提供体制を受けて、会衆が集まる集会を休止し、配信等による在宅礼拝を行っています。共に今、自宅にいる人も、後から見る人も、聖書の言葉に耳を澄ませ、神の招きにあずかりましょう。(*前奏)
招 詞
ヤコブよ、あなたを創造された主は/イスラエルよ、あなたを造られた主は/今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。(イザヤ書43:1)
讃美歌
旧讃美歌365番「わが主イェスよ」を歌います。同居している方がいるところは、念のため、マスクをつけて歌われるか、心で賛美を合わせましょう。
お祈り
(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。
◆全ての人を招かれる私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて在宅礼拝を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆癒しと回復をもたらす私たちの神様。今週も、幼稚園や職場をはじめとするクラスターが発生し、多くの人が困難な生活を送っています。どうか今、感染した人が速やかに回復し、新しい日常を取り戻せるように導いてください。
◆赦しと和解をもたらす私たちの神様。今週も、様々な場所で腹を立て、傷つけられ、どうにもならない場面がありました。どうか今、それぞれの家族と、友人と、職場と、支援者と、関係の改善をもたらしてください。
◆正義と公正をもたらす私たちの神様。今週も、語るべきことを語らず、聞くべきことを聞かず、行うべきことを行えなかった私たちに、あなたは付き添ってくださいました。どうか今、私自身が新しくされ、周りと一緒に変わっていけるように助けてください。
◆私たちを支え起こす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書18:23〜35、ヤコブの手紙2:8〜13(新共同訳より抜粋)
*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編15:1〜5(新共同訳交読詩編より抜粋)
交読詩編付きの『讃美歌21』をお持ちの方は、後ろの方に載っています。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(お立ちください) |
讃美歌
讃美歌21の551番「朝の光 闇をはらい」を歌います。同居している方がいるところは、念のため、マスクをつけて歌われるか、心で賛美を合わせましょう。
メッセージ
華陽教会では、毎週できる限り、「招詞」「交読文」「聖書朗読」の中で、「旧約」「詩編」「福音書」「使徒書」の四つが読まれるようにしていますが、今日はいずれも、たいへん厳しい言葉でした。特に、メッセージの直前に読まれた詩編の言葉は、耳が痛かったと思います。
「主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り/聖なる山に住むことができるのでしょうか」……そんな問いかけから、本来どのような人物が、神に受け入れられるのか、一緒に住むことが赦されるのかが語られます。正しいことを行い、嘘を言わず、中傷せず、友を傷付けず、親しい人を馬鹿にしない。
悪事をしないと約束し、その約束を貫いて、金を貸しても利息を取らず、賄賂を受け取ったり、人を陥れたりしない人……このうち幾つを、私たちは実行できるでしょうか? 「正しいことを行う」って、最も難しいことです。人間関係にせよ、感染症対策にせよ、何が正しいか分かりません。色んな状況に振り回されてばかりいます。
また、「嘘を言わない」って、どれくらい小さなことまで入るんでしょう? 何一つ、誤魔化したことがない人って、どのくらい居るんでしょう? 「中傷しない」って言うのも難しい……馬鹿とか、アホとか、最低だとか、腹を立てた相手に言ったこと、呟いたことがない人って、どのくらい居るんでしょう?
友を傷つけたことがない人、身内や後輩を馬鹿にしたことがない人、約束を破ったことがない人って、果たして居るんでしょうか? 言われていることは、どれも正しい。間違ったことをするな、人を傷つけるな、神を悲しませるな……だけど、それを完璧に実行することは、完全な道を歩くことは、ほとんどの人間にできてない。
じゃあ、誰が、「神の幕屋」「聖なる山」に入ることができるんでしょう? 神の幕屋って、ようするに神の家のことです。神の住む場所、神の国に、受け入れられる存在って、私たちじゃないんでしょうか? 私は、あなたは、招いてもらえないんでしょうか? 詩編の言葉通りなら、私たちは神の家、神の国に入れません。入る資格がありません。
これまでの生き方、今の生き方を問われた末に、「正しくない者」と告げられるでしょう。「あなたはここに入れない」「ここから立ち去りなさい」と命じられ、有罪判決を下されるでしょう。神の教えを守れなかった、神の言葉に違反したから、あなたは罰に値すると……絶望感漂う話ですよね。
でも、今日のテーマは、実は「裁き」じゃありません。むしろ「赦し」がテーマです。最初に読んだ、マタイによる福音書では、イエス様のあるたとえ話が載っていました。借金を返済できなかった男が、主人の憐れみによって借金を帳消しにしてもらえた。ところが男は、自分が金を貸していた別の男を捕まえて、返済するまで、牢に閉じ込めてしまった。
自らの大きな借金を帳消しにしてもらったのに、他人の小さな借金は許せない。そんな彼の本性を知って、主人は再び男を捕まえ、「わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか」と怒りを見せて、結局、彼を牢屋に閉じ込めます。
そして、恐ろしい言葉が、イエス様から告げられます。「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう」……分かっています。自分も褒められた人間じゃないことは。自分にも何かしら、赦されてきた、大目に見られてきた、過ちがあることは。
だけど、それでも、「心から人を赦す」って、私たちにはできません。「あいつを裁いてくれ」「あいつを懲らしめさせてくれ」って言いたくなります。極悪人じゃなくとも、真っ当な人間でも、そう思うのは自然です。例え話に出てきた、借金を帳消しにされた男も、そこまで私たちと変わらないかもしれません。
こいつに金を貸さなければ、早く金を返してくれれば、私の借金も、あそこまで大きくならなかったのに……妻や子どもを売ってしまえと言われることもなかったのに……自分が金を貸した相手を見つけた瞬間、思わず怒りが込み上げたのかもしれません。擁護はできませんが、同情はします。冷静な判断ができないほど、追い詰められた誰かの姿。
コロナ禍で生活が一変し、状況が改善しない怒りを、医師や、病院や、自治体にぶつける人もいます。政治家が全て悪いと言う人もいます。何でちゃんとできないんだ? 何で改善できないんだ?……自分も三密を避けなかったことや、対策を疎かにしたことがあっても、誰かを責めずには、いられない気持ちが出てきます。
そんなとき、イエス様は私たちに言うんです。あなたも返しきれない負債を抱え、それを赦された一人じゃないか? 本来赦されないことを、とりなしてもらった一人じゃないか? あなたが神の家、神の国へ入れるように、私がとりなしてきたように、あなたも彼らをとりなすべきじゃないか?
そう、私たちは、自分の罪を、過ちを、誰かにとりなしてもらわなければ、解決することができません。私には、自分が巻き込み、自分で癒せない相手がいます。和解に至らない相手がいます。取り返しのつかない過去があります。それらを全部一緒に担い、神様に赦してもらうため、十字架にかかった方がいます。それが、イエス・キリストです。
この方は、本来、裁かれるはずの私を憐れみ、自分に免じて赦されるよう、私に付き合ってくださいます。牢の外で、裁きの外で、私が新しい生き方をできるように、注意し、慰め、励ましながら、少しずつ変化をもたらします。今、私やあなたが、罪に潰されず生きているのは、イエス様が負債を消して、牢の外で、一緒に歩んでくれるからです。
ヤコブの手紙にも、私たちが神から与えられた掟を、完全に守ることができず、いずれは裁かれる者だと書かれていました。しかし、この裁きに、神の憐れみが打ち勝ったことも教えています。教えを守れないあなたのことも、神は憐れんで、招いてくださる。だからその招きを拒否するように、誰かを捕まえてきて首を絞め、牢に入れないでほしい。
その人が牢の外で、新しく生きられるように、イエス様と一緒にとりなしてほしい。あなたが赦せない者をこの方に委ね、あなた自身も、自分で返しきれない負債を、イエス様が一緒に背負って、帳消しにしてくれたことを思い出してほしい……神様が、自ら有罪判決を覆すため、私たち一人一人に、語った言葉を思い出しましょう。
「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ」(イザヤ書43:1より)
讃美歌
オンライン賛美歌25番「住む家のないわたしたちに」(©️柳本和良)を歌います。同居している方がいるところは、念のためマスクをつけて歌われるか、心で賛美を合わせましょう。
使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。使徒信条(讃美歌21の93-4Aです)。
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)
とりなし
神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。
司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。
司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。
主の祈り
共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。配信を見ている教会員の方は、郵送する献金袋に入れて、後日来られたときにおささげいただくか、振替口座からおささげください。
献金の祈り(例)
変化と回復をもたらす私たちの神様、 あなたから受ける言葉によって、私たちは新しく生かされます。 今からのち、私自身の生き方が変えられるしるしとして、 ここにささげた供え物を受け入れてください。 主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。同居している方がいるところは、念のため、マスクをつけて歌われるか、心で賛美を合わせましょう。
讃美歌
マスクをしたままで、頌栄25番「父・子・聖霊に」を歌いましょう。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
平和のうちにこの世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(『讃美歌21』93-6 ⑥)
祝 福
どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。(テサロニケの信徒への手紙一5:23)
報 告
本日も配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の日曜礼拝は、ライブ配信の奉仕者6名、同時に視聴された29名、計35名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。
配信等による在宅礼拝は、9月いっぱい続ける予定です。会衆が集まる礼拝の再開は2週間毎に検討し、決定次第、教会員への連絡網とホームページ等でお伝えします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。