聖書研究祈祷会 2021年9月15日
案 内
華陽教会では岐阜県の医療提供体制を受けて、会衆が集まる集会を休止し、配信等による在宅聖研を行っています。共に今、自宅にいる人も、後から見る人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
讃美歌
讃美歌21の572番「主をあがめよ」を歌いましょう。同居している方がいるところは、念のため、マスクをつけて歌われるか、心で賛美を合わせましょう。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて在宅聖研祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を探している人を導いてください。
◆私たちの神様。岐阜県の新規感染者数が減ってきた一方で、重症化する患者の数は相変わらず多い日が続いています。どうか今、病状の悪化が抑えられ、患者のリスクと医療従事者の負担が少しでも軽減されますように。
◆私たちの神様。感染症の拡大が繰り返され、経済も打撃を受け、一人一人の生活も影響を受けています。どうか今、新しい日常を取り戻すために、リスクを抑えつつ、それぞれの活動を再開できるように、必要な知恵と力をお与えください。
◆私たちの神様。長い間、教会に来ることができず、心身の衰えを感じている人に、あなたの励ましがありますように。会衆礼拝が再開されたとき、車がない人も、運転できない人も、負担なく教会へ来られるように、私たちの取り組みを進めさせてください。
◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書25:31〜46(新共同訳より抜粋)
*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。 |
メッセージ
地獄、煉獄、天国って、どんなところか、一度は気になったことがあると思います。先日、キリスト教における「天の国」「神の国」が、一般的なイメージの「天国」とは、ちょっと違うものであることを話しました。神の国は「私たちが死んだら行くところ」ではなく、私たちの方へやって来る、「神の支配」「神の救い」のことでした。
じゃあ、地獄、煉獄って何なのか、改めて気になった人もいると思います。おそらく、教会の信徒の中には、地獄は「神様を信じない人が行くところ」「悪い人が行くところ」で天国と反対のイメージで捉えている人が多いでしょう。でも、本来「地獄」って「天の国」である「神の支配」の「現れ方の一部」なんです。
実は、旧約聖書の中に「地獄」という言葉が出てくることは、一度もありません。出てくるとしたら、神が手を伸ばさない場所、神に忘れ去られた場所である「陰府」という世界です。でも実は、神様が手を伸ばさない、神様に見捨てられている、と思われた場所にも、神様が繰り返し、手を伸ばしてきたこと、そこにいる人の叫びを聞かれたことが、あちこちの箇所で語られています。
つまり、神の支配が届かない、神が介入してこない「陰府」が存在するように感じてもそこに落とされたと思っても、神はなお、手を伸ばしてくる、私たちを救いに来る、ということが、旧約聖書全体で示されているんです。じゃあ「地獄」はどうかと言うと、新約聖書27書中、5件の書物に出てきます。でも、「神が介入しない場所」とは全く違います。
むしろ、地獄について語られる箇所では、「神の裁き」ついて語っているところがほとんどです*1。それは、不義や不正や暴力に対し、誰も介入しなかった、誰も正さなかったところに、神様が介入されること、神様が裁きをもたらすことを意味しています。つまり、抑圧や暴力、弾圧や迫害からの解放、不義や不正を正すことを意味しているんです。
地獄とは、天の国と反対の場所ではなく、神の国、神の支配を構成する「正しい裁き」のことであり、私たちが正せなかった、介入できなかったものを変えていく、神様の大いなる支配の現れです。でも、多くの人は、「善人は天国、悪人は地獄」「信じる人は天国、信じない人は地獄」という恐ろしいイメージで考えます。
プロテスタントでは否定され、カトリックで教えられている「煉獄」も、神を信じているけれど、善人になりきれない人が、地獄へ落ちる代わりに、罪を清める火で焼かれて、天国へ入れるようになる「中間地点」と捉えられています。クリスチャンも昔から、永遠に見捨てられること、永遠に罰を受けることを恐れてきたんです。
実際、先ほど読んだマタイによる福音書にも、神様が「正しい者」と「正しくない者」を分け、一方を天国に、一方を地獄に入れる様子が描かれていました。これを読んで、恐ろしくなった人もたくさんいるでしょう。しかし、「永遠の火」に投げ込まれた人たちの姿を改めて確認してみると、意外な人物が思い浮かびます。
彼らは、神の国の王から、自分が「飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかった」者と言われています。その王って誰かと言えば、イエス様のことです。イエス様が裸にされたとき、牢に入れられたとき、服を着せることも、訪ねることもできなかったのは、誰だったでしょう?
それは、イエス様に従っていたはずの弟子たちです。イエス様から「天の国の鍵を授ける」と言われた、ペトロをはじめとする弟子たちです。彼らはまさに、天の国の王が最も小さい者に見えるとき、お世話することができなかった、見捨てて逃げてしまった者たちです。何なら、イエス様が復活した知らせを聞いても信じられず、戸に鍵をかけて、締め出していた者たちです。
どう考えても、「正しくない者」「信じなかった者」「永遠の罰を受ける者」に分けられるはずの者たちでした。ところが、イエス様は、「永遠の火」に入れるべき彼らに対して「わたしに従いなさい」と命じます。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と呼びかけます。既に判決が出て、手遅れと思われる人たちに、なお手を伸ばし、介入し続けていたんです。
神様って、こういう方なんです。誰も正せなかった、誰も回復できなかった、誰かの姿勢や関係を、誰もが諦めた人々を、絶対に放っておかれない方なんです。本人さえ、変わることを期待できないときも、神様はしつこく手を伸ばし、変わるまで、付き合い続ける方なんです。
イエス様に従えず、世話することができなかった弟子たちは、確かに、「永遠の火」に焼かれました。自分の罪に直面し、弱く、愚かで、情けない姿を自覚させられました。しかし、その炎は、彼らを焼き滅ぼすのでなく、聖霊の火となって、新しい生き方をするための「古い自分」を燃やす炎となりました。
地獄とは、天国と反対のものではなく、天国に続く「神の裁き」「神の介入」のことなんです。あなたが変えられないと感じるもの、変われないと諦めたものに、神様が手を伸ばし、介入し、新しい命に変えていく、神様の根気と熱情のことなんです。この方は誰もあきらめません。誰も放っておきません。誰も手放そうとなさりません。
あなたが訪ねて来ないとき、自ら「水を飲ませてほしい」と訪ねに行き、あなたが見捨ててしまったとき、自ら「わたしに従いなさい」と頼みにいく、諦めの悪い方なんです。観念して、この方についていくようになった王の僕が、今ここにいる我々です。この配信を見ている方も、ぜひ、イエス様のしつこさを、思う存分味わってください。
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(京都府向日市の向日町教会)のために、支援が必要な人のために、支援に関わる人のために、生活が困難な人のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆京都府向日市の向日町教会のために祈ります。教会に連なる一人一人が、あなたに与えられた尊い使命を果たせますように。地域の人たちに、あなたの愛と平和を伝えることができますように。
◆支援が必要な人のために祈ります。病気や障害や高齢化によって、事故や事件や虐待によって、支援が必要な人たちに、あなたの導きがありますように。その人の回復と自立を支える適切な人たちにつながりますように。
◆支援に関わる人のために祈ります。家族や友人のケア、患者や相談者のサポートをしている一人一人に、あなたのお守りがありますように。両者の関係が健全に築かれ、関わる人の輪が少しずつ広がっていきますように。
◆生活が困難な人のために祈ります。様々な事情で仕事を失ったり、できなかったり、日常生活を送るのが難しい人たちに、あなたの励ましがありますように。孤独や孤立から解放され、必要な人的支援、経済的支援が受けられますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌21番「心騒ぎ不安になる夜に」(©️柳本和良)を歌いましょう。オンライン讃美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。
主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
報 告
本日も、配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅聖研祈祷会は、ライブ配信の奉仕者3名、同時に視聴された4名、計7名が参加されました。
来週も配信等による在宅聖研を行います。会衆が集まる礼拝の再開は2週間毎に検討し、決定次第、教会員への連絡網とホームページ等でお伝えします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。
*1:荒瀬牧彦、松本敏之 監修『そうか! なるほど!! キリスト教』日本キリスト教団出版局、2016年、81頁下段参照。