ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『聖餐式は何のため?』 ルカによる福音書22:15〜23、24:28〜35

聖書研究祈祷会 2021年9月22日


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案 内

華陽教会では岐阜県の医療提供体制を受けて、会衆が集まる集会を休止し、配信等による在宅聖研を行っています。共に今、自宅にいる人も、後から見る人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」を歌いましょう。同居している方がいるところは、念のため、マスクをつけて歌われるか、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、在宅聖研祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を探している人を導いてください。

◆私たちの神様。県内の新規感染者数が徐々に減り、8月の宣言以降最小の人数になりました。一方で、病床使用率は未だステージ3に留まっています。どうか今、医療体制の回復が進み、また新たな生活を始められるよう、私たちを導いてください。

◆私たちの神様。なかなか集まれないことや、外に行けないことが原因で、鬱や心労が積み重なっている人たちがいます。どうか今、子どもも、大人も、高齢者も、心と身体が整えられ、バランスを取り戻せるように、助けてください。

◆私たちの神様。10月から、また教会に集まって礼拝を再開したいと願っています。しかし、集まるための対策や、集まることの是非自体、なかなか見極められずにいます。どうか今、私たちの正義と信仰と良心を導き、あなたの思いに近づけさせてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書22:15〜23、ルカによる福音書24:28〜35(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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メッセージ

多くのプロテスタント教会では、だいたい月に一回、カトリックなら毎週、聖餐式を行っています。聖餐式とは、礼拝の中でパンとぶどう酒、もしくは、ぶどう液をいただく、あの儀式です。「聖餐式」と呼ぶのは、主にプロテスタントの教会で、カトリックでは「ミサ」、正教会では「聖体礼儀」と呼んでいます。

 

実は、呼び方だけでなく、そのやり方も様々です。プロテスタント教会では、信徒も牧師も、パンとぶどう液を配られますが、カトリック教会では、ぶどう酒を飲むのは司祭だけです。信徒はパンだけが配られます。使われるパンも、酵母入りの膨らんだパンを使うところと、酵母なしの平たいパンを使うところに分かれます。

 

また、ぶどう酒が使われるところと、ぶどうジュースが使われるところ、あるいは、飲む人がどっちか選べるようにしているところと、様々です。「聖餐式のぶどう酒と言えば、赤ワイン!」と思っている人も多いでしょうが、白ワインが使われていたところもあります。聖餐式って、思っているより、色んな形があるんです。

 

じゃあ、それらの聖餐式は、いったい何のために行われているか、気になった人もいるでしょう。というか、洗礼を受けて、毎月、聖餐にあずかってきたのに、実は、何のためにパンとぶどう液をいただいているか、よく分かっていない人もいるかもしれません。もしかしたら、入信した人だけがもらえる「ご褒美」のように捉えているかもしれません。

 

しかし、最初に言っておくと、礼拝の中でいただくパンとぶどう液は、信じた人がもらえる「ご褒美」ではありません。むしろ、信じた人に「こうしなさい」と命じられている「信仰者の勤め」なんです。「私は神様から、こんな恵みを受け取りました」と見える形で告白して、「感謝の応答」をする儀式なんです。

 

じゃあ、私たちは聖餐式で、神様から何を受け取ったと告白するのか? パンとぶどう液をいただくことで、どんな恵みをいただいたと証ししているのか? それは、イエス様が最初の聖餐式で、弟子たちにパンを渡したときの言葉で分かります。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

 

ぶどう酒についても、こう言いました。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」……イエス様はこう言った後、十字架につけられ、肉を裂かれ、血を流すことになりました。つまり、聖餐式でいただくパンと杯は、私たちが、イエス様から「命」を与えられたこと、「命」をささげられたことを証しするんです。

 

こう聞くと、聖餐式って、「イエス様の死」「イエス様の自己犠牲」を記念する、暗くて悲しい儀式のように感じられるかもしれません。でも、私たちがパンとぶどう液をいただくときに、「思い出せ」と言われているのは、イエス様が十字架につけられる前夜の食事だけではありません。

 

もう一箇所、イエス様が弟子たちのために、賛美の祈りを唱えて、パンを裂いてお渡しになったところがありました。それは、イエス様が死んでから三日目に復活し、弟子たちの前に現れたときの記述です。ある2人の弟子は、エルサレムからエマオの村へ行く途中復活したイエス様と出会いますが、それが誰だか、全く気がつかずにいます。

 

しかし、あの日の夜と同じように、イエス様が賛美の祈りを唱えて、パンを裂いて分けられた瞬間、2人とも、死んだはずのイエス様が、会いにきてくれたと気づくんです。私たちが、礼拝の中でいただくパンと杯は、イエス様が、私たちのために命をささげてくださった後、復活して会いに来てくれたことも、思い出させる食事です。

 

つまり、聖餐式は、イエス様の死と復活を思い起こし、私たちが滅びないように「命」が与えられたことを記念すると同時に、私たちが気づかないときも、目に見えていないときも、イエス様が一緒にいてくれることを見える形で表して、神様に感謝を表す、応答の頂点でもあるんです。

 

イエス様は、これを繰り返し記念するように命じています。自分を信じる者に、自分が命を与えたことと、自分が一緒にいることを、目に見える形で告白し、証しして、人々に伝えていくよう語っているんです。つまり、信仰者が聖餐を拒否するというのは、神様の恵みに感謝しない、感謝の応答を放棄するという意味になります。

 

時々、何か罪深いことをしてしまった……と感じているとき、聖餐を受けるのが申し訳ない、聖餐を受ける資格がない、と思えるときが、あるかもしれません。自分なんかが、礼拝の中で、パンと杯を受け取ることは許されない……そう感じる人がいるかもしれません。でも、そう言う方には強く勧めます。

 

聖餐は「ご褒美」ではありません。神様があなたに与えられた命と、イエス様があなたと共に居てくれることをみんなに現して、みんなで感謝する応答です。あなたがパンと杯を取らないことは、イエス様からもらった命に感謝せず、共に居てくださるイエス様を、拒否する行為に等しいんです。

 

もう何度も話してますが、かつて、メソジスト教会の創始者であったジョン・ウェスレーも、こんな言葉を残しました。「不信仰の者は祈り、聖餐を受けるべきでしょうか。その通りです。求めなさい。そうすれば与えられる。もし、キリストが罪深い、助けようのない信仰者のために亡くなられたことを知っているならば、パンを食し、杯から飲みなさい」

 

何度でも繰り返しますが、この食事は、信仰者のご褒美にもらうものではありません。私たちが、イエス様の十字架と復活を思い起こして、その憐れみと恵みに感謝する「応答」であり、失いかけた信仰を新たにするための共同体の営みです。イエス様を見捨てて逃げ出した弟子たちも、イエス様からパンと杯を受け取って、信仰を新たにされました。聖餐式は、信仰を告白した人が「キリスト者であり続けるための式」でもあるんです。

 

だからこそ、聖餐式はどこの教会でも、なるべく毎週行うことが勧められています。華陽教会でも、少なくとも月一回、クリスマスやペンテコステ、イースターなどの重要な行事があるときは、できる限り持つようにしています。「先週受けたからいいや」とか「もらいすぎかもしれない」とか思わずに、信仰者の方は、ちゃんと受け取ってください。

 

そして、良かったら、初めてきた人や、連れてきた家族に、自分が食べるパン、自分が飲むぶどう液に、どんな意味があって、何を感謝しているのか、伝えてあげてください。自分がパンと杯を飲んだあと、まだ信仰を告白していない人のために、神の祝福を祈ってください。この「見えるしるし」は、彼らにキリストの臨在と恵みを知らせるためのものでもあるんです。

 

華陽教会の式文では、そのことを意識して、パンを受け取った人、杯を手にした人が、それらを受け取っていない人のために、神様の祝福を祈ります。「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」という部分は、ぜひ信徒一人一人が、近くにいる未受洗者に向き合って、牧師と一緒に唱えてほしい言葉です。

 

どうぞ、聖餐を受けるときにはあなたも周りに、神様の恵みを伝え、分ける者であることを思い出してください。聖餐式は、神の国の食事は、あなたの前に、後ろに、隣にいる人たちが、一緒にパンと杯を受ける日に、ついに完成するからです。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(京都府京田辺市の大住世光教会)のために、虐げられている人のために、無視されている人のために、気づかれない人のために祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆京都府京田辺市の大住世光教会のために祈ります。教会の信徒と地域の人たちに、あなたの祝福がありますように。青年たちの思いから始まった教会の使命が、途切れることなく継承されていきますように。

◆虐げられている人のために祈ります。性別、出身、身分、職業、言葉、文化を理由にして、差別や抑圧を受けている人たちに、あなたの救いがありますように。家や、学校や、職場の中で、重荷を負わされた人たちに、癒しと回復がありますように。

◆無視されている人のために祈ります。様々な偏見や無理解から、正当な評価を受けられない人たちに、あなたの慈しみがありますように。その人にできること、やりたいことが妨げられず、正しい活躍の場が広がりますように。

◆気づかれない人のために祈ります。本来の特性や長所が隠された者、自分の属性を隠さなければ、生きていけない人たちに、あなたの恵みがありますように。誰もが生きやすくなるように、私たちの思いと言葉と行動が新しくされますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌26番「あなたが共にいること」(©️柳本和良)を歌いましょう。オンライン讃美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

報 告

本日も、配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅聖研祈祷会は、ライブ配信の奉仕者3名、同時に視聴された3名、計6名が参加されました。

 

来週も配信等による在宅聖研を行います。会衆が集まる礼拝の再開は2週間毎に検討し、決定次第、教会員への連絡網とホームページ等でお伝えします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。