ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『独りでいるのは良くない』 創世記2:4〜9、創世記2:15〜25

日曜礼拝2021年10月24日


www.youtube.com

 

案 内

華陽教会では、マスク、消毒、換気、加湿、三密回避の座席調整をした上で、会衆が集まる礼拝を再開しています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。)

 

招 詞

「主よ、わたしたちの神よ、/あなたこそ、/栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、/御心によって万物は存在し、/また創造されたからです」(ヨハネの黙示録4:11)

 

讃美歌

マスクをしたままで、旧讃美歌365番「わが主イェスよ」を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

 

◆全ての人の隣に立たれる、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝が開けたことを感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を聞こうとしている人を祝福してください。

◆私たちの母なる神様。先週は、岐阜地区の諸教会で、暖かい交わりができたことを感謝致します。どうか今、田瀬、付知、坂下、蘇原、中濃、高山、各務原の教会と、私たちの結びつきを豊かにし、みんなで困難と喜びを分かち合えるようにしてください。

◆私たちの父なる神様。昨日は、UCCP(フィリピン合同教会)と岐阜地区の教師たちでZoomを使って交流のときが持たれました。どうか今、中濃教会と各務原教会で二つに分かれて午後から礼拝している人たちに、会堂となる居場所をもたらしてください。

◆私たちの友なる神様。来週は、504年目の宗教改革記念日です。翌週には、召天者記念礼拝も控えています。どうか今、信仰の先人たちを思い起こし、もう一度心を新たにすることができますよう、私たちを導いてください。

◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。創世記2:4〜9、15〜25(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編19:1〜17(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(お立ちください)

天は神の栄光を物語り

 大空は御手の業を示す。

昼は昼に語り伝え

 夜は夜に知識を送る。

話すことも、語ることもなく

 声は聞こえなくても

その響きは全地に

 その言葉は世界の果てに向かう。

そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。

 太陽は、花婿が天蓋から出るように

勇士が喜び勇んで道を走るように

 天の果てを出で立ち

天の果てを目指して行く。

 その熱から隠れうるものはない。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の223番「造られたものは」1、5、7節を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

f:id:bokushiblog:20211019104446j:plain

Raman TalpadaによるPixabayからの画像

メッセージ

世界が創造されたとき、人はどうやって造られたのか? どんなふうに誕生したのか? 聖書には奇妙な話が書いてあります。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」……どうやら人間は「土」の「塵」から造られた、と言われています。

 

死んだら腐ってドロドロに溶け、やがては土に還っていくのを考えると、「人間は最初、土の塵に過ぎなかった……」というのは、ショックかもしれませんが、あながち間違ってはなさそうです。そこに、命の息が吹き込まれます。何だか風船みたいですね? 人間は神様から「命の息」を吹き込まれて、「生きる者」となった。

 

創世記2章の記述は、非常にドラマティックです。なるほど、これが人の誕生か……!ところが、なぜか他の生き物と違って、神様は人間を造るとき、最初からパートナーを与えません。空の鳥や野の獣はどんどん増えていきますが、最初の人間アダムだけは、ずっと一人ぼっちです。

 

神様、ちょっと意地悪ですよね? 「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」と言って、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を創造し、アダムのところへ持っていきますが、当然ながら、彼は「自分に合う助ける者」を見つけることができません。そりゃそうです。同じ「人」がいないんですから。

 

全知全能の神様が、そんなこと分からないわけがない。どう見たって茶番です。まるでアダムを茶化すかのように、神様は自分が持ってきた生き物をどう呼ぶか見ておられます。今回もやっぱり合わなかった。じゃあ次はこの鳥を、その次はこの獣を持って行って、どう反応するか見てみよう。

 

ところが、アダムは連れてこられた獣や家畜に、淡々と名前をつけていくだけです。いつまで経っても、自分に合う助ける者を見つけることができないのに、彼は何も言いません。神様に怒りもしないし、頼みもしない。「主よ、いい加減にしてください」「私に合う者を送ってください」「一緒に話したり、遊んだりできる相手を造ってください」

 

そんなふうに、神様に求めることもしない。よく考えると、この時点で、神様とアダムの間にも、人格的な関係はまだ築かれていませんでした。ここまでは、神様がアダムへ一方的に話しかけているだけです。アダムは言われたことをするだけで、神様とまともなコミュニケーションが取れてない……まるでロボットのようです。

 

どうも、神様が色んな生き物を持ってきて、アダムへ自分に合う者を探させている様子は、話しかけても反応が乏しい転校生に、何とかコミュニケーションを図ろうと四苦八苦しているクラスメートみたいです。しかし、とうとう神様も認めます。やっぱりアダムには、彼に合う者を造ってやらなきゃダメだ。独りでは私ともまともに話せない。

 

そして、アダムを深い眠りにつかせ、彼のあばら骨から一部を抜き取り、その骨で彼に合う者を造られます。やがて、アダムは、神様が連れてきた人間を見て、今までにない反応をします。「ついに、これこそ、わたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から取られたものだから」

 

このとき初めて、アダムは神様にまともな反応を返します。神様に感謝を示します。ようやく、コミュニケーションが成り立ちました。そう、人間は、自分独りで関係性を作れないように、目に見えない神様との関係も、独りではまともに作れないんです。自分と異なる誰かを見つけて、誰かに触れて、初めて神様と言葉を交わし始める。

 

私たちは、神様と向き合う際も、誰かを必要とする存在です。残念ながら、この箇所はキリスト教圏の家庭で、男性が女性を支配する、男性が女性に言うことを聞かせる根拠として、長年使われてきた聖句でもあります。女は男を助ける者として、男の肋骨から造られたんだから、男に従わなければならない。女は男の後で造られたんだから、男より劣った存在だ!……と言われ続けてきたわけです。

 

海外では女性の4分の1、日本では女性の5分の1が、男性からDVやデートDVを受けていると言われていますが、実は敬虔なクリスチャンの家庭でも、都合よく聖書の言葉を引用して、女性を支配する男性もいます。牧師も例外ではありません。教会によっては、妻は夫に従うように、理不尽な仕打ちを受けても自分に非がないか考えるように……と未だ教えているところもあります。

 

でも、創世記の最初に出てくるこの話は、男と女のどちらかが優れている、劣っているという話じゃありません。むしろ、「人は独りで生きていけない」「人が人として生きていくには、自分と異なる誰かが必要なんだ」「人が神様と向き合うには、異なる誰かが必要なんだ」ということを表した箇所でもあるんです。

 

決して、不健全な支配関係を肯定する話じゃありません。「彼に合う助ける者」とは、彼が神様とコミュニケーションを築くことを助ける存在でもありました。彼女が登場して初めて、彼は生き物の名前以外を、感激を、喜びを、神様に向かって口にします。そのような自分と異なる者との出会い、関係、愛情が、あなたにももたらされ、大切にされますように。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌9番「たくさん悩んでみたけれど」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

f:id:bokushiblog:20211003051901p:plain

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

紹 介

(ご着席ください)本日は( )名の方が、初めて教会に来てくださいました。配信に乗らないように、ご了承いただけた方のみ、礼拝後に紹介します。初めて教会に来た方、配信を見た方、久しぶりに来た方に、神様の祝福がありますように。

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。クリアファイルに挟まれた、とりなしの祈りをご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた献金封筒をお使いください。

 

献金の祈り(例)

全ての祝福の源である神様、今、私たちがささげるものを受け入れてください。あなたの平和が実現し、あなたの御名があがめられ、神の国の栄光があらわされますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の4節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄24番「たたえよ、主の民」を歌いましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

派 遣

平和のうちにこの世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(『讃美歌21』93-6⑥)

祝 福

平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟(姉妹)たちにあるように。恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。(エフェソの信徒への手紙6:23〜24より)

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の日曜礼拝は、教会に集まった22名、同時に視聴された19名、計41名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

礼拝後、残ってお話される方は混雑を避けるため、ロビーではなく礼拝堂で、十分な間隔をとってお話しください。牧師も入り口ではなく礼拝堂にいるので、お話のある方はこちらでお願いします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。