ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『改められない?』 創世記4:1〜17

宗教改革記念礼拝 2021年10月31日


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案 内

華陽教会では、マスク、消毒、換気、加湿、三密回避の座席調整をした上で、会衆が集まる礼拝を再開しています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。)

 

招 詞

子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。(ヨハネの手紙一3:18)

 

讃美歌

マスクをしたままで、旧讃美歌365番「わが主イェスよ」を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

 

◆全ての人の隣に立たれる、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝が開けたことを感謝致します。どうか今、初めて来た人、久しぶりに来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を聞こうとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今日は504年目の宗教改革記念日です。信仰者が、教職が、教会が、自分自身を振り返り、過ちに気づき、行いを正し、新しく立ち上がる日です。どうか今、先人たちの勇気と誠実さを私たちも受け継ぎ、改革し続ける者であらせてください。

◆私たちの神様。今日は久しぶりに聖餐式を行います。感染症対策のため、通常とは違う形ですが、こうして主の晩餐が回復できたことを感謝致します。どうか今、キリストとの交わりを確かにし、一人一人の信仰が新たにされるよう、この時を用いてください。

◆私たちの神様。来週には召天者記念礼拝が行われます。昨年同様、遠方のご遺族の招待は見送りましたが、神の国の到来と復活の希望がみんなで分かち合えますように。どうか今、それぞれに必要な慰めと励ましを私たちにも届かせてください。

◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。創世記4:1〜17(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編51:3〜11(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(お立ちください)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の410番「昇れよ、義の太陽」1〜5節を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

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PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

メッセージ

「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう」……礼拝の最初に読まれた聖句を聞いて、ドキッとしなかった人はいるでしょうか? 私は正直ドキッとしました。つい先日も、自分自身が誠実に愛することより、事務的に裁こうとする態度に陥って、周りの人に止めてもらったばかりでした。

 

普段、礼拝の中で愛し合うこと、仕え合うこと、支え合うことを勧め、語り、教えているのに、その本人が口先だけになっていた、誤った姿勢になっていた……そんな恥ずかしい現実とぶつかりました。残念ながら、以前にも、言葉だけ、口先だけの自分に、気づかされたことがあります。毎回、改めなきゃいけないことを、改められずにいる自分。

 

今日は、宗教改革記念日です。かつて贖宥状を販売し、みんなの財産を私物化し、聖書に根拠のないことを教えてしまった教会が、反省と改革を積み重ねていった、その始まりを記念します。しかし、かつての宗教改革も一筋縄ではいきませんでした。間違いを改めるつもりが、かえって過激な主張になったり、運動が暴走したりもしました。

 

宗教改革の裏には、多くの破壊行動や内乱、戦争がありました。教皇の権威を否定した人たちが、自らの権威主義に陥ったこともありました。実は、最初から「正しい改革」ができた人なんていなかったんです。宗教改革そのものも、改めたいけど、改められない人たちが、その都度指摘され、検証され、修正されながら、積み重ねてきた運動でした。

 

自分の間違いを改められない、過ちを何度も繰り返す……そんな人間の姿は、世界が造られた頃の話、創世記にも描かれています。人類最初の夫婦が、神様との約束を破って、「食べてはならない」と言われた木の実を食べてしまった。その結果、エデンの園から追放されたのに、次の世代で、もう新たな罪が増し加わる。しかも、人類初の兄弟殺し。

 

カインとアベルの物語は、誰もが知っているでしょう。カインは自分の育てた作物を、アベルは自分の育てた家畜を持ってきて、同じように神様へささげたのに、なぜかカインの献げ物には目を留めてもらえず、アベルの献げ物だけが目を留められた。これに嫉妬したカインは、神様に忠告されたにもかかわらず、怒りのままに弟を殺してしまいます。

 

カインの怒りは自然なものです。自分の献げ物にも目を留めてほしいという願いは、決して間違っていないでしょう。「どうか主よ、私の献げ物にも目を留めてください」と訴えるなら、それは正しい反応だと思います。不公平な、不愉快な状況を改善したい、正したいという自然な反応です。

 

しかし、カインは不愉快な状況を改めることはできませんでした。怒った自分に声をかけてきた神様へ、直接訴えるのではなく、アベルに怒りを向けて殺してしまう……正しさを求める気持ちが暴走し、過激な行動につながります。しかも、彼は殺人がばれた後も、謝りません。これから受ける罰のことで頭が一杯になり、謝罪の言葉は一言も出てこない。

 

彼も「改められない」人間でした。罪を犯したことを指摘され、重大さに気づいた後も反省するより先に、罰を恐れる人間でした。彼が心を入れ替えるとか、思いやりに生きるとか、期待できる人は少ないでしょう。本人も「自分は殺されるしかないだろう」と思っています。やり直そうとか、更生しようといった意識は感じられません。

 

ところが、神様は彼にしるしをつけて、誰にも打たれないように守ります。「お前は地上をさまよい、さすらう者となる」と言われたカインは、言葉どおり、さすらい続ける人生にはなりません。彼は住み処となる土地を与えられます。結婚して子どもが生まれます。罰として、作物を作ることは許されませんが、建築を初めて町を造ります。

 

彼はその町に、息子の名にちなんでエノクと名付けました。いつの間にか家族が増え、財産が増え、町一つ建てるまでになる。彼は、謝罪も反省もせず、「改められなかった」のに……いや、そうでしょうか? 間違いを犯した彼の人生は「改められないまま」だったのでしょうか? 結局、何も変わらないまま生きていったのでしょうか?

 

私は違うと思います。カインが住み着いた地で、息子につけた名前、町につけた名前には、重要な意味がありました。「エノク(従う者)」……それは、かつて神様の忠告に従えなかったカイン、神様に背いて過ちを犯したカインが、生まれてきた息子に、自分が建てた町に、直接つけた名前です。

 

過ちを指摘されても、自分のことしか考えず、自分のことしか心配できなかった者が、神に守られながら人と出会い、町を建て、「今度こそ従う者に……」と願いを込める。さすらい続ける人生が変えられ、自分の在り方が改革され、新しい生き方をもたらされていく……自分を改められない人間に、神様は付き合い続けてくださいます。

 

「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう」……最初に言ったとおり、これを私が勧めることは、まさに、言葉だけ、口先だけになるかもしれません。そのように指摘されるのが怖くて、私じゃない誰かに言ってほしいと、心の底では思っています。

 

でも、「改められない」私に、付き合ってくださる方がいます。「あなたが語りなさい」と命じておられる方がいます。「あなたも改革されながら、みんなと改革していくんだ」と世界を創造したときから、厳しく、暖かく、呼びかけ続ける方がいます。だから、苦しいですが、私が言うのを赦してください。皆さんも、私に向かって促してください。

 

「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう」……主が、あなたをそうされます。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌9番「たくさん悩んでみたけれど」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

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使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

紹 介

(ご着席ください)本日も初めて来た方、久しぶりに来た方と、礼拝にあずかれたことを感謝致します。配信に乗らないように、ご了承いただけた方のみ、礼拝後に紹介します。今日初めて配信を見ている方にも、神様の祝福がありますように。

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。クリアファイルに挟まれた、とりなしの祈りをご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

聖 餐[1]

ただいまより、聖餐式を始めます。本日は、感染リスクを避けるため、一人一人ケースに入れたパンとぶどう液を一緒に配らせていただきます。

 

讃美歌

最初に、マスクをしたままで讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(*ご着席いただいたままで大丈夫です)

 

主の食卓への招き

兄弟姉妹、今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く」

 

また、主は閉じこもっている者にも言われました。「見よ、わたしは戸口に立って、叩いている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」

 

主は、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者をも招かれて、ご自分が用意された祝宴にあずからせてくださいます。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでパンと杯を受けましょう。また、信仰を告白していない方も、共に祝福を受けましょう。

 

感謝と聖別の祈り

世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。

 

主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。

 

私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。

 

陪 餐

ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。

 

まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯の入ったケースを配る)

 

(パンを手に取る)

これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」

 「アーメン」

食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。

 

(杯を手に取る)

これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」

 「アーメン」

飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。

 

陪餐後の感謝

共に、感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この食事を見ている全ての者を結び合わせてくださいました。

 

あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちが御子の体の手足であること、御国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた献金封筒をお使いください。

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様。あなたから受ける言葉によって私たちは新しく生かされます。今からのち、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄24番「たたえよ、主の民」を歌いましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

派 遣

平和のうちにこの世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(『讃美歌21』93-6⑥)

祝 福

どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。(テサロニケの信徒への手紙一5:23)

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の日曜礼拝は、教会に集まった29名、同時に視聴された13名、計42名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

礼拝後、残ってお話される方は混雑を避けるため、ロビーではなく礼拝堂で、十分な間隔をとってお話しください。牧師も入り口ではなく礼拝堂にいるので、お話のある方はこちらでお願いします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。

 

 

[1] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。