ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『お別れが上手くできなかった』 マタイによる福音書14:3〜12

日曜礼拝2021年11月7日


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案 内

本日からたいへん寒くなってきたので、礼拝の中で3度、最初の讃美歌と、交読詩編と、メッセージ後の讃美歌の間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。どうぞその際、礼拝堂の後ろにいる方、教会員の方は、窓の開閉にご協力ください。

 

また、本日はキリスト教会で「聖徒の日」と定められている記念日です。先に召された方々も、天において一緒に礼拝していることを思い起こすため、皆さんと写真を囲んでいます。やがて来たる神の国で、再会する日を待ちながら、共に神の言葉を味わいましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。)

 

招 詞

行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。(ヨハネによる福音書14:3)

 

讃美歌

マスクをしたままで、旧讃美歌508番「主よ、日に日に」を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆復活と希望の主である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を聞こうとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今日は、召天者記念礼拝です。先に召された方々を思い起こし、やがて来たる神の国で、再会する希望を新たにします。どうか今、親しい方を見送って、悲しみや寂しさを覚えている人に、あなたの慰めと励ましを与えてください。

◆私たちの神様。今年も去年に引き続き、遠方から来られるご遺族の招待を控えることになりました。どうか今、配信を通して礼拝にあずかっている人たちと、離れたところにいる兄弟姉妹に、あなたの恵みと導きがありますように。

◆私たちの神様。心が弱ったり、体が衰えたり、家族をケアしたり、働きが増したりして、なかなか礼拝に集まれない人もいます。どうか今、必要なところに、必要な力が届くよう、私たちの間で働きかけ、つながりを豊かにしてください。

◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書14:3〜12(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編13:2〜6(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(お立ちください)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の576番「天の輝きの宿る都よ」を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

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Michael SchwarzenbergerによるPixabayからの画像

メッセージ

亡くなった人を満足に見送れなかった、最期に間に合わなかった、看取る勇気が出なかった……今日集まっている皆さんの中にも、そんな経験をしている方が、おられるかもしれません。去年から今年にかけて、感染症の流行で、病院や施設の面会も、多くが制限されていました。最期に顔を合わせられなかったご遺族は少なくありません。

 

「お別れが上手くできなかった」……今日のタイトルを聞いて、胸が傷んだ方も多いでしょう。運良く、親しい人の最期に居合わせても、かけるべき言葉が出てこなかったり、かけられたくない言葉を浴びて、お別れになった人もいるでしょう。言いたいことが言えて、聞きたいことが聞けていたら、どんなに良かったことか……そう考えてしまう。

 

親しい人との別れが何年も、何十年も焼きついて、解放されずに生きている。あのときこうできたら、ああしていたらと、繰り返し思い描いている。自分じゃなければ、もっと上手く、きちんとお別れができたかもしれない。後悔のない、後味の悪くない見送り方があったかもしれない。

 

でも、私は知っています。神の子であるイエス様も、満足に見送ることができず、最期に話せなかった人がいると……後味の悪さを残したまま、お別れになった人がいると……しかも、その人は数少ない、イエス様の理解者でした。弟子たちより前から、イエス様を手伝って、人々を悔い改めさせ、イエス様を信じるように促してくれた協力者でした。

 

それが、領主ヘロデに殺された洗礼者ヨハネです。イエス様を一眼見て、神の子である救い主だと分かり、お願いを聞いて、洗礼を授けてくれた、あの人です。彼は、かつて、イエス様の命を狙ったヘロデ王の息子、ヘロデ・アンティパスにも、決して忖度しませんでした。刃向かえば危険な相手に、悔い改めを促しました。

 

領主ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻に横恋慕し、彼女と結婚したというふうに記されています。兄弟の間で、どんな取引が行われ、妻ヘロディアと、どんな駆け引きが行われたのか分かりませんが、いずれにせよ、褒められた関係ではありませんでした。ヨハネはそのことを指摘したため、ヘロデに捕えられ、牢に閉じ込められていたんです。

 

父親に似て、領主ヘロデも、自分の地位を脅かす者は容赦なく処刑する人間でした。ヨハネが殺されるのも時間の問題でした。いつ、処刑されるか分からない状況で、ヨハネは外で活躍しているイエス様の噂を耳にします。かつて、自分が洗礼を授けたあの人が、病人を癒し、奇跡を行い、神の国について教える様子が聞こえてきます。

 

けれども、自分は一向に、牢から出られる気配がありません。神様に与えられた使命を忠実に果たしてきたのに、助けが来る様子もありません。誰よりも前から、誰よりも深くイエス様のことを信じ、理解し、助けてきたヨハネは、このとき初めて揺れ動きます。本当にあの人は、来るべき救い主だったのか? 私の目は正しかったのか?

 

マタイによる福音書11章には、洗礼者ヨハネが、牢の中から弟子たちを送り、イエス様にこう尋ねたことが記されています。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」……ここには、ある種の訴えが隠れているようにも思います。

 

救い主であるあなたは、私のことは助けてくださらないのですか? どれだけ待っても私を助けに来てはくれないのですか? 本当にあなたは、私の信じた救い主で合っているでしょうか?……イエス様は、弟子たちに見聞きしたことを伝えるよう頼み、自分は確かに、あなたの信じる救い主だと答えます。

 

しかし、これが最期のやりとりになってしまいました。結局、イエス様は捕えられたヨハネを訪ねることも、直接励ますこともできませんでした。ヨハネがイエス様の返答をどう思ったのか、その言葉に満足したのか、私たちは知ることができません。イエス様も、この後ヨハネから返事をもらえたわけではありません。間もなく彼は殺されるからです。

 

その死に方は唐突で、生々しく、救いのないものでした。ヘロデの妻ヘロディアの策略で、しかも娘のサロメにお願いさせて、領主にヨハネの首をはねさせる。母親に忠実な娘が、その首を盆に乗せて運び、首のない遺体だけが、ヨハネの弟子たちに引き取られる。イエス様のもとに、彼の死が報告されたのは、全てが終わって、葬られた後でした。

 

客観的に見れば、イエス様は唯一と言っていい理解者を、直接訪ねることも、励ますこともできないまま、別れを迎えてしまいます。自分に洗礼を授けてくれた人の葬儀にも出られませんでした。最期に自分を疑う言葉、「ほかの方を待たなければなりませんか?」という問いかけに、満足な答えを返せたのかも分かりません。

 

ルカによる福音書によれば、洗礼者ヨハネは、イエス様と歳が半年ほどしか変わらない母方の親戚でもありました。つまり、自分と歳の近い親戚の葬儀に、イエス様は出られなかった、あるいは呼ばれなかったことにもなります。埋葬が終わってから報告され、もはやできることは残っていません。どうしたら良かったんでしょう?

 

誰かと同じような寂しさに、苦しさに、イエス様も直面します。それは、あなたが経験したことかもしれないし、あなたと別れる人が経験することかもしれません。イエス様はこの痛みを知っていました。お別れが上手くできなかった人たちを知っていました。自分もその一人でしたから。

 

やがて、イエス様は自らも、権力者と民衆の手によって処刑されます。母親に促されるままヨハネの首を求めた娘のように、祭司長たちに煽られるまま「十字架につけろ」と叫んだ人たちの声によって、イエス様は裸にされ、釘を打たれ、槍に刺されて死んでいきます。しかも、弟子の一人に裏切られ、他の者たちにも見捨てられて。

 

救いがないですよね。もはや、取り返しがつきません。「死」という徹底的な決着によって、ヨハネとイエス様の別れ、イエス様と人々の別れは覆せない結果となります。ところが、それを覆す出来事が起きました。十字架につけられて殺されたイエス様が、3日目に甦って、弟子たちに会いに来たんです。

 

誰かが死ぬとき、お別れに失敗すれば、私たちはやり直すことができません。喧嘩したり、裏切ったり、憎んだまま別れた人と、関係を回復することはできません。どんなに謝っても、どんなに愛を叫んでも、死者との関係は変えられません。ところが、誰よりもその痛みを知っている神の子は、取り返しのつかない関係を、そのまま放っておきません。

 

洗礼者ヨハネは、どれだけ待っても、「来るべき方」が自分を助けに来てくれないことを嘆いていたかもしれません。しかし、その方はやって来たんです。彼と同じ、見捨てられた世界へ、救いの手が届かないと思われた死の世界へ、自ら十字架にかかってやって来たんです。そして、死の力を破壊しました。徹底的な決着だったものを覆します。

 

死んだら終わり……誰もがそう思っているこの世界で、この方は復活されました。もうやり直せない、取り返しがつかない、と思っている人たちのもとへ、この方は再び会いにやって来ました。そして、約束します。「神の国で、あなたがたと共に食卓につく」と……これで終わりにはしないと……回復されない者がいない世界をもたらすと。

 

お別れが上手くできなかった……そう思っているあなたも、約束された一人です。あなたの痛みも、あなたを残した人の痛みも、この方は放っておきません。あの子と、あの人と、あなたの場所は、この方が用意されています。天においても、地においても、一緒に礼拝をささげている、今このとき、私たちの間におられる方を思い出しましょう。あなたとあなたの愛する人が、キリストの愛と平和で満たされますように。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌18番「あの方が独り子を」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

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使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

紹 介

(ご着席ください)本日も初めて来た方、久しぶりに来た方と、礼拝にあずかれたことを感謝致します。配信に乗らないように、ご了承いただけた方のみ、礼拝後に紹介します。今日初めて配信を見ている方にも、神様の祝福がありますように。

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。クリアファイルに挟まれた、とりなしの祈りをご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた献金封筒をお使いください。

 

献金の祈り(例)

全ての祝福の源である神様、今、私たちがささげるものを受け入れてください。あなたの平和が実現し、あなたの御名があがめられ、神の国の栄光があらわされますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の1節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄24番「たたえよ、主の民」を歌いましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

派 遣

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒言行録1:8)

祝 福

永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。(ヘブライ人への手紙13:20〜21)

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の日曜礼拝は、教会に集まった29名、同時に視聴された13名、計42名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

礼拝後、配信を切ってから、近隣のご遺族の紹介と、初めて来た方の紹介をさせていただきます。また、感染症対策のため、墓前礼拝はありませんが、納骨式を少人数で行いたいと思います。礼拝後、来られる方は各自、教会墓苑に集合してください。