ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『世界の終わりがやってくる?』 マタイによる福音書24:3〜14

聖書研究祈祷会 2021年12月1日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会も、配信と並行して開いています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の357番「力に満ちたる」を歌いましょう。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆この世界を創造され、完成される神様。今日もまた、あなたによって守られて、水曜日の聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。今週から、キリストの誕生を祝う準備をしながら、キリストの再臨を待ち望むアドヴェントに入りました。どうか今、イエス様を迎えに行った羊飼いや博士のように、私たちも、あなたをお迎えすることができるように整えさせてください。

◆私たちの神様。今月から、「再臨」と「終末」をテーマに聖書研究をしていきます。教会において、最も重要なテーマでありながら、最も危険なテーマでもあります。どうか今、私たちが健全な、誠実な姿勢を持てるよう、聖霊によって導いてください。

◆私たちの神様。少し前から、新型コロナの変異ウイルスが広がっています。日本では、今のところ落ち着いて見えますが、これからも注意が必要です。どうか今、一人一人の健康と安全が守られるよう、私たちの行動を導いてください。

◆全てに働きかける救い主、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書24:3〜14(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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Joachim NuschによるPixabayからの画像

メッセージ

今週から、キリストの誕生を記念する準備期間「アドヴェント」に入りました。アドヴェントの4週間が終わると、いよいよイエス様の誕生を祝うクリスマスです。そんな時期にもかかわらず、なぜ「世界の終わり」なんていう暗いテーマを扱うのか、不思議に思うかもしれません。

 

今月から、私たちは「再臨と終末」というテーマで聖書研究を進めていきます。町ではイルミネーションが輝き、あちこちでクリスマスソングが流れる中、ちょっと時期外れに感じるかもしれません。しかし、むしろ、この時期は、キリストが再びこの世に来られる日、世の終わりがやってくるときを考える、最もふさわしい時期でもあるんです。

 

なぜなら、アドヴェントは、クリスマスの準備をしながら待つ期間であると共に、キリストの再臨を準備しながら待っていることを、特に覚える時期でもあるからです。かつてキリストがこの世に来られた記念の日を準備しながら、キリストが再びこの世に来られる「終わりの日」を待ち望む……それが、アドヴェントという4週間。

 

いやいや、救い主の誕生を記念するのに、世界の終わりとか終末とか、そんなこと考えたくないよ! もっと楽しい話をしましょうよ!……そう思うかもしれません。でも、イエス様が誕生したクリスマスの出来事って、よく見ると、そんなに楽しい話じゃありませんでした。むしろ、色んな人たちが「終わった……」と感じるエピソード満載です。

 

婚約中に身の覚えのない妊娠をしたマリア、婚約者と別れようとするヨセフ、口を利けなくされた祭司ザカリア、生まれてすぐヘロデ王に命を狙われた赤ん坊、虐殺されたベツレヘム周辺の2歳以下の子どもたち……イエス様の誕生って、お祝いムードというより、「人生詰んだ」「もう終わった」「この世の最後だ」と思われる状況で起こりました。

 

東方から来た占星術の学者たちが、自分たちの宝物を赤ん坊に送るシーンさえ、不穏な雰囲気を漂わせます。なぜなら、彼らがささげた贈り物「黄金、乳香、没薬」のうち、乳香と没薬は、遺体を埋葬するときに使われる香料や薬でもあるからです。生まれたときから、十字架につけられて死ぬ日のことを暗示されている救い主……なかなかですよね?

 

終わりの日、終末の日、世界の終わりと聞いて、ポジティブなイメージを浮かべる人はまず、いません。だって、「死」と直結しています。世界が終われば、自分も終わる。大好きなものも、大切な人たちも、みんな終わりを迎えてしまう。色んな苦しみの果てに滅んでしまう。

 

実際、イエス様は世の終わり、終末のしるしについて、戦争が起こること、民は民に、国は国に敵対して立ち上がること、方々に飢饉や地震が起こることを語っていました。自分を信じる者たちが苦しみを受け、殺されてしまう。あらゆる民に憎まれて、互いに裏切るようになる。偽預言者も大勢現れ、多くの人が惑わされ、不法がはびこり、愛が冷える。

 

そんな「終わり」の訪れを、信仰者は待ち望む……変ですよね? 周りの人だけでなく、信じている自分たちも苦しむことが、むしろ、他よりも辛い目に遭うことが、はっきり予告されているにもかかわらず、その日を待ち望むなんて、どうかしています。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と言うものの、できればその日が来ないでほしいと願いたくなる。

 

同時に、私たちは、終末のしるしについて聞いたとき、既にそれらの苦しみが、この世の中に溢れていることを感じます。戦争はずっと前から方々で起きています。紛争がなかった時代なんてありません。新たな戦争が勃発しそうな緊張感は、あらゆる国と国との間で、ずっと続いてきたものです。

 

飢饉も、地震も、起こっています。繰り返し、繰り返し、大規模な災害が、エピデミックやパンデミックが起こっています。偽預言者と思しき破壊的カルトの教祖やリーダーが現れるのは、何世紀も前から変わりません。どの時代の人たちも、世界の終わりを意識したことがあるでしょう。「もう終わった……」という状況に身を置いてきたでしょう。

 

この世界は、私たちが待ち望む前から、「世の終わり」「終末のとき」の苦しみを、既に体験しています。待つまでもなく、直面しています。偽預言者や偽メシアによって、何度も、何度も「終末のしるしだ」と騒がれたように、今も騒がれているように、この世界には苦しみが溢れています。

 

しかし、イエス様は終末を待ち望むよう教えるとき、同時にこうも言いました。「人に惑わされないように気をつけなさい」「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい」「そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない」……終末のしるしは見えていても、まだ世の終わりではない。

 

よく考えると、これはイエス様がいた当時も、聖書がまとめられた時代も同じでした。戦争の騒ぎがありました。地震や噴火もありました。多くのキリスト者が殺されました。初代教会には、偽預言者や偽教師が溢れていました。終末のしるしは見えていました……しかし、まだ世の終わりではない。まだその時ではない。みんなでその日を待ち望もう。

 

そう、彼らが待っていたのは、イエス様を信じる人々が待っているのは、終末の苦しみなんかじゃありません。世の終わりのしるしでもありません。そんなのもう見ています。何世紀も前から、私たちは見ています。「もう終わった……」「この世の終わりだ……」「世界に救いなんてない……」私たちが待っているのは、そんなしるしじゃありません。

 

私たちが待つのは救いです。再び訪れる救い主です。この世の終わりに、崩れかけた世界に、癒しと回復をもたらす神の子です。理不尽な暴力や抑圧を滅ぼして、慈しみ深い神の支配を行き渡らせ、この世界を完成させる、神の国を到来させるイエス様です。私たちが待ち望むべき知らせは、世の終わりのしるしではありません。イエス様の訪れです。

 

イエス様が再び訪れるのは、あなたが苦しんでいるこの世界です。あなたが憎まれ、裏切られ、惑わされているこの世界です。「何年後」とか「何月何日」とかじゃなくて、耐え難い状況で、耐え忍んでいるあなたのもとに、イエス様は来ると言いました。あなたが「終わった……」と呻いている世界に、イエス様は訪れると言いました。

 

身の覚えのない妊娠に「終わった……」と思うマリアのもとへ、婚約者と別れようか悩んでいるヨセフのもとへ、幼い息子を殺されて、悲しみに暮れる母親のもとへ、あの日、イエス様が訪れたように、この方はあなたにも訪れます。イエス様が来る日を知るために、終末のしるしを探す必要はありません。あなたはもう、この方が来るのを知っています。

 

この方が、あなたの苦しみを知り、叫びを聞き、呻きに寄り添っていることを、あなたに訪れると約束したことを知っています。「世の終わり」「終末の日」を待ち望む、イエス様の再臨を待ち望むということは、戦争や災害や疫病の知らせを待ち望むことではありません。新たな苦しみが、恐怖が、やって来るのを待つということではありません。

 

既に苦しんでいる、悩んでいる、戸惑っているあなたのもとへ、今来られようとしているイエス様を待ち続けるということです。おそらく、この先も、何らかの戦争や災害や事件を見て、「終末のしるしだ!」と叫ぶ人たちがいるでしょう。「世界の終わりがやってきた」と不安をあおられることがあるでしょう。

 

しかし、終末のしるしを求めている、探している人たちにこそ、気をつけてください。それは、イエス様が「惑わされないように気をつけなさい」「そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない」と語ったことを忘れ、「待つ」ことができなくなっている姿です。終末のしるしを探すことは、求められていないんです。

 

あなたが待ち望むべき、祈り求めるべき日は、苦しい時代ではなく、イエス様が訪れるその日です。苦しかったこの世界が新しくなるその日です。あなたを受け入れてくれる神様が、あなたを食卓に招くイエス様が、あなたの苦しみを終わらせて、完成した神の国へ迎える日です。

 

その日は近づいています。その日、その時は誰も知りません。しかし今、近づいています。今、あなたに訪れます。だから、共に待ちましょう。キリストが再び訪れる日を準備しながら、耐え忍んでいる自分自身を、隣人を、周りの者を励ましながら、救い主の訪れを、待ち望みたいと思います。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(愛知県名古屋市の中京教会)のために、教会員の家族のために、地域の子どもたちのために、病院や施設にいる人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆愛知県名古屋市の中京教会のために祈ります。コロナ禍で教会に行けなかった子どもたちや大人たちが、再び戻ってくることができますように。地域に根ざした働きとミッションスクールとの連携が豊かにされますように。

◆教会員の家族のために祈ります。信徒一人一人のご家族が祝福されますように。仕事や病気や子育てに悩むとき、あなたの助けがありますように。学校やバイトの人間関係に苦しむとき、あなたの支えがありますように。

◆地域の子どもたちのために祈ります。家庭で、幼稚園で、学校で、施設で、悩み事を相談できない子どもたちに、相談できる人が与えられますように。友達や頼れる相手が欲しい人に、身近な安心できるつながりがもたらされますように。

◆病院や施設にいる人のために祈ります。家に帰りたくても帰れない、教会に行きたくても行けない人に、あなたの慈しみがありますように。今も、面会が制限されているところに、再び顔と顔を合わせる機会がもたらされますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌6番「戻らない世界で」(©️柳本和良)を歌いましょう。

 

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった3名、同時に視聴された2名、計5名が参加されました。後から配信を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信はここまでですが、この後2時半まで、希望する参加者が質問したり、祈ってほしいことを分かち合える時間を持ちたいと思います。時間のある方はぜひ、ご参加ください。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。