ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『聞きたくない言葉』 エレミヤ書36:1〜8、テモテへの手紙一3:14〜4:5

日曜礼拝2021年12月5日


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案 内

華陽教会では、感染症対策のため、礼拝の中で四度、立ち上がって讃美歌を歌う間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。どうぞ、教会員の方は、窓の開閉にご協力ください。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。(テモテへの手紙一4:10)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、旧讃美歌508番「主よ、日に日に」を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

 

◆世界を創造され、完成される神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の朝を迎えることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今日は、アドヴェント第2週目の礼拝です。かつて、聞き流され、受けとめられなかった神の言葉を、みんなで受けとめるために、今日も聖書を開きます。どうか今、一人一人の心を開き、必要な準備をさせてください。

◆私たちの神様。傷つき苦しんでいる私のために、何度も道を外れる私のもとに、キリストが再び現れて、全てを正し、癒される日が近づいています。どうか今、不十分でも、不完全でも、精一杯あなたを迎えられるように、私たちに愛と力をもたらしてください。

◆私たちの神様。人と人との間にできるわだかまりに、向き合う勇気を与えてください。話すこと、近づくこと、関わることを求めるとき、あなたが後押ししてください。どうか今、それぞれの和解と平和に必要な変化を、一人一人が受け取れますように。

◆全てを癒し、新しくする、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。エレミヤ書36:1〜8、テモテへの手紙一3:14〜4:5

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編19:8〜11(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、讃美歌21の241番「来たりたまえわれらの主よ」を歌います。(お立ちください)

 

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Mystic Art DesignによるPixabayからの画像

メッセージ

クリスマスが近づいてくる中、あまり聞きたくない言葉が、耳に入ってしまうことは、皆さんにもよくあるでしょう。ようやく新型コロナが落ち着いてきたと思ったら、海外で変異ウイルスが発見され、日本でも渡航や入国が制限されるようになった。マスク着用や三密回避の対策を緩めた地域から、再び感染が広がるようになってきた。

 

そろそろマスクを外してもいいだろうか? 昼食を再開できないだろうか? 元の日常に戻ってもいいだろうか? そんなふうに思っていたところへ、この知らせです。何も気にせず会話して、思いっきり賛美を歌って、クリスマスの喜びを分かち合いたいと願っているのに、またそれが困難になる。

 

もう大丈夫じゃないですか? いい加減、恐れるのをやめちゃダメですか? 思わず、そう言いたくなる人もいるでしょう。神様だって、クリスマスに「シュン……」と静まり返っているより、賑やかにしている方が喜ぶんじゃないか? 怖がってばかりで慎重になるより、恐れを捨てて大胆になる方が、信仰者の姿に適っているんじゃないか?

 

そう、私たちは信仰者です。神様を信じて生きる者です。ときには、多くの人と違う姿勢や、異なる態度を現します。人々が、誤った方向へ向かうとき、勇気を出せなくなったとき、キリスト者は、神への信頼に基づいて、不安や恐怖に対抗します。信仰がなければ自分にはできない行動、取ることができない姿勢を見せて、神の偉大さを証しします。

 

ところが、「今こそ大胆に神を信頼して行動しよう!」と、新たな一歩を踏み出そうとしているとき、耳障りな言葉が聞こえてきます。「それは破滅の道ではないですか?」「愚かな選択じゃないですか?」「本当に神が望んだ姿勢ですか?」……自らの信仰に基づく思いなのに、奮い立ったところなのに、警告や注意が聞こえてくるんです。

 

信仰をもって闘えば、神を信じて対抗すれば、それこそ、祈りは聞かれるはずなんだ! 神が味方されるはずなんだ!……私に不安を与えるその言葉こそ、悪魔の囁きなんじゃないか?……色々考え込んでしまいます。そんなとき、思い出すのは、大国の脅威に敵対していた、イスラエルの王と、祭司と、民衆に対し、エレミヤが警告を送った言葉です。

 

「わたしはユダの人々をことごとく、バビロンの王の手に渡す。彼は彼らを捕囚としてバビロンに連れ帰り、また剣にかけて殺す」「わたしはこの神殿をシロのようにし、この都を地上のすべての国々の呪いの的とする」(エレミヤ書20:4、エレミヤ書26:6より)……これを、味方であるはずの神に言われた言葉として、エレミヤはみんなに伝えます。

 

王をはじめ、他の宗教指導者や民衆たちは怒りました。なぜ、神が選んでくださった私たちが滅ぼされると訴えるのか? なぜ、神が備えてくださった神殿が破壊され、神に敵対する国に勝利がもたらされると訴えるのか? 神を信じているのなら、私たちこそ勝利を得ると自信を持ち、人々を鼓舞するべきじゃないか?

 

今の状況に当てはめるなら、「教会はコロナに勝利する」と宣言したい人たちに、「このままじゃ、教会はコロナに負けて滅ぼされる」と訴えるようなものでした。そりゃ、他の預言者からも、祭司からも、怒られるに決まっています。アッシリアに続き、エジプトに支配され、今度はバビロンの脅威が迫る中、気力を削がれる言葉です。

 

バビロンへの敵対が、イスラエルの滅亡を招くなんて、そんな言葉聞きたくない!……ただでさえ、大国の脅威に疲れ果て、希望と励ましが必要なのに、「悔い改め」や「責任ある生き方」を説かれても、そんなの耳に入らない……私たちが聞きたいのは、元気と自信が湧いてくる、様々な我慢から解放される、そんな大胆な言葉なんだ……!

 

自粛疲れの私たちも、いちいち、感染症対策の反省をすることから解放され、「もう心配しなくていい!」「新型コロナは収束する!」と、大胆な言葉が欲しくなります。礼拝の守り方、信仰生活の送り方を、振り返ったり、考え直したりすることは、色々と疲れてきたでしょう。

 

よりシンプルで、力強い言葉に、身を委ねたくなるでしょう。「バビロンに勝てる」「コロナに勝てる」「恐れるからこそ負けてしまう」「悩まないでこうすればいい」……はっきりと道を示してくれる言葉は、一見、神を信じる者にふさわしく感じます。しかし、王や祭司や民衆が惑わされたように、信仰者も「聞きたい言葉」に惑わされます。

 

「神に信頼すること」と「自分の耳を信頼すること」は違います。「神が私に語ること」と「私が神に語らせたいこと」は違います。エレミヤは、聞きたくない言葉を聞き、語りたくない言葉を語った、代表的な預言者です。彼だって、異教の国が勝利するとか、自分たちの神殿が破壊されるとか、口にしたくはなかったでしょう。

 

エレミヤの嘆きがつづられる『哀歌』にも、いかに、神の言葉を語るのが苦しかったか記されています。しかし、彼は自分が「聞きたくなかった」言葉の先に、神による回復が待っていることに気づいていきます。悔い改めなさい、責任を持った生き方を目指しなさい……神はなお、あなたが立ち返ること、赦されること、回復することを望んでいるから。

 

2千年前、救い主誕生の知らせをイスラエルの人が聞いたのは、彼らが敵対していた東の国の祭司からでした。それは、自分たちを苦しめてきた宿敵さえ、神の国の仲間に、救いの業に加えられたという知らせでした。律法を守るか守らないかで、どこに所属しているかいないかで、神の救いは隔てられないという知らせでした。

 

エルサレムの人々にとっては、聞きたくない知らせだったかもしれません。婚約中に、身の覚えのない妊娠を知らされたマリアも、天使の言葉は、聞きたくない知らせだったかもしれません。マリアの妊娠が、聖霊によるものだと知らされたヨセフも、父親は自分じゃないという、聞きたくない言葉だったかもしれません。

 

今、クリスマスに近づいていく中、感染症が、再び拡大するかもしれないというショックな知らせも、私たちにとって、聞きたくない言葉です。現実をよく見るように、責任ある生き方をするように、注意し、警告する言葉は、良い知らせには思えないかもしれません。しかし、これらの言葉の先に、私たちは回復の知らせを見つけるでしょう。

 

異邦人にもたらされた救いが、世界中に広がったように、マリアとヨセフに生まれた子どもが、この世に救いをもたらしたように、恐れや拒絶を生み出す知らせも、神が計画されている、全ての者の回復へとつながります。どうか今、聞きたくない言葉の先を見つめましょう。かつて拒絶された言葉が、福音となった現実を思い出しましょう。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、オンライン賛美歌7番「何も変わらないと(A)」(詞:柳本和良、滝田真治)を歌います。(お立ちください)

 

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使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

紹 介

(ご着席ください)本日も初めて来た方、久しぶりに来た方と、礼拝にあずかれたことを感謝致します。配信に乗らないように、新来者カードでご了承いただけた方のみ、礼拝後に紹介します。今日初めて配信を見ている方にも、神様の祝福がありますように。

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。クリアファイルに挟まれた、とりなしの祈りをご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

(お立ちください)共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

聖 餐[1]

ただいまより、聖餐式を始めます。本日は、感染リスクを避けるため、一人一人ケースに入れたパンとぶどう液を一緒に配らせていただきます。

 

讃美歌

最初に、マスクをしたままで讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(*ご着席いただいたままで大丈夫です)

 

主の食卓への招き

兄弟姉妹、今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く」

 

また、福音書は伝えています。主は十字架につけられる夜、残される人々のために杯を取り、彼らと共に飲んで教えました。神の国で、あなたがたと共に、新たに飲むその日が来ると。この食事は、やがて来たる神の国で、キリストが私たちを招かれる、主の食卓の先取りです。

 

主は、救いを信じて待ち望む者に、ご自分が用意された祝宴にあずからせてくださいます。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない方、共に集った兄弟姉妹も、とりなしと祝福を受けましょう。

 

感謝と聖別の祈り

世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。

 

主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。

 

私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。

 

陪 餐

ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。

 

まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯の入ったケースを配る)

 

(パンを手に取る)

これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」

 「アーメン」

食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。

 

(杯を手に取る)

これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」

 「アーメン」

飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。

 

陪餐後の感謝

共に、感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この食事を見ている全ての者を結び合わせてくださいました。

 

あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちが御子の体の手足であること、御国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、(着席のまま)讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。

 

献 金

(ご着席ください)感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた献金封筒をお使いください。

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって、私たちは新しく生かされます。今から後、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄24番「たたえよ、主の民」を歌いましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

イスラエルよ、静かにして聞きなさい。あなたは今日、あなたの神、主の民とされた。(申命記27:9より)

 

祝 福

平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟(姉妹)たちにあるように。恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。(エフェソの信徒への手紙6:23〜24)

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の日曜礼拝は、教会に集まった14名、同時に視聴された15名、計29名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

礼拝後、残ってお話される方は混雑を避けるため、ロビーではなく礼拝堂で、十分な間隔をとってお話しください。牧師も入り口ではなく礼拝堂にいるので、お話のある方はこちらでお願いします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。

 

[1] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。