ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『これは終末のしるしですか?』

聖書研究祈祷会 2021年12月15日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会も、配信と並行して開いています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の578番「平和を求めよう」を歌いましょう。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆この世界を創造され、完成される神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。キリストの誕生を祝う準備をしながら、再臨のときを待ち望む、アドヴェント第3週目に入りました。どうか今、クリスマスの訪れを喜ぶことが困難な人にも、あなたの恵みと良い知らせがもたらされるよう、私たちを互いに用いてください。

◆私たちの神様。今日は「終末のしるし」について、聖書を読みながら考えます。私たちが、不安と恐怖をあおる伝道に陥りやすい要素ですが、健全に、誠実に捉えることができるよう、導いてください。どうか今、一人一人に働きかけてください。

◆私たちの神様。来週の日曜日には、いよいよクリスマス礼拝が行われます。24日の夜には、クリスマス・イブの演奏礼拝も行われます。どうか今、必要な準備が整えられるようこの週の私たちを導いてください。

◆私たちを送り出される救い主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。マルコによる福音書13:3〜10(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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Adrian MalecによるPixabayからの画像

メッセージ

今月は、「再臨」と「終末」をテーマに聖書研究をしていますが、その第一回目で、『世界の終わりがやってくる?』と題して、マタイによる福音書24章3節〜14節を読みました。今回は、その並行記事である、マルコによる福音書13章3節〜10節を開いています。何でまた、似たようなところを?……と思うかもしれません。

 

実は、「世の終わり」「終末」のしるしについて、イエス様が語った言葉は「共観福音書」と呼ばれる、マタイ、マルコ、ルカによる福音書3つ全てに出てきます。それだけ、人々の記憶に残ったとも言えますし、あるいは、「注意して伝えなければならないこと」と思われたのかもしれません。

 

というのも、3つの聖書箇所には全て、「惑わされないように気をつけなさい」という言葉が出てきます。戦争や戦争の噂を聞いても、慌てたり、怯えたりしないように……と語られます。前回も話しましたが、「そういうこと(戦争や飢饉や地震)は起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない」「世の終わりはすぐには来ない」とも書かれています。

 

そして、キリストを自称する者や「時が近づいた」(終末がやって来た)と言う者が現れても、ついて行ってはならないよ……と警告されます。後に続く、終末の苦難の方がインパクトの強い描写で、気をとられてしまうかもしれませんが、終末のしるしについては、けっこう念入りに「惑わされるな」と警告されているんです。

 

なぜ、そこまで警告するかは、これまでの歴史で十分知ることができるでしょう。初代教会の時代から現代に至るまで、多くの偽預言者や偽メシアが現れました。そして、終末が近いと人々を恐怖させ、多額の財産を献金させたり、長時間の奉仕に拘束したり、信者を家族から引き離したりする、様々なカルトが活動してきました。

 

あからさまに、「預言者」や「メシア」を自称しなくても、何かの事件や災害を見て、「時が来た」「終末のしるしだ」と言い始めるのは、残念ながら、キリスト教会の中でも、よく見られる光景です。

 

2001年に、アメリカ同時多発テロが起きた9.11を、今も鮮明に覚えている人がいるでしょう。あの頃、戦争や戦争の噂を聞いて、「これが聖書に書いてある終末の始まりだ」「世の終わりは目の前だ」と盛り上がり、敵対勢力との戦闘を支持した人がクリスチャンにも多かったことは、私にはとてもショックでした。

 

2011年に、東日本大震災が起きた3.11でも、「この地震は、終末のしるしとして預言されたもの」「信じて悔い改めないとみんな滅びる」と恐怖をあおって、宣教活動をする人たちが国内外に現れました。被災地でも、ボランティアを装って信者を集めるグループが問題視され、注意喚起が出されました。

 

2020年に、新型コロナウイルス感染症の第一派が訪れてからも、「疫病の広がりは、終末の備えを促す警告だ」と主張したり、「世界が堕落した状態にあるのを示している」と訴える言葉が見られました。数年毎に訪れる、地震、台風、疫病などの災害や、戦争、紛争の勃発は、確かに、神による警告や裁きに思えるでしょう。

 

もちろん、そのように感じるのは、キリスト教徒に限りません。基本的に、感染症の広がりや自然災害の多発が起きると、あらゆる宗教・民族を問わず、人は「超越的な存在から、何か警告を受けている」「罰や裁きに遭っている」と受けとりやすい生き物です。「理不尽な出来事には原因がある」「原因があれば対処できる」「対処した人は被害を免れる」という人間の心に備わった《公正世界仮説》[1]によって、心の安定を図るからです。

 

もしかすると、それは「イエス・キリストを救い主と信じた人は、患難期の裁きから守られる」という教えとも重なっているかもしれません。事件や災害が起きる理由、それに対処する方法を知ることができれば、私たちは、いとも簡単に、自分を安心させることができます。しかし、この感覚に基づく考えは、行き過ぎれば、極端な自己責任に陥ります。

 

地震や飢饉、感染症の広がりを「神からの警告」と捉えれば、それらの被害を受けた地域は、それだけ「罪深い」「不信仰な人が集まっている」と受け取られかねません。ちょうど、性暴力の被害に遭った女性が「危機意識の低さ」や「露出の多さ」に原因を求められ、セカンド・レイプに遭うのと似ています。

 

聖書の中のエピソードで言えば、理不尽な目に遭ったヨブが、「何か悪いことをしたからだ」と友人たちに責められ、説教された場面が思い浮かぶでしょう。しかし、実際には、ヨブを苦しめた事故や病気や災害は、彼の不信仰が原因ではなかったことが明かされます。彼に悔い改めるよう迫った友人たちは、逆に悔い改めるよう神様から促されました。

 

感染症も、信仰の有無に関係なく広がります。善人も悪人も、自然災害に巻き込まれます。被害者が「これを神の警告と受けとめ、新しい生き方をしていこう」と自ら捉え直す場合は、回復の力になるかもしれませんが、周囲から「そう思わせる」「言い聞かせる」のは、暴力と言っても仕方がありません。

 

それでも、聖書を知らない人が、終末が来るなんて思ってもない人が、ちゃんと備えて救われるよう、警告をしていくべきだ……と考える人もいるでしょう。しかしそれは、やみくもに怯えさせるような、不安に陥らせるような、神の意図する内容やタイミングを、勝手に代弁するような、そんなやり方であってはなりません。

 

私たちには、戦争や疫病や地震や飢饉が起きている中、いつ終末がやって来るのか、もうその日は目の前なのか、自分で知ることはできません。「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存知である」と、マタイでもマルコでも書かれているように、神の子にも知らされてない、神様だけが知っていることです。

 

大切なのは、終末のしるしを見つけることでも、探すことでもありません。終末のしるしを見つけたと騒ぎ、慌てて警告することでもありません。しるしがなくても備えられるように、しるしがなくても信じられるように、信じてもらえるように、信じた者の生き方を世の中に証ししていくことです。

 

不安や恐怖をあおって、神を信じさせる生き方ではなく、イエス様に教られた、誠実な生き方を通して、神様に触れてもらえる生き方こそ、終末に備える道だと思います。どうか今、一人一人が不安や恐怖から解放され、悪質な支配によらない変化がもたらされ、神の国の到来にあずかることができるよう、目を覚ましていきましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(愛知県春日井市の春日井教会)のために、青年のために、大人のために、高齢者のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆愛知県春日井市の春日井教会のために祈ります。子どもの教会や美園幼稚園の働きが祝され、子どもたちやスタッフ、保護者のみんなに、あなたの愛が伝わりますように。教会が信仰の喜びに生かされ、伝道に用いられる喜びを、味わうことができますように。

◆青年のために祈ります。進路や学業、就職活動で悩んだり、焦ったり、しんどさを感じている人に、あなたの憐れみがありますように。必要な休息と選択肢が与えられ、安心できる仲間と出会えますように。

◆大人のために祈ります。仕事や家庭、将来のことで葛藤し、苦しんでいる人たちに、あなたの慈しみがありますように。新しい気づきと一緒にいる人の変化、頼れる相手がもたらされ、日々の生活が支えられますように。

◆高齢者のために祈ります。自分の健康やパートナーの介護、子どもたちや孫のことで問題を抱えている人に、あなたの恵みがありますように。適切なケアとサポートがもたらされ、今の生活に喜びと楽しみが与えられますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌16番「苦難のはざまから」(©️柳本和良)を歌いましょう。

 

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった3名、同時に視聴された1名、計4名が参加されました。後から配信を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信はここまでですが、この後2時半まで、希望する参加者が質問したり、祈ってほしいことを分かち合える時間を持ちたいと思います。時間のある方はぜひ、ご参加ください。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。

 

[1] 心理学ミュージアム「人はなぜ被害者を責めるのか? 公正世界仮説がもたらすもの」https://psychmuseum.jp/show_room/just_world/参照。