日曜礼拝 2021年12月26日
案 内
華陽教会では、感染症対策のため、礼拝の中で四度、立ち上がって讃美歌を歌う間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。どうぞ、教会員の方は、窓の開閉にご協力ください。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
主はこう言われる。わたしは恵みの時にあなたに答え/救いの日にあなたを助けた。わたしはあなたを形づくり、あなたを立てて/民の契約とし、国を再興して/荒廃した嗣業の地を継がせる。(イザヤ書49:8)
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、旧讃美歌508番「主よ、日に日に」を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)
お祈り
(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。
◆世界を導かれる、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜礼拝を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。クリスマスには、感染症による制限がありつつも、素敵な音楽をみんなでささげることができ、感謝致します。どうか今、新しく歌や演奏をささげたくなった人も、来年は一緒にイエス様の誕生をお祝いすることができますように導いてください。
◆私たちの神様。年末年始に近づいて、人の流れが増えていく中、再び感染症の拡大が懸念されています。どうか今、注意しながら帰省する人、家で誰かを迎える人に、あなたのお守りが豊かにあって、それぞれの健康と安全が保たれますように。
◆私たちの神様。この一年も、最初から最後まで、あなたが守り導いてくださったことを感謝致します。たくさんの間違いや失敗もありましたが、たくさんの気づきや成長もありました。どうか今、その一つ一つを受けとめ、新しい年を迎えることができますように。
◆私たちを送り出される主、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書2:1〜12(新共同訳より抜粋)
*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編72:1〜7(新共同訳交読詩編より抜粋)
『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です) |
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、讃美歌21の279番「ふるさとを離れて遠く」を歌います。(お立ちください)
メッセージ
クリスマスが終わって、何かに期待したり、ワクワクした雰囲気から、一気に現実へと引き戻される時間がやってきました。イブの夜に賑やかな時を過ごしても、聖夜に礼拝で慰めを受けても、私たちは全てが「めでたし、めでたし」で終わったわけではないことを知っています。
年末に向かって仕事は忙しくなり、受験は佳境を迎え、就活は切羽詰まってきます。帰省先で何を言われるか怯える人、帰りたくても帰れない人、病気や介護で、心休まらない人もいます。クリスマスに何かが解決された人、全てが好転した人は、ほとんどいないでしょう。
事実、聖書の中でも、救い主の誕生は、「めでたし、めでたし」で終わりません。イエス様に、黄金、乳香、没薬をささげた学者たちが、自分の国へ帰ったあと、新しい王の誕生を恐れたヘロデは、ベツレヘム周辺の2歳以下の男の子を、みんな殺してしまうからです。
幸い、赤ん坊のイエス様は、ヨセフの夢に現れた天使の助言により、ベツレヘムから、エジプトへ避難して助かります。しかし、イエス様は、自分を見つけられず、焦ったヘロデによって、同郷の、同い年の子どもたちを、みんな殺されてしまいます。
まだ赤ちゃんだったとはいえ、この事件は、「自分だけ生き残った」という何とも言えない体験として、繰り返し思い起こすことになったでしょう。周りのみんなが、大勢が、命を失くした中、自分だけが助かった者として、イエス様も、生涯苦しんだんじゃないかと思います。
この展開に対して、私たちも叫ばずにはいられません。「神よ、どうして罪のない子どもたちを、殺されるままにしたのですか?」「独り子さえ、救い主さえ、助かれば良かったんですか?」「あの子どもたちを気に留めることはなかったのですか?」
占星術の学者たちから、高価な宝物をもらい、巨額の富を得た家族は、自分たちだけ、恵みを受けて逃げ延びたのか?……他の子どもたちに、その恵みは、その助けは、分けられなかったのか?……非常に鋭く、冷たい問題が、私たちの心にのし掛かります。
もちろん、天使からエジプトへ避難するよう勧められたヨセフも、イエス様を抱えて逃げ出したマリアも、自分たちが姿を消した後、ヘロデがそこまでするとは、予想していなかったでしょう。しかし、どうしても、「神の助けを得た家族」と「助けを得られなかった子ども」の間に、ギャップを感じてしまいます。
そんなとき、思い出すのが、私が随分前に聞いたメッセージです。かつて、私が神学部で学んでいた頃、引退を前にした先生が、大学で最後のチャペルを担当したことがありました。それはちょうど、クリスマスを迎えた後の、本日読まれた聖書箇所でのメッセージでした。
先生は、自分が神学生だった頃、教会学校の子どもたちから、ある質問を受けたことを話しました。「イエス様は、博士たちからすごく高価な宝物をもらったけれど、それは何に使ったの?」……先生は「イエス様の家族が、エジプトへ避難するのに使ったんだと思う」と答えたそうです。
ところが、子どもたちはさらに続けて、「全部それに使ったの? 他のことには使わなかったの?」と聞いてきます。困った先生は、少し考えてから、こう言ったそうです。「きっと、イエス様の周りにいた、貧しい人や困っている人に、分けてあげたんじゃないかな?」
ヨセフとマリアとイエス様が、まだベツレヘムで過ごしていたとき、彼らが宝物を分けるとしたら、どんな人に分けたんだろう?……ふと、そう思って頭に浮かんだのは、同じく、小さな子どもを抱えた家族でした。コロナ禍で給付金が話題になるときも、まず、助けが必要とされるのが、子どものいる家庭です。
おそらく、赤ん坊にささげられた宝物を、その家族が分けるとしたら、同じく、小さな子どもたちへとなるでしょう。宿に泊まれない、ベッドで寝れない、我が子の食費にも困った家族へ、黄金、乳香、没薬の一部が分けられる……古代イスラエルの時代背景から考えて、すぐには換金できないでしょうから、それらは各家庭に、しばらくそのまま置かれたでしょう。
黄金は説明するまでもありませんが、乳香や没薬は、あまり馴染みのない贈り物です。乳香は、香料の原料となる樹脂の一つで、非常に希少なものでした。それは、香水や薬の他、遺体を埋葬する際の、匂い消しにも使われました。
没薬も、殺菌作用を持つ樹脂の一つで、鎮静剤や鎮痛薬として使われました。また、遺体の防腐処理にも使われました。どちらも、財産として蓄えるのに、保存するのに適したものでしたが、ちょっと複雑な気分になるかもしれません。
イエス様にささげられた贈り物は、イエス様が死んだときにも使われた、埋葬の準備に用いるものだからです。当然、高価で希少なもののため、普通の家庭で亡くなった人に使われることは、滅多になかったと思います。それらが、ベツレヘムに住む各家庭へ分けられたとしたら……エジプトへ発つ前に、マリアとヨセフから貧しい人、困っている人に分けられたとしたら……
ヘロデ王による命令で、突然虐殺された子どもたちを弔う者は、当然、悲しみに暮れたでしょう。大勢の赤ん坊が一気に亡くなり、棺桶やお墓の用意も足りなくなったでしょう。埋葬の準備が整うまで、遺体は何日も家の中に置かれたでしょう。貧しい家庭は、我が子の体が朽ちていくのを、どうにもならない気持ちで見つめるしかなかったのでしょうか?
もし、そのとき……イエス様の家族から分けられた宝物が、乳香や没薬があったなら………子どもたちの両親は、小さな体に香料を塗って、腐敗を防ぎ、葬りの準備をすることができたでしょう。本来なら、大虐殺による小さな犠牲者に、一人一人塗られるはずのなかった香料が、丁寧に丁寧に塗られたことでしょう。
ベツレヘム周辺の2歳以下の子どもたちは、救い主を逃がすため、気にも留められなかった存在ではなかったのかもしれません。いえ、間違いなく、神様の心に留まった存在だったはずです。イエス様も「こどもたちをわたしのところへ来させなさい。妨げてはならない」とおっしゃったんですから。自ら十字架にかかって、犠牲になった子どもたちと、同じところへ行ったんですから。
あの日、教師の一人に「贈り物はどうなった?」と聞いてきた、子どもたちの素朴な問いかけが、クリスマスを過ぎた私にも、救い主からの贈り物として届きました。皆さんのもとに、救い主から届けられた贈り物は、分けられた宝物は、いったい何だったでしょうか? 共に、受け取った恵みを味わいましょう。
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、オンライン賛美歌7番「何も変わらないと(A)」(詞:柳本和良、滝田真治)を歌います。(お立ちください)
使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)
紹 介
(ご着席ください)本日も初めて来た方、久しぶりに来た方と、礼拝にあずかれたことを感謝致します。配信に乗らないように、新来者カードでご了承いただけた方のみ、礼拝後に紹介します。今日初めて配信を見ている方にも、神様の祝福がありますように。
とりなし
神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。
司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。
司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。
主の祈り
(お立ちください)共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた献金封筒をお使いください。
献金の祈り(例)
愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の4節を歌いましょう。
讃美歌
頌栄24番「たたえよ、主の民」を歌いましょう。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(『讃美歌21』93-6 ⑥より)
祝 福
神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように/あなたの道をこの地が知り/御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)
報 告
本日も教会に集まって、配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週のクリスマス礼拝は、教会に集まった27名、同時に視聴された13名、計40名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。
今週1月1日の土曜日は午後2時から元旦礼拝、来週1月2日の日曜日は午前10時半から新年礼拝を行います。年末年始の感染症対策のため、土曜日午後か、日曜日午前か、どちらか出やすい方に参加していただき、密集を避けていただけるとありがたいです。
なお、土曜日の元旦礼拝では、信仰告白をしていない方も、一緒にあずかることのできる「愛餐式」を、日曜日の新年礼拝では、信仰告白をした方が、信仰者であり続けるための「聖餐式」を、それぞれ行います。
また、年末年始の聖書研究祈祷会は、牧師休暇のためお休みです。次回の聖書研究祈祷会は、1月12日水曜日の13時半から予定しています。また日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。