ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『あなた何者?』 ヨナ書1:1〜6、マルコによる福音書4:35〜41

日曜礼拝 2022年2月27日


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案 内

華陽教会では岐阜県の医療提供体制を受けて、会衆が集まる礼拝を休止し、配信等による在宅礼拝に切り替えています。共に今、自宅にいる人も、後から見る人も、聖書の言葉に耳を澄ませ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

御名の栄光を主に帰せよ。聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。(詩編29:2)

 

讃美歌

マスクをしたままで、旧讃美歌457番「たのしきこえを」を歌います。54年版讃美歌をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。ウクライナへの軍事行動やミサイル攻撃によって、既に200人近くの人が亡くなりました。多くの民間人や子どもたちも巻き込まれています。どうか今、一刻も早く、平和がもたらされますように助けてください。

◆私たちの神様。新型コロナの新規感染者数も未だ800人を超える日が続いています。岐阜県の医療提供体制も病床使用率が48%を切らず、逼迫した状態が続いています。どうか今、感染した人の速やかな回復と安全をお守りください。

◆私たちの神様。入学、進級、就労前のシーズンになり、破壊的カルトの正体や目的を隠した勧誘も再び活発になっています。全国の救出支援体制も困難を極めています。どうか今、被害の予防と回復が進みますように導いてください。

◆和解と変化の源である、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ヨナ書1:1〜6、マルコによる福音書4:35〜41(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編125:1〜5(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の357番「力に満ちたる」を歌います。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。

 

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Myriams-FotosによるPixabayからの画像

メッセージ

聖書には、神の子であるイエス様が、数々の奇跡を行う中で、いっこうに人々がイエス様の正体に気づかない……という場面がたくさん出てきます。それは、イエス様の最も近くで過ごしていた弟子たちも同様でした。「この方は特別だ」「この方について行こう」とすぐ従っていった彼らも、イエス様が何者か、よく分かっていなかったんです。

 

福音書の中で、最も早くに書かれたと言われる、マルコによる福音書では、イエス様が4人の漁師を弟子にした後、汚れた霊に取りつかれた人や、多くの病人を癒したり、「このようなことは、今まで見たことがない」と人々を驚かせる様子が描かれていました。同胞から金を巻き上げる徴税人まで、仕事を捨ててイエス様についてきていました。

 

ところが、弟子たちは自分たちの乗り込んだ舟が、激しい突風に襲われ、転覆しそうになったとき、「黙れ、静まれ」という一言で、すっかり凪にしたイエス様を見て、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」……と非常に恐れた様子を見せます。

 

いやいや、悪霊を追い出したり、病人を癒したり、イエス様がさんざん奇跡を起こすのを見てきたのに、今更「この方は何者だろう?」と言い出すの?……イエス様を、約束された救い主、この世に遣わされた神の御子と、信じてついてきたんじゃないの?……そう弟子たちに突っ込みたくなるかもしれません。

 

実際、3章で選ばれた12人の弟子たちは、イエス様から「悪霊を追い出す権能」まで持たされていました。追い出された悪霊たちが、イエス様のことを口々に「神の聖者だ」「あなたは神の子だ」と叫んでいるのも聞いていました。ペトロに至っては、自分の家族である姑の熱も癒してもらっていました。誰よりも間近でイエス様の力を見ていました。

 

にもかかわらず、転覆しかけた舟の上で、イエス様が突風を静めると、彼らは非常に恐れて、「あなた何者?」という目で見つめます。「やっぱりあなたは神の子ですね」「私たちの救い主なんですね」とはなりません。どうも不思議です。今までの奇跡を見ていたら、このときこそ、イエス様が何者かはっきりしたように感じるはずです。

 

なぜ、彼らは舟の中で怖がって、イエス様が何者か、分からない様子を見せたんでしょう? なぜ、病人が癒やされたのを見て喜んだ群衆のように、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って神を賛美しなかったんでしょう? それは、この出来事が、ある不吉なエピソードを思い出させるものだったからです。

 

最初に読まれたヨナ書の記事には、神様から「大いなる都ニネベに行け」と命じられた預言者が、神様の命令に逆らって、反対方向のタルシシュへ逃げる様子が描かれていました。この後、大きな魚に呑み込まれたことで有名なヨナの話です。教会学校やキリスト教主義の幼稚園、ミッションスクールに居たことがある人は、一度は聞いた話でしょう。

 

彼は、イスラエルを滅ぼす敵国であったアッシリアの都市へ行きたくなくて、港から船に乗り込んで逃げようとしますが、船底でぐっすり眠っている間に、神様から大風を放たれ、大騒ぎになってしまいます。船乗りたちが荷物を捨てたり、各々の信じる神に助けを求めて祈る間も、ヨナは何も知らずに眠りこけていました。

 

よく見たら、イエス様が向こう岸へ渡ろうと、舟に乗ったときの様子とそっくりです。イエス様を乗せた舟は、漕ぎ出して間もなく、激しい突風に襲われ、波をかぶって水浸しになります。今にも沈みそうな中、弟子たちは必死になって、舟をコントロールしようとしますが、イエス様の方は、舟の端っこでのんきに枕をして眠っています。

 

おそらく、弟子たちの脳裏に「まるで、神様に逆らって逃げ出したヨナのようだ……」という気持ちが湧いてきたのではないでしょうか? 彼らはイエス様を起こして「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と訴えます。あなたが言い出したから、向こう岸へ渡ろうと一緒に舟へ乗ったんです。あなたが言ったから出発したんです。

 

でも、船を漕ぎ出した途端、大風に遭って沈みそうになるなんて、神様の怒りを買った誰かのようです。この突風は、あなたのせいじゃないですか? あなたが神様に逆らったからじゃないですか? 神様の命じていることに背いて、私たちを巻き込んだんじゃないですか? 先生、どうにか責任を取ってください!

 

ヨナの場合は、「わたしのせいで、この大嵐があなたたちを見舞ったことは、わたしが知っている」と船乗りたちに告白し、自分の手足を縛って海に放り込ませることで、神様が放った大風を静めます。ようするに、自分の命をささげることで、自分が巻き込んだ人たちを救おうとしたわけです。

 

イエス様と一緒にいた弟子たちは、同じように言い出されることを予想したんじゃないでしょうか? 「わたしのせいで、この突風があなたたちを見舞ったことは、わたしが知っている」「わたしの手足を捕らえて海にほうり込むがよい」……最悪のシナリオですよね? でも、イエス様が「神に背いた者である」という状況証拠は揃っています。

 

現代でも、ある国が大国に攻め込まれたり、ある町が災害に襲われたり、ある人が病に犯されると、一部の人は言い始めます。「これは神の祟りじゃないか?」「聖書に出てくる○○と同じだ」「あの地域も、あの人も、神に逆らう生き方をしていたから、こうなったんだ……」

 

実際、自分や誰かの状況と、聖書に出てくる、神に裁かれた人たちの状況が、重なって見えることは多々あります。あの箇所と同じ状況だ……あの人と同じ展開だ……そう当てはめて、ついつい、「こうなったのはあなたのせいだ」「私のせいだ」と言い出したくなる気持ちになります。たぶん、弟子たちもそうでした。

 

ところが、イエス様は思ってもみない展開を見せます。弟子たちに起こされて、ヨナのように、自分の罪を告白するのではなく、風を叱って、湖に、「黙れ、静まれ」と言うことで、突風を静めてしまうんです。そして、信心深いからこそ、ヨナの出来事を思い出し、責めようとした弟子たちに向かって「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と言われます。

 

彼らは混乱したでしょう。突風に襲われたこの方は、神様に背いた人ではなかったのか? むしろ、突風を静めたこの方は、やっぱり救い主なんだろうか? あのまま、「あなたのせいじゃないですか?」と責めていたら、どうなったんだろうか? あのまま、ヨナのように、この方の命を差し出させていたら、どうなったんだろうか?

 

弟子たちは怖がり、非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう」と呟きました。まさか、自分自身が神に背いたからではなく、人々が神に背いた罪の結果を受けとめるために、自ら十字架にかかって命を差し出しに行く方だとは、まだ分かっていませんでした。神に背いて裁かれる者か、神に従って遣わされる者か、分かっていませんでした。

 

私たちも、誰かが事故に遭ったり、災いに遭ったり、病に倒れたりしたとき、その人に原因があるからだと考えて、無意識に、悪いことはないか告白させ、海の中へ沈めようとすることがあります。今まさに、大国に攻め込まれている国があります。災害に遭った地域があります。感染症にかかった人たちがいます。

 

きっとまた、誰かが言い出すでしょう。こうなったのは、神に逆らう生き方をしていたからだ……不信仰の報いを受けたからだ……と。でも、そのように責められてしまう人、大風に遭って苦しんでいる人の姿に、イエス様は重なります。自分はここにいる、この人たちと一緒にいると、私たちに告げられます。

 

風を叱り、湖を静めたイエス様と一緒に、私たちも、人々を苦しめる戦争や、災害や、疫病がやむように、不当に責められ、さらに傷つく人が増えないように、祈りを合わせ、平和のために、とりなしていきましょう。全ての人が災いから守られ、癒しと回復を得ることができますように。

 

讃美歌

オンライン賛美歌23番「わたしの口は絶えず歌う」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

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使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の裏面をご覧ください)

 

使徒信条93-4A

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)


使徒信条93-4B

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。

 

紹 介

本日も、初めて配信を見に来た方、久しぶりに配信を見られた方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。互いに顔を合わせることはできませんが、礼拝を通してつながっている一人一人に、神様の祝福がありますように。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

 

献金の祈り(例)

全ての祝福の源である神様、今、私たちがささげるものを受け入れてください。あなたの平和が実現し、あなたの御名があがめられ、神の国の栄光があらわされますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄29番「天のみ民も」を歌いましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(『讃美歌21』93-6 ⑥より)

 

祝 福

主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。(詩編121:7〜8)

 

報 告

本日も、配信を通して日曜礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅礼拝は、ライブ配信の奉仕者6名、同時に視聴された18名、計24名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週も、配信等による在宅礼拝を行います。教会に集まる礼拝の再開は2週間ごとに検討し、決定次第、教会員への連絡網とホームページ、各SNSの公式アカウントでお知らせします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。