ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『愚かな願い?』 マルコによる福音書10:32〜45

日曜礼拝 2022年4月3日


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消 灯

本日は、受難節第5週目の礼拝なので、光や命の象徴として立てられた蝋燭を5本倒し、キリストが受けられた苦しみと、十字架の死を思い起こします。共に今、あなたの労苦と痛みに寄り添う、イエス様の歩みを覚えましょう。

 

案 内

華陽教会では、マスク、消毒、換気、加湿、三密回避の座席調整をした上で、会衆が集まる礼拝を再開しています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。(哀歌3:22)

 

讃美歌

旧讃美歌526番「主よ、わが主よ、あいの主よ」を歌います。本日は感染症対策のため、牧師の独唱による賛美を行います。会衆の皆さんも、奏楽と歌詞を味わいつつ、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

 

◆全ての痛みを知っておられる、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今日は3ヶ月ぶりに「三密を避けた会衆礼拝」を再開することができました。本当にここまで、一日一日を導いてくださり、感謝いたします。どうか今、ここに来ることができなかった人たちにも、あなたの恵みと祝福をもたらしてください。

◆私たちの神様。水曜日までは減少傾向にあった病床使用率が、木曜日から少しずつ上がってきています。第6波が十分収まらないまま、第7波を迎える恐れも指摘されています。どうか今、一人一人の健康と安全を守り、これからの未来を導いてください。

◆私たちの神様。ロシアによるウクライナへの侵攻が、一刻も早く中止され、停戦が成立しますように。どうか今、両方の犠牲者が増えないように、深刻な被害がこれ以上広がらないように、平和的な解決をもたらしてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。マルコによる福音書10:32〜45(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編22:25〜32(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

讃美歌21の513番「主は命を」をお開きください。独唱を聴きながら、会衆の皆さんも、心で賛美を合わせましょう。

 

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sethinkによるPixabayからの画像

メッセージ

これからまもなく、十字架にかかって殺されるというときに、エルサレムへ向かうイエス様に対し、その道中で、ヤコブとヨハネがお願いしたことは、キリスト教会の中で語り継がれる「愚かな願い」として有名です。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」

 

ようするに、あなたが敵に勝利するとき、あなたが王座についたとき、私たち兄弟を、一番偉い側近として取り立ててください……そんな願いだと解釈されます。マタイによる福音書では、2人の母親がそう願ったことになっていますが、どちらにせよ、本人たちもそのように願っていたのでしょう。ずいぶん大胆なお願いです。

 

他の弟子たちは、目の前で抜け駆けしようとする2人に対し、腹を立て始めます。ちょうど、9章の後半でも、弟子たちが家へ帰る途中で、誰が一番偉いか議論していたことが書かれていました。イエス様の次に偉いのは誰なのか? もう少し丸い言い方をすれば、イエス様から一番信頼されているのは誰なのか? 彼らにとって大きな関心事でした。

 

おそらく、ヤコブとヨハネだけでなく、12人の弟子たちは皆、イエス様が活躍し、人々に崇められるとき、その隣に、自分が座らせてもらえることを期待したんだと思います。「あなたこそ、私の理解者だ」「あなたこそ、私の右腕だ」そのように言ってもらえたら、誰だって嬉しくなりますよね?

 

でも、イエス様はこう言います。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない」……実際、この後イエス様に待っているのは、イスラエルの王として受け入れられる未来ではなく、捕えられ、鞭打たれ、殺されてしまう未来です。人々を救うために、十字架にかけられ、苦しみを受ける未来です。

 

「イエス様の右と左に座らせてもらう」ということは、イエス様と一緒に、耐え難い苦しみを受けるということでした。そこで、イエス様は続けて2人に、「このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか」と尋ねられます。ヤコブとヨハネの答えは「できます」という簡単な返事でした。

 

ここで、イエス様が言っている杯とは、文字通りの杯ではなく、十字架で血を流す苦しみのことです。イエス様が受ける洗礼というのも、単なる儀式のことではなく、神様に従った末に死んでしまうことです。それなのに、ヤコブとヨハネは、ほぼノータイムで「できます」と答えてしまいます。やはり、2人は何も分かっていなかったんでしょうか?

 

しかし、私は「本当に何も分かっていなかったのか?」と最近疑っているんです。というのも、このやりとりの直前に、自分の死と復活について、イエス様が三度目の予告をされているからです。「人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す……」

 

この直後、2人が無邪気に「自分たちを一番偉い側近に取り立ててください」と願ったとしたら不自然です。ヤコブとヨハネは、イエス様が歓迎されなければ、その村を焼き滅ぼしましょう! と言い出すくらい、激しい性格の持ち主でした。イエス様が祭司長や律法学者に捕えられて殺される、という言葉に、何の反応も見せなかったとは思えません。

 

また、「このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか」とイエス様に尋ねられたとき、「できます」と答えた2人が、ただ文字通り、この言葉を捉えていたとも思えません。「杯」は旧約聖書において、苦しみの運命を表します。洗礼も、本来「水の中に沈める」という意味で、もともと死を暗示する言葉です。

 

もしかしたら、間髪入れずに「できます」と答えたヤコブとヨハネは、「あなたと一緒に死ぬ覚悟です」という意思表示をしていたのかもしれません。私たちは、たとえ危険にさらされても、あなたの一番近くでついて行きます。あなたと運命を共にします。だから、私たちを一番に信頼してください。私たちを良き理解者と認めてください。

 

そのように思っていたのかもしれません。実際、ペトロやトマスも「イエス様が死ぬなら自分も死ぬ」「捕まることになっても、どこまでもあなたについて行く」と答えるシーンが出てきます。たとえ、死ぬことになったとしても、名誉ある死、納得いく死を迎えられるなら本望だと思ったのかもしれません。ある種の栄光を受けられると。

 

しかし、実はそれでも、彼らは分かっていませんでした。イエス様が歩もうとしている道に、「かっこいい死」なんて用意されていませんでした。勇敢に戦って死ぬとか、人々に惜しまれて死ぬとか、そんな展開はありませんでした。イエス様は、自分を歓迎していた人たちに掌を返され、嘲りを受け、犯罪者として、裸で処刑されるんです。

 

イエス様の右と左に座るというのは、宮殿の王座に並ぶことでも、戦地で勝利の旗を掲げることでもありません。強盗や暴行を働いた罪人と同様、犯罪者として十字架につけられることです。弱っていく姿を人目にさらされ、酸化したぶどう酒を押し付けられ、カラスや槍に突かれながら死ぬことです。そこが、イエス様の王座です。

 

ベッドで寝たきりの人が、涎を拭えないまま亡くなっていく。家を失った人が、段ボールの中で冷たくなる。オーバーステイになった人が、医者に診てもらえずに息を引き取る。あらゆるものから見放された人が「なぜ私を見捨てたんだ?」と神に叫んで死んでいく……そんな人たちの隣に、イエス様の王座は置かれます。

 

「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる……」イエス様にそう告げられたヤコブとヨハネは、まだ、自分たちがどんな道を歩むか分かっていませんでした。かっこよく、イエス様に従う姿を思い描いていました。裸に近い格好で、色んな家から追い出され、罵声を浴びせられるとは思っていませんでした。

 

しかし、後に2人は思い出すでしょう。自分たちが思い描いた未来と違う、理想の歩み方が「できない」ときに、かつて、イエス様に「できます」と答えた「杯」と「洗礼」を、今まさに受けているのだと。上手く話を聞いてもらえず、受け入れられず、みんなから見下ろされるとき、人の子と、イエス様と、同じ道を歩いていると。

 

私たちも、毎週礼拝へ出てくること、何があっても教会へ来ることを望みながら、それができなくなった日々を迎えています。まともに服も着られず、ベッドにはりつけにされることも、心が沈んで、立ちあがれないことも出てきます。情けない自分に、イエス様と同じ道なんて歩めないと思っているかもしれません。

 

でも、イエス様は言われます。「あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる」……今日も、あなたの前に、イエス様の杯と洗礼が用意されています。王座から遠のいたと思い込んでいる私たちへ、同じ食卓に着く用意をされます。キリストの復活を記念するイースターまで2週間、この方が引き受けた痛みを覚えましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌4番「わたしの主が取り去られた」(©︎柳本和良)をお開きください。独唱を聴きながら、会衆の皆さんも、心で賛美を合わせましょう。

 

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使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の裏面をご覧ください)

 

使徒信条93-4A

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)


使徒信条93-4B

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。

 

紹 介

(ご着席ください)本日も初めて来た方、久しぶりに来た方と、礼拝にあずかれたことを感謝致します。配信に乗らないように、ご了承いただけた方のみ、礼拝後に紹介します。今日初めて配信を見ている方にも、神様の祝福がありますように。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

食卓を囲めない日の祈り

本日は、飲食による感染リスクを避けるため、パンとぶどう液をいただく聖餐式を休止し「食卓を囲めない日の祈り」を行います。共に「命のパン」「命の水」である神の言葉を受け取りましょう。

 

讃美歌

最初に、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節をお開きください。独唱を聴きながら、会衆の皆さんも、心で賛美を合わせましょう。

 

招 き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ6:35)」「わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ6:57)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ4:14)」

 

主は、荒れ野で悪魔の誘惑を受け、空腹の中「石がパンになるよう命じたらどうだ」と言われたとき、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる(マタイ4:4)」と答えました。そうして悪魔は離れ去り、主はガリラヤに帰られて、人々に神の言葉を与えました。

 

今、様々な事情で食卓を囲めない私たちに、主は「命のパン」「命の水」である神の言葉を与えます。食事が喉を通らず水も飲めない人々に、みんなと一緒に食事を味わえない人々に、神様は新しい糧をもたらします。

 

共に、聖書を通して与えられた「神の恵み」「神の祝福」を分かち合う、見えない食卓を囲みましょう。

 

感謝の祈り

恵みと祝福の源である私たちの神様、あなたは私たちの欠乏を満たす「命のパン」「命の水」をお与えになります。孤独に共感を、対立に連帯を、恐怖に信頼をもたらします。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、共に渇き、共に飢え、共に痛みを負われました。

 

ご自分が渇いているときに、孤立した女性に水を求め、新しいつながりを与えました。ご自分が飢えているときに、神の言葉に信頼し、人々に希望を示しました。パンがなく、水がなく、共に食卓を囲めないとき、あなたの言葉一つ一つは、私たちに見えない糧をもたらします。

 

どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和がこの世界を満たしますように。アーメン。

 

讃美歌

讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」2節、3節をお開きください。独唱を聴きながら、会衆の皆さんも、心で賛美を合わせましょう。

 

とりなし

共に、神の祝福を宣言しましょう。

皆さんの隣に、前に、後ろにいる人、あるいは離れている人へ、イエス様から与えられた良い知らせを伝えましょう。

 

司式者:主は言われます。

一 同:「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる(ルカ23:43)」

司式者:私たちも知らせましょう。

一 同:「主があなたと共におられます」

 

司式者:主は言われます。

一 同:「あなたがたに平和があるように(ヨハネ20:19)」

司式者:私たちも答えましょう。

一 同:「わたしの主、わたしの神よ(ヨハネ20:28)」

 

応答の祈り

感謝の応答として、共に祈りをささげましょう。

 

信仰と希望と愛をもたらす私たちの神様、今ここで、食卓を囲めない日に、「命のパン」「命の水」であるあなたの言葉を分かち合えたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者がもたらされます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を共に分け合う者として、送り出してください。

 

主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

 

献金の祈り(例)

主なる神よ、私たちが持っているものはみな、あなたからいただいたものです。今、私自身の生き方をあなたの御用のためにおささげします。どうか、ここにささげた献金もあなたの求めていることに用いてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の1節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌10番「祝福」をお開きください。独唱を聴きながら、会衆の皆さんも、心で賛美を合わせましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。(マルコによる福音書10:39b)

 

祝 福

どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。(テサロニケの信徒への手紙二3:16)

 

報 告

本日も教会に集まって、また、配信を通して、礼拝にご参加くださり、感謝いたします。先週の在宅礼拝はライブ配信の奉仕者11名、同時に視聴された13名、計24名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

今回は、先週の日曜日から水曜日にかけて、病床使用率が0.2%ずつ減少したため、日曜日には、20%を下回る見込みで、本日の礼拝再開を決定しました。しかし、木曜日から土曜日にかけて、今度は病床使用率が0.2%ずつ上昇し、新規感染者数も4日連続で500人を超える事態となっており、感染症の再拡大に注意しなければなりません。

 

そこで、来週の礼拝を在宅で行うか、教会で行うかは、病床使用率の推移を見ながら、水曜日に改めて検討し、教会員への連絡網とホームページ、各種SNSでアナウンスします。なかなか先行きが見えない毎日ですが、共に信仰生活を支え合いたいと思います。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。