ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『立ち去る前の四十日』 使徒言行録1:1〜5

聖書研究祈祷会 2022年4月6日


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案 内

華陽教会では、岐阜県の医療提供体制を踏まえて、聖書研究祈祷会と配信等による在宅聖研を並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の501番「主よ、私たちは祈ります」を歌います。本日は、感染症対策のため、牧師の独唱による賛美を行います。会衆の皆さんも、奏楽と歌詞を味わいつつ、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、水曜日の聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。先日の日曜日は3ヶ月ぶりに教会へ集まって礼拝ができたことを感謝致します。一方で、再び病床使用率と新規感染者数が上昇してきています。どうか今、岐阜県の医療提供体制と、感染した方々の健康が、一刻も早く回復しますように。

◆私たちの神様。ウクライナで、民間人の遺体が相次いで見つかっています。まだ幼い子どもたちも犠牲になっています。どうか今、亡くなった人の家族と友人が慰められ、本当にこれ以上被害者が広がらないように、助けてください。

◆私たちの神様。アジア、中東、アフリカでも、紛争や弾圧の犠牲になっている人たちがいます。どうか今、暴力や抑圧に苦しむ全ての人が解放され、強引な支配ではなく、健全な合意によって、平和が取り戻されますように。

◆人と人との間に立たれる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録1:1〜5の新共同訳と協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Bruno /GermanyによるPixabayからの画像

メッセージ

昨年度の聖書研究祈祷会は、コロナ禍でなかなか教会に集まれなかったこともあり、洗礼を希望している人の受洗勉強会も兼ねて、毎月設定したテーマ毎に聖書研究をしてきました。残念ながら、今年度も、新型コロナウイルス感染症の再拡大が懸念されていますが、例年通り、教会に集まれなくなった今だからこそ、「これからの教会について考える」というテーマで、教会の始まりを記した使徒言行録を1章から読み進めたいと思います。

 

そう、使徒言行録と言えば、イエス・キリストが復活して天に昇った後、残された弟子たちが各地へ赴いて世界宣教を展開し、あちこちに教会を作っていった歴史を記した書物です。不要不急の外出を控えたり、大勢で集まることを避けるよう心がけている現代とはあまりマッチしないエピソードに感じられるかもしれません。

 

しかし、イエス様と行動を共にしてきた弟子たちによる宣教は、当時も決して自由に、全く心配なしに、できるものではありませんでした。当初、彼らがユダヤ人を恐れて家の中に閉じこもっていたことは有名な話です。イエス様が復活した後も、彼らが食糧などを得るために外出していたタイミングは、朝早く、人気の少ない時間帯でした。

 

加えて、イエス様自身も、エルサレムを離れず、約束された聖霊が来るのを待ちなさいと命じています。教会の宣教は、イエス様の復活を知った多くの人が、一気に盛り上がって始まったのではありません。イエス様の復活を知ってなお、自宅に留まり、家の中で祈って、静かに待っている人たちから始まったんです。

 

興味深いことに、十字架にかかって死んだイエス様が、3日目に復活した様子は、いずれも多くの人の前にではなく、一部屋に入り切るくらいの、限られた集まりにおいて示されました。墓の前に集まった数人の女性たち、エマオの途上で宿に泊まった2人の弟子たち、そして、戸に鍵をかけて集まっていた11人……。

 

復活したキリストが現れたのは、武道館や国際競技場に集まった群衆の中ではなく、少人数で身を潜めている、目立たないように移動している、小さな集まりの中でした。ちょうど、夫婦や家族だけで礼拝したり、何組かに分かれて、ひっそりと集まっている教会のように、盛り上がりに欠けた小さな民へ、この方は姿を現しました。

 

一気にたくさんの人へ姿を見せた方が説得力を持ちそうなのに、なぜか群衆の集まる神殿の境内や往来の真ん中には現れません。四十日にわたって、墓の前で、家の中で、湖の畔で、それぞれの小さな集まりに姿を見せました。この時期、多くの弟子たちは、自分たちも捕まる危険があったので、神様を礼拝する会堂や神殿には行けませんでした。各々の自宅か、匿ってもらえる知り合いの家でしか、祈ること、集まることができませんでした。

 

あまり、現代にマッチしないと思っていた、かつての状況が、思いのほか、身近に感じられてきたかもしれません。そして、まん延防止等重点措置が解除された後も、一定期間しか集まれなかったり、少人数でしか礼拝できなくなった私たちが、ストレスを感じているように、イエス様と再会できた人々も、四十日間、もどかしい思いをしていたんじゃないかと思うんです。

 

だって、せっかく復活したイエス様と再開できたのに、各地にいる仲間が一気に集まれないんです。前みたいにイエス様を中心にして、大勢の人と話を聞いたり、奇跡を見せてもらったりができないんです。イエス様は死から甦ったにもかかわらず、みんなを率いて祭司長や律法学者を倒しに行ったり、神殿を占拠したりすることもなく、少人数で一緒に食事をするひとときを過ごしています。

 

いったいいつになったら、各地の仲間と集結して、祭司長やローマの総督に勝利を宣言しに行くのか? キリスト教徒を弾圧し、捕え、処刑しようとしている人たちに反撃を始めるのか、たぶん、うずうずしていた人がいただろうと思います。実際、イエス様が昇天される直前に、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と弟子の一人が口にしています。

 

私たちだって、もうマスクを外して集まっていい日が来たんじゃないか? 思いっきり賛美を歌って、パーテーションも取り払って、「コロナに勝った」と宣言する日が来たんじゃないか?……と、まん延防止等重点措置や緊急事態宣言が解除される度に聞きたくなります。聖霊うんぬんを待つよりも、そっちの方が良い知らせに感じます。

 

でも、これからの教会に求められているのは、ただ大勢の人が集まることではないのかもしれません。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである(マタイ18:20)」という言葉にも示されるとおり、今、この集まりにおいて、この空間において、あなたの前に、イエス様が居てくださることを確信し、証ししていくことこそ、私たちの使命ではないでしょうか?

 

「あなたがたは間もなく聖霊による洗礼(バプテスマ)を授けられる」……あの日、イエス様が語られた、神様が約束された聖霊が送られたのは、賑やかに賛美が聞こえる会堂でも、声高らかに聖書が読まれる神殿でもありませんでした。少ない人数で、静かに祈って、約束の日を待つ弟子たちに、イエス様は自分が隣にいることを告げ、聖霊によって語らせました。私たちも今、その日を待って、信じて、祈りを合わせましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(静岡県静岡市の静岡草深教会)のために、教会へ集まれない人のために、学校へ行けない人のために、施設へ入れない人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆静岡県静岡市の静岡草深教会のために祈ります。4月から新しく教師を迎えた教会に、あなたの祝福がありますように。教会に来る一人一人が、感染症や事故から守られ、諸々の活動が実を結びますように。

◆教会へ集まれない人のために祈ります。全国で礼拝が再開されている一方で、自宅待機を余儀なくされている人たちや、病気や怪我、衰えのため、家から出られない人たちに、あなたの慈しみがありますように。

◆学校へ行けない人のために祈ります。対面での授業が始まった一方、遠隔で参加せざるを得ない人やオンラインでの出席も難しい人たちに、あなたの力と励ましがありますように。一人一人に必要なサポートがもたらされますように。

◆施設へ入れない人のために祈ります。自宅で生活するのが困難な人や、介護の余裕がない人たちに、あなたの助けがありますように。当事者も身内も健全で楽しい人生を送れるように、必要なところに必要な支えが与えられますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌1番「枯れた谷に鹿が」(©️柳本和良)を歌います。会衆の皆さんは歌詞と楽譜をご覧いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

報 告

本日も、教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。来週の日曜礼拝と聖書研究祈祷会は、この後、教会に集まって行うか、配信を通して在宅でご参加いただくか、役員会で検討します。

 

決定次第、教会員への連絡網とホームページ、各種SNSの公式アカウントでお知らせするので、各自ご確認ください。それぞれの心と体と魂が満たされ、守られるように祈っています。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。