日曜礼拝 2022年4月10日
消 灯
本日は、受難節第6週目の礼拝なので、光や命の象徴として立てられた蝋燭を6本倒し、キリストが受けられた苦しみと、十字架の死を思い起こします。共に今、あなたの労苦と痛みに寄り添う、イエス様の歩みを覚えましょう。
案 内
華陽教会では岐阜県の医療提供体制を受けて、会衆が集まる礼拝を休止し、配信等による在宅礼拝に切り替えています。共に今、自宅にいる人も、後から見る人も、聖書の言葉に耳を澄ませ、神の招きにあずかりましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え/疲れた人を励ますように/言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし/弟子として聞き従うようにしてくださる。(イザヤ書50:4)
讃美歌
マスクをしたままで、旧讃美歌526番「主よ、わが主よ、あいの主よ」を歌います。54年版讃美歌をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。
お祈り
(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。
◆私たちと共に歩んでくださる神様。今日もまた、日曜日の礼拝を始めることができ感謝いたします。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。イエス様が十字架につけられる一週間前、エルサレムの人々に迎えられた日を記念する「棕櫚の主日」を迎えました。どうか今、キリストの復活を記念するイースターに向けて、私たちに必要な準備をさせてください。
◆私たちの神様。今日は、病床使用率の上昇に伴い、再び在宅礼拝を行っています。病気や心身の衰え、障がいや家族のケアのため、同じ時間に礼拝ができない人もいます。どうか今、あなたが共にいて、一人一人に癒しと励ましを与えてください。
◆私たちの神様。戦争や迫害、飢餓や疫病、事故や災害によって、苦しんでいる人たちがいます。どうか今、それぞれの場に、変化と回復が、和解と平和が、希望と信頼がもたらされるように導いてください。
◆全ての者を助け起こす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。マルコによる福音書14:32〜42(新共同訳より抜粋)
*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編24:1〜10(新共同訳交読詩編より抜粋)
『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です) |
讃美歌
マスクをしたままで、讃美歌21の309番「あがないの主に」を歌います。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。
メッセージ
本当に信仰深い人は、あらゆる困難に動揺したり、死を恐れたりすることなく、いつも落ち着いて、堂々としていられる……そんなイメージを持つ人が多いかもしれません。洗礼を受けてから何年も経つのに、事故や事件が起きる度に心を掻き乱され、調子が悪くなり、死への恐怖に襲われるのは、信仰が成熟していないからだと思われるかもしれません。
どんなことにも平気でいられる、不安や恐怖に襲われないこと、それが、強い信仰の証であり、聖霊を受けているしるしだと思っている人は、いつか、どうしようもなく辛くなってしまうでしょう。昨日は平気だったことが、今日は平気じゃなくなったり、昨日は恐れていなかったことが、今日は恐ろしくなっていたり、人は日々、揺れ動くからです。
牧師になってから、私は色んな人に「先生は死が恐ろしいですか?」と聞かれてきました。信徒からも、信徒でない人からも聞かれてきました。その人自身が、死を恐れている場合も、そうでない場合もありました。きっと、自分と同じように、死を恐れているなら安心する人と、牧師には、死を恐れない信仰を持っていてほしいと願う人の、両方がいたと思います。
正直に告白すると、私は死ぬことが恐ろしいですし、迫害を受けたり、困難に襲われたりすることが平気ではありません。様々な誘惑にも弱いです。それは、この先、牧師を続けていても、そう簡単に変わらないと思います。もし、棄教を迫られて拷問されることがあれば、泣きながら命乞いをするでしょうし、すぐに音を上げてしまうでしょう。
それ以前にも、つまずいてしまうことがたくさんあります。恐ろしいこと、避けたくなることがいくらでもあります。神様、どうか私に、一人で解決できない問題を与えないでください……重荷になるような役目をもたらさないでください……それらが乗り越えられる、それらが平気な信仰の持ち主を用いてください。私は平気じゃありません。
牧師がこんな祈りをしていると聞いたら、皆さんショックを受けられるかもしれません。ですが、切羽詰まった私は、度々そういうふうに祈ります。苦しみに耐えられない、難題に立ち向かえないことを告白し、困難を過ぎ去らせてくれと願います。そして、惨めな自分が、どれほど神様から離れているかと、情けなくなります。
ところが、神様から最も離れたところで、地に臥しているように思われるとき、神の子の声が最も近くで聞こえてきます。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい」……かつて、自分が十字架にかけられる前、ひどく恐れてもだえ始めたイエス様が、弟子たちに語った様子が思い出されます。
誰よりも神様を信頼し、聖霊に満たされ、信仰に厚いイエス様が、十字架にかけられて殺されるという苦しみを前にして、平気じゃいられない姿をさらしてきます。心を乱されず、恐怖に襲われず、堂々としている姿じゃありません。自分の感情も正直に表へ出されます。わたしは死ぬばかりに悲しい、怖い、心細い……どうか離れず、一緒にいてくれ。
大学院で神学生をしていた頃、引っ越す前に、子どものときにお世話になった教会員の方と9年ぶりに再会する機会がありました。その方は、私と再会した瞬間、「自分のために祈ってほしい」と震えながら手を握ってきました。聞くと、末期がんを患っており、怖くてたまらないと言われました。
本当に、ひどく恐れて、もだえていました。子どもの頃、何度もおにぎりやサラダを作ってくれた手が、私の手の中で震えていました。何とか安心させたい、励ましたいと思いながらも、私は頭が眠っているかのように、言葉が出てきませんでした。心は希望を語りたいと必死なのに、肉体は重く、言うことを聞きません。
すぐ近くにいるのに、目の前にいるのに、私はどうしても、その人の魂と一緒にいる、その人の心と一緒にいるとは思えませんでした。手を握って祈っているのに、その人を孤独の中に、暗闇の中に、置き去りにしているような感じがしました。離れたところから座っていて、眺めることしかできないような、そんな感覚でした。
ただ一つ救いだったのは、ろくに言葉も出てこない私の手を握って、その人が心から、「一緒に祈って」と言い続けてくれたことです。何度も沈黙が訪れ、間が空いてしまうにもかかわらず、私の手を離さないで、祈りを待ってくれたことです。私は自分にその人を励ます力がないことを感じながら、既にその人を励ます方が側にいるのを感じていました。
その人と同じようにひどく恐れ、もだえられ、死ぬばかりに悲しくなって、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るように……と祈られた、あのイエス様の声が、その人の言葉と重なってきたんです。「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」「わたしと共に目を覚ましていなさい」「わたしと一緒に、あなたも祈って……」
イエス様は、私が励ますことのできない人、孤独から、恐怖から、解放することのできない人と、最も近くに居られました。自分自身が「怖い」「苦しい」「心細い」と、平気でいられない姿をさらすとき、離れたところではなく、すぐ近くで、あなたと同じ姿で、同じ言葉で、祈っています。
あなたが苦難に怯え、困難にぶつかり、ひどく恐れて、もだえている姿は、あなたと共にいる、イエス様の姿でもあるんです。信仰者とは、苦しいとき、悲しいときに、平気でいる人のことを指すのではありません。死を恐れない人、心を掻き乱されない人を指すのでもありません。恐れ、もだえ、悲しむときにイエス様が共にいることを信じる人です。
来週、私たちはキリストが復活したことを記念するイースターを迎えます。どんな困難にも苦しまなかった、平気だった方ではなく、私たちと共に痛み、苦しみ、悲しんできた方を、全てを回復される主を、喜びのうちに迎えます。共に今、あなたを損なわせたままにしない、あなたを必ず回復される主に信頼し、目を覚まして祈りを合わせましょう。
讃美歌
オンライン賛美歌4番「わたしの主が取り去られた」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。
使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の裏面をご覧ください)
使徒信条93-4A
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)
使徒信条93-4B
わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。
紹 介
本日も、初めて配信を見に来た方、久しぶりに配信を見られた方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。互いに顔を合わせることはできませんが、礼拝を通してつながっている一人一人に、神様の祝福がありますように。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。
司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。
司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。
主の祈り
共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)
主の祈り93-5A
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。
献金の祈り(例)
愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の4節を歌いましょう。
讃美歌
オンライン賛美歌10番「祝福」を歌いましょう。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。(マルコによる福音書14:38a)
祝 福
どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。(テサロニケの信徒への手紙二3:16)
報 告
本日も教会に集まって、また、配信を通して、礼拝にご参加くださり、感謝いたします。先週の日曜礼拝は教会に集まった20名、同時に視聴された9名、計29名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。
来週のイースター礼拝も、病床使用率の推移を見て、13日(水)に教会へ集まって行うか配信を通して自宅で行うかを検討し、教会員への連絡網とホームページ、各種SNSでアナウンスします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。