ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『何も言えないイースター』 マルコによる福音書16:1〜8、ローマの信徒への手紙6:3〜11

日曜礼拝 2022年4月17日


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案 内

華陽教会では岐阜県の医療提供体制を受けて、会衆が集まる礼拝を休止し、配信等による在宅礼拝に切り替えています。共に今、自宅にいる人も、後から見る人も、聖書の言葉に耳を澄ませ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

主をたたえよ/日々、わたしたちを担い、救われる神を。この神はわたしたちの神、救いの御業の神/主、死から解き放つ神。(詩編68:20〜21)

 

讃美歌

マスクをしたままで、旧讃美歌526番「主よ、わが主よ、あいの主よ」を歌います。54年版讃美歌をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

 

◆復活と希望の主である私たちの神様。今日もまた、日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、配信奉仕者の人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。キリストの復活を記念するイースターを迎えました。今年度も感染症の流行のため、配信等による在宅礼拝を行っています。どうか今、あなたからいただく恵みと喜びを、それぞれがいる場所で受けとることができますように。

◆私たちの神様。今日は、礼拝後の墓前礼拝も休止となりましたが、天に召された方のご遺族と共に、納骨式を行います。どうか今、離れたところにいる兄弟姉妹も祈りを通して一つとなり、共に、あなたの慰めと希望を分かち合うことができますように。

◆私たちの神様。侵略、弾圧、紛争に巻き込まれた人たちが、今日も激しい戦闘にさらされています。教会に集まるどころか、家族と共に集まることもできない人たちが存在します。どうか今、バラバラにされた全ての人に、あなたの平和がもたらされますように。

◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。マルコによる福音書16:1〜8、ローマの信徒への手紙6:3〜11(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編118:13〜29(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の309番「あがないの主に」を歌います。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。

 

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hudsoncraftedによるPixabayからの画像

メッセージ

2年前のイースターも、感染症の流行で、教会へ集まることができなくなり、配信を通して各自宅から礼拝に参加してもらいました。去年のイースターも、全会衆が集まることはまだ困難で、4月の間、4回に分けてイースター礼拝を行いました。そして今年は、コロナの第6波が収まらないうちに第7波の兆候が見え始め、再び在宅礼拝となりました。

 

今年こそは、みんなで教会に集まって、キリストの復活をお祝いしたいと思っていました。済美学院や金城学院の中高生、中部学院の学生たちも迎えて、思いっきり賛美を歌い、喜びを分かち合いたいと思っていました。コロナから解放された、ついに新しいスタートが切れると、希望を語れることを期待していました。

 

ところが、現実には、何も言えないイースターを迎えました。教会の集会は復活せず、マスクを外して賛美はできず、困難が終わった喜びも、苦境から解放される希望も、はっきりとは見えません。むしろ、ウクライナでは侵略が続き、中東の紛争は解決せず、各地で起きた災害からの復興も、まだまだ時間がかかります。

 

正直、素直に希望を持てる雰囲気ではありません。どちらかというと、困難は終わっていない、苦しみは続いている、という印象が非常に強いイースターです。せっかく、キリストの苦しみと十字架を思い起こす受難節が過ぎ去って、ようやく復活を記念する日がやって来たのに、私たちの口から出てくるものは、不安とため息ばかりです。

 

こんなのイースターらしくない、イエス様の復活をお祝いする日にふさわしくないと思われるかもしれません。もっと喜んで、みんな笑顔で、賑やかに迎えることのできる日がイースターのはずだったと思われるかもしれません。でも実は、聖書に記された最初のイースターも、空の墓を見た女性たちが「誰にも何も言えなかった」イースターでした。

 

神の子であるイエス様が、十字架にかかって殺されてから3日目に、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメの3人は、まともに埋葬する時間もなかったイエス様の遺体を整えるため、朝早く、墓の入り口に来ていました。ところが、入り口を閉ざしてあるはずの墓石はわきへどけられ、中には白くて長い衣を着た、見知らぬ若者が座っていました。

 

まだ薄暗い時間帯に、人がいるはずのない墓穴に、白い衣を着た人間が待ち構えているというだけで、もうだいぶホラーな展開です。この若者が、神の使いであると分からなければ、十中八九、幽霊や怨霊に見えたでしょう。また、そこに天使がいたところで、死んだ人の遺体がなくなり、勝手に墓石がどけられていれば、やはり恐怖を感じるでしょう。

 

イエス様が甦った、復活したしるしを見た女性たちが感じたのは、希望ではなく恐怖でした。喜びではなく不安でした。墓から遺体がなくなった、人間とは思えない若者にキリストの復活を告げられた、という出来事は、みんなに知らせたくなる話ではありませんでした。今何が起きているのか、これから何が起きるのか、恐ろしくなる出来事でした。

 

「そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」これが、最初のイースターでした。イエス様が復活した朝の出来事でした。キリストが甦った知らせを聞いてすぐさまみんなに知らせ、賛美を歌って盛り上がる信徒の姿はありません。その場から逃げ出し、震え上がり、正気を失っていた姿が、最初のイースターを迎えた人の姿です。

 

彼女たちは、希望が見えませんでした。空っぽの墓を見て、「イエス様と会える」「自分のもとへ来てくれる」とは思えません。私たちが画面に映された、空っぽの礼拝堂を見て、そこに映し出されない方が、復活したイエス様が、この家に、この部屋に、自分のそばに、来ておられるとは思えないように、希望を見失っていました。

 

ところが、そんな彼女たちの背後から、優しく呼びかけるイエス様が現れます。正気を失い、何も言えなくなった人たちに、あなたが目にした空っぽの墓は、今ここにいる、私と出会える希望なんだと知らせます。会衆のいない礼拝堂も、困難が続いている、苦しみが終わっていないしるしのように見えますが、キリストがあなたの部屋にやって来て、あなたが礼拝する場所を、教会に、神の家に、建て上げているしるしでもあるんです。

 

やがて、何も言えなかった人々は語り出します。自分に現れたイエス様のことを、復活したキリストのことを伝えていきます。今日から始まる復活節、新たにもたらされた力、自分に与えられた気づき、いただいた恵みの数々を、私たちも語り出しましょう。あなたの後ろに立って呼びかける、イエス様を振り返って、送り出されていきましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌4番「わたしの主が取り去られた」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

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使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の裏面をご覧ください)

 

使徒信条93-4A

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)


使徒信条93-4B

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。

 

紹 介

本日も、初めて配信を見に来た方、久しぶりに配信を見られた方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。互いに顔を合わせることはできませんが、礼拝を通してつながっている一人一人に、神様の祝福がありますように。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

愛 餐

本日は、共に礼拝をささげる全ての人と神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。共に、神様が備えてくださった見えない食卓にあずかりましょう。

 

食卓への招き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」

 

主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を手に取って、共に食事を味わいましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげます。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

分かち合い

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、このパンと水は、信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。どうぞ、用意しているパンと水を手に取って、神の祝福にあずかりましょう。

 

主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

 

主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の1節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌10番「祝福」を歌いましょう。

 

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祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」(ヨハネによる福音書20:21)

 

祝 福

願わくは主があなた(がた)を祝福し、あなた(がた)を守られるように。願わくは主がみ顔をもって/あなた(がた)を照らし、あなた(がた)を恵まれるように。願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように。(民数記6:24〜26)

 

報 告

本日も配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり、感謝いたします。先週の在宅礼拝は、配信奉仕者の6名、同時に視聴された15名、計21名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週24日の日曜日も、会衆が集まる礼拝を休止し、配信等による在宅礼拝を行います。礼拝後に予定している定期教会総会も、当日来られる配信奉仕者と在宅礼拝に参加する信徒の議決権行使書による書面決議で行い、役員選挙は三密を避けた会衆礼拝が再開されるまで延期します。

 

教会に集まる礼拝の再開は、毎週水曜日に役員会で検討し、決定次第、教会員への連絡網とホームページ、各SNSの公式アカウントでお知らせします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。