ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『迫害を利用しない』 使徒言行録5:17〜26

聖書研究祈祷会 2022年8月10日


www.youtube.com

 

案 内

華陽教会では、感染症拡大を防ぐため、初めて参加する方のみ、お問合せいただき、10〜15名以内になるよう人数を調整して、少人数で配信と並行した聖書研究祈祷会を行っています。共に今、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の422番「主よ、この時代に」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。感染症の拡大のため、引き続き、8月末まで、少人数に調整しながら、配信と並行して礼拝や集会を行うことになりました。どうか今、顔と顔とを合わせにくくなった人たちに、新しいつながりと励ましをもたらしてください。

◆私たちの神様。体や心の調子を崩し、入院や療養を続けている方々がおられます。どうか今、それぞれに必要な休息と助けを与えてください。共に祈りを合わせている身内や家族を支えてください。そして、みんなを回復へと導いてください。

◆私たちの神様。発達障害の二次障害や依存症で苦しむ人、そのご家族や学校、職場の人たちを助けてください。互いに適切な知識と理解がもたらされ、頼れる場所が拡大し、一人一人が生きやすくなるように、私たちを歩ませてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録5:17〜26の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

www.bible.or.jp

JoeによるPixabayからの画像

メッセージ

キリスト教に対する迫害は、あらゆる時代、あらゆる場所で起こってきました。日本では、今のところ、信教の自由が認められていますが、現在も、国から認められた宗教でない限り、あるいは、定められた教派でない限り、伝道や活動が許されていない……という地域もあります。

 

かつて、信仰を捨てなかったために、不当な扱いを受け、亡くなってしまった人もいます。圧力に屈することなく、伝道を続けていたために、殺されてしまった人もいます。にもかかわらず、それだけ激しい迫害に遭ってきたのに、キリスト教がしっかり広がり、みんなに受け入れられるようになったのは、そのとき必死に、信仰を持ち続けた先人たちがいるからでしょう。

 

私たちが暮らしているこの日本も、そんな地域の一つです。学校の歴史で一度は習います。国内に入ってきた信仰が、どんな弾圧を受け、どんな迫害に遭ったのか。戦時中も、信徒や牧師が憲兵に見張られ、ときには投獄されたり、解散させられてしまったこと。しかし、信仰を捨てることなく、伝道を続けていった結果、こうして、全国の教会で、信仰が受け継がれています。

 

そのため、私たちが過去を振り返るとき、歴史を思い起こすとき、迫害された自分たちこそ正しかった、正しいからこそ迫害を受けてきた……と、変換して受けとめてしまうことも度々あります。今だって、信じることで殺される、まではいかなくても、家族から縁を切られたり、いじめを受けてしまう人たちは、時々います。

 

私も、聖書に出てくる人々のように迫害を受けている。かつてのキリスト教徒のように攻撃を受けている。だけどそれは、私の信仰が本物であるしるしなんだ。正しいものを信じている証拠なんだ……そのように捉えて、受け入れてくれない人たちを「間違った者」「敵対する者」と捉え、付き合うのをやめて、攻撃してしまう人もいます。

 

実際、聖書の中にも、「迫害を受けるのは正しい信仰を持つ証である」というふうに捉えられる箇所が出てきます。でもそれって、実は、多くの破壊的カルトのメンバーが陥っている状況と同じです。正しい者は迫害を受け、間違った者は迫害してくる。迫害を受けている正しい者は救われ、迫害を行う間違った者は滅ぼされる。

 

だから、自分たちを理解せず、受け入れず、批判する人たちは、悪魔と同じ、サタンと同じ、付き合ってはいけない人たちだ……そう深く信じて、周りに耳を傾けず、突き進んでいく信仰は、組織の言葉以外を信用しない、排他的で、隷属的な、破壊的カルトのコントロールに利用されます。

 

実際、霊感商法や献金の強要が指摘されているカルト宗教は、信者の身内を心配して、組織を批判する家族のことを「サタン」や「悪魔」と同じであると教え込みます。あなたの信仰が理解されず、教会が受け入れてもらえず、メディアや市民から迫害を受けるのは、我々が間違っているからではなく、正しい信仰を持っている証なんだと思わせます。

 

そうして、自分たちを批判し、攻撃し、捕えようとする人々に敵対させます。彼らの方が間違っている。彼らに裁きを下さないといけない、と過激な教えを埋め込みます。信者に対する迫害って、そんなふうに、利用されてしまうこともあるんです。さて、そんな中、もろに、迫害を受けている使徒の姿が、先ほど読んだ聖書の記事に出て来ます。

 

キリストの名によって、多くの奇跡を行い、教えを語っていた弟子たちは、大祭司やサドカイ派の人々から妬まれ、批判され、公の牢に閉じ込められてしまいます。ところが、夜中に天使が現れ、弟子たちを牢から解放し、彼らを外へと連れ出していきました。反撃開始です。正しい自分たちを閉じ込めた、間違っている敵に対して、攻撃するときです。

 

ところが、天使が命じたのは、牢に閉じ込めた者たちへ対する報復ではありませんでした。「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」……いやいや、神殿の境内って、大祭司やサドカイ派の縄張りです。自分たちを捕まえて閉じ込めた人たちがいるところです。彼らの仲間が集まっているところで、イエス様が約束された、永遠の命をもたらす言葉を語りなさい、ってどういうことですか?

 

使徒たちはどう答えるでしょう? 「なぜ、敵に対して命の言葉を告げなければならないのか?」「なぜ、わざわざ敵の家に帰って、そこで教えなければならないのか?」「彼らの神殿とは別の拠点を作って、こっちこそ正しい教えを語る家だと言ってやったらダメなのか?」……そんなふうに言い出してもおかしくありません。

 

ところが、使徒たちは天使の言葉に従い、神殿の境内に行って、再び命の言葉を語り始めます。そこにいる人々へ裁きを下すためではなく、救いをもたらすために、対話を続けます。もう一度、捕まえにやってきた長老、祭司長、サドカイ派の人々にも、誹謗中傷や暴力ではなく、淡々と、自分たちが何を信じているのか語ります。

 

使徒たちは、自分たちが受ける迫害を利用して、人々をコントロールしませんでした。対立する者たちの神殿を破壊したり、攻撃したりしませんでした。むしろ、繰り返し投獄されながらも、彼らの言葉に耳を傾け、正面から応答することを続けていきます。その姿勢こそが、彼らの信仰の確かさを示す証でした。

 

現代の教会も問われています。私たちは、自分たちを受け入れられない人々の声に、どれだけ向き合っているだろうか? 周りの指摘や疑問に対し、誠実に答えているだろうか? 身内同士で通用する言葉に頼りながら、人々の真ん中へ出ていくことをやめてないか? 私たちはまだ、牢に閉じこもって満足しているだけではないか?

 

夜中に、主の天使がやって来ました。私たちを外へ連れ出し、私たちが行こうと思っていなかった神殿の境内へ、受け入れてもらえない場所へ、送り出そうとしています。敵を倒すためではなく、仲間になるために、共に救われるために、「命の言葉を語りなさい」と命じてきます……さあ、私たちの行き先へ顔をあげて向かいましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(東京都杉並区の井草教会)のために、戦争に巻き込まれた人のために、迫害されている人のために、差別を受けている人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆東京都杉並区の井草教会のために祈ります。感染症から一人一人が守られ、コロナ禍収束後の宣教のビジョンが与えられ、日曜学校の働きが支えられ、メンバーの心身と魂が励まされて、神様の愛と平和を伝えていくことができますように。

◆戦争に巻き込まれた人のために祈ります。アフガニスタンの戦争、シリアの内戦、クルド対トルコの武力衝突、リビアの内戦、イエメンの内戦、そして、ウクライナの戦争が一刻も早く止められて、平和的な解決がもたらされ、人々が助けられますように。

◆迫害されている人のために祈ります。シリア、ベネズエラ、アフガニスタン、南スーダン、ミャンマーから、国境を越えて避難を強いられた人たちや、台湾、香港、ウイグル自治区で自由が脅かされている人たちに、あなたの救いがありますように。

◆差別を受けている人のために祈ります。部落差別や人種差別、女性蔑視を受けている人に、あなたの力と回復がもたらされますように。同性愛者、トランスジェンダー、DSDsの人たちに対する正しい理解がもたらされ、偏見から解放されますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌11番「どうか平和の主が」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

報 告

本日も、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。来週の聖書研究祈祷会も、初めて参加する方のみ、お問合せいただき、10〜15名以内になるよう人数を調整して、配信と並行した聖書研究祈祷会を行います。

 

日曜礼拝も、引き続き8月末まで、奉仕者6〜7名、教会員3〜4名、新来者1〜4名の計10〜15名で集まる『調整型小規模礼拝』を行います。教会員の方は、礼拝出席希望表や牧師とのメール、電話で、出席する日を調整していきます。

 

新来者の方も、毎週一家族分、出席できるように枠を用意しています。始めて教会に来る方は、日曜日は問い合わせなしで参加できるので、ぜひお越しください。一回目の参加以降は、他の教会員と同様、ご希望を聞きながら、出席する日を調整させていただきます。