日曜礼拝 2022年10月30日
案 内
華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、配信と並行して礼拝に集まっています。共に今、教会にいる人も配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
前 奏
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
諸国の民よ、主の言葉を聞け。遠くの島々に告げ知らせて言え。「イスラエルを散らした方は彼を集め/羊飼いが群れを守るように彼を守られる。」(エレミヤ書31:10)
讃美歌
マスクをしたままで、讃美歌二編82番「きょうありて」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。
お祈り
(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。
◆力と命の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。明日は、505年目の宗教改革記念日です。かつて、聖書の言葉に立ち返って、信仰の回復を目指した教会は、いくつものグループに分かれてしまいました。どうか今、全ての教会が、多様なあり方を尊重しつつ、一致していくことができますように。
◆私たちの神様。今日は、信徒一人一人が、自分の前に、隣に、後ろにいる人へ、祭司として遣わされていることを覚え、できるだけみんなに伝わるように、信仰告白や主の祈りを行います。どうか今、私たちの言葉と行いと振る舞いの全てが用いられますように。
◆私たちの神様。来週は、先に召された人たちと、天においても、地においても、共に、礼拝していることを覚えつつ、召天者記念礼拝が開かれます。どうか今、亡くなった人のご遺族、ご友人に、あなたの慰めと希望が豊かにもたらされますように。
◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。創世記9:8〜17の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。
*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編1:1〜6(新共同訳交読詩編より抜粋)
『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です) |
讃美歌
マスクをしたままで、オンライン賛美歌19番「悲しみながら立ち去るとき」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。
メッセージ
明日、10月31日は宗教改革記念日です。贖宥状、いわゆる免罪符に関する批判を含めた「95ヵ条の質問状」をマルチィン・ルターが提出してから、505年目を迎えます。ご存知のとおり、宗教改革は様々な変化をもたらしました。私物化された教会や序列化された組織の見直し、聖書の母国語の翻訳、新しい賛美歌も生まれました。
聖書に根拠のない教えや指示は否定され、それまで一般信徒には分からなかった聖書の内容が、誰でも確認できるようになりました。今まで聖歌隊しか歌えなかった賛美歌も、会衆のみんなで歌えるようになりました。楽譜を読めなくても、文字が読めなくても大丈夫なように、よく知られたメロディーで、詩編の言葉が歌われるようになりました。
一方で、宗教改革は大きな混乱ももたらしました。西方教会はカトリックとプロテスタントに分裂しました。どちらにするか、どの国民も好きに選べたわけではありません。最初は領主がどちらになるかで、振り回された市民が大半でした。多くの人は、何が正しいか迷いながら、どうすればいいか戸惑いながら、過ごしていました。
宗教改革を進める中で、過激化する人も出てきました。自分たちこそ正しいと、熱狂的に盛り上がり、他の教会を破壊したり、当時の体制を変えるため、戦っていた人たちが、いつの間にか急進化して、略奪に明け暮れることもありました。改革を始めた指導者も、コントロールできなくなり、対話を放棄して、暴力で鎮圧されたこともありました。
宗教改革によって、カトリックから分かれたプロテスタントは、さらに細かく、色んな教会のグループへ分かれていきました。ルター派、カルヴァン派、アングリカンに続き、ピューリタン、会衆派、バプテスト、そして、この教会のルーツでもあるメソジスト、ホーリネスなど、多くの教派が出てきました。
聖書の読み方や捉え方も、決まった一つの方法ではなく、様々な解釈が生まれ、何が正しいか、何を採用したらいいか、分からなくなることも増えました。まさに、混乱の時代がやってきました。たくさんの人の試みと、積み重ねられた努力によって、改革された教会は、新しいあり方や改善をもたらした一方で、新しい課題や混乱も生み出しました。
現在、私たちの教会も、コロナ禍の改革によって、様々な変化がもたらされています。今まで、礼拝へ参加するには、教会へ直接来るしかなかったのが、配信を通して、自宅や施設からも参加できるようになりました。著作権の関係で、あまり歌ったことのない賛美歌や新しい賛美歌も歌われるようになりました。
普段、一緒に聖餐式へ参加できなかった家族とも、愛餐式のときは、一緒に参加できるようになりました。クリスマスには、飛沫を抑える代わりに、様々な楽器の音色をささげる演奏礼拝をするようになりました。配信を通して華陽教会を見た人が、新しく、礼拝や祈祷会へ来てくれることも出てきました。
一方で、これらの改革は新しい混乱も生み出しました。礼拝の配信は、度々機材のトラブルに見舞われます。見方が分からない人や操作ができない人もいます。賛美歌は『旧讃美歌』と『讃美歌21』と『オンライン賛美歌』を使っているため、どれを歌うのか分からなくなることや、慣れないメロディーについていけないこともあります。
愛餐式をやるようになって、聖餐式との違いも、その都度、説明する必要が出てきました。クリスマスには色んな楽器が演奏されるようになった一方、会衆が歌いたい賛美歌を歌える機会が減りました。礼拝の中で、「とりなし」「使徒信条」「主の祈り」など、会衆による感謝の応答が増えたことで、短い時間でやることも増えました。
もとに戻したい、もとの方が良かった、でも、戻すと、せっかく良くなった部分も後戻りする……どのように礼拝を持つか、どのような礼拝がいいか、皆さんも悩んだり、迷ったり、モヤモヤすることが増えました。このようなタイミングで、宗教改革500周年を記念して作られた、新しい翻訳の聖書を紹介されても、さらに混乱するだけかもしれません。
せっかく覚えた使徒信条も、せっかく覚えた主の祈りも、新しい口語の言葉が使われたら、やっぱりついていけないでしょう。たとえ、今使っている言葉が、何を信じているのか伝わりにくい古い言葉でも、何を祈っているのか分かりにくい文語の言葉でも、自分にとって、馴染みのあるものを使い続けていたいでしょう。混乱したくないからです。
コロナ禍が終わった後、教会はどうなっているでしょうか? 変化は落ち着くのでしょうか? 元に戻せるのでしょうか? 変わったままなのでしょうか? もっと変わっちゃうのでしょうか? みんな不安です。宗教改革がいつ終わったか、今も続いているのか、はっきり答えられないように、コロナ禍に始まった改革も、着地点なんてありません。
思い出してみましょう。神様がこの世界を改革しようと大きな変化をもたらしたとき、人々はいつだって「ついていけない」「落ち着かない」思いをしてきました。本日、新共同訳と聖書協会共同訳で読まれた、創世記9章8節から17節には、有名な「ノアの洪水」の、最後の部分が出てきます。
あの洪水も、まさに、地上の悪を一掃するため、この世界を改革するため、引き起こされたものですが、悪いものが押し流された一方で、大きな混乱がもたらされます。ほとんどの存在にとって、洪水は「良いこと」でも「喜べること」でもなかったはずです。箱舟に乗せられて助かった人たちも、なかなか事態についていけず、落ち着きませんでした。
四十日四十夜、降り続いた雨が止んだとき、混乱は終わったかに見えましたが、地上にはまだ水が満ちていて、舟から出ることはできませんでした。いつ水が引くか、いつ外に出られるか、元の生活に戻れるか、誰にも分かりませんでした。新型コロナ第7派が終わっても、コロナ自体がいつ収束するのか、分からない私たちのように。
ようやく、外へ出ることができたときも、元の生活には戻れません。洪水で全ては押し流され、舟は山の上に乗っています。新しい生活を始めるために、山を下りたり、種を蒔いたり、家畜を増やしたり、新しい取り組みをしなきゃいけません。さらに、舟を降りたノアたちは、人類で初めて祭壇を作って、神様に礼拝をささげます。
何もないところに、簡素な祭壇が建てられて始まった礼拝は、きっとこの後、試行錯誤しながら整えられていったでしょう。祭壇を覆う天幕が張られ、賛美歌が作られ、みんなで祈る言葉ができていきます。どのように礼拝するか、どのような礼拝がいいか、ノアと家族も分からないまま、検討を続けていきます。
洪水という大きな混乱の後で、彼らは、なおも混乱し続けます。自分たちの生き方を見直し、改革しては、新しい課題にぶつかります。「これでいいのか?」「どうしたらいいのか?」と揺れ動きながら進みます。しかし、変化と改革の只中で、神様は私たちに新しい契約を結ばれました。
「私はあなたがたと契約を立てる。すべての肉なるものが大洪水によって滅ぼされることはもはやない。洪水が地を滅ぼすことはもはやない。」「私は雲の中に私の虹を置いた。これが私と地との契約のしるしとなる。私が地の上に雲を起こすとき、雲に虹が現れる。その時、私は、あなたがたと、またすべての肉なる生き物と立てた契約を思い起こす。」
地上に悪が満ちたあと、洪水を経験した人々は、再び、神様を後悔させないよう、どうすればいいか悩み続けてきたはずです。しかし、新しく作ったぶどう酒で酔っぱらってしまったり、新しくできた家族を呪ってしまったり、何度も罪に陥ります。また神様を後悔させるんじゃないか? また洪水で一掃されないか? 不安になったと思います。
けれども、迷いながら、悩みながら、変化を続ける人々に、神様は約束します。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい」「この度したように生き物をことごとく打つことは二度とすまい」……だから、新しく生きなさい。新しく生まれ、増えて、地に満ちなさい。多様な世界に出ていきなさい。
私たちも今、コロナ禍という混乱を経験し、その後も、混乱しながら生きていきます。これからどうしたらいいか、どうしていくのがいいか、問いかけは続いていきます。主の祈り一つ取っても、新しい翻訳を使えば、一緒に祈れなくなる人が出てくるし、文語の言葉を使い続ければ、祈り方を知らない人に、祈り方の基本を伝えられません。
今回も迷いながら、文語の言葉と口語の言葉を一緒に使って、神の国の到来を願う主の祈りをささげます。これから皆さんと時間をかけて、これでいいか、どうしたらいいか、一緒に考えながら、一緒に教会を作っていきます。ノアと家族がそうしてきたように、私たちも、祭壇を整え、天幕を張り、賛美を作りましょう。
恵みと、赦しと、力の神である、私たちの主に、栄光がありますように。アーメン。
讃美歌
讃美歌21の378番「栄光は主にあれ」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。
使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。普段は「使徒信条」の文語訳を読んでいますが、本日は、教会教育用口語訳を使います。讃美歌21の93-4Bです。(オンライン賛美歌の後ろの方の3ページをご覧ください)使徒信条93-4B……
使徒信条93-4A
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)
使徒信条93-4B
わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。
紹 介
本日も、初めて礼拝に来られた方、配信を見られた方、久しぶりに参加された方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。
司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。
司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。
主の祈り
イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。本日は、普段から華陽教会で用いている、文語の主の祈りで祈りたい方は「93-5A」を、初めての方にも分かる、口語の主の祈りで祈りたい方は「日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳」を使っていただき、同時に祈りを合わせたいと思います。(オンライン賛美歌の後ろの方の4ページをご覧ください)主の祈り……
主の祈り93-5A
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)
献金の祈り(例)
変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって私たちは新しく生かされます。今からのち、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。
讃美歌
マスクをしたままで、讃美歌21の頌栄25番「父・子・聖霊に」を歌います。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。(創世記9:16)
祝 福
主があなた(がた)を祝福し、あなた(がた)を守られるように。主が御顔を向けてあなた(がた)を照らし/あなた(がた)に恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて/あなたに平安を賜るように。(民数記6:24〜26)
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった21名、同時に視聴された13名、計34名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。
華陽教会では、誰でも問い合わせなしで参加できる「三密を避けた会衆礼拝」を再開しています。9時15分からの教会学校こども礼拝や、水曜日13時半からの聖書研究祈祷会も、感染症対策をした上で通常通り集まっています。
来週は、先に召された方々を思い起こし、天においても、地においても、一緒に礼拝していることを覚える召天者記念礼拝です。今年度も、遠方の方の招待は控えさせていただきますが、教会に集まる人と配信を通して、一緒に礼拝できたらと思います。
なお、礼拝後は、希望される方の納骨式を墓前礼拝と合わせて短く行う予定です。ご一緒できる方は、感染症対策にご協力いただき、共に、祈りと賛美を合わせられたらと思います。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。