ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『どうして私が?』 出エジプト記3:1〜15

日曜礼拝 2022年11月13日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、配信と並行して礼拝に集まっています。共に今、教会にいる人も配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

ヤコブよ、あなたを創造された主は/イスラエルよ、あなたを造られた主は/今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。(イザヤ書43:1)

 

讃美歌

マスクをしたままで、旧讃美歌532番「ひとたびは死にし身も」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆命と力の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。先日の日曜日は、召天者記念礼拝と納骨式を、無事に最後まで執り行うことができ、感謝致します。どうか今、大切な人をこれから見送ろうとしている人、見送ったばかりの人たちに、あなたの希望と慰めが、豊かにもたらされますように。

◆私たちの神様。今週は日本基督教団の「障がい者週間」です。発達障害、精神障害、身体障害など、目に見えるものから見えないものまで、様々な苦労を抱えた人たちに、あなたのお支えがありますように。どうか今、私たちの理解と助けを豊かにしてください。

◆私たちの神様。来週の日曜日は、収穫感謝礼拝です。今年も、礼拝後の昼食は再開できていませんが、みんなで、あなたからの恵みに感謝します。どうか今、農家や市場、運送や加工を行っている人たちに、あなたの慈しみが豊かにありますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。出エジプト記3:1〜15(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編77:5〜16(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

讃美歌21の157番「いざ語れ、主の民よ」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

KevによるPixabayからの画像

メッセージ

「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルをエジプトから連れ出すのだ」……柴の木が燃えているのを見にきただけのモーセに対し、唐突な命令が神様から下されます。神様が、モーセを民の指導者として、特別な使命の担い手として、召し出すシーン……いわゆる「モーセの召命」と言われる出来事です。

 

イスラエル、それは神様が特別に選んだ、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫を意味します。彼らはヘブライ人とも呼ばれ、ヤコブの息子、ヨセフの時代に、エジプトの地へ移り住んだ民族でした。当初、エジプトの王とイスラエル人との関係は良好でしたが、だんだんと世代が変わるに連れて、勢いを増し、力をつけていくイスラエル人に、新しいエジプトの王は危機感を持つようになります。

 

これ以上イスラエル人が増えて、自分たちの国を乗っ取ることがないように、王はある時から、彼らに重労働を命じます。ところが、虐げれば虐げるほど、イスラエル人は弱るどころか増え広がり、エジプト人は、ますます危機感を覚えます。焦りを募らせた王は、イスラエル人に男の子が生まれたら、その場で殺すよう命じたり、さらに重い苦役を負わせたり、日に日に弾圧をエスカレートさせました。

 

そんな中、苦しむ人々の叫びを聞いた神様は、彼らをエジプトから脱出させ、新しい土地、カナンの地へと導き出すことを計画します。そこで、民を導くリーダーとして選ばれたのが、荒れ野で羊を追っていたモーセでした。しかし、神様に選ばれたモーセは、思わずこう返します。「わたしは何者でしょう? どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか?」

 

ようするに、「どうして私が?」と文句を言ったわけです。モーセも、イスラエル人の一人で、自分の仲間が、エジプトからどれだけ虐げられているかは知っています。助けようとしたこともあります。しかし、そこから彼らを導き出すのに、自分が選ばれるのは、どう見ても人選ミスでした。

 

先ほども言ったように、当時、エジプトでは、イスラエル人に新しく男の子が生まれたら「一人残らずナイル川へ放り込め」という命令が王から下されていました。本来なら、モーセも生まれてすぐのとき、殺されるはずの人間でした。しかし、彼の母親は、子どもがあまりにかわいかったので、しばらくの間、周りに内緒で育てようとします。

 

生まれてすぐ、三ヶ月の間、モーセは誰にも見せられず、隠され続けて過ごしました。親戚にも、友達にも、誕生を祝ってもらえません。そして三ヶ月後、もはや隠しきれなくなると、母親がパピルスで籠を作り、赤ん坊のモーセを入れて、ナイル河のほとりに置いていきます。するとそこへ、王の娘が水浴びにやってきて、泣いている赤ん坊を見つけ、不憫に思い、自分の子として彼を引き取ります。

 

こうして、モーセはイスラエル人でありながら、エジプトの王女の子として育てられるようになりました。彼は、半分イスラエル人で半分エジプト人という不安定なアイデンティティを持つことになります。また、彼と同世代の男の子は、皆、王の命令で殺されたので、周りにいる同性の人間は、自分より年上の人だけです。

 

彼は生涯、同級生や同学年の男友達を作れません。近い世代の後輩もできません。非常に孤独な環境でした。さらにその上、ある事件が、ますますモーセを孤立させます。それは、彼が成人した頃、自分の同胞、つまりは、イスラエル人がエジプト人から虐待を受けているのに遭遇したときです。

 

モーセは辺りを見回し、誰もいないのを確かめて、なんと、そのエジプト人を打ち殺し、砂の中に埋めてしまいます。カッとなって殺した……というよりは、周りの状況を確かめてからの計画的な犯行です。自分と同じ、イスラエル人を守るためとは言え、彼は人殺しになってしまいます。

 

ところが、彼の守ろうとしたイスラエル人は、今度は仲間同士で喧嘩を始めます。モーセは喧嘩を止めようとして、「どうして自分の仲間を殴るのか」とたしなめますが、相手の男はこう言います。「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」

 

なんと、誰も見ていなかったはずの殺人を、モーセは知られてしまったんです。さらに、このことはファラオの耳にも入り、モーセは追われる身となってしまいます。他に誰も見てないことを確認していたので、おそらく、自分が助けようとした、あのヘブライ人から密告されたのだろう……すぐにそう気づいたでしょう。彼は死の危険に晒されますが、何とかファラオの手を逃れ、ミディアン地方へたどり着きます。

 

そこで、ミディアンの祭司レウエルの娘たちを助けたことをきっかけに、モーセは彼らのもとで暮らすようになりました。イスラエル人のもとにも、エジプト人のもとにもいれなくなった彼は、遠く離れた地で生活するしか道がありませんでした。やがてモーセは、レウエルの娘ツィポラと結婚し、2人の息子が与えられます。長い年月をミディアンの地で過ごし、安定した生活を送っていました。

 

そんな中、燃える柴を見つけて、近くへやってきた自分に対し、神様は、もう一度エジプトへ帰って、イスラエル人を脱出させてほしいと語ります。いったい、何を考えているんでしょう? 彼は、エジプトで殺人を犯して逃げ出してきた人物です。同胞のヘブライ人から密告され、殺されそうになった人間です。

 

その彼に、「エジプトへ行ってイスラエルの人々を救え」と言っても、頷くはずがありません。エジプト人には命を狙われ、イスラエル人には密告された恨みを持っている……そんな相手に、普通こんな使命を与えるでしょうか?

 

私はエジプト人に追われる身となった存在です。イスラエル人に受け入れられなかった存在です。彼らの仲間じゃないんです。遠く離れたここでしか、暮らすことができなかったんです。帰っても、私を仲間として、指導者として、受け入れる人なんていないでしょう。私を仲間だと言う同胞は、イスラエル人は、いないでしょう。

 

そんな彼へ、神様は印象的な言葉をかけます。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」……わたしはあなたの同胞、イスラエルを選んだ神である。あなたはわたしの民であり、わたしの民はあなたによって、この山で礼拝するようになる。あなたは仲間を取り戻し、仲間を率いる者となる。

 

自分は何者か、もはや何者でもないのか、自らのアイデンティティを見失っていたモーセに向かって、神様は彼と自分との関係を思い出させます。「どうして私が?」と言うモーセに、改めてこう投げかけます。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである」

 

モーセは孤独な人間でした。生まれた頃から周りに隠され、エジプト人にも、イスラエル人にも受け入れられず、同性で、同世代の友人や後輩はいませんでした。彼が自分のことを「口下手だ」と語るのも、対等なコミュニケーションをできる相手がいなかったからかもしれません。

 

仲間がいない、居場所がない、帰るところがない彼に、「わたしは何者でしょう?」と言う彼に、神様ははっきり答えました。「わたしは必ずあなたと共にいる」……あなたの居場所はこの私だ。あなたの仲間はわたしの民だ……自分と共に、誰かがいてくれた経験の少ない彼、常に孤独を感じてきた彼に、この言葉は何よりも力強く響いたでしょう。

 

「神様が私と共にいてくれる」「わたしを仲間と言っている」「わたしに仲間を助けにいこうと言っている」……「どうして私が」と漏らした言葉は、いつしかこう変わっていました。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります」……あなたもまた、自分が何者か、神様に告げられていくでしょう。神の国、神の民の一員に回復されるでしょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌18番「あの方が独り子を」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください)

 

使徒信条93-4A

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)


使徒信条93-4B

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。

 

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、配信を見られた方、久しぶりに参加された方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1ページをご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)

 

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって私たちは新しく生かされます。今からのち、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の3節を歌いましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の頌栄25番「父・子・聖霊に」を歌います。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

今、行きなさい。わたしはあなたを遣わす。(『讃美歌21』93-6-1 出エジプト記3:10より)

 

祝 福

主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。(詩編121:7〜8)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった25名、同時に視聴された13名、計38名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

華陽教会では、誰でも問い合わせなしで参加できる「三密を避けた会衆礼拝」を再開しています。9時15分からの教会学校こども礼拝や、水曜日13時半からの聖書研究祈祷会も、感染症対策をした上で、通常通り集まっています。

 

引き続き、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整にご協力いただき、十分注意しながら、共に聖書の言葉を味わえたらと思います。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。