ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『誰が私の指導者か?』 サムエル記下5:1〜5、ルカによる福音書23:35〜43

日曜礼拝 2022年11月20日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、配信と並行して礼拝に集まっています。共に今、教会にいる人も配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。(コリントの信徒への手紙一15:24)

 

讃美歌

マスクをしたままで、旧讃美歌532番「ひとたびは死にし身も」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆命と力の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今日は収穫感謝記念日です。日々、あなたによって育まれ、あなたによってもたらされる恵みに感謝致します。どうか今、野菜や果物、穀物を育てている人に、加工や運送を担っている人に、あなたの慈しみがありますように。

◆私たちの神様。今、飢饉や干害、病気や虫害などによって、食べ物に困っている地域にあなたの導きがありますように。貧困や戦争などによって、衣食住が確保できない人たちに、あなたの救いとみんなの助けがありますように。

◆私たちの神様。来週から、キリストの誕生を記念する、クリスマスの準備をする期間、アドヴェントに入ります。キリストが再びこの世に来られる時を待ちながら、みんなで祈りをささげます。どうか今、この期間に整えるべきものを整えることができますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。サムエル記下5:1〜5、ルカによる福音書23:35〜43(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編18:47〜51(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

讃美歌21の386番「人は畑をよく耕し」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

AlexaによるPixabayからの画像

メッセージ

今日は収穫感謝記念日です。文字通り、神様が恵んでくださった野菜や果物、穀物や家畜などの収穫に感謝し、みんなで賛美をささげる日です。会堂の前には、籠に入った収穫物が並んでいます。複数の家庭から持ち寄られた食卓の一部、恵みの一部がささげられ、集まった人たちに分けられます。

 

しかし、素直に感謝できない状況もあります。現在、最新の報告では、世界で8億人以上の人が、飢餓に直面しています。新型コロナが流行してから、実に1億5千万人も増えました。日本でも、7人に1人の子どもが、家計を支えるために毎日アルバイトをしていたり、進学を諦めたり、栄養ある食事を学校給食でしか摂れていなかったりします。

 

大人もまた、収入が大きく減ったり、失業したり、介護や医療費の出費が増して、苦しい生活を強いられる人が増えました。感染症も再び増加し、病床使用率が50%を超える都道府県も出てきました。私たちが日常を取り戻そうとするところへ、新型コロナの第8波が訪れます。畑に種を蒔いてよく耕しても、辛抱しながらよく働いても、陽に照らされず、雨も降らないで、恵みを享受できない日々が続いているように感じます。

 

そんな中、今日の収穫感謝礼拝では「王の職務」というテーマで、聖書箇所が選ばれています。教会で「王は誰か」と聞かれたら、「あなたの王は?」と問われたら、「それはもちろん、全てのものの造り主、支配者である神様だ」と答えることになるでしょう。神様と意志を一つにする「王たるキリスト」イエスの名前が挙げられるでしょう。

 

しかし、この世の有様を考えると、神様が、イエス様が、王の職務を果たしているとは言えないように思えてきます。不義や不正を働く政治家があちこちにいて、無茶苦茶な戦争や紛争が起き、環境破壊や人権侵害が続いている。全てのものを支配する王なら、これらを治めることはできないのか? 王なのに、私たちを飢餓や貧困から救えないのか?

 

もし、信じることで本当に救われるなら、綺麗に問題を治めてくれるなら、私の指導者として、支配者として、神様を信じることができるでしょう。でも実際は、クリスチャンの政治家が信じられない発言をしたり、キリスト教国でとんでもない武力が行使されたり、苦しい現実が突きつけられます。神様を、イエス様を、私の王として、支配者として受け入れることが、難しくなってきます。

 

実際に、私たちの王として来られたはずのイエス様は、2千年前、全く王として扱われていませんでした。罪を犯していないのに裁判にかけられ、有罪になり、十字架につけられて、人々から辛辣な言葉をかけられました。「もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」

 

隣で十字架にかけられていた犯罪者にも言われました。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」……王なのにそれができないのか? 王ならその務めを果たせ!……彼らの様子は、イエス様を信じない、愚かな姿として、教会では捉えられます。真の支配者であり、本物の王である方を責め立てた、とんでもない人間に思われます。

 

しかし、現代を生きる私たちの叫びも、これとよく似ていますよね? 私たちを治める神様に、神の子であるイエス様に、「我々を救ってみろ」「信じさせてみろ」と訴えます。「神なのに、王なのに、できないのか?」と投げかけます。一方で、人間が王位についたときは、面と向かってそんなことは言えません。

 

かつて、イスラエルで、サウルの次に新しく選ばれた王ダビデは、その位についたとき、人々にこう言われていました。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です」「イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる」……もしここで、面と向かって「我々を救ってみろ」「今すぐ敵国を滅ぼせ」「我々の王ならできるはずだ」と言い出したら、王に楯突く者として処分されるかもしれません。

 

「王なのに飢餓を解決できないのか?」「経済を良くできないのか?」「汚職を取り締まれないのか?」と訴えたら、圧倒する力で押さえつけられるかもしれません。事実、ダビデが部下の妻を寝取ったときも、息子の謀反を止められなかったときも、国民はどうすることもできませんでした。責任を追及できませんでした。

 

追求したら、責め立てたら、自分自身が国民ではなくなるかもしれない、この国から追い出されるかもしれない。本当に、何でも訴えることのできる王は、どこにもいませんでした。王というのは、こちらが従わなければならない存在で、自分たちの訴えを、黙って受けとめてくれるような存在ではないと思われていました。

 

しかし、本当の王は違いました。本当の王は、自分に従えと、私たちの言うことを退けたり、口を封じたりする方ではありませんでした。「我々を救ってみろ」「王なのにそれができないのか」という声を、単なる侮辱として切り捨てませんでした。唾と共に吐きかけられたその願いを、吐き捨てるままにしませんでした。

 

イエス様は、自分を神の子と信じなかった、真の王として受け入れなかった人々に、復活して姿を現します。再び出会いにやって来ます。「お前はわたしの民じゃない」と言いにではなく、「わたしに従いなさい」「あなたはわたしの民になる」と言いに来ます。感謝なんてできなかった一人一人に、一緒に喜びなさいと告げに来ます。

 

誰が私の指導者か、誰が私の王なのか、はっきり告白することも、受け入れることも、まだできない人たちに、イエス様はこの食卓で言いました。「あなたがたに平和があるように」「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」……そして、神の恵みを受け取りなさい、喜ぶ者となりなさい。

 

神の恵みに感謝する日に、「感謝なんてできません」という訴えや涙がこぼれるとき、「恵みなんて見えません」と怒りや悲しみが込み上げるとき、あなたの声は、ただの拒絶にはなりません。ただの侮辱にはなりません。その声を祈りとして、献げ物として、受け取ってくださる方がいます。その人を「わたしの民だ」と言う方がいます。

 

だから今日、神の国の王を遣わしてくださった方を思い出しましょう。この世に独り子を遣わして、全ての者を愛された方を思い出しましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌18番「あの方が独り子を」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください)

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、配信を見られた方、久しぶりに参加された方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください)

 

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって私たちは新しく生かされます。今からのち、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の頌栄25番「父・子・聖霊に」を歌います。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

父がわたしを世にお遣わしになったように、わたしもあなたがたを世に遣わします。(『讃美歌21』93-6-2 ヨハネによる福音書17:18より)

 

祝 福

父である神とわたしたちの主キリスト・イエスの恵み、憐れみ、そして平和があるように。(テモテへの手紙二1:2)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった21名、同時に視聴された11名、計32名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

華陽教会では、誰でも問い合わせなしで参加できる「三密を避けた会衆礼拝」を再開しています。9時15分からの教会学校こども礼拝や、水曜日13時半からの聖書研究祈祷会も、感染症対策をした上で、通常通り集まっています。

 

引き続き、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整にご協力いただき、十分注意しながら、共に聖書の言葉を味わえたらと思います。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。